喫茶『フロントライン』~無名の凄腕魔術師は王都の隠れ家喫茶で転生者の研究がしたい~

後藤浅灯

第1話 喫茶『フロントライン』へようこそ①

神世暦しんせいれき1204年、4月。王都『ケントロン』。

世界最大の大陸に築かれたその国は、まさに世界の中心に匹敵するだけの場所であった。


豊かな経済と肥沃な土地が広がるこの大陸では、数百年という長い年月のあいだ、国の名を変えずにこの世の中に君臨している。

昼夜問わず多くの人々が行き交うこの街は、常に賑やかな場所であった。通りを歩けば巨大な馬車に目を引かれ、路肩で売られる物の数々に圧倒される。歩行者は人間だけに留まらず、獣人やエルフ、魔人といった種族の垣根を取り払ったような世界が、そこには広がっていた。


数年前まで活動していた英雄御一行の残した成果。

それが、傾きかけていたセントラルの栄光を、再び確かなものへ変えてみせたのだ。


「…さて、仕事の時間じゃ」


くわっ、と短くあくびをしたのは、ケントロンの一角に喫茶店を構える小柄な獣人の女であった。口元からのぞいた八重歯がきらりと光り、歩くたびに身に纏う和の装いと紫紺の長髪が風で揺れる。


晴れ渡った碧空、雲一つない晴天だ。この場所は日がよく当たる。

店の前に鉢植えされた植物たちに水をまき、鼻歌と共に掃き掃除を始めた。耳を済ませれば、小鳥の鳴き声も聞こえてきそうなほどに清々しいが―


「オーナー!ごめん寝坊!遅れた!!」


聞こえてきたのは、この店で働くアルバイトの青年の、焦りに満ちた弁明の叫びだった。


「…五分遅刻じゃな、ねぼすけ」


今日は、喫茶『フロントライン』の従業員にこの男が加わってから一年という節目の日だ。




「ふむ…お主の淹れる茶はなかなか上達せんのう。妾の教え方がへたくそじゃったか?」


店内のカウンターにて、机の高さに合わせて浮遊するこの人物は『ヨミ』という。

彼女はこの地から遠く離れた『ヨザクラ郷』と呼ばれる場所で、大昔に崇められていた妖狐の獣人様らしい。今ではそんな威厳などすっかりなくなってしまったが、とても愛され、信仰の対象であったという。

紫紺の長髪を結ったお団子ヘア、宝石のように赤い瞳、白く小柄な肉体。手触りがよく、永遠に撫でていたいと感じる大きな耳と尾。当然、耳や尾は勝手に触ると毛を逆立てて叱ってくる。そんな彼女がこの店のオーナーである。


「味なんか、魔法でどうにでもなると思うんだけど」


座敷のテーブルを布巾で磨く俺は、ヨミを除いたこの店唯一の従業員である『ウィリアム』だ。

出会いは今から一年と半年ほど前。ケントロンの近郊でとある調査を行っていた俺は、その最中に意識を失い、王都の外れにある川辺で行き倒れていた。身寄りもなく、頼れる相手もいない―そんな俺を拾ってくれたのがこの人であり、事情を汲み『フロントライン』での住み込みアルバイトとして雇ってくれたのだ。


魔術師にしては鍛えられた肉体、黒い髪と蒼穹色の瞳が特徴的の俺に、当初は『妾の店に新しい風が吹きそうじゃのう』と歓喜していたが、その期待を裏切ってしまうほど、俺には給仕の才がなかった。具体的には、茶を淹れる才覚だ。


