アバオアクーは今日もテッペンを目指したい。

虎柄トラ

アバオアクーは今日もテッペンを目指したい。

 坂城悠人さかきゆうとは新幹線の窓席に座り、反対方向に向かう景色を呆然と眺めていた。


 働き続きの毎日、上司と客先の顔色を伺い続ける日々に疲れ果てた俺は、入社して以来はじめて連休をとった。


 周りからの凄まじい圧を無視して強行したことで、俺の印象は最悪だろう……休暇を終えたあとのことを考えるだけでも胃がキリキリと傷む。


 そうなることを承知の上で、どうしても行きたい場所があった。俺が中学校に進学するまでの間、暮らしていた澄み渡る湖畔のある山間の水村だ。


 俺が帰郷した理由は、そこで今なお暮らす祖父に会うため――そして一昨日、不思議な夢を見たことだった。


 今では疎遠になってしまったが、俺は大が付くほどのおじいちゃんっ子だった。事あるごとに祖父の家に行っては、日がな一日居座っていた。憩い場だった祖父に会うことで、すり減った体力を回復するのが第一目的、第二目的は夢の中で出会った友達との約束を叶えることだ。


 ただ問題があるとすれば、友達の容姿も名前も暮らしていた場所も、その約束がなんだったのかさえも全く思い出せないことだ。ただ約束をしたということだけは覚えているのだが、本当にその友達は存在するのか……それを知るためにも祖父に会う必要があった。


 おじいちゃんっ子だった俺のことだ、何でもかんでも祖父に話しているはずだ。じいちゃんが忘れていた場合はもうお手上げなわけだが……。


 新幹線を降りて電車に乗り換えて、一日三本しかないバスに乗り最寄りのバス停にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。街灯がぽつぽつと弱々しいながらも道路を照らしている。このまま真っすぐバスが向かった方に歩いていくと、途中で三叉路になる場所がある。その街灯すらない山道を道なりに進んで行けば自然と村にたどり着く。


 十数年ぶりの故郷とはいえ、通学してきた道を忘れることはないし、実家だった家も祖父の家の場所も覚えているが、あと二時間もすれば街灯がない場所は全て暗闇に包まれてしまう。空気が澄んでいることもあって、月明かりとスマホを頼りに夜道を歩けないこともないが、さすがにそれだけで山道に挑むのは無謀だろう。


 子供の頃なら無邪気に山道を駆け抜けたかもしれないが、大人になった今では到底できそうにない。


「……明日にしよう。宿、空いてればいいな」


 早々に登山することを諦めて、バスとは真逆の道を歩き出した。


 一時間かけて町に戻り、そこから空いているホテルを探してチェックインした頃には、時刻は午後十時を過ぎていた。コンビニで買った弁当を食べて風呂に入り、その日は泥のように眠った。


 


 朝一でチェックアウトを済ませると、昨夜のコンビニでお茶とおにぎりを購入して祖父の家に向かった。


 思い出に浸りながら山道を歩き続けること四時間、やっと懐かしい故郷が視界に入った。

 

 ただその時の俺は悠長に喜べる状態ではなかった。日ごろの運動不足による体力の低下と何を血迷ったのかスーツで登山をしていたからだ。平日だろうが祝日だろうが、外出時は常にスーツを着ていた。今回もその感覚でついスーツを手に取ってしまったのだ。


「しんど……スーツうざい……革靴いたい……」


 祖父の家に到着する頃にはもう色々とズタボロだった。


 祖父の家は村の中でも一、ニを争うほどの茅葺屋根かやぶきやねの古民家で、インターホンなんてものはついていない。なので、来訪者は玄関扉をノックして、反応がなければ扉を開けて玄関口で呼びかける。都会ではあり得ないようなザル警備。


 このガバガバなセキュリティー……これこそ我が故郷。


 子供の時なら絶対にしなかったであろう、玄関扉をノックして反応をうかがった。三十秒ほど待ってみたが、玄関に近づく物音も祖父からの返事もない。


「……じいちゃん、入るよ?」


 俺は声掛けをしながら家に入った。

 

