プロローグ②

 何かに引っ張られるような感覚にすめらぎの意識は覚醒する。飛び起き周囲を確認すれば、そこはあの平原ではなかった。

 仄暗くただ広いだけの空間、ダンジョンに入って最初の部屋にいた。

 体内に感じる魔素はほぼ全快しており、地竜との戦闘でついた筈の小さな傷や汚れさえ綺麗になくなっている。

 何よりも、生きている事に驚いた。ダンジョンでの死は現実での死だ。超常に満ちた神秘なる場所だが、あくまで現実世界に存在する空間にすぎない。

 魔法を以てしても覆せないのが“死”––––それが世界の共通認識だった。

 戸惑いや安堵、様々な感情が渦巻く彼に近寄る影がある。機械音を静かに唸らせるドローンだった。


 》起きた!

 》よかったあああああ

 》生きてる?

 》安心した

 》王子もだけどさ

 》あー

 》牙ちゃん見て


「そうだ狼凪ろうなぎ君は!?」


 》後ろ

 》叱らないであげて

 》まあまあな映像だったな

 》後ろにいるはいる…

 》扱いがもう犬なんよ


 コメントに促され後ろを見れば、壁のすぐ側で狼凪が倒れていた。駆け寄って見ると、どうやら眠っているだけのようだった。

 急激な脱力感に襲われ皇はその場にへたり込んでしまう。追従するドローンに優しく微笑みかけ、深くため息を吐く。


「……よかった」


 》微笑みやばあ

 》これには俺もニッコリ

 》イケメンっていつもそうですよねっ!

 》王子様


「はいはいありがとう。それで、彼女はどうしてこんな事に?」


 皇の純粋な疑問にそれまでうるさかったコメント欄が静まり返る。その統率の良さに呆れながらも、少しばかりその阿呆らしさが心地良かった。

 誰かが話してくれるのを待ちながら改めて狼凪の状態を見る。両断されたはずの肉体は服や装備ごと綺麗に繋がっており、最初から斬られていないように見える。皇自身と同じように彼女にも草原でついたであろう汚れや防具の傷などはなかった。

 蹲るようにして眠る彼女の手は赤く裂傷や打撲の後も散見される。綺麗に生き返ったのだとすれば、これは起きてからついたものになる。

 皇はその手を指差しながら視聴者へ問う。


「これ、なにを殴っていたのかな?」


 》……

 》……

 》……

 》我々には黙「ないよ」…はい

 》起きてからそこの壁を殴ってました

 》魔法だと思うけどそれも思うままに使ってました

 》なんか泣き叫んでました

 》ちょっと怖かったです

 》ちょっとか?


「そう」


 だいたいの事情は推測できたものの、真実を知りたいのなら彼女自身から聞くしかないだろう、そう見切りをつけ皇は思案する。

 草原の階層は少なくともBランクでも上位層のパーティーであれば突破は可能だろう。地竜についても十分な準備をすれば討伐は可能だ。

 だが問題はあの存在。まるでその場に転移してきたかの様に現れた異形。

 魔法や人類の技術は大きく進歩した今日においていわゆる転移系の魔法の使用者は確認されていない。仮にあの存在や『魔王』と呼ばれた者がその術を持っているのなら厄災以外の何者でもない。

 ああ、『魔王』という存在も気がかりだ、考えるべき事が次から次へと湧いてきて−−

 ドローンからピロリンと着信音が鳴り、意識を引き戻される。

 液晶に映し出されるとある人物の文字に、皇は辟易した表情を浮かべる。ここで出る必要はないがそれはそれで面倒な事態を引き起こしかねない。ダンジョンから出て協会に行くだけでも様々な予定が待ち構えているであろう事を考えると、それに応えるしかなかった。


「……はい、皇です」

『あ、皇さん?』

「状況を知ってくれていたらいいのだけど、何かなひがし君」

『俺、今からそっち行くんで』


 有無を言わさぬ声音に皇は頭を抱えた。彼がそういう性格であることは分かっていたが、こうも真っ直ぐだとは予想外であった。仮にも“国内最強”の名を欲しいままにしているのだ。それ以外にも目を向け生きてほしいと願った。

