6 クレスティアの春

 氷に閉ざされたクレスティア帝国に、春が訪れようとしていた。

 その待ち望んだ生命の息吹のように、セシルにも小さな変化が訪れていた。

 セシルは熱を出しては寝込むことを繰り返すが、あの吹雪の夜以来、少しだけ調子が上向いた。まだほとんど話さず、体に触れても反応しないが、ふとした拍子にセルヴィウスを目で追っていた。

 セルヴィウスはそんなセシルの回復を誰より喜んだ。セシルの体調を気遣い、暖めるように腕に抱いて眠っていた。兄上とセシルがこぼすように言葉を口にすると、うなずいてその手のひらにキスをした。

 ある日、セルヴィウスからセシルの元に金糸で刺繍がされたドレスが届いた。宝石をちりばめたティアラと、春を思わせる薄桃色の靴もそろえられていた。

 女官たちは顔を見合わせた。これらは今までのような、穏やかで心地よい日々のために皇帝から贈られていたものとは違う。

 その答えは、夜にセルヴィウスがセシルの元を訪れて告げた。

「セシル、宴に出てみぬか」

 セルヴィウスはセシルを膝の上に乗せて背中から抱きながら話しかけた。

「明日から一週間、後宮の「春の庭」で宴を開く。楽師や舞姫や、諸侯の子弟も呼んである」

 セシルは何も言わなかったが、控えていた女官たちは驚きを隠せなかった。

 前王の時代、クレスティアの後宮には多くの愛妾がいて、活発に商人や楽師が出入りしていた。だがセルヴィウスは正妃しか娶ることはなく、特にセシルが毒を盛られた五年前からは、外の者が後宮に立ち入ることは許されなかった。

 女官たちは皇帝の意図をはかりかねたが、皇帝から女官たちへの説明はそれだけだった。

 セルヴィウスはセシルを抱いて立ち上がると、女官たちに告げる。

「少し話してから休ませる。寝所に温かいミルクを運んだら、下がってよい」

 セシルの寝所に先行した女官は素早くベッドの背もたれに枕を並べ、セルヴィウスはそこにそっとセシルの背中をもたれさせる。

 まもなく運ばれてきたミルクを、セルヴィウスはいつものように一口飲んで熱さを確認する。それから慎重にセシルの唇にあてがって、一口喉に流し込んだ。

 セシルは虚空をみつめていたが、やがて喉が小さく動く。セルヴィウスは安心したようにほほえんで言った。

「私の身勝手な贈り物かもしれぬ。いや、何もかもずっとそうであったか」

 宝石、衣装、女官に庭。あらゆるものをセルヴィウスはセシルに与えたが、セシルが喜んだのは庭くらいだった。

 それでもセシルが自分からの贈り物を受け取っただけで、セルヴィウスは飽きることなく次の贈り物を考えた。

「今回は、そなたが気に入るとよいのだが……」

 セルヴィウスはもう一口セシルにミルクを含ませたが、セシルはなかなか飲み込まなかった。そういうときは仕方なく、喉をさすって少し強引に飲み込ませる。そうしなければ、セシルは飲み込むのさえ嫌がることが多かった。

 枕元のろうそくの灯りが、セシルの繊細な面立ちを淡く照らしている。琥珀色の瞳は病の中にあっても澄み切っていて、花びらのような唇はほんの少し開いていた。

 セルヴィウスはひとときみとれたようにセシルの姿を見下ろして、腕に抱いて寝台に横たわる。

「そなたを誰にも見せたくなかった」

 セシルの髪を梳いて、セルヴィウスは独り言のようにつぶやく。

「そなたの肌を誰かの視線が這うのを想像すると、気が狂いそうだった。ましてそなたが誰かと結ばれるなど……」

 言葉を途切れさせてから、セルヴィウスはセシルをきつく抱きしめる。

「だが、これがそなたのくれた最後の季節のような気がしてならぬ。今そなたに望むものを与えられなければ、そなたは永遠に私の前から消えそうで」

 セシルの虚ろな瞳は、セルヴィウスが見えているのかどうかもわからない。

「生きるのだ、セシル。美しく消えてはならん」

 セシルの頬に唇を寄せて、セルヴィウスはずいぶん長く、セシルを離そうとしなかった。

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