さよならの前に、思い出を

東 志紀

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 彼女がガチャリと扉を開ける。少しつっかえながら入ってくるのは、今広げている段ボールのせいかな。


 「お待たせ~。いや~、久々の晴翔の部屋はゴチャっとしてるね~。」

 「あははは・・。まあ、引っ越しの準備中だからね。ごめんね、もっと綺麗に出来ればよかったけど。」

 「いやいや、良いよ!一般入試で大変だったのに、その後すぐに引っ越しの準備だもんね。」


 気にしなくて良いよ~・・と。彼女は苦笑しつつ、手を振って答えた。個人的には彼女には良いところを見せたいし、今度来た時は整った綺麗な状態でお迎えしたいと考えてたんだけど・・。

 どうもいつも、ままならないなと。僕は落ち着かずにそう思った。


 「いや~、でも大変だったでしょ?最初はAO入試ですぐに受験を終わらせると思ったのに。一般だから年末年始も勉強漬けだし、終わったら終わったで、引っ越しの準備をしないとだもんね。」

 「うん・・。正直、大変だったよ。AO入試で合格出来たらどれだけ良かったかな・・。」

 「ふふっ。晴翔、あの時す~っごく落ち込んでたもんね。」

 「あの、優花さん?少し面白そうに語られるのは辞めて貰えると・・。」

 「ごめん、ごめん!でもあの、人生終わった・・・みたいな顔してたとはいえ、本当に電柱にぶつかる人がいるなんて・・!」

 「あぁ~、勘弁して・・。恥ずかしいんだから・・。」


 クスクスと。彼女が思い出し笑いをする姿に、何だか僕もほっとする。

 ここ最近はずっと、入試への追い込みだったり、引っ越しの準備などで駆けまわっていたから。知らず知らずに緊張していたんだと思う。

 一つ年下の彼女だというのに、こっちが良いようにされているのは少し不満だけど・・。そんな気持ちも、いつも通りの彼女を見ると、凄く些末な問題のように感じた。


 「それじゃあ僕はお茶を入れてくるよ。ごめんね、こんな狭い状況だけど・・。」

 「え?あぁ、気にしないで!それより、引っ越しの準備が出来てないんでしょ?手伝うよ!」

 「え、いやいや。久々に来てもらったのに、手伝わせるのは悪いって。準備は自分でやるからさ。」

 「ふーん・・?でも晴翔さん、その久々のお客様を迎えるのに部屋の片付けは進んでいないようですけど?」

 「うっ・・。いや、でもほら・・。持ってく物とそうじゃない物で、見分けるのって時間がかかるじゃない?」

 「うん、わかるよ~。思い出があったり、使えそうなものが出てくると、ついつい悩んで時間がかかっちゃうよね~。・・・でも、晴翔さん。ここに居る貴方の恋人は、必要なときにいつでも相談出来て、時には冷静な意見を伝えることも出来る、唯一無二の人材なんですよ!」

 「・・・本当に頼って、大丈夫?」

 「勿論!是非是非、大いに頼ってくださいとも!」


 えっへん!と。胸をはる彼女の姿に、なんだか肩の力が抜けていく。

 そうだ。優花はこうやって、少し強引にでも押しかけてきて、僕の困ったことを解決してくれる。何でもないよと、力になるぞと。あの快活な笑顔で応えてくるのだ。


 「・・・ありがとう。それじゃあ、お願いします。」


 僕がゆっくり頭を下げると、あははっと笑い声で彼女が答える。

 どうも僕は、頼りっぱなしだ。そんな彼女に申し訳なく思いつつ、荷造りを手伝ってもらうことにした。


 「うん、じゃあ物の仕分けは晴翔がやって!箱詰めされたものを私がガムテープで貼っていくから。」

 「わかった。動かすのは僕がやるから、優花さんは箱を閉めるのに専念してね。」

 「は~い。よ~し、やるぞ~!」

 「あはは・・。無理はしないでね?」

 「勿論!晴翔もテキパキやってね~!相談は随時受付中なんだから!」


 彼女は自身が言った通りに、スイスイと荷物に封をする。このままだと彼女に追い付かれそうで、僕は急いで箱詰めに専念した。

 やはり二人でやった方が効率は良いようで、彼女が来た時には雑多とした床の上も、次々と箱に閉じられ、隅に積まれて・・。そして夕方頃には、そのほとんどが箱の中へと収められたのだった。