 家の中はあの頃と全く同じだった。玄関口にある靴箱の天板には、どこで入手したのか不明などぶろくを抱えたクマの置物が今もなお鎮座していた。


 俺は靴を脱いで家の中を祖父を呼びながら歩き回った。


「お~い、悠人。儂ならここじゃ、こっちじゃ、こっち!」


 縁側の方から俺を呼ぶ声が聞こえた。廊下を曲がった先には前よりも幾分か白髪が増えた祖父の姿があった。


 祖父の坂城悠蔵さかきゆうぞう、御年七十歳。年中浴衣に下駄で生活し、病気どころか風邪の一つもひいたことがない超人。


「お久しぶりです……お元気にしておりましたか?」


 自分でも呆れるほどの他人行儀な挨拶だ。久方ぶりに会う祖父と話すのだから、これが正しいと思い込んでいた。だけど、祖父が悲し気な表情でこっちを見上げたことで、間違っていたのだと気づいた。


 俺が逆に祖父からこんな話し方をされたら、大人げもなく泣いてしまうかもしれない。


 それを俺は大好きなじいちゃんにやっていた……そんなことにすぐに気づけない自分が情けない。


 祖父はそんな俺に「悠人、ほれ座れ」と右手で縁側を叩き隣に座るように勧めた。


 子供の時は縁側で祖父とは何度となく飽きるまで遊び惚けたものだが、十数年ぶりの再会で祖父の隣に座るだけでもぎこちなかった。頭の中で分かっていたとしても、実際に行動に移すのは難しく、会話に至っては祖父の話に相槌を打つだけで精一杯だった。




 さすがは俺が最も尊敬する坂城悠蔵その人である。ものの数分で俺の凝り固まった心を打ち砕き、あの頃の祖父と孫の関係に戻してくれた。




 その後、俺はじいちゃんと離れていた十数年間を埋めるように話をした。もっと話したいことはあったが、疲れた身体はそれを許さなかったため、楽しみは翌日においてさっさと風呂に入って就寝した。久々の畳に布団というスタイルだったが、寝にくいとか考えるよりも先に意識が飛んだ。


 その夜、また俺はあの夢を見た、名も顔も知らぬ友達の夢だ。目覚めた時には、また夢の内容をほとんど覚えていないのだろう。


 今回の内容は何かの建物の内階段をひたすら上がっていく夢で、背後から囁き声が延々とつきまとってくるホラーな夢というか悪夢だった。


 ……ゆう、と……る……。


 俺を呼ぶのは誰だ、おまえは誰だ。


 夢の中で俺はノイズの走る声に向かって問いかけるが返答はなく、代わりにまたノイズ交じりの声が聞こえた。


 ……いつ……る、は……い……。


 これが明晰夢めいせきむだと理解していても、俺は一度も振り向くことができず、実直に階段を上ることしかできなかった。


 翌朝、俺は出汁のいい香りで目を覚ました。案の定、どんな夢だったか覚えていなかった。ただ建物の窓から見えた風景の一部だけ覚えていた。その場所がこの村の近くにある湖畔によく似ていた。


「……着替えよう。スーツおまえは今日お休みだ!」


 俺はハンガーにかかったスーツに休暇を申し付けると、じいちゃんが用意してくれた浴衣に着替えて食卓に向かった。


 食卓には溶き卵の味噌汁に山菜の天ぷら、ジビエの焼肉、艶々の銀シャリが並んでいた。


 朝から豪勢な食事に戸惑いつつも、俺は用意された朝食を平らげた。じいちゃんが俺のためにつくってくれた食事を残すことはできない。好きな料理ばかりとはいえ……次からはもう少し量を減らしてもらえるように交渉しよう。


