私をはめた元婚約者たちに対抗するため、見知らぬ騎士様に勢いで求婚したのですが

新 星緒

◇ 月の美しい晩のことでした ◇

「あと一週間しかないのに結婚相手が決まらない。まずいぞ」

 バルコニーの下から聞こえてきた困りきった声に、天の救いだと思った。


 脊髄反射で叫びながら手すりに駆け寄り、身を乗り出す。

「今、『まずいぞ』とおっしゃった方、私と結婚してくだ――きゃぁっ!!」


 勢いよく突進しすぎたらしい。手すりについたはずの手がすべり、私は転がり落ちた。軽やかなワルツが聞こえる夜闇の中を、地面に向かって真っ逆さまに。


 ああ! こんなの、婚約破棄され悲嘆のあまり自死したと思われてしまう。

 そんなの絶対にイヤよ!




 ――ボスっ




 鈍い音と共に私は地面に激突し――ていないわね? どうして?


 恐る恐る目を開ける。

 と、目と鼻の先で、美貌の男性が私の顔をのぞきこんでいた。月の光を浴びて銀色に輝く髪に深い緑色の瞳で、まるで絵画から抜け出してきた大天使のようだ。

 

「空から降ってくるなんて、ずいぶん熱烈な求婚だな」

 耳に心地良い低音ボイス。

 声まで麗しいこの男性に、私は抱きとめられたのだと気づく。


「ごっ、ごめんなさい! 私も切羽つまっていて。どこのどなたか存じませんが、私と結婚すると伯爵位と莫大な財産がついてきます。よければ結婚してください!」

「なるほど?」

「明日」

「明日!?」と大天使が目を見開く。

「はい。明日入籍しないと、すべてを義妹や元婚約者たちに奪われてしまうのです」


 悔しさと悲しさがこみ上げてきて、涙がにじむ。優しかったお父様。歴史も名誉も財産もある伯爵家の当主で、良き領主でもあった。

 だけど再婚相手を見極める目を持っていなかったらしい。後妻におさまった義母は、お父様の亡きあとに爵位を手に入れる細工をしていた。


 この国では爵位を継げるのは男性だけ。だから私の夫となるひとが、お父様の爵位を受け継ぐはずだった。

 なのに私の婚約者であるダミアンは、明日結婚式というこのタイミングを見計らって、婚約破棄をしてきたのだ。そして義妹と結婚するそうだ。


 ダミアンの実家から望まれた政略結婚だったけど、どうやら伯爵の地位さえ手に入れば、妻は私でなくてもよかったらしい。悲しみをとおりこして、怒りしかない。


「もしかして君は、アスター伯爵家のマリアンナかな?」

 新しい声がして、私を抱えているのとは別の青年が顔を見せた。

「そうです」

 と答えながら、相手をつい、まじまじと見てしまった。こちらもまた、なかなかの美青年だ。金色の豊かな髪が豪勢で、まるで絵本の王子様みたい。

 うちの国ってこんなにたくさん美形がいたのね。社交をしていなかったから、知らなかった。


「隣国ペレイラの僻地に救援活動に行っていた、変わり者のマリアンナ・アスター?」と私を抱えた大天使が訊いた。

「はい。というか、いつまでもお手を煩わせていて、すみません。おろしてくださいな」


 大天使はにこりとした。でも、おろしてくれない。

「君は緊急を要しているようだが、俺も悪人だったらどうするんだ?」

「本当だわ。そこまで考えていませんでした」


 大天使がくっと笑う。


「だって! ほんの少し前に婚約破棄をされて、義妹たちの罠を知ったばかりなんです。時間がなくて」

「で、身分や財産を失いたくなくて、顔も知らない男に求婚した、と」

「そんなものは、なくても構いません。義母たちの企みを阻止するためです。父が逝去してからたったの二か月の間に、彼女たちは領地の無茶な改造をいくつも計画していたのです」


