1-19. 気付かざるを得ない熱視線

 リッドは次に大教会へと足を運ぶ。


 彼は自分の顔の数倍もある大きな花束を手にして歩いていた。


 実は、彼が起きる直前まで寝ずの看病をしていたクレアだが、彼が起きる前に彼女が大教会へと戻らなければいけなくなったため、結局会えずじまいで別れてしまっていた。


 そのような経緯から、彼は看病のお礼や危ない目に遭わせてしまったお詫びも兼ねて、彼女へ挨拶をしに行こうと考えたのである。


 じぃーーっ。


「ん?」


「にゃ?」


 一瞬、リッドは遠くから視線を感じたが、視線の主を捉える前に気配が消えた上に、殺気も感じなかったため、すれ違った通行人のものだと判断した。


「いや……なんでもない。それはそうと、クレアさんの好きな花を聞いておけばよかったな。赤い花は気に入るだろうか。彼女の髪の色に合わせて、金色というよりか、淡い黄色なんかも似合ったかもしれないな」


「にゃあ……にゃ……」


 リッドは八重に咲く真っ赤な花がまとめられた花束を見ながらそう呟き、彼の肩に乗っているウィノーが困惑したような声色で反応している。


 リッドの頬にはウィノーの自己主張の跡がうっすらと見えていた。


「おやおや、リッド、やはり来…………いや、なんですか、その今からプロポーズでもするのかと思うような大きな花束は……結婚式の予約ならプロポーズが終わってからするものですよ?」


 ギギィと古めかしい音を立てる重みのある扉の先、荘厳な大教会の中、神聖な空気に包まれている祭壇の前で、司教が静かな雰囲気で祈りの姿をしている。


 少し経ってから、司教は以前同様にリッドの来訪に気付いて穏やかな声とともに彼の方へと向き直るが、さすがに大きな花束が予想外だったためか、スルーもできずに思わず声が若干上ずりながらツッコんでいた。


 じぃーーーーーーっ。


 リッドは再び視線を感じる。


 その視線は先ほどよりも近く、さらに熱を若干帯びた好意的なものだった。


 しかし、裏を返すとその視線から殺気を感じられなかったため、特定しようと思うまでに至らなかった彼は司教にそのまま話しかける。


「え? プロポ-ズ? 結婚式? ご冗談でしょう? 司教様に以前教えていただいた話の中に、『綺麗な女性には綺麗な花束が似合うから、女性へのお礼には女性に似合う花束が良い』とあったと思いますが」


 リッドがクレアのために大きな花束を用意したのは、昔、他でもない目の前の司教が伝えた教えが理由だった。


 彼は教えを忠実に守っているだけのつもりだが、決して周りが同じように思うとは限らない。その周りには、伝えた司教本人も含まれていた。


「あぁ……そのようなことを教えた気もしますね…………ちょっと、ウィノー、ちょっとこっちに。えっと、リッドはそのまま」


 司教は笑顔で冷や汗を幾筋か垂らしつつ、ウィノーを手招きして、こそこそ話を始めるためにリッドから背を向けてしゃがみ込む。


 ウィノーは念のために周りに人がいないことを確認してから人の言葉を喋り始める。


「司教様、先に言っておくと、オレはそこそこ本気で止めたからね? 見てみなよ、軽めにしたとはいえ、あのうっすらと見える頬の三本線をさ。それ以上は無理さ、さもなきゃ今頃、オレは吟遊詩人ハトオロが言っていた異国情緒たっぷりな弦楽器の材料になっちまうぜ? 頑として、司教様の教えは絶対だって譲りやしないんだから……」


 司教は左手で両眼を塞ぐようなポーズを取ってから、ゆっくりと口を開く。


「あぁ……あれは半分……いや、9割がた冗談で教えた『司教式 女性への対応7選』の内1つ、『感謝はいっぱいの花束で』なのですけどね……まさか今でもなお、というか、何も疑うことなく、律儀に守っているとは……」


「いや、若干疑っているっぽいんだけど……」


「なら何故……」


 司教の言葉に応えるように、ウィノーは二本足で立って司教の鼻頭に肉球をポンと置く。


「司教様、ボケるには早いぜ? それとも、そのボケ、ツッコミ待ちかい? あの時、リッドにいつになく真面目な顔で教えていた司教様をオレは忘れてないからね? 冗談っぽく教えていれば、リッドも少し疑っていたから良かったものの」


「うっ……」


 司教は身に覚えがあるようで、ロクな反論もできずに痛い所を突かれたとばかりに小さく短いうめき声をあげた。


「7選のせいで毎回ピュリ姉、カンカンだったんだからな? リッドは教えに忠実に、綺麗な女性なら誰彼構わず、ピュリ姉の前でも『感謝の気持ちだから』ってしちゃうから……。それで本気になる女の子もいた……というか今でもいるんだからさ。ピュリ姉もリッドに下心がないから怒りきれないし……ちゃんとした彼女なのに……」


 司教は白旗を上げざるを得なかったようで、両手を小さくあげて降参の意を示した。


「これ以上は勘弁してください……ピュリフィに恨まれていそうですね……」


「恨まれていそうじゃなくて、マジで恨まれているんだよ……司教様が大恩人だから表面化していないだけで……仮にオレの教えだとしたら、オレの命は既にないね……」


「本当ですか?」


「マジですよ」


「なるほど……ここは私が言うべきですかね」


 司教は何かを決意したような言葉とともに1度だけゆっくりと頷き、ウィノーとの会話を終わらせ、リッドの方へ向き直って彼をじっと見つめる。


「司教様? どうしましたか?」


「……えーっと、こほん……リッド……あなたの良い所は真摯で素直で誠実な所ですね……そして、あなたの良くない所は少し鈍く無自覚故に不誠実に見える所ですよ……」


「は、はあ……俺は何か不誠実なことを……?」


 リッドは司教の言葉が少し理解できないといった様子で聞き返す。


「ちょい、ちょい、司教様。それはオレも思うけど、遠回し過ぎない?」


「今さら訂正するのもなんだか抵抗が……」


「えぇー……さっきの勢いがすぐに消えるほど、ここに強い風は吹いちゃいないけど……」


 今さら蒸し返すことに抵抗を覚えた司教がウィノーにそのことを告げると、ウィノーは当然ながら、小さな溜め息とともに信じられないといった表情を返した。


 リッドは訝しげな表情で司教とウィノーを交互に見る。


「司教様、ウィノー、2人揃って、俺をからかうのはやめてください。俺は俺のできる限りを尽くすだけです」


「……私はとんでもない怪物を育ててしまったようだ」


「それ、使いどころ合ってる?」


 じぃーーーーーーーーーーーーっ。


 司教、リッド、ウィノーの全員がその熱い視線に気付いた。


 視線の主はクレアだ。


「ちょっと待ってくださいね」


 司教は話を変えられるとばかりに、そそくさとクレアがじいっと覗いている小さな小窓近くの扉を開けて、彼女をリッドたちのいる方へと招き入れようとしていた。


 クレアが彼らの目の前に現れた時、服装は教会で着るような大きめの白いローブと帽子ではなく、地下共同墓地カタコムに出かけたときと同様の冒険者然としたスタイルのはっきりと分かる動きやすいものである。


「こんにちは、リッドさん、ウィノーちゃん」


 クレアは小さな微笑みとともにリッドとウィノーを歓迎した。

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