「ごちそうさまでした。もう……なんもはいらん」


「おうよ。儂の浴衣の着心地はどうじゃ?」


「なんか俺用にじいちゃんが用意してくれたって言っても信じちゃいそうなぐらい、ぴったりでマジで驚いたわ」


「儂と悠人の体格がそれほど似とるってことじゃな、ガッハッハ!」


 そんな感じで俺は食後休憩も兼ねてじいちゃんと他愛もない会話をした。時計を気にせずゆっくりと過ごしたのはいつぶりだろう……これだけでも帰郷してよかったと心から思う。あの新幹線の中での嫌な記憶もいつの間にか消滅していた。


 リフレッシュアンドデトックスは成功した。あとは約束を叶えに行くだけだ……。


 俺は湖畔に向かう前にじいちゃんにある質問をした。


「なあじいちゃん、俺が昔よく遊んでいた友達とかって覚えていない?」


「悠人がよく遊んでいた友達とな? あ~一人だけおったぞ。名前は言わなかったが、儂のとこに来るたびおまえは、その子の話をようしとったぞ?」


「その子とどこで遊んでたとか覚えてない? 俺さ、その子と約束したはずなんだけど、何の約束したか覚えてなくさて、だけど……なんか凄い大事な約束だった気がするんだよ」


「遊んでいたのはもう十年以上前じゃぞ。例えその場所を知ったとして、そこにおるはずもないのに行ってどうする?」


「そこに行けばなんか思い出せそうな……会えそうなそんな気がするんだ」


「悠人は子供の頃から少し他の子よりも異なっておったからな。おまえがよくその子と遊んでいたのは湖畔近くにある塔だとか言っておったぞ。湖畔の場所は覚えておるか?」


「あ~、もちろん覚えてるよ」


 俺はそう自信満々に返事をして、下駄を履き早速その湖畔に向かおうとしたが、玄関口でじいちゃんに呼び止められた。

 居ようが居まいが別にして、登山する以上は水筒なり軽食は持って行けと言われた。

 

 俺はじいちゃんが用意してくれたリュックサックを背負い家を出た。


 湖畔にたどり着くまでの間、全く気にしてなかったけど……浴衣に下駄で登山をするのは正常なのだろうか。まあじいちゃんがいつもそれで上っているし大丈夫か、俺の疑問は秒で解決した。




 この村を象徴する底まで見えるほど澄んだ湖畔の近くには確かに塔があった。


「……えっ、俺こんなのを忘れてた?」


 湖畔の存在が霞むほどの天を穿うがつようにそびえ立つ円錐状の石塔。


 一目見ただけでも忘れるわけがないほどの印象的な塔。湖畔の場所はしっかりと覚えているのに、この塔の記憶だけすっぽりと記憶から抜け落ちていた。


 古き良き日本の村には場違いなヨーロッパ風の石塔、昔の俺は何もおかしいとは思わなかったんだろうか……。


「塔を上っていけば、その答えも分かるかもしれないな……行くとしよう」


 俺は覚悟を決めてその塔に足を踏み入れた。恐怖心よりも好奇心が勝利した瞬間である。


 塔の内部には壁に沿って螺旋階段があるだけで中心は空洞になっていた。外からは気づかなかったが、屋上から光が煌々こうこうと降り注ぎ内部を照らしていた。


 外見的にはニ、三百年ぐらい前……もしかしたらもっと昔に建造されたような古びた風貌ふうぼうをしていたが、内部は階段も壁も床も全てピッカピカに磨かれていて、外と中では様相が真逆だった。


 その光沢が出るまで磨かれた石が光を反射することで、石塔内部が日中のように明るかった。まだ十時過ぎのため明るいのは当たり前なのだが、だとしてもそれだけでは理由がつかない点があった。不思議なことにこれほどの日光を浴びているのにも関わらず、暑さを一切感じなかった。


 四方八方と全身を照らされているのに暑くないことなんてあり得るのか。実際にいま暑くないから困惑しているわけですが、いやそもそも俺が日光だと勘違いしているだけで、実際は別の光ということだろうか……。


