最終話
イーデンの捜索にさほど時間は掛からなかった。敵が乗った馬の足跡が残っていたためだ。
エヴァンは村から少し離れた山の麓付近の森で馬から降りた。森には細道が山の麓に向けて続いている。
エヴァンは茂みに身を隠しながら山の麓を目をやる。視線の先には洞窟の入口と見張りらしき人物が小さく見えた。
「組織的犯行か。増援を呼びたいが村の者たちでは死者を増やすだけだろう。一人でやるしかない」
洞窟の近くまでは茂みが続いている。エヴァンは茂みの境目まで背を屈めながら忍び足で歩いていく。
十歩も歩けば洞窟に入れる位置までエヴァンはたどり着いた。
イーデンは洞窟の入り口辺りに目を配る。イーデンの右斜め前には洞窟の入口がある。入口の右脇に見張りの男が立っている。見張りは洞窟に背を向けていた。
茂みを出れば洞窟まで障害物はない。エヴァンとしては氷の魔法で敵に察知されず殺害することも可能だった。だがあの見張りが万一イーデンを拐った一味ではなかったら不要な殺人を犯すことになる。
エヴァンは氷の球体を作りそれを見張りから遠く離れた右方向に投げた。
落下した氷の球体はガラスのような音を立て割れた。その音に気を取られた見張りは体ごと右側に向く。そのまま右方向へと慎重に歩いていった。
見張りは左側に対し背を向けている。イデーンは茂みから出ると地を馳せながら、左腰の鞘から剣を抜き取る。
手を伸ばせば見張りに触れられる距離まで近づく。見張りはその地点で後ろを振り向いたが、そのときには刃が首元に近づけられていた。
見張りは息を飲み込むと振動する小声で言った。
「あんた誰だい」
左腕を拘束するように見張りの腹に回しているエヴァンは質問には答えない。エヴァンは眉間に皺を寄せながら逆に男を問い質す。
「ここに紫髪の少女が連れ去られたと思うが知っているか」
見張りは怯えるように声を何度も漏らす。だが質問に応じようとはしない。
エヴァンはため息を吐くと脅すように低い声で話した。
「話せ。さもないと首を今すぐに切る」
「わかった教えるから、切るなよ」
見張りは無理やり冷静さを装ったような言い草でイーデンの要求に応じた。
「なら話せ」
「イーデンという紫髪の少女なら洞窟の奥にいるはずだ」
「そうか。仲間は何人だ」
「俺以外だと後二人だ。紫髪の少女を連れ戻しに来ただけから、今回は人が少ない」
「なるほどな。それと――」
イーデンはその後、敵の名前及び組織の情報について聞いた。だが見張りは下っ端で組織どころか今回の仲間の名すら把握していなかった。
「大した情報はないな。まあ敵の人数を教えてくれただけ感謝するよ」
「それなら早く拘束をほど――」
エヴァンの剣が見張りの首元浅く切りつけた。刀身は赤く染まる。エヴァンが見張りから離れると見張りは力なく地面に倒れ込んだ。
エヴァンは剣を払い血を吹き飛ばす。剣を鞘に戻すと洞窟の中へと入っていく。
洞窟の側面には松明がいくつも並べられ明るさは外よりも少し暗い程度だった。
しばらく進むと開けた場所に出る。大人が十人程度横になれそうな空間にはブランケットや薪にそして鍋があった。そして床に敷かれた布の上にフードを被った人物がいた。胸には鉄の胸当てが取り付けられている。近くには鉄槍がある。
敵との距離は大人五人分程度。敵はこちらを見ている。エヴァンは先端が尖った拳程度の氷を生成し放った。敵は槍を手に取ると横に飛び氷を躱す。
エヴァンは敵は対面しながら話を切り出した。
「お前は誰だ? イーデンを拐ったやつは鉄の胸当ては着けてはいなかった」
敵は答えることなく槍を右手にエヴァンの方に走り出す。エヴァンはその場に立ち止まると、目で槍の動きを追う。
敵は槍を突き出す。矛先はエヴァンのへそ辺りと向き合っていた。エヴァンは体を九十度左に捻る。矛先は肉を僅かに掠らない程度に腹の前を横切る。
攻撃を外した敵は槍を引こうと腕を後ろに下げ始める。だがエヴァンは左手で槍の持ち手を掴む。槍の持ち手には爪程度の削れた部分がいくつもあった。
敵の腕に力を入れて槍を引こうとする。だが槍はエヴァンの手から爪一本分も動かない。
エヴァンはそのまま右手の剣を槍の持ち手に向け剣を振り下ろす。槍はバキッと音を立てながら真っ二つに折れる。
「しまった」
敵から女らしき声が漏れた。敵は混乱したのか僅かな間動きが止まった。