 電話口から少し遠ざけため息、仕方ないと割り切って悟られないように応える。


「そう。分かったよ。一人で来るのかな?」

『俺パーティー組んでないの知ってるでしょ』

「そうだけど、これは状況が少し違うから」

『まあ、死ぬわけじゃないならなんとかなりますよ』

「……君が決めたことだ。僕は止めないよ。ただ協力はできないから。これから協会へ行ったり狼凪君も連れて帰られないと行けないからね」

『わかってますよ。じゃあ俺準備するんで』


 そう言って通話は切られた。

 なんとも言えない表情のまま皇は未だ眠っている狼凪へ近づき、その身を抱える。お姫様抱っこなのは楽だからだが、彼女が起きてしまえば面倒になるのも目に見えている。

 急ぎ外に停めてある車へ向かい、そのまま協会へ走らせた。


 ▼ ▼ ▼


 狼凪はそのまま大事をとって病院へ運ばれることとなった。その際に何があったのかは語るまでもないが、対して頬を切り傷を付けた皇はあのダンジョンから最寄りの協会の一室にいた。

 室内には彼一人だけであり、案内役となった受付の者も今は仕事に戻っている。

 一先ず落ち着いたため、タブレット端末を鞄から取り出しネット検索を始める。


「まあ、そうなるか」


 案の定、あのダンジョンで起きたことは大々的に記事として取り上げられていた。あくまで配信から得られる憶測などばかりが飛び交っているが、皇が気にしているのはそこではなかった。

 様々な記事を見るのを止め、今度は掲示板サイトへ飛ぶ。自身が負けたことにも誹謗中傷紛いのスレッドが散見されたが、それよりも現役の探索者たちのスレッドを眺めていく。


「希望的観測を持っても、現時点で奴を倒すのは難しそうだ」


 スレッドには“記録者”や“魔女”ならというものも見られたが、皇には彼らが勝つ姿もすぐに想像できなかった。彼が二人に直接会ったことがないというのもあるが、それでもあの時感じたモノは測れる物ではなかった。

 と、部屋の扉がノックされそのまま開く。無遠慮に入ってきたのはガタイの良い無精髭を生やした男だった。男は皇と、彼の手にしたタブレット端末を一瞥すると快活に笑う。


「人気者ってのも大変だなあ」

「そういうのじゃありませんよ」


 皇の前に腰を下ろした男は、手にした酒瓶とコップ二つを机に音を立てて置く。それに皇は呆れた表情になるが、気にせず男は酒を注ぎ始める。並々に注がれたコップの一つを、男は皇へ差し出す。


「……ふぅ。で、勝てそうか?」

「今は無理でしょうね」

「ほう?」

「『魔王』を討つ人物もきっと現れるでしょう。今は若い世代も実力を付けてきていますし、人の可能性は未だ終着点に達していないはずです。それに、これでも僕は負けず嫌いなんです。奴は僕が最初に倒します」

「そうかい。なら良かった」


 コップに残った酒を仰ぎ男は、皇の言葉に満足そうな笑みを浮かべた。

 早くも新たな酒を注ぎ入れている男に、今度は皇から聞く。


「それで、ここまでどうしたんですか宮元みやもと支部長。謝罪だけをしにきたわけではないでしょう?」

「あ? どうしたもこうもあの内容じゃあ俺が呼び出されてもおかしくないだろ。すでに本部からも通達があったしな。まあここの局長はできる男だが、諸々を考えたら俺が出た方が早えからなあ」

「なるほど。では、何から話しましょうか?」

「あ、んーそうだなあ。とりあえず大村おおむらが来てから話そうや。呑まねえの?」

「一応ここには仕事で来てますから」

「相変わらず釣れねえな」


 靡く気配すら見せない皇に仕方ないと宮元は一滴も減っていないコップへ手を伸ばす。昼間からの飲酒は現代でも少数派だ。魔素や魔法という便利な物が登場しても、それを扱えるのは限られた人間だけだからだ。

