第19節


 異音塔が完成したのが二年ふたとせ前。建て始めたのは、ジフの反乱が起きた翌年だ。

 反乱発生時にはジフと距離の近かった魔法使いたちが主に襲われ、殺された。魔法使いにとってジフは友であるとともに武器でもあった。その武器が予兆もなく自分に牙を剥き、もうひとつの武器である魔法も効かないとなれば、ひとたまりもなかっただろう。


 そうして魔法使いがごっそりといなくなった中、たったの五年いつとせでよくこの塔を完成させたものだと度々思う。音を出すのが危険なら小さな大工仕事にも慎重になる時代に、雲に届くような塔を街ぐるみで造りあげた。単調な騒音がジフを遠ざけると知ったここアルホルの生存者の人々は、どれだけ壮絶な思いにき動かされたのか。まだ小さかったぼくなどは、必死で働きづめていた姉さんを助けようにも、食事をあてにしてせいたいの前身に飛びこむまでが精いっぱいで、日に日に伸びていく塔を横目に見ていたはずなのに多くを知らない。今塔のある場所に、以前なにがあったかも思いだせない。


「寒くないですか、ニーベル?」

「平気よ、ジーク」


 塔の保守点検用に組まれた細い足場を、ニーベルと一番上まで登り切った。どこまで行くかは聞かずに彼女に任せたけれど、二の腕の抜糸も済んで体力も戻った彼女は、可憐な見かけに似合わず疲れも恐れも知らないみたいだった。護衛兼監視役でついてきた征禍隊員たちは、足場の強度を心配してふもとにとどまっている。


 確かに点検用と聞いていたのだけど、一番上まで行っても塔の入り口らしきものは見当たらなかった。

 もちろんぼくも初めて登る。常にでないとはいえ、一日三回、街の外の山向こうまで届く轟音ごうおんがしばらくのあいだ鳴り響く。真下にいれば頭が割れるだろうし、付近は街の中心部なのに誰も住んでいないに等しかった。

 見て意味のあるものはなにもない。音を出す装置のある内部には、おそらく誰でもは入れないようになっている。なんとなく予想はできていたのだけれど、それでもニーベルは塔を間近で見たいと言った。


 今一番近くまで来て、彼女は手をかける場所もほとんどないような垂直な壁に沿って、霧と雲でかすむ塔の頂上を見あげている。ぼくは気をもみながらも、その姿を黙って眺めつづけていた。今彼女の金色の片目に映っているものを、知りたいと思いながら。


 やがて、そのときが来る。

 普段もあまり得意な音じゃない。得意な人がいるんだろうか。ジフどころか生き物なら誰でも苦手としそうな不快音と大爆音の集合体。今日はその音源の真下にいる。


 ほとんど頭を抱えるみたいに耳をふさいで、思わず目も閉じてしゃがみこんだ。音が質量のある振動になったみたいに内臓まで揺すられて、奥歯を噛んでいないと吐きそうになる。全身が緊張しすぎて呼吸を忘れそうだった。意識が体から逃げ出すみたいに遠くなっていく。

 世界が終わりそうな音の嵐の中で、ぼくは彼女の名を何度も呼んだ。

 届くはずも、響くはずすらなかったけれど、声を出せることがまだ生きてここにいるあかしになるかのように、大声で叫んだ。すがるみたいに彼女の姿を探して顔をあげて――そして声をうしなう。


 ニーベルは口をひらいていた。


 ぼくが最後に見ていたときと変わらず、凪いだ片目で塔を見あげ、立ちつづけている。ただ、閉じていたはずの口だけが大きくひらいていて、ただひらいているだけで、声も出さず……。

 いや、異音塔の轟音に阻まれ耳に届かないだけで、彼女は出していた。声を。肩も胸も動かないけれど、ぼくにはわかる。息継ぎをせず、ただの一音を長く、長く、途切れさせないよう吐きつづけている。精霊と旋律を世界から閉め出す破滅的な塔の真下で。

 ぼくにはわかる。だって、たとえ旋律がなくても、その体をひとつの楽器としているときのニーベルは、とてもとてもきれいだから。


 ニーベルの口が閉じる。揺れていたものすべてが、何事もなかったみたいに静まり返る。霧が遠ざかって、彼女の背後にぼくらの街が、さっきまでよりもくっきりと見える。

 轟音の余韻が耳に収まりきらない膜みたいに残っている。風の音ひとつまともに聞けやしない。首のうしろがガンガンするし、膝が笑っている。

 それでも目を離さずにいた彼女がこちらを向いたとき、ほほ笑んだ口もとが「帰りましょう」と言うのを聞いた。くっきりと、彼女だけが音であるみたいに。


 先だって階段梯子へ向かう彼女を目で追いかける。彼女は一度だけ足を止め、振り返らずにこう尋ねた。


「また、連れてきてくれる?」


 ぼくは「はい」と答えたと思う。


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