 


 「いや~、終わったね~!」

 「うん、本当にありがとう。優花のお陰で随分進んだよ。」

 「いえいえ~、それほどでも!やっぱりすっきりした部屋は居心地がいいね~。」


 のびーっとする彼女に釣られ、僕も体をほぐしてしまう。

 時刻は16時。始めたときは日もまだ中天にあったというのに、今ではすっかり赤く染まっていた。

 茜色に染まった部屋の中は、優花が来た時から見違えていた。雑多とした荷物は綺麗に纏められ、積み上げた段ボールは部屋の隅に積み上がり。

 今はただ、少し生活感がなくなった場所が残るだけだった。


 「・・引っ越し、もうすぐだっけ。」

 「あぁ、うん。3日後。結構直前までドタバタしそうだなって思ってたから、優花のお陰でゆっくり出来そうだよ。」

 「そっか~・・。なんか名残惜しいね。卒業式も終わって、もう本当に去っちゃうんだなって気がしてきたよ。」

 「去るって・・。まあ、確かに会い辛くはなるけれど。ラインとか、電話とかはすぐ出来るしさ。時々帰って来ようとも思っているし。」

 「うん、わかるよ~。ちゃんと気遣ってくれる。その優しさが晴翔なんだよね。」


 ふっと。優花が寂し気な笑顔を浮かべる。

 いつも元気に、力強く。いつもの彼女はそんな雰囲気を纏っているのに、今の彼女はガラリと違って。少し心配になって、彼女を見つめた。


 「・・・・去年の冬頃。クラス委員やバレー部でのことが上手くいかなかった私に、相談にのってくれたのが始まりだったよね。」

 「あぁ、それは・・。優花が、図書室で少しうずくまってて。体調が悪いのかなって気になって。」

 「あの時はびっくりしたよ?一年上の上級生の男の人が、急に私に話しかけてくるんだもん。」

 「それは・・。まあ、そうだね。確かに・・。」

 「でも助かった~。本当に行き詰ってて、どうすればいいか分からなくて。話す相手も誰もいないし・・。考えるのも疲れていたし、一人になりたくて図書室に来てたのにね。初めて会った人にたまたま話をかけられたら、スルスル解決策が出てくるんだもん。」

 「いや、あれは優花の力だよ。僕は話を聞いただけだし、出来るだけの協力をしただけだよ・・?」

 「ううん、違うよ。晴翔が話を聞いてくれたから、私は楽になれた。どうすれば良いのか、考える余裕が出来た。・・・・晴翔がいたから、私は頑張ることが出来たんだよ?」


 爽やかに笑う彼女の笑顔。そのまっすぐな瞳に見つめられた僕は、その恥ずかしさを誤魔化すために、ついつい目をそらしてしまった。

 ・・だが、本当に大したことはしていない。当時、彼女はクラス委員とバレー部を両立していた。クラス委員では纏まらない仲を折衝し続け、バレー部では同級生のリーダーとして、先輩たちと同級生の相談に乗り続けてきた。

 だから、あの時の彼女は、疲れ切っていたんだ。自分に向けられる感情の圧を、全て受けきって、背負いきって。・・そして、身動きが出来なくなっていた。

 僕がしたことは、話を聞くだけ。それも全然スマートじゃない、彼女の状況を聞いて、感情を受けて。そして出来る範囲のことをしただけなんだ。そんな大層なことじゃないと思うが・・。


 「でも、そっか・・。そう思ってくれるようなことが出来たなら、良かったって思えるよ。僕はどうも不器用で、いつも優花に頼りっぱなしだからね。少しでも優花に返せたらって思ってたから。」


