おいしい話はご用心!

湯島屋あくた

第1話

 レストランたかなしは街の小さな食堂である。ただレストランと名が付くあって、メニューはそれなりにそろっているし、値段もそこそこで、ちょっとした記念日なんかにおすすめな店だ。と、一人息子の美咲は思っている。あと、真偽は不明だが父親はフランス帰りという触れ込みが一応、ある。

 子供の頃は素直に信じてフランスの話をよくねだったものだった。本当のフランスって何?と聞かれると困ってしまうのだけど、でも美咲は知っている。小さい頃に出会ったフランス人からたくさん話を聞いたのだ。フランスは美しい国だと。

 その人にも子供がいて、同じくらいの年齢だったから、いつも一緒に遊んでいた。男だったか、女だったかは忘れてしまったが、結婚の約束もした気がするからきっと女の子だったのかもしれない。その親子はグレーの瞳が美しかった。美咲が憶えているのはキラキラ輝いていた瞳の色だけだ。

 そこでコホンと咳払いが一つ聞こえた。隣からツンツンとペンで突かれる。見ればヤバいぞと声に出さずに友人の鴨井悠介が慌てている。何?と聞く暇もなく、低い声が美咲の名前を呼ぶ。

「小鳥遊君。私の授業はそんなにも退屈かね?」

「……あ、いえ……、すみませんでした」

 慌てて立ち上がり、頭を下げる。が時すでに遅し。教授はちらりと横目で見ただけで座れと促したのがわかった。おずおずと座り直すが居心地が悪い。

「今日の授業をレポートにして提出しなさい。皆も少々弛んでいるようだから、全員だ。猶予は一週間あげよう。来週の授業開始までだ」

 巻き起こるはずのブーイングの代わりに、美咲に痛い視線が各方面から飛んでくる。美咲は居た堪れなくなったが、せめて残りの時間だけでも真面目に授業を受けようとペンを握り直したのだった。




 人もまばらな放課後のラウンジ。

「美咲ちゃーん、コンテスト前にでみんなピリピリしてんのにやっちまったな~~」

「ごめん……そしてありがとな、ノート」

「真面目っしょ?まあ中身は頭に入ってないんだけど!」

 ノートと一緒に御礼として買った飲み物を渡す。サンキュと悠介の軽い声がして、お互いにひと息ついた。

「しかしまぁ、美咲はさ、時々何処か遠くを見てるよな。どこ行ってんの?」

 半分ほど中身も減ったあたりで、悠介が口を開いた。真面目な顔をした悠介に誤魔化すこともできす、美咲は頬を掻く。この友人ならば、話しても茶化したりしないだろう。美咲はごくり、と手の内にあったカフェオレを一口飲み込んだ。

「えーと……フランス…」

「フランスか〜!そりゃ遠いな!」

「笑わないのか」

「笑わねぇよ。俺だってフランスを始めドイツやイタリア見てるもん。そこだけじゃない。世界中を見てるんだ」

 夢を語る悠介の瞳は輝いていた。羨ましいと美咲は思う。美咲はきっとこのまま学校を卒業したら実家を継ぐのだろう。そして時々見たことないフランスに思いを馳せるのだ。

「ま、お互いに頑張ろうや。まずは目の前のレポートからな」

 あっけらかんと笑う友人に美咲は救われている。そうだな、とカフェオレを飲み干して、二人は帰路についた。




「ただいまー」

「お帰りなさい、美咲、大変、大変なのよ!!」

 母親の美津子が焦る声に、ん、と返事を返す。美津子の「大変」は大袈裟なことが多い。例えば軒下に燕が巣を作ったとか、どこどこさん家の犬が子犬を産んだとか、その程度の大変がとても多いのだ。

 美咲は手早くコートと私服を脱ぎ、ロッカーへ片付ける。できるだけ厨房に入りたいが、父親は本場の味を知ってからだと、頑なに美咲に客への提供する料理を作らせようとしなかった。代わりに賄いという名の夕飯で練習はさせてくれるのだから父親なりの優しさはあるのだろう。

「で、母さん。今日は何がそんなに大変なの……」

 黒いエプロンの紐を結びながら表のレストランの方へ出た瞬間。


 キラキラと光るグレーの宝石が美咲の目を奪った。


「逢いたかったよ、美咲!!!!」

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