 違法な工場誘致や娯楽施設の建設。その経費を捻出するための、公共事業の中止。これだけでも十分ひどいのに、建物や畑地の接収、老舗業者の事業許可取り消しなどまである。

 ただ、まだこれは案に過ぎない。実行するためには、新伯爵の認可が必要だ。


 義母たちは良くない筋の者たちと共謀して、私やアスター家には秘密のうちにこの計画を立てていた。けれどすでに下見などを始めていて、そこから秘密が露見したのだ。


 それでも伯爵位をつぐのは、私の婚約者だから計画を認めることなんてしない、大丈夫、と思っていたのだけど。婚約者も義母たちとグルだった。


「どうやったのかは知りませんけど、『私が成人する日までに結婚しなければアスター家を守る意思はないものとし、爵位は義妹ドロシーの夫になるものが継ぐこと』と決まっていたのです。なんと陛下の裁可もおりています」

「うん……」と金髪の青年。「きっと前伯爵の偽造遺書を、国王に提出したのだろうね」

「そして私の誕生日は明後日です」

「なるほど」と大天使がうなずく。

「ところで、そろそろおろしていただけますか?」


 私もいつまでも美青年の腕の中にいるのは、つらい。転落したときからずっと、心臓がバクバクいっているのだけど、途中からは絶対にこのシチュエーションのせいだと思う。


 大災害に見舞われたお母様の故郷で一年にわたる救援活動と復興活動をして、様々なことを経験した。男性を抱えて歩いたこともある。ケガの手当のために、異性の素肌に直接触れたことも。

 でも、こんなふうに抱きかかえられるのは初めてだ。さすがに緊張してしまう。


「おろしてほしいらしいぞ、リアム」と金髪青年が言う。

 どうやら大天使のお名前はリアム様らしい。

 だけど大天使は、私をしっかり抱えたままだ。そして――


「いいぞ、結婚してやろう」

「え! 本当ですか?」

「俺は悪人じゃないから、安心するといい」と大天使が微笑む。

「本当に天使だったわ!」


 ぶふっと大天使が吹き出した。

「俺は天使じゃないし、他人をそんなに簡単に信用するな」

 金髪青年が大きくうなずく。

「だって、今のところ二択しかないのですもの。それにあなたは近衛騎士様のようですし」


 冷静になってみれば、彼が着ているのは近衛騎士の制服だった。王宮の入り口で見たから、間違いない。金髪青年は違うけれど。

 すべてを諦めるか、目の前の見知らぬ近衛騎士に賭けるかだったら、どう考えたって後者よね?


「あなたがなぜ結婚しなくてはいけないかは、気になりますけど」

「結婚しないと騎士を続けられないんだよ」と大天使が微笑む。「もちろん君は辞めろなんて言わないな?」

「言いませんとも! 領地のほうは私に任せてくださって大丈夫です。優秀な人材もたくさんおりますから。そうしたら別居婚になりますが、どうぞよろしくお願いします。――ええと、リアム様」