 俺はそれからひたすら螺旋階段を一歩また一歩と上り続けた。その上っていく中で気づいたことがあった。それはこの塔には窓が一つも無いということだ、外から見た時は半円形にくり抜かれた窓があった気がしたけど……見間違いか。夢に出てきた塔とはまた別の塔なのか……だけど、湖畔にはこの塔しか見当たらなかった。考えれば考えるほど、どつぼにはまりそうだ。


「考えても仕方ない……上ればなんか分かるだろ」


 俺は自分にそう言い聞かせて無心で足を動かし続けた。




 十分ほど上ったところで、リュックサックを下ろし壁にもたれかかった。

 水筒を取り出しのどを潤しながら天を見上げたが、そこには代わり映えのしない景色が広がっていた。


 延々と続く螺旋階段と絶え間なく降り注ぐ光――。


 手すりを掴みながら少し身の乗り出して下を見てみると、前述と同じ景色が続いている。一つ違うところがあるとすれば、こっちには床がある、あっちには床がない。


「さて……どうしたものやら、まだ十分もう十分。昔の俺って、マジで凄かったんだな……」


 ただ階段を上るだけならば、運動不足の俺でも何とかなるんだが、この螺旋階段ってのが結構つらい……時計回りにエンドレスで上り続けるのは三半規管が死ぬ……マジで死ぬ。


 しかし、子供時代の俺はその子と遊ぶために毎日のようにこの塔を上っていたってことだろ? 体力も平衡感覚も並外れていたってことだ……いや、もうじいちゃんとまではいかなくても、そこそこの超人じゃんか。


 そんな感想をひとり述べていた時だった、ノイズの走った音? チューニングに失敗したラジオというか雑音が聞こえた。


 ……や……きた……と……。


 俺はその幻聴を無視することにした。


 登山してそのままの勢いで休憩なしに螺旋階段を上ったことによる疲れによって、引き起こされただけだ、少し休憩すれば治まるはずだ。


 俺は超常現象的なものが苦手だったりする。別に何かされたことはないし、見たこともないが気配というか、見られているというものを感じてしまうからだ。自意識過剰と言われればそうかもしれない……だけど、なんか人間とは異なる何かに見られている。そんなゾワっとする感覚だ。


 俺は水筒をリュックサックにしまい背負うと、気持ち急ぎ目で上を目指して歩き始めた。




 困った……えっ、ウソだろ……なんで、さっきよりもハッキリと聞こえてんだよ、しかもなんかすっごい怒ってるし……えっ、俺なんかした? 記憶にないけど、なんかしたのなら謝るわ……謝ったら、こういうのって憑りついてくるんだっけ? じゃあ謝ったダメか……えっ、マジでどうしよう。


 俺はパニックに陥っていた……幻聴だと思っていた声が、今ではクッキリとハッキリと耳元で囁いてくるのだ。しかも、最初はまだフレンドリーな感じだったのだが、途中から雰囲気が異なり今では罵詈雑言が飛び交っている。


 振り向いたら殺される……振り向かなくても殺されそうだ……どうする、俺? マジでどうすればいい? 誰か教えてくれ!


