1-14. 悲劇より生まれし『死を祈る蟷螂』

 人は自分にとって不都合な奇跡を悲劇と呼ぶ。


 起こりえないと思っていたことが起こり、苦痛や悲しみに顔を歪ませることになり、さらには、自分たちが物語の主人公で劇的なできごとだと思いたいからだ。


 悪戯好きな神様きゃくほんかに呪詛の言葉を呟いて、悲劇が悲劇としてつつがなく終わることもある。


 だが、リッドは悲劇で片付ける気など毛頭なく、目の前の光景を焼き付け、拳を固く握った。


「AAAAA……」

「UUUUU……」

「OOOOO……」


 ウィスプたちもまた、負の感情の残り香という出自からして悲劇の舞台に立っていた役者たちである。


 そのウィスプたちが集まり大きくなった後、その大きくなった青白い光は崩落したダンジョンの壁や骨で積み上がった地面へと、まるで液体が染み込むかのように潜り込んでしまう。


 しばらくして、再びダンジョン全体が揺れ、ウィスプが潜った辺りから無数の骨が集合体となって、ベキバキボキという音を立てながら姿を現していく。


 リッドはふと、申し訳なさそうにクレアの方を一瞥する。最悪の奇跡を前にして、元A級冒険者の彼が全力を賭したとしても、彼女の命に完全な保証ができなくなってしまったからだ。


「GICHIGICHI……」


 骨の擦れ、割れ、欠け、折れ、壊れ、崩れ、癒着し、混ざり合う音をさせながら姿を現した魔物は、リッドの数倍できかないほどに大きく、ダンジョンの高さに対して半分ほどの体躯をしているものの、その全体が洗練されたデザインのように細くしなやかである。


 その細くしなやかな体躯の上には強靭な顎を持つ昆虫の顔部があり、胸部に当たる体躯の中央部分から左右に伸びた大きな刺々しい鎌のような2本の前足が存在感を発揮していた。さらに地面に近い腹部は胸部よりも若干大きく膨らみ、その全体を細い4本の足がしっかりと支えている。


 極めつけにウィスプのように青白い光を仄かに放ち、暗闇の中で異様な存在感を放っていた。


 その姿は、虫族の中でも最強の一角とされる蟷螂とうろう、またはカマキリと呼ばれる。


「骨でできた……カ、カマキリ? 顎も大鎌もデカすぎ!」


「うわあ……虫……ううっ……私は冒険者になる……ひいいいいいっ……私は冒険者になる……」


「おぉ! 骨、鎌、死を祈って拝むような姿、まるで死神を彷彿させる素晴らしい魔物です! 名前はどうしましょうかね!」


「GICHICHI……」


 ウィノーが目の前にいる魔物の異質さや大きさに驚きと困惑の言葉を発し、その横でクレアは虫が嫌いなのか、小さな悲鳴や呻きにも似た声を発しつつ、自らを奮起させるような言葉を呟き始める。ハトオロは虹色の瞳を輝かせながら、魔物を称賛し、何かを考えるように視線を上にずらす。


 一方、蟷螂の姿をしている未だ名もなき魔物は一言も発することなく、しかし、強靭な顎を動かすたびに骨の軋む音を立てている。


 リッドは魔物姿を見てピンと来たのか、構えたまま微動だにせず、口だけを動かす。


「みんな、動くな! ハトオロ! 名付けをしている場合か」


 ハトオロは動かないようにしつつ、口だけはしっかりと動かす。


「いえいえ、リッドさん、非常に大事ですよ。吟遊詩人とは伝える者。リッドさんの伝説を後世に伝えるには、大仰過ぎず、しかし、卑下もせず、適切にしなければいけません。そのためには名前が肝心なのです!」


 実に大仰な物言いだとリッドは心中でしっかりと呟きながら、その言葉をグッと押し込めて、代わりに小さな溜め息を1つ吐いた。


「まったく……職業病か。なら細かいことは言わない。援護はしっかりしろよ?」


「もちろん、先約の通り、役立ちますとも」


 リッドの言葉にハトオロが笑い、リッドはその笑いに気付いて小さく笑みをこぼす。


「いい返事だ。考えがある。まず【ライト】を高速で動かすぞ」


「……GIGIGIGIGI!」


 リッドが【ライト】を1つ、地面擦れ擦れに地を這わせるようにして、まるで生き物が動いているかのように蛇行させてみる。


 魔物はそれに反応し、次の瞬間に二つの大鎌を【ライト】に目掛けて、捕まえようと振り下ろす。その姿はまさしく蟷螂が獲物を狩る姿にほかならず、高速で振られた大鎌が【ライト】を霧散させ、そのまま地面に深々と突き刺さった後に地面を抉り取りながら体勢を戻していく。


 リッドは魔物のスピード、パワーを確認した。


 さらに魔物が【ライト】を霧散させたことから、攻撃ないし大鎌そのものに魔力を打ち消す効果があると理解した。つまり、物理防御力を上げる【プロテクション】や攻撃を防ぐ【バリア】などの魔法に何ら意味がないことを認識する。