「ばかかお主は。確かにお主の魔術は達者だが、飲んだ者が泡を吹いて倒れるような茶の味など、到底誤魔化せぬだろう?」

「そこで俺は考えた。錯乱させる対象を味から味覚に切り替える…ということで今度ヨミさんで試したいと思ってるんだけど」

「…お主に足りぬのは技術ではなく、心だったようじゃな」


開店の支度を進め、両者エプロンに袖を通す。

軒先にある手紙の回収箱から便箋を回収してきたウィリアムは、少し困った様子だった。


「ヨミさん、手紙、結構来てるわ」

「…ここ最近は多いのう」


高さのある丸椅子に腰かけた俺は、回収した手紙を机上へ並べる。ぶつくさ文句を垂れながら封を切られた手紙の内容は、大抵が『仕事』の依頼であった。


「変な依頼も増えてきてるし、そろそろポスト外してもいいと思うんだけど」

「ダメじゃ。妾宛の熱列な愛のお手紙が届かなくなる」

「…それ、今まで届いたことないでしょ?」

「こう見えてもヨザクラ郷では大人気じゃった。期待して待つというのも悪くなかろう?」


王都ケントロンの一角に位置する喫茶『フロントライン』。

住民は皆、口を揃えて噂する。この店はただの喫茶店ではない、と。


「して、目当ての情報は届いていたか?」

「いいや、それっぽいものはないかな」

「ならば続投じゃ」


その仕事は給仕に始まり、配達や護衛、そして暗殺に拷問―。

表では喫茶店として客に茶菓子をふるまうこの場所は、通常では考えられない業務を秘密裏に行っているという噂が囁かれていた。通称『どんな仕事も請け負っている喫茶店』。

最初は街の便利屋として住民の手伝いなどをこなしてきたが、次第に様々な依頼に応えるようになり、現在では暗殺や拷問なども請け負っている―


という、根も葉もない噂話だ。


当然ながら、フロントラインでそんなダークな案件を請け負ってはいない。ここはただの喫茶店、客も一般的な給仕を期待して足を運ぶケースがほとんどだ。この店の茶菓子は基本的に好評であるため、遠方からそれを求めてくる客も多い。

が、どこから生えてきたのかわからない噂話を鵜呑みにし、表では大声で言えないような仕事を頼む者も一定数存在している。


ただ、俺たちは可能な限り客からの依頼には応えようと奮起していた。違法性のある事案を除き、俺たちは私立探偵のような仕事を、給仕とは別で遂行している。

不穏な噂を流布されようとも依頼を受け続けるフロントライン。この店の営業方針は変わって見えるだろう。もちろん、王都の人間の力にはなりたい。しかし、それとは別で特殊な営業方針を取る理由が、この店には明確に存在していた。


それは、とある研究と実験に関する情報収集。


「…とはいえ、こうも依頼が増えると大変だな」

「物騒な依頼が少ないのが救いじゃな」


指を鳴らすウィリアムの手元には、いつの間にか三冊ほどの分厚い魔導書が積み上げられていた。手紙に対する興味はとうに失せてしまったらしい。


「元恋人への報復や浮気の仲裁…このあたりはもう当事者が対応するしかなかろう?」

「まあ受けてもいいけど…俺、こういうドロドロした話は苦手なんだよね」

「そうじゃな…色恋沙汰に疎いお主にそんな仕事が務まるとは思っておらんからのう…。うまく対応しておく」


白く磨かれたカップが彼の目の前に置かれる。『西方から豆とやらを仕入れてみた。煎じてみたのじゃが、興味はないか?』と首を傾げるヨミに対し『いただきます』と一言。口を付け、俺は日課の読書に取り掛かった。


「…まったく。暗殺稼業なんて物騒な話、一体どこから流れ―」


呆れたように溜息をつくヨミが、小言をこぼしながら厨房へ消えようとしたそのときだった。

『ドン』と大きな音が鳴り響く。入出のベルの音を搔き消すほどの音圧が二人の耳朶を打つと、開け放たれた扉の向こうでは、二振りの刀を抱えた少女が立っていた。


「…あの…!突然…すみません…!」


呼吸が激しく乱れている。肩で大きく息をし、額に滲む汗と紅潮する白い肌。途切れ途切れの言葉で彼女は、やがて声を張って叫んでいた。


「少しだけ…!私を、匿ってくれませんか!」




数分後、聞き慣れた爆音が再び彼らの耳朶を打った。


「おい!」


今度は荒々しい男の声だった。二人…三人ほどの大男が、開け放たれた扉からずかずかと立ち入ってくる。やがてカウンター席まで進むと、男は握り込んだ拳を勢いよく机へ叩きつけた。


「妖狐の…獣人!フロントラインってのはこの街で名の通った喫茶店だそうだな…!殺しや拷問まで請け負ってると聞いたが…!」

「飛語じゃ。悪いがそんな案件、この店では請け負っておらぬ」


全力疾走でもしたのだろう。男は、途切れ途切れの言葉で続けた。

スキンヘッドには汗粒が光っており、鬼の形相でこちらを睨んでいる。


「…この店のオーナーは…アンタだな…!」


すさまじい圧迫感があった。

その気迫には思わず背が伸びる。目を見開かざるをえない。息が詰まりそうな威圧だった。そんな彼らの実力は、態度や大柄な肉体からも察せられる。


「いかにも。妾が店の主人じゃ」


しかし、その程度で取り乱していては喫茶店のオーナーなど務まるはずがない。

不測の事態にも淡々と応じる。至極平静とした様子のヨミは、涼しい顔で湯呑を磨いていた。


「…其方ら、旅の者か?見たところ随分と疲れているようじゃのう。であれば、ここよりも先に宿を探した方が良い」

「…ッハ、違うな…!俺たちは…人を探して…ここまで来たんだ…」


大斧を背負う男が新たに口を開く。疲れ果て、切れる言葉の合間からもプレッシャーを感じた。


人探しの依頼。喫茶『フロントライン』では、この程度の頼み事など日常茶飯事。普段のヨミなら間髪入れずに俺を使いとして走らせるが、彼らの言う『人探し』とは、普段請け負うケースとはどうも毛色が異なる。