 俺は平然を装っていたが、心の中では平穏どころかこんな感じで大騒ぎになっていた。




 さらに無視して上り続けていたら、背後霊的なもの音量が下がっていき……最後にはすすり泣く声が聞こえてきた。


 音量が下がってくると不思議なことに人間ってのは、聞き耳を立ててしまうさががあるらしい。


 俺のその性に従い耳を澄ませてみた。そこで聞こえた言葉に俺が耳を疑った、その背後霊的なものはこう言っていたからだ。


『悠人は我の声が聞こえなくなったのか……他の人間みたいに……悠人、悠人……我を忘れたのか……ゆうとぉ~』


 それはもうなんかすっごい寂しそうな声で、俺の名前を連呼していた。


 ここで返事をしても憑りつかれるって聞いたことがある……だけど、この少女のような幼げのある声は安全だと、なんの証拠もないのになぜか確信できた。


 俺は立ち止まりその声に向かって返事をした。


「あ~、聞こえてるよ。だから、泣くのやめない?」


『しくしく……うん、うん? 聞こえてるって言った? 悠人、悠人、悠人、悠人! 聞こえてる?』


「だぁ~聞こえてるって! 泣くのをやめた途端、音量上げるのやめてくんない。はいはい、坂城悠人ですよ。で、あんたは誰だ?」


『……我のこと覚えてない? 3,824日間もほったらかしていたくせに、我のことを覚えてない? うぅ……我はずっと待ってたのに……うぅ……ひどい悠人のバカァ~!』


 俺は背後で泣きじゃくり暴言を吐く霊的なものを黙らせるために、気配の感じる方に向けてクッキーを差し出した。こうすれば大人しくなると、なぜだか分からないがそう思った。


「ごめん、ごめんって、だから泣くのやめろって、ほらクッキー食うか?」


『うぅ……たべる……おいしい……』


 クッキーは俺の手から離れると、空中に浮いたまま満月から半月、三日月と欠けていき最後は完全に消失した。


 じいちゃんが用意した軽食のほとんどは、クッキーやらチョコやらといったお菓子ばかりだった。俺のために用意したというよりも、この背後霊的なもののために用意された軽食な気がする。


 なんだろう……このやり取りとても懐かしい気がする。


 感傷にふけっていると、急に偏頭痛が襲ってきた。数十秒でその痛みは治まったが、その痛みによって、霞みがかっていた記憶が徐々に晴れていき、俺はその声の正体を思い出した。


 泣き虫な友達と塔の中で遊んだ記憶……姿も名前も知らないけど、一番の友達だった女の子だ。


 どうして俺は今の今まで思い出せなかったのだろう、親友とも呼べる存在のことを――。




 俺は水筒の蓋をコップ代わりにしてお茶を注ぐと、浮遊しているクッキーに向かって差し出した。


「ほれ、クッキーばっか食ってたら喉詰まらせるぞ」


『もぐもぐ……ごくごく……ありがとう、悠人』


「おうよ……」


 俺は空になった蓋を受け取り水筒の口に沿わせて閉じた。


 見ることも触れることもできないけど、確実に彼女はそこにいる……喋り方と声色だけでそう判断しているが、我が親友の性別ってどっちなんだ……そもそも性別とかあるのか? まあこいつのことだし、嫌なら自分からこっちで呼べっていってくるだろうし、とりあえずは今までどおりでいいか。


 彼女に触れられないことは分かっているのに、俺は自然と手を伸ばしていた。もちろん俺の手は空を切り何の手ごたえも感じなかった。こうなることは知っていたはずなのに、もしかしたら触れられるんじゃないかと確かめたくなったのかもしれない。


『悠人なんかの真似? 遊び?』


「いや何でもねぇよ。つうか、いつまで食ってんだよ。そろそろ塔上ろうぜ!」


 俺は屋上を指さしながらそう言うと、腰を上げてリュックサックを背負った。


『う~! なんか悠人は会わないうちに我に冷たくなった。老化のせいか?』


「おいおい、言葉に気をつけろよ? 二十五歳という微妙なお年頃なんだぞ、こっちは。親友よ、おまえに分かるか、お兄さんとおじさんを行き来する俺の気持ちが!」


『人じゃない我にわかるわけない。仕方ないな……悠人のために我も腰を上げてやろう』


「親友、一応確認な? 俺はおまえの約束を叶えるために塔を上ってるだよな? あれなら俺にも考えがあるぞ……」


『ストップ、ストーップ! みなまで言わずとも良いぞ、悠人。さあ天を目指そうではないか!』


 俺は鼻高々に「分かればよろしい」と告げ歩みを進めた。


 俺たちは階段を上りながら昔話に花を咲かせた。一人で淡々と上った十分間と二人で談笑して上った四十分間では疲労度が全然違っていた。階段を上るスピードはあまり変わっていないはずなのに、三半規管のダメージも明らかに減少していた。眩暈めまいや吐き気、立ち眩みなどもほとんど起こらなかった。