 彼の腕の中で、頭を下げる。

 どうして降ろしてくれないのかわからない。だけど、大天使は楽しそうに笑っているし、万事解決。めでたしめでたしね。


「ところでマリアンナ」と大天使。「国王陛下への挨拶はもう済んだのか」

 今宵は陛下の即位五周年を祝う会だ。欠席は失礼にあたるから、挙式前夜だというのに出席した。挨拶は当然のこと、いの一番に済ませた。


「済んでいます」

「これからの予定は?」

「ありません。あとは帰るだけだったのですが、いきなり婚約破棄されたので結婚相手を探すために残っていただけです」

「まだ始まったばかりだけど!?」と驚く金髪の青年。

「でも、知り合いもおりませんから」


 デビュタントをする年齢は二年も前だった。けれど私はしていない。

 弟ヒューイの闘病と死去や領地で流行った流行病の対応、そしてお母様の故郷での救援・復興活動。それらが続いたため、機会がなかった。


 というか、デビュタントなんて気持ちにはなれなかった。

 もともと華やかな場所は得意ではない。それに体の弱い弟を置いて領地から出ることもしたくなかったから、貴族社会に知人はほとんどいないのだ。

 婚約者は決まっていたし、社交界に出るのは結婚してからでいいだろうと考えていた。


 そういうところが元婚約者は嫌いだったようだ。今夜初めて知った。


「では、今夜は王宮に泊まるといい」と大天使。「屋敷に帰って義家族に殺されたら大変だ」

「まさか」

「結婚相手が見つかったと知ったら、強硬手段に出るかもしれない」

「確かに。ですが、王宮に泊るなんて勝手にできませんよね?」

「構わないよ」と金髪青年が微笑んだ。「名乗るのが遅れたけれど、僕はクリス・マッケネン」


 あら?