 と、僕は思ったことをそのまま口にしたけれど。・・・・何故だろう。彼女はポカーンとした表情でこちらを見ていた。

 そしてまた暫くすると、今度はまたあの誤魔化すような・・。薄い笑みを浮かべていた。



 カァー・・、カァー・・と。遠くから鴉の声が聞こえてくる。

 時間も大分遅くなってきたみたいで、夕焼けも随分暗くなってきた。日は伸びてきたとはいえ、彼女一人で帰すのは申し訳ない。

 送ってくよ、と。そう優花へと告げたとき。


 「ねぇ、晴翔。確か今日ってご両親、遅いんだっけ・・。」

 「えっ?あぁ、うん。父さんは地方に出張してて、母さんは友達と旅行中かな。帰りは明日になるって言ってたけど・・。」

 「そう。じゃあさ。」


 とんっと。

 彼女に胸を押される。急に押された力に対応できず、僕は自分のベットにゴテンと倒されてしまった。

 何を・・と彼女を見ると、一言。


「冒険、しよっか。」


 そっと僕の近くに体を下ろし、服のボタンに手をかける。細い指が一つ、また一つと・・。体の服を剥いでいって・・!


 「・・・えっ!?ちょ、ちょっと待っ・・!?優花さん!?えっ、どういうこと、優花さん!?」

 「どういうことって、そういうことだよ、晴翔君?」

 「いや、わからないよ!?ちょっと待とう、優花さん。冷静になろ?こういうのはもっと別の機会に」

 「うん、でも私は今がしたいから。」


 そう言って彼女はどんどん僕の服を剥いでいく。言葉で抵抗しようにも、彼女は僕のあぁぁっ、もう・・!


 「ちょ、ちょっと待って!!」


 がしっと。彼女の手を握って止める。


 「・・・・急にどうしたの?らしくないよ・・。心配事があるなら話してよ。」


 ゆっくりと、やさしく。彼女に言葉が届くようにと。

 僕は優花に語りかける。そっと彼女の顔を覗いてみれば、何処か焦ったような、差し迫ったような切迫感がある。いつもの気軽な彼女じゃなくて、僕はその理由を彼女に訊いた。


 「・・・・晴翔はさ。私が頼りがいのある女の子って思ってるんだね。」

 「え・・?」

 「気軽で、元気で、彼氏に頼られるしっかり者。一つ年下だけど、親しみやすくて助かる子・・。なんてね。自分で言うのはおかしいけどね。」

 「・・それが、どうしたの・・?」

 「ふふっ・・。逆・・。逆なんだよ、晴翔。私にとって、貴方こそが頼りになる人・・。なくてはならない人なんだよ?」


 彼女は笑う。切な気に笑う。

 その真意が僕にはわからなくて、彼女の言葉をだた聞き続ける。


 「最初は、本当に変な人だと思った。上級生なのに、やけに腰の低い人だと思った。一人になりたくて図書室に来てるのに、何でわざわざ話しかけるのと、ちょっとイラっとしたのも事実。」

 「でも、話してみると全然違った。私が担ってる仕事のことも、クラスでの難しいやり取りのことも、部活で起きた問題のことも。晴翔は全部聞いていてくれた。否定もしないし、責めもしないし。ただ聞くことに徹してくれて、受け入れてくれた。」

 「内側にあるもの全部、吐き出すように話していたから・・。結構理不尽なことも言った。勝手だと思うことも言った。でも言い切った中で・・。あぁ、私ってこんなに抱えていたんだって。苦しんでいたんだなって、話の中で自覚できた。貴方と話すことで、自分の思いと向き合うことが出来たんだ。」


 息をのむ。彼女の独白に衝撃を受ける。

 だって、俺には自覚がない。最初の彼女は確かに辛そうだったし、だから話を聞こうと思った訳で。でもそんな大きな仕事をしたなんて全く思えない。

でも、しかし。彼女にとっては全然違うようだった。


 「・・・晴翔はさ。時々、クラスに寄ってくれたよね。友達を通して、私を呼んでくれてさ。びっくりしたよ。上級生とはいえ、学年が挟まってれば尋ねるのは難しいじゃん?周りがどう思うだろう・・。どんな反応されちゃうのかなとか・・。そういう心配でいっぱいになっちゃうのに。」