 ただ、そうした探索者たちの間では昼間から飲む酒というのは普通のことになりつつある。命を賭けて達成した依頼の後に飲む酒は格別なのだろう。

 程なくしてドタバタとした音と共に扉が開かれる。ノックがなかったが、顔を覗かせたのは二人の待ち人だった。彼はいくつかの書類を大事そうに抱えている。


「すみません、お待たせしました」

「いやなにそんな待ってねえよ。なあ?」

「ええ。あんなことがあったんですから大村さんも大変でしょう」

「事を起こした本人が何言ってんだか」

「まあまあ、いずれは分かる事です。天の声の宣告もあり国内だけの問題には収まる物では元々なかったんです。多少問題が増えたところでやる事は変わりありませんから」

「じゃあとっとと始めるか」

「では先にこちらを」


 大村はテーブルに持っていた書類を広げる。

 そこには様々な文言が描かれているが、特に二人の目を引いたのは『トウキョウ第七特区化について』の文字列だった。それに皇たちは一様に眉を顰める。


「えらく早えじゃねえか」


 二人が疑問に感じたことを宮元は代表する様に溢す。


「ええ。とはいえあくまでその方向で物事を進めるという通知に過ぎません。実際の内容についてはこれから詰める事になりそうですけど」

「おいそれ、まさか協会も一枚噛んでんじゃねえだろうな?」

「流石ですね。その通りですよ」

「となると本部が直接動いたのかよ」

「SSランクという史上初のダンジョンですから。政府も協会もそれなりの対応をしたいのでしょう。仮に『氾濫』なんて起こったら『函館氾濫災害』以上の被害が予想されますよ」


 ダンジョンにはいくつか法則と呼ぶべき事象が存在するが、その一つに『氾濫』という現象がある。ダンジョン内の魔獣討伐が極端に低い場合に発生するこの現象は、魔獣がダンジョン外へ出てしまう物だ。まだダンジョンについての知識も乏しく探索者のレベルも低かった頃に頻発しており、決して少なくない被害を常に起こしていた。

 その中でも十数年前に起きた『函館氾濫災害』は過去類を見ない程の被害をもたらした。『氾濫』が起きたのがAランクダンジョンであるなど様々な要因が絡んだ結果ではあったものの、この事態を政府や協会は重く受け止めている。今回生まれたSSランクダンジョンでそれが起こった場合、想像もつかない被害が考えられた。


「特区となった場合ですが、周辺住民の移動や新協会支店の設営や大手クランの誘致など大きく環境が変わりそうです」

「……まあ妥当だろうが、色々と面倒が生まれそうな話だな」

「その辺りはすぐにでも政府、協会などを絡めて話し合いたいところではありますが、どこも予定が詰まっていますので」

「そのクラン誘致については?」

「ああ、皇さんはクランには入られていませんでしたね。実はすでに『紺碧の隻眼ヴァルキリア』や『魔術師の宴ワルプルギス』といったクランが動いているという情報が入っていまして」

「まあ、アイツらのところは全員のレベルが高えからな。普通のダンジョン潜っているより高難度ダンジョン行った方が稼ぎ的な面ではいいんだろうよ」

「しかし、クラン規模で移動となれば元々拠点としていた地域の管理が大変になるのでは?」

「その辺りについてもクランや後続となりうるクランと交渉はします。というよりこちら側の話を呑んで貰えるように動きますが」


 ダンジョンには任意の到達階層に移動するといった便利な機能は存在しない。ダンジョンのマップは変わらないが、徘徊する魔物などは入る度に異なる。そのため実力のあるクランや探索者からすれば、ランクの高いダンジョンに入った方が1日で得られる素材や報酬などは大きくなるためその需要は必然的に高くなる。

 それこそあのダンジョンは最初の階層から地竜といった魔獣が現れる。それらを討伐可能な大手からすれば効率が非常に良いのだ。

 とはいえクラン単位での移動には様々な問題も付随する。それだけの規模が入る場所があるのかや周辺の鍛冶屋や道具屋のレベルなどもあるが、何よりも元いた地域のダンジョンで『氾濫』の発生率が高くなる事が懸念される。単純にそれまで魔獣を倒していた者がいなくなれば、それだけ魔獣が溢れやすくなるという話だ。

