第3話 自意識過剰探偵らしい事件の解決
それから一週間ほど経ち、高嶋氏の依頼について話題も飛び交わなくなった頃、忘れかけていた人物が事務所に姿を現したので私は飛び上がった。
「高嶋さん!」
高嶋氏は深く頭を下げて、手には菓子折りまで下げている。
「申し訳ありません。あの、賢崎は今外部に出ておりまして」
どうせ暑さを凌ぐために近くの喫茶店にかき氷でも食べに行っているのだろう、という予測は告げずにおく。
「いえ、構いません。突然来たのはこちらですから。本当は直接お礼申し上げたかったのですが」
以前訪れたときとは打って変わり穏やかな表情。言葉も柔らかく、この人は本来こういう人物だったのだろうなと思う。
私は相手の様子を伺いながら、恐る恐るといった感じで質問する。
「あの、大変お恥ずかしい話なんですが、私、その、賢崎から依頼内容のその後のことを聞いていなくて。……響子さん、戻って来られたんですか」
「いえ。でも石神が戻ってきてくれましたから、僕にはそれで充分です」
「え?でも菓子折りまで持ってきてくださっているんですから、何らかの解決を果たしたわけですよね」
「ええ、実は……」
高嶋氏の話によると、消え去った響子さんは、何と過去に高嶋氏が見合いを断った刈谷家に雇われた内通者、いわゆるスパイであったとのことだった。しかも高嶋家に入り込んでいたスパイは彼女だけではなかった。一年前から雇われていた専門料理長も彼女の仲間だったというのだ。
刈谷家の勢いは衰えていないと言っても、財力からすると高嶋家には及ばない。できれば高嶋家と何らかの強い繋がりを持っていたい。そのためには手段を択ばなかったということだろう。
そしてそれを高嶋氏担当執事の石神さんは見抜いていた。
敬愛する主が愛してやまない女性が実はスパイ。本当のことを告げるべきか悩んでいる間に、事はとんとん拍子に進んでしまい(とは言っても高嶋氏と女スパイの間だけではあるが)、二人だけで挙げる予定であった結婚式を妨害する羽目になったとのことだ。
立場上、高嶋家に戻ることも出来なくなってしまった石神さんを我が所長賢崎鋭志が見つけ出し、主のもとに連れ帰ったというわけだ。
高嶋氏が事務所から立ち去ってしばらくすると、当探偵事務所所長賢崎鋭志が戻ってきて先程まで来客の座っていたのとは反対側のソファーでデスクに足を投げ出して深く息をついている。その左頬にはなぜか手のひらの跡が赤くくっきりと浮かび上がっている。
「賢崎さんどうなさったんです」
「調査協力を依頼しようとしたら気の強い女に頬を叩かれただけだ」
どのような協力依頼をしたのかは聞かずにおこう。
「そういえば先ほど高嶋さんがお礼にいらっしゃっていました」
「そうか」
「落ち着かれた様子で賢崎さんに大変感謝されていました」
「ふん」
所長は立ち上がって事務所奥の冷蔵庫に歩み寄ると、中からアイスコーヒーを取り出してグラスに注いだ。
「それにしても高嶋さん大丈夫でしょうか」
「何が」
「だって屋敷の中に幾人も敵の内通者がいたわけじゃないですか。まだいないとも限らないし、今後もそんなことが起こるかも」
「その点は心配いらない。話はついている」
「話がついている?」
「刈谷家の人間が彼に手出しをすることはもうないだろう」
「どうやって話をつけたんです」
「そんなことは決まっている」
賢崎は右手でグラスを軽く持ち上げてから
「俺が刈谷家の全ての女を誑し込んだからな」
「は?」
「事件の陰に女あり。大抵の場合女性を味方に付ければ、事件は解決する」
「軽く女性を見下してますよね」
「そんなことはない。むしろ崇めている」
「全ての女性が自分になびくと思っている時点で見下しています」
私の台詞は通りを過ぎた選挙カーの声で掻き消された。
「ま、刈谷家は手を出してこないにしろ、似たようなことは起こり得るかもしれないな。しかしあの二人ならば大丈夫だろう」
「そうですね。高嶋さんと石神さんの絆なら、乗り越えられそうですね」
探偵事務所所長は返事をせず、窓際から雲一つない青空を見つめていた。
季節柄寝苦しい夜、賢崎鋭志はパソコン画面に向かって報告書を仕上げている。今この事務所には賢崎一人しかいない。
昼間助手の問いに対し、返した回答の一部は真実だった。
刈谷家はもう高嶋氏をつけ狙うことはしないだろう。
ただし無論のことそれは賢崎が、刈谷家の女性を虜にしたからではない。
「昔の人脈がここで役立つとはね」
一種の取引というやつだ。たまたま刈谷の弱みをこちらが握っていたというだけのこと。
「馬鹿なふりも楽じゃない」
男はグラス片手に呟いた。
何だか眠れそうにない、そんな気のする夜だった。
愛に生きる探偵~賢崎鋭志の事件簿~ 世芳らん @RAN2023
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