 その名前は……


「ようやく気づいてくれたかな。この国の第一王子だ。開式のときは父の近くいたんだけどね」と苦笑する金髪青年。「目に入らなかったようだね」

「しっ……失礼しました!」


 きちんと挨拶をしなければ、と思ったけれど、どうしてか大天使はがっしりと私を抱きしめていて降ろしてくれない。


「あの……?」

 と見上げると、大天使はにやりとした。

「彼は僕の専属護衛騎士で――」

「つまり、俺の身元はしっかりしている」と大天使はクリス殿下の言葉を遮った。「よかったな、お互いにいい結婚相手がみつかって」

「はい……」


 よくわからないけれど、王子様とこれだけ親しいのだから身元は確か――というより、かなりの高位貴族なのかもしれない。急に不安がふくれあがる。


「今更ですが、リアム様のご家族の承諾を得なくて構わないのでしょうか」

「必要ない。俺の実家は隣国だ」と大天使。「帰って来いとうるさいのだが、こちらで結婚してしまえば諦める。元々そういう条件だからな」

「なるほど……?」


 本当に必要ないとは思えないけど、クリス殿下が苦笑しながらも頷いているから、事実なのだろう。


「それでは、よろしくお願いしますね。リアム様」

「ああ、こちらこそよろしく頼む。マリアンナ」

「では、そろそろ降ろしてください」

「イヤだ」

「なぜ!?」



 結局、私はリアム様にお姫様抱っこをされたまま王宮内を横断し、宿泊する部屋に運ばれた。

 その上で、何人もの近衛騎士がやって来て、部屋の外――廊下と窓の下――を警護してくれた。クリス殿下の計らいらしい。


「で、どうしてリアム様が私の寝室にいるのでしょう?」

 王宮の侍女たちに寝支度をしてもらい寝室に入ると、なぜかリアム様が椅子にすわって待っていた。


「俺の花嫁が襲撃されたら困るからな。寝ずの番をする」

「……遠慮したいのですが」

「ならば、他の近衛を寝室に連れ込むのか?」


 リアム様は笑顔でそんなことを言う。

 明らかに軽口だけど、寝室を出ていく気はまったくないとの態度だった。


「案ずるな。結婚前に令嬢に手出しするような人間が、王子の専属になれるはずがないだろう?」

「……そう信じたいですけど、王宮に入るのも王族に会うのも今日が初めてなのです」


 リアム様はふはっと笑い、

「最初の大胆さはどこに行ったんだか」と言って、立ち上がった。

 そして椅子をベッドから一番遠い壁の前まで運ぶと、そこに座り直した。


「これでどうだ。俺がベッドにたどり着く前に悲鳴を上げれば、外の近衛が助けにくる」

「良いあ……」

 頷きかけて、すぐに気がつく。

「私が寝ていないことが前提!」

「おや、気付いたか」


 リアム様は楽しそうに笑うと、

「いいから早く寝ろ。明日の結婚式に俺の花嫁が出席できなかったら、どうしてくれる?」 と言って、少しだけ体勢を変えた。

 ベッドが真正面には見えない位置だ。

 リアム様は優しい人なのかもしれない。


 私は決心してベッドにもぐりこむ。

 だけど、とてもではないけれど、寝付けそうにない。そうだ、気になっていることがあったのだった。


「リアム様。ひとつ質問をしても?」

「どうぞ」と余所を向いたまま、リアム様は答えた。

「あなたなら結婚相手をいくらでも見つけられたのではないでしょうか。なぜ、早くに決めなかったのですか」

「確かに、よりどりみどりだ。俺はモテる」

「すがすがしいまでの自画自賛ですね」

「嘘をついても仕方ない。モテるが、近衛騎士の仕事のほうが楽しくて優先していたってところだ」

「自国に帰りたくないほど、お好きな職業なんですものね。無理やり結婚をお願いしてしまいましたけど、我が家のことは気にせず、騎士のお仕事に邁進なさってくださいね」

「……そうだな」


 別居婚になったら、跡継ぎのことをどうするかという問題があるわね。 

 でもまずは、結婚することが第一だもの。細かいことは追々考えればいい。

 いまは義母たちに立ち向かう力が必要なのだから――


◇◇



 暗闇の中。

 

 お母様が現れ、去って行く。

 ヒューイが現れ、消えていく。

 お父さまが現れ、闇に溶ける。


 私は一生懸命に名前を呼び、走って近づこうとするけれど、みんな私のもとからいなくなってしまう。


 どうして?

 なぜ私も連れて行ってくれないの?


 一緒にいたいのに。

 さみしい。

 会いたい。


 どうして私を置いていってしまったの?

  


◇◇

 

 目を覚ますと、自分がどこにいるのかわからなかった。部屋いっぱいに朝の光が差している。豪華で美しい天井。


 ふと違和感を覚えて視線を動かすと、枕元に大天使が腰かけていた。柔和な顔で私を見ている。一気に昨夜のことを思い出す。

 朝の光の中でいっそう神々しいリアム様。拝みそうになってしまう。


「おはよう。俺を怒るなよ?」

 そう言う彼は、私の手を握りしめていた。

「うなされていたんだよ。手を握っていると、止まるみたいだったから」

「……一晩中、そうやって?」


 大天使リアム様があいている手で私の前髪を横に流す。


「『置いていかないで』と泣いているのをほうっておけないだろうが。そんなに婚約者を好きだったのか?」

「いいえ。家族の夢です。母も弟も父も、みんな私に優しかったのに、私を置いて行ってしまったから」

 大天使が表情を曇らせた。

 彼は優しいひとなのだ。出会ったばかりの私を心配して、手を握り続けてくれるほどに。


「でも、新しく素敵な家族ができたようです。結婚を引き受けてくださり、ありがとうございます。リアム様」

 大天使の指が私の頬をなぞった。涙のあとが残っているのかもしれない。悲しい夢を見た次の日の朝は、いつもそうだから。

 

 心配げな表情の彼に、笑顔を向ける。

「リアム様、寝ずの番もありがとうございます。眠くありませんか?」

「近衛騎士には夜勤もある。なんの問題もない」

 そう言いながら彼は手を離してくれたので、半身を起こした。

「それはよかったです。では本日の結婚式をよろ――あっ!」


 なんてことだ! すっかり頭から抜け落ちていた!


「大変! リアム様の婚礼衣装がありません!」

「案ずるな。クリス殿下が用意してくれている。それに俺は服なんてなんでもいい。それよりも花嫁に挨拶をしてもいいか?」

 挨拶?