 塔に入ってから約一時間が経過した。螺旋階段を上り始めてからだと約五十分といったところで、やっと屋上らしきものが見えてきた。


 塔の下から見上げていた時は何も思わなかったが、あと数分でたどり着ける位置まで来たからなのか、なぜだか分からないが俺の意思に反して足が止まった。


 親友との約束を違えたとしても、光が待つ塔の頂に上りたくないと身体が拒絶しているようだった。


 もしかして……約束の内容を思い出そうとすると、頭痛が起こることに関係しているのか。


 俺は親友と約束をしたことは覚えている……だが、その内容が全く思い出せないのだ。彼女に尋ねても、のらりくらりと逃げられてしまい答えを聞けずにここまで来てしまった。


 いまここで答えを聞きださなければ一生聞くことができない……これが最後のチャンスだと、そんな気がした。


「なあ……親友一つ聞いていいか?」


『あとちょっとでテッペンにたどり着くってのに、なんだ悠人?』


「約束の内容……そろそろ教えてくれないか?」


『……あ~だ~、それはだな……まあいいじゃないか……それよりもテッペンまでもうちょいだぞ、悠人』


「今回だけはその逃げるのは無しだ。なんか……忘れちゃダメな約束だった気がするんだ……だからさ、親友。俺に教えてくれないか?」


『今もずっとその約束を叶えてくれている。我の願いは……悠人と一緒に塔を上り詰めること。それ以上でもそれ以下でもないぞ。他はなにもないぞ、本当だぞ! だから、この先何があっても、悠人そなたのせいじゃない……わかったか?』


 俺は「あぁ分かった」と頷くことしかできなかった。親友が元気を装った震え声で必死に俺を元気づけようとしているのに気づいてしまったからだ。


 こいつは本当にウソが下手なやつだ。仕方ない、最後まで付き合ってやるとしよう……。




 俺は進むたびに重たくなる足を一歩また一歩と踏みしめて上っていった。


 そして――俺は塔の頂テッペンに上り詰めた。




 煌々と降り注ぐ光を全身に浴びながら俺は全てを思い出した。


 子供時代にも一度だけ俺はこの場所に立ったことがある。この天からの光はこの塔で体験した全ての記憶を忘却させるものだ、当時の俺はこの光を浴びたことで親友との記憶を失った。


 二度目となると、今度は記憶を呼び起こす作用でもあるのだろうか……耐性がついたというべきか。


 親友は塔から出ることはできずに、人の影がないと移動することもできない。そのため彼女が塔の頂を目指そうとする場合は、人の協力が必要不可欠なのだ。だが、彼女の気配も声も気づかない人間が大半で、俺のように接することができる人間はゼロに等しかっただろう。


 それに運よくたどり着けたとしても、彼女の願いは叶わないかもしれない……なぜなら、この場所に立った人間は涅槃ねはんに至り影が消えてなくなるからだ。


 影が完全に消えてしまうと、彼女はまた一番下からやり直しになる。次の人間が現れるまでずっと塔の下で待ち続けなければならない。


 そんな彼女が塔の頂を目指す理由、それは実体化して塔から解放されることだ。塔から外に出て自由になりたいということなのだろうけど、俺は当時も今もその言葉に違和感を覚えていた。

 

 自由になれるのに……どうして彼女はあれほど騒いでいたのに口を閉ざしたのか、なんで俺のせいじゃないとわざわざ告げたのか。まるで手向けの言葉みたいじゃないか。


 そんなことを考えていたら急にまた頭が痛くなってきた。偏頭痛のようにズキズキと傷む。今回は片方じゃなくて両方なのが結構きつい……。


 もう考えるのはやめだ……やらずに後悔するぐらいならやって後悔しよう。その結果、どんな結末を迎えようが喜んで受け入れてやる。


 俺は振り返り螺旋階段に向かって親友に声をかけた。


「おい、そっちは準備はいいか?」


『……いつでもいいぞ、悠人。ありがとう、二度も約束を守ってくれて。あとできれば、あんまりこっちを向かないで、なんか色々と見えそうで我が焦る……』


 この影の中という条件について俺はここに来るまでの間に、ある実験を行っていた。それは身につけているもののどこまでが、影として判定されるかというものだった。

 実験結果としては体に少しでも接触していれば問題なかった。ただし、狭すぎたりすると彼女は移動できないらしく、おおよその移動可能な幅は約十センチ。俺が今着ている浴衣の帯幅と同じであった。


