第12話 アビストス


 ―――色は緑色。だけどその様は、降り落ちる葉というより隕石だった。


 突如として、まるで彗星のように前触れもなく降下してきたその人は、アズリの頭部を勢いよく踏みつけた。

 足場の硬さなんて関係なかった。アズリは即死だろう。血と脳みそと頭蓋骨が入り混じった黒いものが、落とした料理みたいに散らばった。

 新しい敵か。

 すぐに判断したわたしは海から距離を取り、その侵触体に攻撃する。


「えっ? いや、ちょっと待って! ちがっ……」


 彼女が盾のように構えたそれに、わたしのカイエが弾かれてしまう。

 翼だった。空を飛ぶために使うような、たくさんの羽に被覆された両翼。でもわたしの身体よりも全然大きくて、その色彩が〈青〉に親近感のある〈緑〉だったからカイエだと思った。


「あ、あぶなぁ……。さっき食べたミスド、全部ぶちまけるところだった……」


 後退した彼女が両翼のカイエを除けて、わたしに顔を見せる。

 そこにいたのは、わたしより少しお姉さんの少女だった。翡翠色のインナーカラーが入ったアッシュブラウンの長髪が、夜の海風で揺れていた。

 わたしに先制攻撃を受けた彼女は、困ったような顔をしていた。


「えっと……初めまして、〈青の原色王〉。私は朝比奈アマネ――アビストスの一員です」

 アビストス……人間に味方する、地球に住んでいる侵触体たちの組織だっけ。

 彼女の口ぶりは、珍しいものを見たようでも、探していた人に出会えたようにも聞こえた。敵か味方かの、判別が付かない。彼女は〈赤〉ではないようだけど〈青〉でもない。

 ―――〈緑〉は、どっちの味方なんだろう。

 警戒の視線と掣肘するカイエに、アマネさんは慌てたように手を振った。


「あっ、私たちは敵ではないです……! この場所に〈青の原色王〉――ガタルソノアがいると『乗運命致ノルンメーター』が予言したから迎えに来たんです」


 間に合ったと安堵感するように、アマネさんはほっとした表情で言った。

 本当は何もかも、終わっているはずなのに。もうソノアはこの世界にはいないのに、なんでそんな表情ができるんだと苛立ってから、わたしは理解した。


 ああ、そうか……わたしのことを〈ソノア〉だと思ってるんだ。


 ソノアの話では〈青の侵触体〉はもういないとのことだった。

 ならば――〈青の原色王〉がいると予言された場所に〈青〉いカイエを持って立っていれば、勘違いだってする。

 ……勘違いじゃなければ、どんなに良かっただろう。

 ソノアには、わたしを食べて生き続けてほしかった。

 なのに、わたしの方がソノアを食べて、生き延びてしまった。

 勘違いされるのは――まるで、ソノアの存在ごと消化してしまったようだった。


「〈赤の侵触体〉がすぐそこまで迫っています。どうか今は、私たちを信じ――」

「ソノアはもういない」


 端的に、わたしは答えた。


「わたしにカイエを残して死んだよ」


 ソノアが生きてる仮定で話されることに、耐えられなかった。

 その事実に、アマネさんは動揺で言葉を失っていた。彼女は本当に、ソノアに危害を加えるつもりはなかったんだろう。


「わたしは早く帰りたい。だから、放っておいて」


 とにかく疲れた。疲れ果てていた。今はあの家に帰って眠りたい。ソノアと一緒に寝ていた狭いベッドで横になりたかった。いつもより広くて、泣いてしまうかもしれない。寂しくて死にたくなるかもしれない。それでも、わたしは早く帰りたかったのだ。


「ごめんなさい、そういうわけにもいかないのよぉ」


 慄然ぞくりと、背筋を冷たい電流が奔る。

 背後からした声に、わたしは即座に振り返った。アマネさんに背を向けているよりも、この声の主に背を向けていてはいけないと、生存本能が恐怖したのだ。


 優しそうな女性が立っていた。夜よりも深い艶やかな黒髪には、白色のハイライトが入っている。それをシュシュで結び、肩から垂らしている。容姿から服装まで、徹底しておしとやかな雰囲気。なのにその奥底には、深淵に程近い冷たさが潜んでいるようだった。


 無意識に、わたしは身を低くしてカイエを女性に向けていた。

 それを見ても、その女の人は態度を変えない。


「はじめまして、新しい〈青の原色王〉さん。あたしは伊耶宵いざよいコヨミ。 出来ればママって呼んでほしいなぁ」


 そう言って照れくさそうに笑っていた。―――こわい。なぜかわからないけど、頭がヘンになりそうなくらいこわい。思考がもつれて、意識が恐怖で汚染されていく。砂が音を鳴らす。それが、自分が後ろに下がった音だと遅れて気づいた。


「あなたは彼女からカイエを継いで、次の〈青の原色王〉になった。これはもう、あなたたちだけの問題じゃないわ。だからまずは、ゆっくり話せる場所に行きましょう?」


 あくまで優しく、まるで鳥が羽を休めるような声音で、その女性はわたしに語り掛ける。


「……嫌」


 冷然と、海底に滞る冷たい海水のように、わたしは胸元を握りしめながら言った。


「この空洞も、このカイエも――ぜんぶソノアがわたしに残してくれたものだから。ここに、あなたたちが入る隙間なんて無いッ!」


 わたしは力づくで彼女を退かせることにした。

 砂を蹴り、その柔らかな雰囲気ごと無惨に引き裂こうとカイエを伸ばした。


「その空洞を繰り返し埋めることを、生きるっていうのよ」


 同様に、伊耶宵コヨミのカイエが姿を見せる。


 ――――月が、雲で翳ったのだと思った。


 世界が数段階も暗くなり、わたしは混乱しつつ夜空を見上げる。

 そこにあったのは、真夜中の森林を連想させるカイエの林冠だった。見た者の本能に数千年の歴史、生命起源の深奥を刻み付けるような、暴力的で神性を孕んだ威容。

 すなわちそれは、ヒトによって伝承される龍の姿そのものだった。

 八匹もの龍たちの色彩は、〈青〉も〈赤〉も〈黄〉も〈緑〉――全てを取り込んだような〈黒〉色をしていた。それが頭上から落ちてくる様を、わたしは直感する。あれこそが死の色彩。喰らわれてきた命が集積して出来上がる、捕食者が行きつく最後のカタチなんだと。


 わたしの胡乱な思考は、最後に波の音を聞いた。それは髪の毛が擦れる音に似ていたから、この音は、記憶の中でソノアが立てているんだと思った――――意識が、暗転した。

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