1-17. 絶望をも握り潰す力と代償
魔力を失ったダンジョンが小さく振動する。
崩壊。ダンジョンがダンジョンを維持する魔力を失った時に起こる現象であり、その際に残っているすべての魔力が一気に放たれることで多くの魔物が生まれる。そして、人は崩壊後に起きるダンジョン外への魔物の一斉放出を暴走と呼んでいた。
だが、今、その崩壊が起きたものの、その後に起こるであろう暴走は一向に起きる気配がなかった。
リッドがダンジョン内の魔力を一気に自分の身体へと吸収したためだ。
もう新たな魔物は生まれず、暴走が未然に防がれる。
「GIGI……」
「…………」
リッドは周りに紅い
青白く光る蟷螂の魔物と、紅い柔らかな光に包まれているリッドが対比的に映し出される格好となり、クレアやハトオロはもちろん、お喋りのウィノーでさえも息を呑む光景になる。
その中で、ひと際、リッドの赤い
「UU…………」
「OO…………」
「AA…………」
ピリピリッとした空気によって、数十を下らない魔物が一斉に動きを止める。場の魔力が急激に減っていくことで、魔物たちの動きも鈍くなっていった。
「GI…………」
当然、蟷螂の魔物でさえも何かを感じ取ったのか、ピタリと身体の動きを止め、触覚と大顎をひっきりなしに揺らしている。
リッドはこのとき蟷螂の魔物と目が合ったような気がして、不敵な笑みを浮かべた。
「いい加減に離してくれないか?」
「GIGI……GI……」
リッドは右腕を挟んで離さない大鎌の棘に左手を掛けて、右腕と左手で強引に大鎌をこじ開けようとする。
今までびくともしなかった大鎌がゆっくりと開いていった。
「やべっ! ここじゃ巻き添え喰らう!」
ウィノーは身の危険を感じて、その場から我先に撤退し、ちゃっかりクレアの胸元に飛び込んだ。クレアはクレアでウィノーをぬいぐるみのように抱くが、少し強めにぎゅっとしている姿がまるで怖さを紛らわす少女のようである。
ハトオロもいつの間にか支援の歌も忘れて、ただただこの光景に見入ってしまっていた。
やがて、リッドは完全に大鎌の束縛から解放され、大鎌の半分、脛節と呼ばれる先端側の鎌を関節部分からもぎ取る。これで蟷螂の魔物は大鎌で獲物を挟むことができなくなってしまう。
「すまないが、細かい加減ができないんだ。痛覚がないから構わないだろ?」
「GIGIIIII!」
リッドは降り立つと奪った脛節を武器にして、復活しようとしていた逆の大鎌のやはり脛節をもぎ取り奪った。2本とも彼の身長以上の大きさであり、骨でできた大鎌の重量も決して軽くない。
しかし、彼は以前から当然そうしていたかのように両手に1本ずつ、双剣士のように持って構える。
「時間がもったいない」
まず、リッドは周りにいたスケルトンやスケルトンハウンドを雑魚散らしのように、大鎌で横薙ぎに払って一掃していく。
今の彼はまるで暴風のようだった。
ガンッ、カンッ、ガララッ、グシャ、ガシャン、バキッ、ベキッ、ボキンッなどと重い音から軽い音まで奏でながら、彼の振り回す大鎌にぶつかる魔物たちは為す術もなく崩れたり破壊されたりしていった。
「A……」
「GYA……」
「GU……」
魔物たちはみるみるうちに数を減らし、あっという間にその姿が見えなくなる。
「
クレアが大きな声を出すのも憚れるといった様子で、抱きかかえているウィノーにそっと耳打ちをして訊ねる。ウィノーはその耳打ちがくすぐったかったのか、耳をぴくぴくと動かし、しっぽをくねくねとさせて意図せずクレアのお腹をくすぐるように動かしていた。
「リッドの【
ウィノーは視線をリッドの方へ向けながら、クレアのために解説をする。
リッドの表情は余裕のない表情で、動くたびに痛みを我慢しているような、どうしようもない苦痛を覚えて耐えている顔を隠さなかった。
「そんなことが……すごい……でも、なんか苦しそう」
「そう。もちろん、一時的な強さの代償があって、自分の許容値を超える魔力を無理やりに入れ込んでいるから、本人曰く、動くたびに誰かに殴られたり刺されたりするような激痛が全身を襲うらしい。それで、戦闘後は力を使い果たして確実に1日ほど気を失うんだ。おそらく、強烈な力と痛みに耐えきれてないからなんだと思う」
「えっ……痛みで……」
クレアは驚いた顔をする。彼女には、あれだけの強さを持つリッドが苦痛でしばらく気を失ってしまう痛みや消耗を想像することができなかったようだ。
