1-18. 病み上がりの後処理

 死を祈ザ・グリム・る蟷螂マンティスとの死闘から2日後の昼食時間の少し前、すっかり回復したリッドはウィノーとともに、依頼の完了報告のために冒険者ギルドに足を運んでいた。


 ダンジョン脱出直後、ハトオロはふらっと消えていた。彼は四六時中一緒に居たいということはなく、「リッドさんに必要とされそうな時に現れる」とウィノーに伝え、リッドの物語を語り継ぐための即興の詩を残して去っていった。


「悲しみに支配されて眠れない死者の都は、ただ安らかな眠りを望み、死神にすべての死を祈る。現れた赤き金属籠手は祈りに応えて、死神の鎌を奪い、悲しみに縛られた魂を救済する」


 ウィノーからこの詩を聞いたリッドが、言いふらさないようにしてほしいと訴えかける気持ちになったことは言うまでもない。


「にゃあ」


 ウィノーがしっぽで示す先をリッドが見ると、馴染みの受付嬢であるレセの窓口だった。彼はどの窓口も同じ程度の列を作っていることを確認した上で、ウィノーがオススメする彼女の窓口の列へと並ぶことにする。


 幸いにして、朝の依頼の受注ラッシュが過ぎたからか、彼の後ろに並ぶ者はいなかった。


「おはよう、レセ。いや、こんにちは、かな?」


「こんにちは、リッドさん」


 レセは先ほどまで少し疲れのある表情を見せていたが、リッドが目の前にいると分かった瞬間に今日一番の笑顔で対応し始める。


 この大きな変化自体に気付きつつも、どうして彼女がそうなるのかという理解にまで至らないのは、もちろんリッドくらいだ。


「にゃあ」


「んふふ……こんにちは、ウィノーちゃん。今日もリッドさんと来てくれたのね」


「にゃあ」


 ウィノーはリッドの肩から受付窓口の机の上へと飛び乗って、レセに撫でてほしいとせがむようにくるくるとその場を回ってから机の上にゆっくりとゆったりと横たわる。


 レセはウィノーの頭から背中までをその細く綺麗な手のひらで優しく撫で始めた。


「ウィノーがすまない」


「いえいえ、かわいいウィノーちゃんなら大歓迎ですよ」


「ありがとう。ところで、依頼の完了報告に来た。ただ、調査中にダンジョンが崩壊したから暴走の鎮圧に切り替わってしまったけどな」


 リッドが本題に入ると、レセも知り合いとの雑談から受付嬢の業務へと頭を切り替える。


「はい。それは司教様を通して、クレア様からのご連絡もありましたので承知しています。ギルドとしては問題ありません。ですが、報酬面で……」


 レセは依頼受注時と同様に、報酬面での話になると、途端に曇り顔と歯切れの悪い口調に変化していく。


 リッドは彼女に対して、終始優しい笑みで話しかけていた。


「あぁ、緊急とはいえ、正式な依頼にならないから、仮に高報酬寄りの討伐依頼に変更しても、規定にある最低報酬金額になるって言いたいんだろ? まあ、それでも最低どうしで比べたら、そこまで大して変わらないしな」


「え、ええ……」


「まあ、それで構わない」


 レセは驚いた顔を隠さない。


「えっと、いいんですか? クレア様曰く、リッドさん、すごく大変な目に遭ったとか……本来ならC級以上になる魔物なら相応の危険手当も……」


「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、記録魔法を使っていないんだ。どんな魔物かギルドが分からない以上、ルールで出せないものを、しかも、受付のレセにごねたって仕方ないだろ?」


 リッドの言葉に嘘がある。彼は記録魔法をきちんと使用し録画を取得していた。しかし、彼の【乾坤一擲ダブル・ガントレット】とその反動、さらに大量の人の想いを受け止める姿などを公にしないために、そのような嘘を吐くしかなかった。


 レセも彼が何かを隠していることに気付いているものの、あえて詮索するような真似を避けて、ただ朗らかな表情で受け入れて、記録魔法利用の項目にある「なし」をチェックする。