 俺は今の今まで忘れていた親友の名前を叫び彼女を塔に頂テッペンに呼んだ。


「俺を変態みたいに言うんじゃねぇ! 俺だって好きでこんな格好になってるわけじゃねぇよ。さてと……そろそろやるとするか。さあ、上がってこいアバオアクー! おまえが待ち望んでいた景色を見る時だ!」


 その言葉を合図に彼女はテッペンに向かったのだろう。塔に入ってから一度も感じたことのない、そよ風が優しく身体を通り過ぎるのを感じた。


「鬼が出るか蛇が出るか……」


 このあとの展開について何も分からない、知る由もない。あと俺ができることは、ただ親友を信じて待つだけだ……。




 常に光が降り注いでいた塔の頂にはじめて影ができた。


 その影は俺の眼前で徐々に人の形をかたどり……最終的に影は色づき少女の姿になった。 

 光を浴びてキラキラと煌めく金髪に湖畔のように澄んだ碧眼、真っ白なワンピースを着ていた。


 俺は迂闊にも少女から目が離せなかった。天使でも降臨したのかと錯覚してしまうほど、神々しくもあり可愛かった……決して俺はロリコンではないが、ないが! それでも素直に可愛いという感情を隠しきれなかった。


「……なんだ、悠人? 我の姿に見惚れておるのか? うん、うん? そうだろ、そうだろ? 我も久しく自分の姿を見ておらんかったから、忘れておったが……悠人の顔を見るに我の美貌びぼうはいまでも通用するようだな!」


「あ~うん……なんかいつものおまえで安心したわ。で、このあとおまえはどうするんだ?」


「はやい……はやすぎないか悠人よ! やっと我とこう面と向かって話せるのだぞ? なのに、なんだそのやる気のない顔は……さっきまでのあの惚けた顔で我を見よ!」


 見た目は完全に西洋人形だが、この雰囲気に話し方は俺の親友で間違いなさそうだ。なんかそれを再認識した途端にスッと感情が落ち着いた。


 平常心を取り戻したことで、彼女が徐々に薄く透けていっているのに気づいた。澄んだ瞳とかいう例え話ではなくて……物理的に透過していた。


 塔から解放されるということは、やっぱりそういうことなのか? 俺の嫌な予感は的中したということか。


「なあ親友よ、おまえの言う塔から解放って?」


「聞かずともわかっているだろ、悠人。もうあと三十秒ってところだ、なので、最後に我から一つ良いか?」


「たった三十秒って、おまえ……あぁなんだ言ってみろ」


「我の名前をもう一度呼んでくれないか?」


「アバオアクー、これでいいか?」


「あぁ名を呼んでもらえるのが、これほど嬉しいとは思わなかった……ありがとう、ゆう――」


 アバオアクーは満足げに感謝の言葉を述べ微笑みながら消えていった。彼女がいた場所には元から何もなかったかのように煌々と光が降り注がれていた。


「そう思ったのなら、俺の名前も最後まで言い切れよ……」


 あれほど長い年月をかけて、万分の一の確率で運を掴み取ったとしても、実体化できるのは三分にも満たない僅かな時間。そのたった三分のためだけに彼女は生涯をかけて塔の頂を目指し続けた。


 おまえは本当にそれで満足だったのか、やっと身体を手に入れたのに俺と握手すら交わすことなく成仏して……本当に満足だったのか。正解のない自問自答を繰り返しながら、俺は上ってきた階段を俯き下っていった。