 書類に目をやる皇と宮元に大村は改めて、


「では、あのダンジョンについて改めて話をしましょう」


 そう切り出した。


 ▼ ▼ ▼


 円形闘技場に金属の打ち付け合うような音が響く。それは一つや二つではなく何十何百と重なる。けれどそれも肉を打つ鈍い音と共に途切れてしまう。ガードの横から入れられた左拳に吹き飛ばされた青年は闘技場の壁に激突して止まる。

 拳を振り抜いた状態で脱力気味にそちらを見るのは赤黒い肌の鬼––––ノイドだった。


「いやあ最初は良いと思ったんだがよ。少し上げたくらいでこのザマか。……おーい、くたばってねえよなあ!?」


 土煙に向かって吠えれば、淡い光と共に煙は晴れる。起き上がった青年の鎧は様々な傷や汚れに塗れているが、それを着た彼は傷一つなかった。

 それに鬱陶しげな視線を向けてノイドは続ける。


「頑丈さだけはソレのおかげか。聖属性の魔法ってのは便利なもんだな」


 一人愚痴る彼に、青年からの言葉はない。


「どうした? お得意の魔法はもう終わりか?」


 嘲笑を浮かべる彼に、青年からの言葉ない。

 その代わりに地の爆ぜる音が一つ。目にも止まらぬ速さで肉薄した青年は、そのまま精緻な装飾の施された直剣を鬼の首目掛け振るう。

 だがそれは、刃を素手によって握り止められてしまう。金属の軋む音が鈍く鳴る中、青年は怒りに満ちた目を鋭くさせ放つ。


「貫け〈ホーリーレイ〉!」


 刀身が煌めき、極光がノイドを包む。

 竜種であってもその外皮や鱗を容易く貫く光魔法の高位魔法、〈ホーリーレイ〉。


「それじゃあ意味ねえって」


 光が次第に小さくなればノイドはほぼ無傷の状態でその肢体を覗かせていく。その顔には焦燥の色さえなく、変わらず退屈そうな表情を青年へ向けていた。


「その剣、見たところ魔法のレベルだかを上げる効果があんのか。ただ宝の持ち腐れもいいところだな」

「……っ! 貴様ァ!」


 青年は雄叫びを上げ更なる魔法を発動しようとするが、鳩尾に蹴りを入れられ転がる。

 血が彼らの間を濡らし、ノイドの頬にも付着した。彼はそれを適当に拭い、青年が手放した剣を軽く数回振るう。

 地に這いながら青年はノイドの持つ剣へ手を伸ばす。


「それは貴様らのような存在が手にしていい物じゃ、ない! 返せっ」

「あ? たかがダンジョンで手に入れた武器だろうが。特殊効果も一つだけみてえだし、まあハズレだろ」

「ふざけるな、それは聖剣だ! 俺は選ばれた勇者だ!」

「ちっ、餓鬼がピーピー騒ぎやがって。これが? 笑わせんな。……いや、そうか。聖なる剣で聖剣か」


 腹を抱え笑い始めるノイドに青年はどこか恐怖を覚える。

 ひとしきり笑ったノイドは目の端に涙を溜めながら謝罪を述べる。


「はーすまねえ。そうかそうか、お前はその程度の存在か。期待してたが武器や魔法の性能に物を言わせてた単なる餓鬼でしかなかったわけか。誓剣も知らず勇者の何たるかさえ理解できてない。頭が楽しめるのはまだまだ先の様だなあ」


「さて」と、小さく呟いたノイドはそれまで微かにあった関心さえ失くし冷えた目をしていた。

 直剣を青年の背から突き刺し、彼の身体を地面に縫い付ける。断末魔さえ耳に届いていないのかノイドは眉一つ動かさず背を向ける。

 そんなノイドと入れ替わる様に複数の鬼が現れ青年を取り囲む。

 それらから逃れるためにも剣を引き抜こうにも上手く身動きが取れず魔法も上手く発動していない。そうしている間にも既に鬼の一体の拳が迫っていた。重く鋭い拳は確実に青年の肉体を破壊していく。

 闘技場から出ていくノイドが見たのは、光の失った青年の目だった。



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 青年は、皇と電話をしていた東陽司くんです。

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魔王の調べと勇者譚 にゃめたけ @nyametake0141

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