エヴァンはそれを目で確認すると敵に近寄り首元目掛けて剣を突き刺した
剣は首元を貫通し血飛沫が首から吹き出る。エヴァンの顔や上半身には血が付着した。
敵は俯向けで地面に倒れ込むとドサッという音が洞窟内に立つ。
エヴァンは剣を払い鞘に戻すと左手で血を拭った。エヴァンは屈み込むと敵を仰向けにし、敵の頭からフードを外す。すると黒髪の女が現れた。その顔を見たエヴァンは動揺するかのように瞬きもせず女の顔を見詰めた。
「なんでお前がここに居るんだ」
敵を倒したエヴァンは洞窟の奥へと進んでいた。奥に進んでも側面にかけられた松明の数は減らない。洞窟に入ったときよりもエヴァンの足取りは遅くなっている。時折右手で襟首を掻いたり、舌打ちをしていた。
やがて洞窟の行き止まりが見えてきた。最奥の空間は食堂二軒分の広さがあり。ブランケットや布が置かれている。ただ鍋といった調理道具はなかった。空間の左奥には手と足をロープで結ばれ横倒れているイーデンがいた。
「イーデン」
エヴァンはイーデンを目にした途端叫んだ。だがエヴァンはイーデンの下に走り寄ろうとはしない。
エヴァンの真正面にフードの者がいた。フードの者はイーデンからそれなりの距離がある。だがエヴァンとは互いに走り寄れば数秒でエヴァンの剣が届く距離にいた。
「エヴァンが居るということはバーサはやられたようだね」
フードの者はエヴァンの知り合いのような口調で言った。
「その声といい、バーサの件といいやはりお前の正体はルーシーか」
エヴァンは左手を鞘に添えながら返答した。
「数年前の事柄とはいえ覚えていてくれたか。わが同郷の戦友よ」
フードの者はフードを自ら外した。フードが脱げると金髪の女の顔が現れる。髪は後ろ髪が首辺りまである。長袖の上から肩まで覆う袖のない鎧を身に着け。長ズボンの上からは鉄製のすね当てを身に着けている。
「あの戦争でバーラとお前は死んだと思っていたが生き残っていたか」
「エヴァンがいた部隊はお前を残し村の者は全滅したようだが別部隊のわたしたちは何とか生き残ったよ。それでもわたしら二人以外は死んだがね」
悲痛に染まった眼差しを携えながら金髪の女ルーシは平坦に語った。
「なぜ村に戻ってこなかった」
エヴァンが尋ねた。ルーシーは不快感を示すようにエヴァンを指差す。
「そういうイーデンこそなぜ故郷から遠く離れたこの地にいる。どうせ死んだ仲間の記憶が蘇るから逃げているだけだろうがな」
エヴァンはイーデンを視界から外そうように僅かに視線を下げた。
「その通りだ。俺は逃げているだけだ。そうでもしないと生きていられないからな」
「あんたは臆病者ってことか。一応さっきの質問に答えてやるよ。わたしらも村に一度戻ったさ。けど若者は死に村に活気は失せまともな仕事は無くなっていた。だから村を出たのさ」
イーデンは驚愕したかのように「まさか」と呟く。そして目を剥きながら大声を出した。
「お前! 仕事を得るために人攫いになったというのか」
「無駄な説教は止めてほしいね。どうせわたしもあんたも戦争で多くの命を奪ってきただろう。今更何をしようが罪悪感なんて抱かないよ」
悪びれた様子もなくルーシーはエヴァンを嘲笑った。
「もういい。お前の頭を突き刺してイーデンを村に連れ帰らせてもらう」
エヴァンは柄を右手で握り剣を抜いていく。鞘と刀身が擦れ金属音独特の音を立てる。
「エヴァン気をつけて」
奥の方からぼんやりとしたイーデンの声がエヴァンの耳に入る。
「ああ分かってる」
エヴァンはイーデンには聞こえないような声で返事をすると抜き取った剣を右手だけで前に構えた。次の瞬間にはダガーを右手に装備したルーシーがエヴァン目掛けて走り出した。
「そっちの能力や癖は全部お見通しさ」
ルーシーはエヴァンを挑発するように声を出す。ルーシーはダガーの柄の先端が親指の方を向くように握っていた。
エヴァンは左手で鋭利な小型の氷を三個生成すると口元を緩め、
「どうせこれもあの緑の壁で防ぐんだろ」
三個同時に氷が放たれる。氷はルーシーの頭に向けて飛ぶがルーシーは笑いながら正面に緑の壁を出現させた。その壁はルーシの体格よりも高く広い。氷は緑の壁に突き刺さった。緑の壁はすぐに消え、ルーシーの姿が再びエヴァンの前に現れる。
剣が届く距離までルーシーがエヴァンに近寄る。