「ええ」


 リアム様は意味深に微笑むと私の手をふたたびとり、甲にゆっくりとキスをした。視線を合わせたまま。

 大天使はものすごく色気が溢れている。

 とてつもなく恥ずかしくなり、鼓動が早くなった。


 私はとんでもないひとを、夫にしようとしているのかもしれない……。


◇◇


 教会の司教たちも招待客も、新郎が変わったことにたいそう驚いていた。

 でもあらかじめアスター家の使用人たちが説明にまわってくれていて、最終的には私に同情的になっていた。


 そして都に来たことのなかった私は知らなかったけれど、リアム様は結構な有名人らしい。みんな一様に、『彼なら安心だ』と祝福してくれたのだった。


 挙式は厳かに進み、いよいよ誓いの場面というところで、私はようやく気がついた。リアム様のフルネームを知らないことに。

 昨夜は冷静なつもりだったけれど、そうではなかったらしい。よく考えれば、年齢も家族構成も知らない。


 わかっているのは、リアムという名前と、職業、王子様と仲良しということだけ。

 我ながら大胆なことをしたとは思う。

 でも不思議なことに、なんの心配もない。

 むしろ別居婚になるのを淋しく感じている気がする。

 どうしてだろう。出会ったばかりなのに。

 握られていた手の感触を思い出す。

 そういえば悪夢を見たあとの朝、目覚めがすっきりとしているのは初めてかもしれない。


 チラリと横に立つリアム様を盗み見る。

 リアム様は一晩で用意したとは思えないほど豪華な花婿衣装を着ている。サッシュやたくさんの勲章もついているから、近衛騎士の中でもかなり上の身分だとわかる。若いのに(といっても年を知らないけど)、すごい。


 切羽詰まっていた勢いとはいえ、すごい人に結婚を申し込んでしまった。

 そしてそんなすごい人が、とても素敵だなんて奇跡だと思う。


「では」と司教がリアム様を向く。「新郎――」

「待った――っ!!」

 叫び声とともに、入り口の扉が音を立てて開いた。

 逆光を背に、三人の人影がある。たぶん、参列していない義母と義妹、あと今の声からすると元婚約者の三人だ。


「誰の許可を得て挙式をしているの!」と義母が叫ぶ。

 三人が通路を横一列になってズカズカと歩いてきた。

「私はこんな結婚、許していませんよ!」

「あなたの許可なんて必要ありません」私は胸を張って言い返す。「アスター家に害をなすものは、アスター家の一員ではありませんから!」

「生意気なっ!」とヒステリックに叫ぶ義母。


「結婚は無効だ!」と叫んだのは、元婚約者のダミアン。「まだ婚約解消の手続きは終わっていないからな!」

「きのう、あなたが『もう手続き済み』と言いましたが? 嘘だったのですか?」

「聞き間違いだろう? このバカがっ!」


 ダミアンが手を振り上げた。殴られる、と思ったけどその前に、リアム様が間に入ってくれた。

「手続きが終わっていることは確認済みだ」

 まあ! いつの間に! 

「挙式の許可も得ている。ですよね?」

 リアム様がそう言って、参列席の最前列に顔を向けた。

「そのとおり」と、答えたのは国王陛下だ。


 そのお姿に義母たちはようやく陛下の存在に気づいたようで、息をのんであとずさった。

 まさか、やんごとなきお方がいるとは思わなかっただろう。

 私だって、どうして陛下が参列しているのか、不思議だもの。いくら息子(陛下のお隣でにこにこしているクリス王子!)の専属近衛兵だからって、おかしくない?


「国王陛下のご臨席する場での騒乱は、不敬罪にあたる」と重々しく告げるリアム様。「現行犯逮捕だ」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、参列していた近衛騎士たちが義母たちを取り囲んだ。


「ふざけるなっ! 私は関係ないっ!」

 ダミアンが叫ぶと、逃げ出そうとした。すかさずリアム様がその腕を掴み、くるりと半身を回転させてその勢いのままダミアンを投げ飛ばした。

 激しい音とともに、床に叩きつけられるダミアン。


「挙式の最中に血を流す訳にはいかないからな」

 と、帯剣している近衛騎士は、涼しい顔でのたまう。

 言いたいことはわかるけれど、そこまでやる必要はなかったのではないかしら? 哀れダミアンは、ピクリともしない。死んでいるのかも。


 だけど幸いなことに、気を失っているだけらしい。彼と義母・義妹は近衛騎士に拘束されて、あっけなく教会を出て行った。


「義母たちはどうなるのですか?」

「この程度なら、罰金刑で済ませてやってもいい。精神的には追い詰めておくが」と陛下が爽やかな笑顔で言った。「どのみち、前アスター伯爵の遺言を偽造して私に提出したのだとしたら、禁固刑に処すがな」