「厄介なくらいに速い……ってか、おい……おいおいおい、【ライト】ごと、周りの岩の柱とか瓦礫の骨や岩とか、あの大鎌でそこらへん全部を思いきり抉り取ったぞ……こいつ、本当にE級ダンジョンにいていい魔物かよ!? オレの見立て、C級でもないぞ!?」


 ウィノーが驚きながらペラペラと喋るので、リッドは手間が省けたとウィノーに内心感謝しながら補足のために口を開く。


「奇跡が起きたんだ、今のこいつはB級かA級くらいじゃないか?」


「なっ、A級!? 超ヘヴィじゃん!」


 ウィノーはリッドの言葉に驚き叫んだ。


 冒険者と魔物で階級の考え方は異なる。冒険者の階級はあくまで個人の階級であることに対し、魔物の階級は冒険者パーティーでの討伐目安になる。


 つまり、魔物のA級とは、4人、もしくはそれ以上の人数で組まれるA級冒険者パーティーが討伐できる強さを意味していた。もちろん、A級冒険者パーティーは、全員がA級である必要はないものの、現状のリッドのパーティーがA級冒険者パーティーと呼ばれるほどの実力などない。


「…………」


 リッドは考える。


 まず、逃げるか否か。彼の目的から言えば、「人の想い」の塊である魔物を倒して回収したいため、逃げたくはない。だが、守らなければいけないクレアもいる。


 こちらの答えは保留にした。


 次に、逃げられるか否か。獲物の動きに超反応を示すA級の魔物を相手に、地の底から光が差す入り口まで背を向けて壁を登りながら無事に逃げきることができるか。


 こちらの答えは明確に否だった。


 結論、倒すしかない。


 リッドの考えがまとまった。


「GIGI……」


「階級違いは分かる。だけど、どうにも逃げられそうにないし、逆に立ち向かえさえすれば、勝機がある。思った通り、モチーフのカマキリそのものだな。動きに反応するようだ。動かなければ反応しない。まあ、あの大きさでうろつかれたら、いずれ気付かれずとも何の気なしに潰されることはあるだろうけどな」


 リッドは強敵を前にして笑う。彼は余裕が失いそうになる時ほど、余裕を残すため、余裕に見せるためにあえて笑っていた。なんとかなる、なんとかする、が彼の頭の中を幾度も過ぎり、周りをよく観察する。


 彼の【現地調達フォームレス】は周りの全てを利用するため、周囲にも注意を払う。彼は見つかったものから数十、数百の手順と戦略を構築していくのである。


「では、あまり高音も出さない方がいいですね。私の経験上ではありますが、蟷螂は非常に高い音に反応しますから。まあ、普段は逃げることもありますけど、逃げ回られて変な攻撃を仕掛けられても困りますからね」


 ハトオロは自身の経験からリッドに提案する。


「そうだな。俺が前線に立つ。クレアさん、隙を見て隅に移動して、じっと待機してくれ! おそらく、こいつは目の前で動く者しか追わない! その後、可能なら【屍霊浄化ターン・アンデッド】を使ってくれ! タイミングは任せるが、振り向かれたら動かないでくれ!」


「はい!」


 クレアはリッドの指示に従い、じっとしながら瞳だけ魔物とリッドを交互に追うように見ている。


「ハトオロ! 俺を強化だ! 高音もそうだが、手を動かす楽器は使えないと思ってくれ。ご自慢の美声を頼むぞ! だが、調子づいて踊るなよ?」


「承知しましたよ! 不動で歌のみ披露しましょう! 【吟遊詩人がバーディク・謳う戦鬨ウォークライ】! ラララアアアアアッ♪ ハアアアアアンッ♪」


 ハトオロも同様にリッドの指示に従う。


 彼の【吟遊詩人がバーディク・謳う戦鬨ウォークライ】は、一度目にした対象に向けて攻撃力と反応速度を上昇させる吟遊詩人固有の技である。


 吟遊詩人の固有技はいずれも、上昇量の点で近接戦闘の強化術や魔法職の強化魔法に劣る部分もあるが、近接戦闘職系統が戦闘時に使う強化術と重ね掛けもでき、また、魔法にも属さない特殊系統で魔力無効にも影響なく、効果範囲も自由が利くため、状況次第で吟遊詩人がどの職業よりも非常に重宝される。



「リッド! オレは?」


「ウィノーは……任せる!」


「おう! オレに任せ……って、おい! 任せるって、思いつかなかっただけだろ! ちくしょおおおおおっ! 任されてやんぜえええええっ! やってやらあああああっ! うぉーくらい!」


「いや、ウィノーは近接戦技系なんて使えないだろ……まったく、【戦咆哮ウォークライ】!」


「じゃあ、設置型だけど【ライト】を置いてやる! 出し惜しみしねえからっ!」


 リッドはウィノーのこういった緊張をほぐしてくれるやり取りに助かっていた。


 身体の強張りもなく、いつでも自然体でいられる状況はウィノーのおかげであり、リッドがウィノーを相棒としている理由の1つでもある。

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