ルーシーは「次はどうするかね」と言いながら一瞬でエヴァンの目の前から音を立てて消えた。
「どうせ後ろに居るんだろ」
エヴァンは体を反転させる。正面にはダガーを振りかざしたルーシーがいた。エヴァンは刃の部分で攻撃を受ける。
ルーシーは後ろに低く跳ね歩幅十歩分は距離を取ると、
「やっぱり読まれてるか。まあいい。ダガーが駄目ならこいつでどうだ」
ルーシーは四枚の緑の壁をエヴァンの周囲の出現させる。それらを見たエヴァンは称賛するような相貌で言葉を発する。
「これは初めて見たな」
「そうだろ。さっさと死にな」
四枚の壁はエヴァンを挟み込むように接近する。だがエヴァンを圧迫する前に四枚の壁は完全停止する。
「壁ぐらい氷でも余裕で作れる」
緑の壁とエヴァンの間に氷の壁が挟み込まれていた。エヴァンが「砕けろ」と命じると緑の壁ごと氷の壁は砕け散る。
「まじか」
ルーシーは口を結び表情が硬くなる。
「そろそろ終わりにしよう」
エヴァンはルーシーに向かって一直線駆ける。ルーシーは苦渋の顔で緑の壁を出現させる。しかしエヴァンは地面を踏み付けると宙へと跳んだ。
緑の壁よりも高く跳ぶエヴァンはそのまま緑の壁を跳び越してしまう。
そしてルーシーの背中側に着地すると背中に向け剣を突き刺した。
ルーシーの背中側の服が赤く染まっていく。ルーシは呻くような声で言葉を口にする。
「なんでわたしら戦争に参加させられたのかね。あれさえなければみんな村で――」
エヴァンが剣を抜き去るとルーシーは膝を崩しその場に倒れ込んだ。
「俺はいつまでも逃げるわけにはいかないのか」
エヴァンは沈痛に染まった視線でルーシーの死体に見た。エヴァンは剣を払い鞘に戻すとイーデンの下の歩み寄り屈んだ。
「イーデン、申し訳なかった。俺がもう少し慎重に行動しておけば二度も拐われることはなかった」
エヴァンはイーデンの腕と脚の縄を解きながら詫びた。イーデンは自ら体を起こし座り込むと笑顔で顔を横に振る。その手首や足首には縄に括られた跡が浅めについている。
「わたしも故郷まで逃げれば追ってこないと思っていたから自分を責めるのは止めて。エヴァン」
「わかった。とりあえず今は両親の下に帰ろう。村の皆も心配している」
「帰りはしっかりと守ってね」
イーデンはそう要望すると立ち上がる。エヴァンは表情を引き締め右手を右腰に添えながら言った。
「三度目はないから安心しな」
二人が村に戻る頃には日が落ちかけ、ほんのりと暗くなりつつあった。
エヴァンが村を出たときより人数は減っていたが、それでも多くの村民が村の入口付近でいた。
二人が村の入口を通るとイーデンの母が二人を発見し、「イーデン無事で良かったわ」とイーデンの下まで駆け寄ってくる。
「お母さん」
イーデンも母の下に走り二人は抱きしめあった。イーデンの母の後ろからはイーデンの父などがこちらに寄ってくる。
「エヴァンさん。娘を助けてもらってありがとうございます。正直二度目だったのでもう駄目かと諦めかけていました」
エヴァンの父は絶望から救われたように目から涙を頬に流していた。
「今回は何とか助けられましたが組織はまたエヴァンを狙うかもしれません。ここは衛兵が常駐していない場所なので」
エヴァンは懸念するように言った。
「だとすればどうしましょうか。領主様か国に衛兵を派遣してもらうしか。けど寂れた村に人員を割いてくれるとはあまり思えません」
エヴァンの父は腕を組み顔を微かに下げた。
「エヴァン何とかならないの」
エヴァンの側に寄ったイーデンが怖がるように打開策を求めてくる。
エヴァンはイーデンと目を交わしながら少し間沈黙すると、頬を緩め声を出す。
「俺が衛兵の代わりにしばらく村に留まるさ。流石にずっとはいられないがな」
エヴァンの決断にイーデンは安心するかのように右手を左胸に当てる。
「そう言ってくれてありがとうエヴァン。また明日からもよろしくね」
エヴァンは借りていた家の持ち主に滞在の延長許可を貰い、村の護衛として暮らし始めた。
イーデンを救い出してから五日の時が流れた。
エヴァンはイーデンと共に村を巡回している。太陽が西へと僅かに下がりだしている。外では小さな子どもたちがはしゃぎながら村を走り回っていた。
「今のところ問題無さそうだな」
子どもたちは見ながらエヴァンが言った。
「また問題があったらわたしが困るよ。一応今度領主様にあの組織について対策を取るように請願書を出すんでしょ?」
