猫の手を借りて

陽奈

猫の手を借りて

 僕には特に好きなことがない。得意なことといえば勉強だけはできる。大体どの教科も順位は一桁だ。でもどの教科が得意とか、好きとかはない。だから高三の夏になった今も進路を決められていない。これから何を学びたいか、将来何の職業につきたいかも思いつかない。おかげで毎日進路指導室に担任に呼び出されている。今日も最終下校のギリギリまで居残りさせられた。

 周りの友達はみんなもう志望校を決めて勉強をしている。今までは一緒に帰っていたのに、三年になってからは一切帰らなくなった。塾や自習室で勉強をしているらしい。なので、しょうがなく一人で帰っている。

 帰り道は前よりも長く感じるようになった。犬の散歩をしている親子、自転車に乗って家に帰る少年、特に面白くもないがやることもないので目で追いかけてしまう。するとその時、わきの草むらから白に黒いぶちの大きい猫が出てきた。あいつは毎日この時間にこの道で散歩をしている。近づくと足元にすり寄って来て触らせてくれる、意外と人懐っこい野良猫だ。白黒のぶちでふっくらしていて豆大福に似ているので心のなかで豆大福とよんでいる。

 豆大福は今日も悠々と散歩をしている。毎日どこに行っているのか少しだけ気になる。もしかしたらその小さな好奇心からなにか自分の好きなことが見つかるかもしれない。そんな思いつきで豆大福についていってみることにした。

 豆大福は少し道に沿って歩いたところで草むらにある獣道のようなところに入っていった。虫が多そうで少し躊躇したが、決めたことはやり切るのが性なので獣道にも入ってみる。そこからだんだん豆大福の歩みが速くなっていった。歩きから速歩きに、速歩きから走りに、僕もスピードをあげていく。もっと速く、速く...


 草むらを抜けて、人が多く集まる商店街に出てきた。豆大福は走っている途中に見失ってしまったようだ。何の発見もなかったし早く家に帰ろうと思ったとき、いつもと何かが違うことに気がついた。

 人の大きさが違う。何が起こっているか分からず戸惑っていると女子高生が近寄ってきた。

「野良猫だ、かわいい〜」

 猫という言葉に驚き、自分の身体を見てみると、丸く可愛らしい手とふわふわとした尻尾があった。意味がわからないが僕は猫になってしまったらしい。これは夢なんだろうか、それとも現実?もう人間に戻れないかもしれない。与えられた状況に追いつけず焦る。

 まずはこの鬱陶しい状況を抜け出したいと思い、女子高生が僕を撫でようと頭に近づけてきた手を払おうとした。払うとき、無意識に爪がでてしまっていたみたいだ。

「痛っ、この猫...!!」

 女子高生が悲鳴をあげ、今度は僕を殴ろうとしてきた。とっさに自分の身を守ろうとその手に噛みついてしまった。周りにいた大勢の人が悲鳴を聞いて近づいてきた。中には僕をチラチラと見ながら電話をしている人がいる。おそらく警察か、保健所だろう。人を噛んでしまったし、ここで捕まったら殺処分かもしれないと思い逃げ出す。中には追いかけてくる人もいたが、彼らが追いつけないほどの速さで、全力で走った。


 少し離れた住宅街に来たところで追いかけていた人はいなくなった。安心して軽く伸びをする。特に人間でやりたいこともないし、正直これが夢でも現実でもどうでもいいのでこのまま過ごしてみることにした。

 住宅街を散歩していると、さっき追いかけていた男の一人の声が聞こえた。

「さっき噛みついた猫がこっちのほうに逃げたんですよ!絶対にまだこの近くにいる」

 まずいと思い逃げようとしたら、すでに僕の前には捕獲網のようなものを持った違う人間がいた。目があった瞬間にその人は網を使わず僕の首根っこを掴んで持ち上げた。

 その後、僕は小さなケージに入れられ、車でどこかに連れて行かれた。


 どこか違う場所について小さいケージからひとまわり大きい檻に入れられた。周りには猫が沢山いて、遠くからは犬の鳴き声も聞こえる。猫の中には、人間が近づくと鋭い声で威嚇するものや、やせ細って汚れてしまっているものが多くいた。きっとこれまで悲惨な目にあってきたのだろう。同じ境遇になってしまったからなのか、今まで保護猫に興味を持たなかったが、とても可哀想に思えた。

 他の猫が餌を与えられているように、僕にも餌がだされた。それは当たり前にキャットフードで今まで普通のご飯を食べてきた僕には全く美味しそうに思えない。しかし、たくさん走ったし、人間のときは昼食を食べていなかったからなのか、とても腹が減っていった。しょうがなくキャットフードを食べてみるとそれは意外と美味しかった。味覚もしっかり猫になっているらしい。

 餌は全部食べたが、猫は夜行性だし、床が固くなれない環境で流石に眠れなかった。その夜は周りの猫を観察したり、ゴロゴロして過ごした。

 何時間かわからないが、また腹が減った頃に昨日僕をここに連れてきた人たちがやってきて猫たちの様子を伺っている。きっと朝になったのだろう。また檻に餌が入れられた。朝食を食べているときに彼らがなにか苦い顔をして話しているのが聞こえてきた。

「こいつも誰にも引き取られなかったな...。殺処分か」

 その目線の先にはやせ細った三毛猫がいた。こんなふうに猫や犬を捕まえている奴らにもそんな感情があるんだなと意外に思った。そして僕もつられて苦い顔になる。

聞き耳を立てているうちに餌も食べ終わった。昨日からずっと寝ていなかったため、今になって眠くなってきた。何をされるかわからない恐怖があったので睡魔に抗おうとしたが無理だった。だんだん意識がなくなっていく。


 目を覚ますといつもの学校の帰り道だった。保健所からでたのかと思い起き上がってあたりを見回すと、小学生の男の子を連れている母親に変な目で見られた。なぜだろうと思い自分の身体を見るといつもの制服を着た人間の姿だった。やっぱり夢だったんだと安心しながらもなぜあんなところで寝てしまったんだろうという疑問が大きかった。とりあえず家に帰ろうともう一度帰路につく。

 家に帰ると、母が血相を変えて僕の肩を掴んできた。

「一日帰ってこないでどこに行ってたの!?心配したんだから...」

 一日?僕は帰りに少し寝てしまっただけではなかったのか?スマホの日付を確認してみると僕が知っている時間より一日進んでいた。

 最初はどういうことか理解できなかったが、猫になったのは現実だったことに気がついた。母にはそんなことを説明できないので、遠くの友達の家に泊まって連絡を忘れたことにしておいた。母は納得していないようだ。

 改めて考えてみるととても不思議な経験をしたものだ。もうこんなことはないだろう。


 それからは豆大福は一切見なくなってしまったが、他の猫やそれ以外の動物にも興味を持つようになった。殺処分されそうな動物は助けたいと思うし、野生でなくても辛い思いをしている動物は救いたい。今までにはなかったそんな気持ちが芽生えた。僕はあの経験から大きく将来に近づいた気がする。

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猫の手を借りて 陽奈 @hiramatsuhina

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