 「だから、最初はどんな要件だろう・・って身構えたのにさ。純粋に、心配して見に来たって言うんだもん・・。いや、良い人かっ!て、ツッコミたくなって・・。でも暫くして、良い人なんだなって理解できた。愚痴を話した低学年の子を、ただ純粋に心配して来ちゃうような・・。そんな人なんだなって肌で感じた。」

 「スマートではないし、確かに抜けたところはあるけれど・・。それでも、私の思いを否定しないで、受け入れてくれて・・。力になろうと動いてくれる。そんな貴方に、惹かれていって・・。恋に堕ちていったんだよ。」


 彼女の、ストレートな言葉に胸が高鳴る。

 いや、胸だけじゃない。頬も赤くなる。恥ずかしいような、それ以上に嬉しいような。それは彼女も感じているようで。赤い頬のまま言葉を続ける。


 「私が告白して、恋人になって。本当に日々が楽しかった。晴翔も私も忙しかったけど、予定をすり合わせて行ったデートは楽しかったし、放課後に一緒に変えるときは気分が上がった。」

 「この部屋も、最初招かれたときは凄く緊張した。もしかして、そういうことをするの・・!?って身構えたのに、晴翔ってきたら、本当に言葉通りの勉強会を始めて・・。何か色々どっと来たけど・・。でもそれさえも、貴方の優しさや、気遣いが嬉しくて。純粋に日々を楽しむことが出来た。」

 「楽しくて、嬉しくて、凄く良かった学生生活!・・・。そうね・・・。」


 楽しい学生生活だったんだよ、と。彼女は酷く寂し気にそう言った。

 ・・先日、僕は高校を卒業した。春から大学での生活が始まり、それに伴って実家も出ていく。対して優花は一学年下。引き続き高校での生活を送ることになる。

 もう彼女と気軽に会いに来ることも、遊びに行くことだって・・。前ほど簡単に、することは出来ない。


 「・・・・この部屋もさ。たった一日、私と晴翔とで荷造りをしただけで、一緒に居たときの雰囲気から変わっちゃった。あと数日も経てば、晴翔も居なくなってもっと変わった空間になる。」

 「晴翔の居ない日々が始まる。一年しか年の差はないのに、そのせいで日々の思い出を共有できない。一緒に居たい人と居ることが出来ない。そんな日々を、過ごさないといけない・・。」

 「・・私にとっての『楽しい日々』は、もう過ぎ去っちゃうんだ。例えライン出来ても、電話できても。時々会いにきてくれてもね。私にとってのいつもの場所と、いつもの日常は無くなっちゃうの。だから・・・。」


 ぐっと優花の顔が近づけてきて、そして・・。

 口と口が重なりあった。互いの体温が交じり合って、まるで彼女からの思いも入ってくるかのようだった。柔らかく、何度でも。気持ちを通わすように、思いを交わらせるかのように。互いの唇が触れ合っていく。

 1分するかしないかだろうか。彼女からゆっくり唇を離れた。それに何処か名残惜しさを感じるかのようで、しかし漏れ出る吐息が頬をなぞって、高鳴る鼓動を更に速めた。


 「晴翔・・。私は、証が欲しい。火遊びだっていい。この楽しい日々が終わるとするなら、今が最高だったって思えるような、そんな証が欲しいんだ。」


 暴れる心臓に声が動かない。彼女の姿から目が離せない。

 明るくて、元気で、頼りがいのある子と思っていた彼女は。頬は上気し、目は怪しげで、唇はテラりと輝くような。

 妖艶で、蠱惑的で、抗うこと出来ない。そんな美しい女性へと変わっていた。


 いつの間にか力が抜けていた腕から彼女の手が動く。そっと僕の頬をなぞる。

 そして彼女は僕の耳元に近づき、ただ一言を漏らすのだ。


 「だから晴翔・・。どうか私に、溺れてください。」


 あぁ、それは正しく魔法のようで。

 僕はただひたすらに、彼女に魅入られるだけであった。

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