右隣からイーデンの声がする。エヴァンはイーデンの方に目をやる。イーデンはエヴァンの方に顔を傾けている。
「対策するにしても組織の規模などの調査が必要だから、解決するにしても時間がかかるだろうな」
「解決しなかったらずっとエヴァンは村にいるの?」
イーデンの足音が若干緩み歩む速度も落ちていく。エヴァンは「そうだな」とあまり記憶には残らないような声音で呟くとイーデンに歩幅を合わせながら言葉をつなげた。
「今日、伝えようかと思っていたんだがな、俺は一度故郷に戻ろうと思う。村のかつての同胞が事件を起こした。なのに俺が故郷からずっと逃げるのは間違っていると思うんだ。だからずっとはいないさ」
エヴァンが話を伝え終える頃にはイーデンの顔中の筋肉を和らいでいた。そのまま数歩走りエヴァンを追い抜かすと体を百八十度回転させその場に止まった。
「ならよかった。わたしのためにイーデンを村に縛り付けておくのは流石に心苦しいからね」
エヴァンは安らぎを覚えたような目の輪郭でイーデンと見交わす。
「ずっと村にいてくれて強請まれるかと思ったけど違うんだな。半年近くも一緒にいたから一人旅は少し寂しさを覚えるだろうな」
エヴァンが立ち止まると六歩離れた前方に小鳥が降り立つが、すぐさま空へと羽ばたいてしまう。
イーデンは目を瞑り口を噤むと、一気に眉が釣り上がるほど目を開眼させ決意を秘めた眼差しでエヴァンを凝視した
「それならわたしまた旅に同行していいかな。組織が潰れてない以上エヴァンと一緒に居るが安全だと思うし」
イーデンは右手で左脇付近の服を握り締めながら音を立てながら息を飲み込む。
エヴァンは何も言わずに空を見上げた。赤い球体すらも隠してしまう光が上空からエヴァンに降り注ぐ。エヴァンは額に触れるように左手で目を覆う。手からはエヴァン自らの体温が額に伝わっていた。
エヴァンは瞼で瞳を覆うと「ふ」と一言、機嫌が良さそうな息混じりの声を上げた。頬は柔らかく僅かに横に膨れていた。
エヴァンは視線をイーデンに戻す。そのままイーデンに近寄り、イーデンの肩に手を載せると返答した。
「両親の許可は得ろよ。それと万一のことも考えて戦闘訓練は毎日受けてもらう。それが条件だ」
イーデンは眉間に皺を寄せないように目を細め頷く。
「ありがとうエヴァン。なら早速お父さんたちに許可取ってくれね」
イーデンはそう言い残すと背を向け自宅へと走り去っていった。
「訓練に音を上げなきゃいいがな」
エヴァンは丸みのある声でそう口にすると巡回を再会した。
そして半年が経ち村にイーデンを拐った犯罪組織が国により壊滅させられたという一報が届いた。
「それじゃお父さん、お母さんしばらく留守にするね」
旅の荷物が入ったショルダーバックを右肩から左腰にかけるイーデンが真面目な声で目の前に両親に言った。
朝早くから空は晴れ渡っていた。家の前に立つイーデンの両親は寂しげに目を細めた、目尻を下に曲げている。イーデンの隣にはリュックサックを背負ったエヴァンがいた。
「エヴァンさんに迷惑かけたら駄目よ。旅に同行する時点で迷惑ですけど」
イーデンの母が苦笑いしながら言った。
イーデンの父は娘を一瞥してからエヴァンを見る。
「エヴァンさん、娘の頼みを聞いてくれてありがとうござい
ます。また娘をお願いします」
「半年前から戦闘訓練もしてきましたから、そこまで心配いりませんよ。まあ目的は俺の故郷なんでそこまで危険な旅にはならないはずです」
エヴァンはイーデンを見下ろす。始めて出会った頃とは違い細い腕には隆起した筋肉がついているのが服の上からでも分かる。
「わたしも一応エヴァンのサポートぐらいはできるんだからね」
イーデンは自信気な笑みを浮かべながら右手に鋭利な小型の氷を生成する。
「この場で魔法を使うな。早く消せ」
エヴァンは弟子の成長を喜ぶように瞳をしながらイーデンに注意した。イーデンは不機嫌気味に「はーい」と弛んだ返事をして氷を消失させた。
「それでは俺達はもう旅立ちます」
エヴァンがイーデンの両親に頭を下げると、エヴァンとイーデンは村の入口に向け歩き始めた。
旅の道は凍えている 陸沢宝史 @rizokipeke
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