「それはそうなんですけど……なんというか、申し訳ないというか……何かできることがあれば……」


 レセは少しばかりごにょごにょと声が小さくなっているが、どうにかリッドが聞き取れる程度の声量で何かを提案しようとしていた。


 リッドはその彼女の対応を彼女の誠実さと捉えて、彼女の負担にさせるのも忍びないと思って、しばし考えた後に口を開き直す。


「そうか……よし、じゃあ、ギルド長に伝えてくれないか。また調査案件を優先的に回してくれってな。もちろん、そちらが実行するかどうかは問わないさ」


「それでいいのですか?」


 リッドは小さく肯いた。


「十分だ。それとも、レセが数回食事でも付き合ってくれるのか?」


「ええっ!?」


「に……にゃあああああっ!」


 何の気なしに笑顔で言い放ったリッドの食事の誘いに、レセは思わず赤面し、ウィノーがぴくっと耳を立てた後にすぐさまリッドの頭の上へと飛び乗って、大きな声で叫びながらペシペシと肉球パンチを繰り出していた。


「いてて……怒るな、怒るな。分かった、分かったから。レセ、すまないが、ウィノーがレセを取るなとご立腹だ。さっきのは冗談ってことにしてくれ」


「にゃっ!」


 レセは何とも言えない複雑な表情のまま、ぎこちない動きで元の依頼の完了処理の作業へと戻る。


「あ、え、えっと……はい……承知しました。では、今回の依頼について成功完了として受理します」


「冗談に巻き込んで悪かったな。ありがとう、これからも頼むよ」


「いえ、その冗談……実際にしてくれてもいいんですけど……ごにょごにょ……」


「ん? どう――」


「レセちゃんを口説いてんじゃねえ!」


 リッドがレセのごにょごにょを聞き返したその時、ギルドの出入り口の方から彼の聞き覚えがある声が飛んできた。


「えっと、ホイルか」


「フォイルだ! フォ! ホ、とか、間の抜けた音にするんじゃねえ!」


 その声の主は、B級冒険者で自称もうすぐA級冒険者の美男子、フォイルだった。リッドの若干の発音の違いにまで噛みつき、フォイルはウィノー同様にご立腹の様子を露わにしていた。


「それは悪かった。見ていたと思うが、今、俺は口説きに失敗したから放っておいてくれ」


「ええっ……私は別に……」


 レセは驚いた上に少しムッとした顔を隠さない。口説きに失敗というリッドの言葉は、まるで彼女が彼をフったかのような言い方にも聞こえるためだ。


「ははっ! そうだろうとも、お前じゃレセちゃんと釣り合わない!」


「そうだな」


「……受理完了しました!」


 リッドはフォイルの相手が手間だからささっと切り抜けるために淡々と返事をしていただけだが、そのやり取りがレセをさらにムッとさせた。彼女は先ほどの朗らかな笑顔と明るい声から一転して、眉間に若干のシワを寄せ、少し頬を膨らませつつ、分かりやすいほどに低めの声に変わっていった。


「ありがとう」


「どういたしまして!」


「それじゃ、また頼むよ」


「……また来てくださいね!」


「にゃあ……」


 ウィノーはリッドとレセのやり取りに困ったような笑顔で終始見守っていた。


 リッドとウィノーが去った後、フォイルが窓口に立ち、レセに向かって話しかけ始める。


「レセちゃん、邪魔者がいなくなったところで、この後、俺とランチでも」


「ありがとうございます! ですが、私、お弁当持ってきているので! お昼休憩になるので失礼しますね!」


 レセは丁寧な言葉を使っているが、その口調はあからさまにつっけんどんな様子で、誰の目から見ても怒っていることが明白だった。


 彼女は「休憩中」の立札を立てて、奥にあるギルドの休憩室へと姿を消す。


 もちろん、フォイルは面白くない。


「うぐぐ……あいつがレセちゃんを食事に誘うとか言ってからかったからだな! 許さん! 許さんぞ! 『ダンジョン仕舞リッド・ザ・ダスキーいのリッドグレイ・クローザー』!」


 フォイルは苦虫を嚙み潰したような表情で叫び、その後、迷惑ということでギルドの警備員に説教を受けるのだった。

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