 その後、塔から出た俺は意識なく歩き気が付いた時には祖父の家の前で立ち尽くしていた。どうやって帰路に就いたのか覚えていなかった。ただ目の前で石塔が光に侵食されるように少しずつ消失したことだけは覚えていた。


 帰宅した頃には午後八時を過ぎていたこともあり、俺は祖父が用意してくれていた夕食を口にして風呂に入ると、早々にその晩は眠りについた。


 翌日、俺はまだ日も暗いうちに目を覚ました。


 昨日のことは全部夢だったんじゃないかと思い、布団横に置いてあったリュックサックを開けて中を確認した、そこには水筒とお菓子の空箱が大量に入っていた。


「……夢じゃなかったのか。つうか、あいつこの量をほぼひとりで食ったのかよ。どんだけ腹減ってたんだよ。ははは……」


 俺は空箱をゴミ箱に捨て、台所で水筒を洗い水切りラックに立てかけると、目覚めの一杯として煎茶の入ったお茶パックを湯呑に熱湯を注いだ。


 その湯呑を片手に俺は縁側に向かった。


「……熱すぎて飲めねぇわ」


 お茶が冷めるまで湯呑を縁側に放置することにした。


 ただ何をするわけでもなく、縁側に座り呆然と空を見上げていた。昨日の出来事を整理するためにも、一度こうやって心を空にする必要があった。

 

 俺は無意識にそれを行動に移していたのかもしれない。


 仲秋とはいえ、この時間帯に浴衣のみで風通しのいい縁側はまだ無理があったのか、ただでさえ山奥の村ということもあって、涼しいとかじゃなくて普通に寒かった。


「まぁこれだけ寒ければお茶が冷えるのも早そうだな……の前に俺が風邪をひきそうだ。浴衣にスーツ……風邪をひくよりかはマシか」


 スーツを取りに立ち上がろうとすると、悠人と俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

 縁側から身を乗り出して周囲を見回すが、人影らしきものは見当たらなかった。昨日の疲れがまだ残っていて、それで幻聴でも聞こえてしまったようだ。


 俺はその足で部屋に戻ろうと背を向けた時だった……今度はハッキリと背後から囁く声が聞こえた。


「ゆうとぉ~、どうして我を置いていった。塔から放り出された我がどれほど心細かったか、悠人にはわからんだろう? 我がどんな気持ちで山を下り、そなたを探し回ったと思っておる?」


 この情けないすがるような声の持ち主を俺は知っている。というか、成仏したんじゃなかったのか? なんでここにいる? あの神々しい感じの別れはなんだったんだ。


 俺は振り向き親友を見下ろしながら「なんでおまえここにいるんだよ……」と声を抑えて言った。


 じいちゃんを起こさないために音量を抑えたが、本来であれば近所迷惑など気にせずに叫んでいたところだ。


 よく自重した俺……マジでよく耐えた。あと、このあり得ない状況をじいちゃんにどうやって説明しよう……。


「親友に会いに行くのに理由がいるのか? もしかして、我が勝手にそう思い込んでいただけで、我と悠人は親友じゃなかったのか? えっ、まさか我は……3,825日間もそなたを親友だと勘違いし続けていたのか? なあ悠人よ、我らは親友……だよな?」


 俺は不安そうな顔で見上げる親友に向けて拳を突き出しこう言ってやった。


「ようこそ人間の世界へ。さてと、アバオアクーよ……次は何をして遊ぶ?」


「そんなの決まっておるだろ悠人。もちろんテッペンを目指すのだ!」


 アバオアクーは満面の笑みでそう答えると、拳を握りしめてコツンと俺の拳に当てた。


「ははは……やっぱおまえはそうじゃないとな。それでこそ俺の親友だ……くっ、あははは!」


「うん、うん? どうした悠人、我また変なことを言ったか?」


「いや、何でもない、何でもないよ。とりあえず風呂を沸かすから入れ、せっかくの美人が台無しだ……今のは言い間違いだ、忘れろ」


 アバオアクーは「ほほぉ~」と口角を上げ目を細めては、俺の周りをウロチョロと歩き回っていた。

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