「ならば禁固刑確定ですね」と喜ぶクリス王子。

 ありがたいような、恐ろしいような。


「なんでも構わない。仕切りなおすぞ」とリアム様が言って、司教に向き直る。

 私もそれに続こうとして、内陣の奥でなにかが動いたような気がした。こんなときに、あの場所に人がいるはずがないのに。

 目を凝らすときらりと光るものが、リアム様の一直線上にある。


 この場では聞こえないような音が耳に届いた気がした。

 

 咄嗟にリアム様に全力で体当たりをする。不意打ちに驚いてバランスを崩した彼にしがみつき、一緒に床に転がる。

 そんな私の頭上を一本の矢が飛んで行った。


「曲者!!」

 誰かが叫び、近衛騎士たちが内陣めがけて駆けていく。

 素早く体勢を立て直したリアム様はそちらをにらみつつ、私を抱きしめた。

「なんて無茶をするんだ!」

「だって危ないと思ったのですもの」


 リアム様は私に回す腕にどんどん力を込める。苦しい。

 でも、昨日会ったばかりのわたしを、こんなにも心配してくれているのだ。

 胸がとても熱い。


 にわかに騒々しくなった中を、落ちた矢を手にしたクリス様がやってきた。

 ようやく私から腕を離したリアム様が、それを手に取り鼻に近づけて、

「矢じりに毒が塗ってあるな」と言った。


「……今のはなんだったのですか」

 リアム様が私を見る。困ったような表情だ。

「あれは……」彼が言いかけたとき、内陣の奥から

「外に逃げられました! 追います!」との叫び声が聞こえてきた。


「マリアンナ嬢を気に入ったのなら、きちんと説明したほうがいい」とクリス様。陛下も頷く。


 え? 

 リアム様は私を気に入ってくれているの?

 

 思い返してみても、気に入ってもらえる要素なんてかけらもないのだけど。

 でもなぜだか、とても嬉しい。


 大きく息を吐いたリアム様は、頭に手をやった。銀の髪が外れ、その下からつややかな黒髪が現れる。

「俺のフルネームはエミリオ・リアムステッド・ペレイラだ」と言った。

「ペレイラ……」


 それは隣国の国名であり、王家の姓でもある。

 あちらで救援活動をしていたときに、聞いたことがある。

「……第二王子殿下が、外国に遊学中だと……」

「それが俺。遊学は表向き。次期国王の座をめぐって暗殺されそうになったから、継承権を放棄し亡命して、別人としてクリスのところに身を寄せさせてもらったんだ」

 他国の王宮の中なら安全度が高いだろうから、と考えてのことだそうだ。


 だけど第一王子がやらかしたために(身勝手な婚約破棄をして貴族社会に混乱を招いたらしい)、彼から王位継承権をはく奪しなければならなくなった。

 困った国王は、今更ながら第二王子のリアム様に帰国を命じたという。


 でも、リアム様は帰りたくない。そこで考え付いたのが、勝手に結婚してしまうことだった。


 というのも、次期国王になる条件が、第一王子の元婚約者との結婚だという。だからそれより先に結婚してしまえば、回避できる。『一週間』と彼が言っていた期限は、母国に向けて出立する日までのことだったらしい。


「ではさっきの矢が狙っていたのは、私……?」

 リアム様のお命が大事ならば、狙われるはずがない。なんたる勘違い! てっきり彼が標的なのだと思ってしまっていた。


「いや、あれは確実に俺に向けられていた。恐らく兄の支持者だ。俺や他の弟たちを皆殺しにして、再び継承権を得るつもりなんだろうな」

「恐ろしい!」

「やめるか?」と、リアム様が悲しそうな顔をする。

「なにをですか?」

「結婚だよ。また狙われることがあるかもしれない。君の義母たちは捕まった。爵位引き継ぎの条件が彼らの捏造だと証言を取れれば、マリアンナは好きなときに結婚できるようになる」


