1-13. 奇跡という名の絶望
リッドは魔物を倒しつつハトオロとともに集合場所に先に着いていたが、ウィノーとクレアが一向に来ないので、若干の焦りもあって彼ら寄りの方へと足を進めていた。
さらに、崩壊が始まってからの彼は、ハトオロを気にした様子もなく、器用に崩落中の岩や骨を足場にして、ウィノーとクレアを回収するために急いでいたのだ。
「ウィノー、ありがとうな」
次々に足場を変える動きに澱みもなく、まるで道があるかのように滑らかに進んでいたリッドは、ウィノーとクレアの叫び声を聞いて、その赤色の瞳をそちらに向けた。
彼はもちろん、自分との約束を守って、クレアを守ってくれていたであろうウィノーへの感謝も忘れない。
「リッド! ふにゃっ!」
「リッドさん! はえっ!?」
リッドは【ライト】の光と声の方向を頼りにクレアとウィノーをがっちりと掴み、クレアを左腕でしっかりと抱き寄せ、ウィノーをぽんと頭の上に乗せていた。
「ふぁ……は、はわわ……」
クレアが目の前にあるリッドの横顔を見て思わずドキリとしたのか顔を真っ赤にし、さらに彼が彼女の方に顔を向けると、唇と唇が触れそうなほど、お互いの吐息を肌で感じられるほどに顔が近付く。
リッドもまた、澄んで潤んでいる水色の瞳と艶のある桃色の唇が間近にあることを意識してしまい、顔を少し赤らめる。
「……緊急時だ。すまないが、身体に触っているし、あと、しっかり抱きついてくれ」
「はわ……ひゃい! んっ!」
クレアはドキドキしている場合ではないと思い直し、真っ赤な顔のまま、ひしっとリッドの身体に抱きついて身を寄せた。
それに反応したのはウィノーである。
「ずるい! 羨ましい! やらしい! ああっ! 上のたわわがぐにゅって感じで柔らかそう! それ、絶対に柔らかい! あっ! リッド、お前! 下のたわわを触るなよ! おい! 手が若干たわわに食い込んでないか!? あああああっ! くそおおおおおっ! やっぱオレがなんとか頑張れば良かったあああああっ!」
「耳元でやかましい! 集中できないだろ! そもそも、そんなこと気にしている場合か!」
「そんなこと!? そんなことって言ったのか!? ふざけろよおおおおおっ! どうせ昔ピュリ姉で上下のたわわを堪能したからだろおおおおおっ!」
リッドはウィノーの予想もできなかった言葉にカチンときて、怒りが隠しきれずにこぼれ始める。
「ウィノー! お前! 言って良いことと悪いことがあるだろうがっ!」
「にゃああああんっ! ごめんよおおおおおっ! 今のはさすがにオレが悪かったよおおおおおっ! でも、ちくしょおおおおおっ!」
「…………」
持ち前のやらしさを隠すこともせず、あまつさえ失言までしてしまうウィノーにリッドが一喝する。叱責を受けたウィノーはしっかり失言について謝りつつもどこか納得せずにずっと叫び続けていた。
なお、クレアはたわわの意味を理解したようで、無言のままで先ほどよりも顔を真っ赤にして、リッドの腕の中でなんとか顔を隠すように彼の胸に埋める。
「2人とも、しっかり舌を口の中に入れておけ! 特にウィノー! 喋っていると舌を噛むぞ! 衝撃があるからな!」
リッドはウィノーとクレアに警告を言い放った後、崩壊でも崩れることのなかったダンジョンの一番外側にあたる壁を目掛けて、空けていた右手をタイミングよく殴る。
ドオオオオンッ! とまるで何かが爆発したかのような轟音が鳴り、ダンジョンの壁が凹む。
彼は壁に激突する衝撃に対して、あえて自分から壁を殴ることで、衝撃の大部分を自分が受けるようにして勢いを大きく削ぎ落とし、そのまま壁に手を引っ掛けようと指を立てる。
「ぐっ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「にゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
ガリガリガリと
深く暗く奈落の底かと思われたダンジョンの最下層に着くころには、勢いもほとんどなくなる。
「ふぅ……とりあえず、もう大丈夫だ」
リッドは最下層に降り立ち、クレアとウィノーを下ろした。ウィノーは歩き回る元気がまだあるが、クレアは足を地に着けた途端にそのままへたり込んでしまう。
「生きた心地がしなかった……」
「はい……私もなんか……まだドキドキしっぱなしです……」
「クレアちゃん、それって……」
「え? ウィノーちゃん、なんでしょう?」
「……なんでもないぜ」
ウィノーの言葉にクレアは応えているが、ウィノーは彼女の言い方に引っ掛かりを覚えたのか、顔を真っ赤にして胸にそっと両手を当てている彼女に問おうと声を出す。
しかし、ウィノーは少し考えた様子を見せた後、次の言葉を出すことなく、尻尾をくねくねとくねらせながら「なんでもない」で終わらせた。
リッドもまたウィノーの言いたいことが分かったようだが、自分からわざわざつつくこともないと思い、彼らの会話に参加することはしなかった。
「おかえりなさい、リッドさん。おやおや、ウィノーさん、お久しぶり」
「ひっ」
「……ありゃ? ハトオロ? またリッドを追ってきたの?」
突如暗がりからハトオロが声を掛ける。あまりにも唐突な登場だったため、初対面のクレアは驚きで目を真ん丸にして怯えていた。
