言えなかった言葉

三奈木真沙緒

あのときは、ごめん……。

 2学期になってしばらくして、いつの間にか、水沢みずさわ琴葉ことはに彼氏ができていた。となりのクラスの羽鳥はとりって男子。ええっなんでって思った。羽鳥は確かにスポーツできるけど、おれほどじゃない、今ひとつぱっとしないやつ、って思ってたから。


佐島さじまくん、コトハと何かあったの?」

 放課後、クラスの女子がひとり、おれにそう話しかけてきた。何のことやらわからなかった。聞けば、夏休み中、クラスの女子が何人か集まったときに、男子を雑談のネタにして盛り上がったのだけど、何かの流れで水沢がおれのことをこう言ったのだそうだ――あたしは佐島くんに嫌われてるから、と。


 それ聞いたとき、息がつまった。


「ねえ、なんかあったの?」

 明らかにおもしろがって半笑いでたずねてきたその子に、なんと返事したのか忘れた。

 おれは、水沢を嫌うような言動はした覚えがない。同じ中学出身で、高校に進学してすぐ、こうして同じクラスになれたことが、嬉しかった。そりゃ、高校に入ってからはまだそんなに、親しくしゃべってはないけど、中学2年3年は違うクラスだったってブランクがあったから、ちょっとまだ距離感があるのかなと思ってた。避けるような行動もとったことないし。

 なのにどうして、嫌われてる、なんて話になるのだろう。


 気になってしかたなかったので、その夜、中学の卒業アルバムを引っ張り出してみた。見返すうち、ふと思い出したことがあった。

 中学校に入学した直後、同じクラスになって初めて知り合ったという相手は多かった。水沢もそのひとりだった。まじめな感じだけど、ちょっとかわいいなって思ってた。その中学は、1学期の中間試験と期末試験の間くらいに、全学年クラス対抗の校内合唱大会ってのがあって、中間試験が終わるとすぐ、どのクラスも練習にとりかかる。けど、中学1年の特に男子なんてのは、まだまだ小学生の延長で、今振り返るとガキくさいやつも珍しくなかった、おれみたいに。水沢は、入学してすぐクラス委員をまかされて、すごくまじめにやってた。合唱の練習中も、ふざけてばかりいたおれたち男子のグループに何度も、ちゃんと練習やれって注意してきた。今だから思うけど、あいつも慣れない中学生活でいきなりクラス委員やることになって、がんばってつとめをちゃんと果たそうとしてたんだろうな。けど、おれは言い返してしまったんだ。

「うるせえ、お前がそうやって何度も言うから、よけいまじめにやりたくなくなるんだ」って。

 あいつは黙ってしまった。

 一緒にふざけていたやつが、ちょっとまずいんじゃないのという顔で、おれと水沢とを何度も見ていたっけ。けど、あのときおれは、全然気にもとめてなかった。そのまんま、今まで忘れていたくらいだ。


 率直なところ、おれはその頃から、女子にはそこそこ人気があった。成績は、まあ、まあ……あれだったけど、スポーツは自信があったし、顔も悪くはないと思ってたし、身長は学年でも2番目か3番目くらいには高かった。社交性もそれなりにあったと思う。だから女子にしょっちゅう話しかけられてた。

 けど……考えてみたら、水沢はほとんど、おれには寄り付かなかった。話しかけてきたのも、用事があるときだけ、だった気がする。そういえば、おれから話しかけたときも、そっけない反応が多かったような。


 あいつが羽鳥と付き合ってるって聞いて、なんでだって思ってた。おれの方があいつに近いし、羽鳥より上だろって思ってた。なんでだって。


 もしかして。

 あのとき、水沢は、おれに嫌われたと思っちゃったのか。


 傷つけてしまったのか。あのとき、おれが。あいつを。


 それなら……水沢も、おれのことを、嫌いになっても、おかしくない。



 文化祭の準備期間が始まった。

 昼休み、放課後、浮足立っていろいろ動き回る生徒たちの喧騒の中で、水沢と羽鳥が一緒にいるのを見かける機会が増えた。水沢は、おれが見たこともない、やわらかくてかわいい笑顔をしていた。

 あの男には、あんな笑顔を見せるんだな。


 胸の奥に、ぴしっ、て大きなひびが走ったような、嫌な感触がした。


 そうか……。

 おれって……。



 中学の頃から、おれは女子にはまあまあ人気があって、しょっちゅういろんな子から話しかけられていた。

 それはそれで嬉しかった。

 でも、そこにあいつはいなかった。あいつだけが、いつも。

 女子に囲まれて嬉しかったのに、何か物足りなくて、おれはいつもきょろきょろしてた。目で捜してたのは……あいつだった。

 おれがどんなにもてても、あいつだけは、振り向いてくれなかった。



 あのときは、ごめん。

 おれ本当はずっと、お前のこと…………。



 もっと早く言うべきだった言葉を、

 もう言うことができなくなってしまった言葉を、


 ――おれは今日も、喉の奥でせき止める。

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