 つまり、私は今リアム様と結婚する必要はなくなる……


 と、リアム様は床に片膝をついた。真摯な目で私を見上げている。


「マリアンナ・アスター伯爵令嬢。俺はもっと君のことが知りたい。君に被害が及ばないように十分気を付けるから、結婚をしてくれないか。――今すぐでなくても、構わないから」

「そんなのはイヤです。私は今すぐリアム様と結婚をしたい。私だって、あなたのことをもっと知りたいですもの」


 リアム様のお顔がゆっくりと、ほころんでいく。


「少し意地悪な言動にも、悪夢を追い払ってくれる優しさにも、惹かれているの」

「俺も。見知らぬ男に求婚する大胆さが。そうかと思えば俺の腕の中で緊張して真っ赤になりながら、懸命に説明している可愛らしさが。どうしようもなく愛らしく思えた」

「ええ? 私はそんな様子でしたか?」

「「そう!」」と、リアム様とクリス様の声が重なる。


 嘘でしょう? 私は堂々と説明しているつもりだったのに。でも言われてみれば、動悸がはげしかったわね。


 笑いながらリアム様は立ち上がると、私を抱き上げた。

「司教! 誓いの言葉を頼む。早く彼女にキスをしたくてたまらない!」

 嬉しくも恥ずかしい言葉に、顔が熱くなる。

 長年婚約者はいたけれど、ちゃんとしたキスの経験はない。したいと思ったこともなかったけれど、今、生まれて初めて、その気持ちになったわ!


「私も招待客もずぅっとそれを待っていましたけどね」

 そう言って司教が笑う。参列席からも笑い声がする。クリス様も国王陛下も笑っている。


 きのう、勢いだけで決まった結婚なのに、信じられないくらいに幸せだ。

 私は素敵な伴侶を見つけたのだわ。


 お互いに誓いの言葉を言い終えると、リアム様は私にキスをした。

 とてもとても、長いキスを。


◇◇


「忘れてた」とリアム様。

 私はまたもお姫様だっこされている。挙式が終わり、教会前でフラワーシャワーをあびている真っ最中だ。


「なにをでしょうか?」

 満面の笑みを浮かべるリアム様。

「別居はしないから」

「え、でも」

「マリアンナの支度中に、アスター家の人たちと話し合った」

 自分も支度があったのに!?

 なんて行動が早いのかしら。


「案その一は、君は都に住み、領地経営は書簡で。二カ月に一度あちらを訪問。案その二は俺が退職」

「……騎士をしたいのですよね?」

「ああ。だが復職は可能だ。今はマリアンナのことをもっと知りたい。そばにいたい」


 リアム様が私の頬にちゅっとキスをする。


「この俺と『別居婚でいい』なんて言う令嬢がいるとは思わなかった」

「……今は私も、ちょっと嫌だなと思っています」

「ちょっとかよ! 決めた、マリアンナには絶対に俺に夢中になってもらうからな!」


 リアム様が大声でそう宣言すると、周りを囲んでいた近衛騎士たちがワッと歓声をあげた。

 彼は今日まで陛下親子以外には身分を隠していたそうだ。だけど仲間たちは、同僚が実は隣国の王子と知っても、変わらない態度でいるみたい。


 だって私を抱えているリアム様を、「おめでとう」と祝いながら、もみくちゃにしているもの!

 暗殺犯もあのあと速攻で捕縛して、警備も強化していてくれたらしい。


 リアム様が近衛騎士を辞めるのは、良くない。


「案その一を選ぶ程度には、私はリアム様に夢中ですよ?」

 彼を見上げて素直な気持ちを伝える。


 すると私の大天使は、

「空から降ってきたマリアンナは、天から俺への贈り物だったに違いない」

 と、神々しいまでの笑みを浮かべ、何度目になるかわからないキスを落としてくれたのだった。


《おしまい》

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