一方、ウィノーはいつもの感じと言わんばかりに平然とした様子で、ちゃっかりクレアの膝の上に乗りながら話しかける。
「ええ! もちろん! リッドさんのいる所、私もいますとも!」
ハトオロは思い出したかのように、クレアの方を向いて弦楽器をポロロンと弾き、彼女に自分が吟遊詩人であることを言外に伝えようとしている様子だった。
「えっと……ハトオロさん?」
「あぁ、ハトオロ、リッドの熱烈な追っかけ」
「なんだか……綺麗な方ですね」
クレアは目の前の男性に綺麗と言う言葉を使うことに躊躇いがあったのか、少し間を空けてからその言葉を口にしていた。
ハトオロはその言葉に小さく笑みを浮かべて、お辞儀をしてからクレアに手を差し伸べる。
彼女が彼の手を取ると、彼は彼女をすっと立たせた。
「はじめまして、クレアさん。あなたも綺麗でお美しく可愛らしいですよ」
「ふえ……は、はひ……」
ハトオロが綺麗な顔で笑みを浮かべてクレアを褒め称える。
クレアはこの不意打ちに戸惑って、言葉にならない言葉を呟きながら顔を真っ赤にしていた。
もちろん、クレアに抱きかかえられた状態のウィノーはそのやり取りを面白くなさそうに見つめていて、ついに口が開き始める。
「こら、ハトオロ! オレのクレアちゃんを
「誑かすなんて人聞きが悪い」
「ウィノー、クレアさんはお前のじゃないだろ」
ハトオロとリッドが口々にウィノーを嗜めると、ウィノーは毛を逆立て露骨な威嚇をする。
「ふしゃっ! いいの! オレがクレアちゃんを狙っているんだからな!」
「んふふ」
クレアはウィノーの言葉に悪い気がしていない様子で、嬉しそうにウィノーの頭を撫で始める。
「いいか、ハトオロ! 取ったら、リッドにボコボコにさせるぞ?」
「俺を巻き込むな……」
「ご褒美じゃないですか」
「待って……クレアちゃんに聞かせたくない変な単語が聞こえてきた……」
「え? え?」
「おいおい……」
ハトオロのとんでもない発言に、ウィノーが思わずげんなりした雰囲気を出し、クレアも少し驚いた表情でハトオロとリッドを交互に眺め、リッドは肩をがっくりと落としていた。
だが、その愉快な雑談も終わりが近付く。
「……ウィノー、ハトオロ、冗談はそこまでだ……最悪な状況になった」
リッドが何かに気付き、向きを変え、戦闘の構えを始め、ダンジョンの中央部の方へと目を向けた。
「AAAAA……」
「UUUUU……」
「OOOOO……」
しばらくすると、リッドたちの視界の先で、ぼやっとした青白く光る火が幾つも現れて、ふわふわと無軌道に何ら法則性も持たずに浮かび飛んでいた。その青白い火は、人の叫び声や呻き声を出しながら飛んでいるため、ただの火ではないことが明らかだ。
「なんだか悲しそうです……」
「……そうだな」
「おわっ……ウィスプじゃん……しかも大量に……いや、多すぎない? ってか、思ったんだけど、どうして地下3階でこんなに深いの? これ、どゆこと?」
ウィスプ。実体のある霊魂、意志のある火球とも呼ばれるアンデッド系に属する魔物である。スケルトンが骨を媒介にした魔物とされているように、ウィスプは人の魂を媒介にした魔物ともされている。故に多くのウィスプは、死者の恨み、嘆き、怒り、悲しみ、憎しみ、妬みなどの負の感情の残り香であるとされていた。
ウィノーは幾つもの疑問が浮かび上がり、それを誰に宛てたわけでもなく、ひたすら投げかけている。
クレアが感化されてか悲しみの表情を浮かべ、ハトオロが分からないといった表情をする中、リッドが周りを警戒しながらウィノーの疑問に答えるべく口を開いた。
「俺の推測になるが、野盗たちがここの休憩所を縄張りのように使っていたらしく、余計なことをしてくれていたんだろう。多分だが、自分たちが殺してきた何もかもをこの墓地にまるでゴミ箱扱いで捨てていたんだ……おそらく死を連想させるからと地下4階にならなかったこの大きな空洞にな」
大きな空洞の深さはダンジョンになっていた地下3階分よりも深い。リッドが目視で見つけたダンジョンの出入り口が上方にあり、彼の想定だとこの最下層は地下7階分ほどの深さに到達している。
今までふらふらと浮いていただけのウィスプが、次の瞬間、まるで号令でもかかったかのように一か所に集まり始める。
「推測だらけだけど、その推測、オレも賛成。で、ってことはさ……」
リッドの推測に、ウィノーは困った顔をして賛成する。
「そう、ここにはたくさんの人の想いが……執念や怨念がある」
「人の想い……つまり、奇跡が起こるわけですね」
「奇跡……ですか?」
リッドの言葉にハトオロが反応し、ハトオロの「奇跡」という単語にクレアが連鎖的に反応する。
「あぁ……ただし、俺たちにとって最悪のな」
リッドは嫌な予感に生唾を何度も飲み込み、額に汗を滲ませ、ひどく平坦な調子でその言葉を放つ。彼の言動が緊張から来るものだと誰もが分かり、その緊張は全員に伝播する。
「最悪の奇跡……」
奇跡は人の想いに呼応する。
奇跡に善悪はない。
呼応した人の想いが誰かにとって敵か味方か。
ただそれだけのことである。
今、奇跡はウィスプたちの負の感情に呼応した。
今、奇跡はリッドたちの敵となった。
ただそれだけのことである。
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