そして人は祈りを捧げる 〜御岩山・高鈴山〜

早里 懐

第1話

今日は私が好きな三連休の中日だ。


天気も良い。


登山一択だ。




私たち夫婦は登山を共通の趣味としている。


よって、しばしば夫婦で山に登っている。



その際、妻の体力を考慮し登る山は基本的に私が決めている。

しかし、今回は珍しく妻から御岩山に登りたいと言ってきたのだ。



どうやら御岩山が関東屈指のパワースポットであるとママ友から聞いて行きたくなったようだ。



とはいえ、私は先月御岩山に一人で登った。



更には、妻も昨年の12月に私と一緒に御岩山に登っている。



その時に私は妻に対して御岩山が関東屈指のパワースポットであることは伝えたはずだ。


しかし、私の話は常に2割ほどしか聞かない妻は、案の定御岩山がそのような場所であることを認識していなかったようだ。



どうせなら他の山に登りたい私は妻に対してこう言った。

「去年登って、ご利益はもらっているから今日は別の山にしない?」



しかし、妻はパワースポットと知った状態で登らないとご利益が得られないと言い出し駄々をこねた。


パワースポットとはそういうものではないと思いつつも珍しく妻から提案してきた山である。

よって、私たちは御岩山に登ることにした。




出発が遅かったこともあり第4まである駐車場はどこも満車だった。


さすが関東屈指のパワースポットだ。


しかし、運良く第2駐車場から1台の車が出てきたため、私たちは第2駐車場に車を停めることができた。



私は妻に対して、したり顔でこう言った。

「先月登ったご利益かもね」



すると妻は「関東屈指のパワースポットにしては随分とケチなご利益ですね」と言って神様に牙をむいたのだ。


神をも恐れぬ暴言に恐れ慄いた私はとりあえず無視をして山登りの準備をした。




御岩神社まで続く参道は多くの人で賑わっていた。


私たち夫婦はガッツリ登山スタイルで臨んでいるが、そのような人は全体の1割程度だ。


ちょっと浮いているなと思いつつも、神聖な澄んだ空気を体に取り込みながら参道をゆっくりと歩いた。


しばらくすると御岩神社にたどり着いた。



私たちはお賽銭を投げて祈りを捧げた。


…。


…。


…。


長い。


妻の祈りはとても長い。


体感であるため参考記録にしかならないが、妻は3分30秒ほど祈りを捧げていた。



後ろに並ぶ参拝者がざわつき出した頃、妻の祈りが終了した。


そして、妻は満足げな表情を浮かべて颯爽と歩き出したのだ。




私は登山口とは逆方向に進む妻に対して「登山口はそっちじゃないよ」と言って引き留めた。


妻は「神の導きに従ったまでだ」と訳のわからぬことを言い出した。


私はその戯言を無視して登山口へと妻をエスコートした。



始めは沢沿いのなだらかな道だ。


自ずと妻の話芸も絶好調を極める。


一つここで妻からうんちくが飛び出た。

長年一緒にいるが妻からうんちくが飛び出すのは初めての経験だ。


「10月って別の言い方でなんて言うかわかる」


私は少しばかり考えて「神無月かな」と答えた。


すると妻は「正解」と言った。


妻は続けた。

「それじゃなんで神の無い月って書くかわかる?」


私は考えたが分からなかったため悔しさを滲ませながら「分からない」と答えた。


妻はしたり顔でこう言った。

「10月は出雲大社に神様が集まって会合を開くから各地の神社から神様がいなくなるの」


さらに続けた。

「だからね。今この場所に神様はいないんだよ」


それを聞いた私はすぐにこう返した。

「今は11月だよ」


…。


…。



神聖な場所に静寂はよく似合う。






しばらく進むと沢とはお別れだ。


ここからは若干登りがきつくなる。




妻は舌打ちをしながら

「祈りを捧げたのにこんな仕打ちはないんじゃない」と怒りをあらわにした。



私は今の妻にはどのような声を掛けても神へのさらなる暴言を誘発しそうだと思いとりあえず無視をした。



妻ははたしてご利益が欲しいのか?


それとも神様に喧嘩を売りたいのか?


私は妻の真意が掴めないでいた。




坂はさらに急になる。

多分バチが当たったのだろう。



こうなると妻の口は酸素の大量吸引にスキルを全振りするため自ずと会話がなくなる。


平和な時間が訪れるのだ。




私たちは山頂に到着した。


山頂からの眺めは良いが、気温が高いせいか少しばかり霞がかかっていた。


暫くの間休憩し、高鈴山に向かった。


ここからはなだらかな縦走路となる。


道も整備されていて歩きやすい。


道中高鈴山の電波塔が見える。

その電波塔に照準を合わせて進む。


程なくして高鈴山に到着した。


ここからの眺望もとても良い。


景色を眺めつつ休憩をした後に下山した。



御岩神社にたどり着くと私たちは再度参拝の列に並んだ。


私たちの順番がきた。


そして祈った。

私は無事に下山できたことに感謝をして短い祈りを捧げた。


妻も今回の祈りは短い時間で済んだ。


私たちは車に向かって歩き出した。


妻が私に対して聞いてきた。

「ねーねー。何をお祈りしたの?」


私は答えた。

「無事に下山できたことに感謝をしたんだよ」


それを聞いた妻は笑顔でこう言った。

「私は内緒」




祈りの内容は人それぞれだ。


健康のこと。


仕事のこと。


将来のこと。




祈った結果がどうなるのかは分からない。


そこに意味があるのか?それとも意味はないのか?


しかし、努力をしなくても神様が助けてくれるなどと甘えていては良い結果は得られないはずだ。


そう考えると、祈りというのは決意を表明し、自らを奮い立たせる儀式という一面もあるのだろうか。


そんな考えがふと頭に浮かんできた。




いずれにせよ、人は自らが望むものを手にしたいと思う。

また、大事な人の健康で充実した日々も望む。


この思いは太古の昔から普遍的である。


だから人は祈りを捧げるのだ。

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そして人は祈りを捧げる 〜御岩山・高鈴山〜 早里 懐 @hayasato

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