「あと、一人で戦うしかなくなるんだ。この状態だと新しい魔物が生まれる心配もないけど、オレみたいな魔法職は周りの魔力を利用する系統の魔法を使えなくなるし、魔力の自然回復も望めない。それと、魔力を使わない戦士とかは動けるけど、バカみたいに突っ込めば、リッドの激しい戦いに巻き込まれるだけさ。リッドでも、あの状態じゃ周りを気にして戦うなんてできるわけない」
「独り……」
「GIGIGI……」
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
リッドは苦痛を紛らわすために大声で叫びながら、蟷螂の魔物に攻撃をしていた。
蟷螂の魔物が大鎌を振り下ろせば、彼はそれに合わせて持っている大鎌で目いっぱいに薙ぎ払う。その後すぐさま自分の持つ大鎌で、相手の大鎌の関節部分をガリガリガリと鋸で削り取るようにして部位ごとに切り離していった。
蟷螂の魔物の再生速度は遅く、リッドの猛攻を前にして間に合わない。
「リッドさんに、そんな諸刃の剣のような隠し手が……」
「隠すっていうか、これを長時間使ってリッドは何度も死にかけているし、この後の意識不明状態を狙われて殺されかけたこともあるからさ……」
「GIGI……」
「なあ、自分の得物でやられる気分はどうだ?」
大鎌をすべて削り取った後、リッドは蟷螂の魔物の頭を思いきり蹴り飛ばした。衝撃に耐えられなかった頭部が簡単に身体からお別れをして、ダンジョンの壁に打ちつけられる。しばらく動いていた大顎が動かなくなる。
「よっしゃあっ! 終わったか!?」
「いえ、まだ身体が崩れていません。リッドさんもそれに気付いて攻撃の手を緩めていません!」
ウィノーの早とちりにハトオロがまだだと釘を刺す。ハトオロが言っているとおり、リッドはまだ総崩れをしない蟷螂の魔物を見て、打つべき場所を考える。
彼の考えはやはり心臓という答えに至り、虫と同様ならと考え、腹部の背側にある背脈管を狙った。
「これでお仕舞いだああああああああああっ!」
縦に一閃。
腹部を真っ二つに分断し、リッドは返すとばかりに大鎌を腹部に突き刺す。
ぶわわっと青白い光が溢れ出して、彼を包み込んでいく。
「リッドさん!」
「クレアちゃん、大丈夫。あれは負の感情から抜け出した綺麗な、人の想い、だから」
クレアが慌てて駆け出そうとするが、ウィノーが問題ないとばかりに彼女を制止した。
「ARI……GATO……U……」
「KOREDE……」
「YOUYA……KU……」
「MOU……」
「NERA……RERU……」
「YA……SURA……KANI……」
リッドの耳にさまざまな声が聞こえてくる。老人の声、子どもの声、男性の声、女性の声、どれもカタコトのような言葉を発していた。
リッドは両手を広げてその声を抱き留めるようなポーズを取ると、光が集まって彼の身体の中へと消えていく。
溢れ出した青白い光は人の想いである。怨念の塊となった魔物の身体から離れた人の想いは、負の感情から解放され、リッドたちが集めている人の想いの形となる。
リッドはこれでまた目標に近づいたと安堵と喜びで微笑む。
「よっしゃあっ! 魔物もバラバラにした! 人の想いもめっちゃ回収した! リッドも立ってる! リッドの大勝利だっ!」
リッドは先ほどの微笑のまま、ようやく紅い光を徐々に弱めていき、ウィノーやクレア、ハトオロの方を向く。
その後、引いた光の代わりに、全身から汗が大量に出てきていた。
「すまん……もう……無理……」
リッドは受け身を取ることもなく、ドサッという大きな音を立てて倒れた。
「リッドさん!」
クレアがウィノーを置いてリッドへと駆け寄る。彼女が彼の身体を起こすと、汗にまみれながらもすやすやと寝息を立てて眠っていたため、大きな安堵のため息が口から止めどなくこぼれた。
ウィノーは自分では起こせないと分かっているからか、すぐにリッドの方へと向かわず、リッドを除いた中で一番力がありそうなハトオロの方へと向かっていく。
「ハトオロ、ここを脱出するけど、どうにか――」
ウィノーがハトオロにそう話しかけると同時に、ハトオロがポンと手を叩いた。
「あ! 蟷螂の魔物の名前は、
「あ、あぁ……名前……まだ考えていたんだ……」
名前が決まって嬉しそうなハトオロ、その様子に困惑気味なウィノー、感謝からか労いからか愛おしそうにリッドを見つめるクレア、すべてを終わらせてただひたすら眠るリッド。
この4人のダンジョン調査、もとい、ダンジョンの崩壊による暴走の鎮圧までに至った想像以上の大仕事はこうして幕を閉じた。
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