「…入口の看板が見えんかったか。店はまだ開店しておらぬ」

「そうじゃねえ…!俺はで鼻が達者だから分かるんだ…俺たちが追っていた人間が、この近くで今も息を殺しているってことが―!!」


店を揺らしかねない、一際大きな声が響く。カウンターのテーブルを殴打しようと、スキンヘッドが拳を振り上げたその瞬間だった。


「…悪い、少し静かにしてくれないか」


拳が叩きつけられることは、終ぞなかった。少し離れた座席で魔導書を読み耽るウィリアムの声だけが、代わりに店内を満たしていく。


「おいオーナー、あのヒモ野郎も店先の看板が見えてねえようだが」

「あの者はこの店の給仕じゃ。其方らのような無礼者と並べられては困る」

「ああ?給仕が開店前に仕事サボって優雅に読書かよ?アンタ部下に対する教育が足りねえんじゃねえか?」


ヨミの発言に乗じ、神経を逆撫でするような発言が飛び交う。刹那、再び店内に轟音が響いた。男の一人がテーブルを勢いよく殴打し、ヨミへ掴みかかろうと身を乗り出した。憤怒が放つ熱が、ヨミを掠めているようにすら感じられる。


「ああ?だったらなおさらじゃねえか!テメェこの店の人間のくせに、客の俺たちに文句付ける気か!?」

「止まれ」


その瞬間、店内を極度の冷気が支配する。怒りをすぐさま吹き消すような魔素と冷気の瀑布が、男たちの視線を俺へと集中させた。同時に、彼らの鼻先に氷結の槍が突き付けられる。


「オーナーから離れろ」


視線は俄然、手元の魔導書へ落ちている。しかし、伸びた指先は彼らを克明に指し示していた。

視線を介さずとも理解できる。その気迫は、獲物を狙う狩人同然のものであった。


「客人の悩みは可能な限り聞く、それがオーナーのやり方だ。人探しの依頼だっていうなら相談に乗ろう、ただし!お前ら客に最低限の弁えがあるならの話になるが」

「クソガキ…テメェは俺たち客人に対する対応が少し雑なんじゃねえか?」


表情を崩さずに湯呑を磨くヨミ、終始一貫した態度を取るウィリアム。先手を取られたことへの羞恥、すべてを見透かされたような言動に、その矛先をウィリアムへと変えた。高圧的な態度で近寄り、その氷結を粉々に砕こうとした刹那―


「まあいい。せっかくだし飲んでけよ」


三人の男たちは、いつの間にかカウンターの席に座った状態で背筋を伸ばしていた。


「だが次オーナーに手出してみろ、俺の茶一杯で済むと思うなよ」


つい数秒前まで、カウンターの前で立ち尽くし身勝手に振舞っていた男たち。一瞬、そして彼らは己が意思に反する形で、半ば強制的にその席へ腰を下ろしている。魔導書だけが、先ほどまで彼のくつろいでいた座敷の上で寂しげに転がっている。


「…ッ!?俺はいつ…椅子へ…!」

「ッなんだこれ…ッ動けねェ…!」

「茶だとクソガキ!?今なにしやがった!!」


速いなんてものではない。

錯覚を起こすほどの奇妙な体験に、男たちは混乱していた。


「術の制度は…まあ悪くないな。これならヨミさんにやる予定だった術式の実験もできそうだ」

「…あれは冗談ではなかったのか?」

「どうだろうね」


座る意思など、毛ほどもなかったのに。

なぜ整然と、彼ら三人が清く正しく背筋を伸ばし、席で茶を待っているのか―


「まあ…本物の給仕ならば客の無礼も水に流してみせるもの。茶の一杯くらい馳走してやって当然というものか」


ヨミも人が悪い。

俺が悪名高いあの茶を準備しているというのに、一切止めようとしないのだから。彼女だって知っているはずだ、俺の淹れた茶がどんな味で、今までどれほどの犠牲を重ねてきたのかを―


「お主もなかなか、給仕らしい考え方になってきたのではないか?」

「オーナーの教育の賜物ってやつじゃない?」


三人分のカップには、まだ湯気の失せない熱い茶が満たされていた。


「…非礼を詫びたい。あなた方も大切な客人だったということを、俺は失念していた。だからこの一杯はサービスさせてくれないか。それと…飲み終えたら人探しの方の話に移りたい」


なにかがおかしい、これはマズい。見た目はただの茶と相違ないが、第六感が生命の危機を感じ取り、全力で警鐘を鳴らしている。


「無事に飲み終えることができたら、の話になるだろうけど」


しかし、男たちの直感と理性は悉く無視されていく。意思に反してカップに手を添え、震えながらも口元へ運んでいた。


数秒後。

言わずもがな、フロントラインでは男たちの絶叫が響き渡った。三人の大男が逃げ去る姿を尻目に、ウィリアムは店頭には『臨時休業』の看板を立てるのだった。

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