幕間・1『雨漏りのソネット』


 雨が好き? 誰がそんなこと言ったんだか。

 長い髪は濡れてまぶたに張りつく。傷口から血と体温がどんどん出ていくのに、濡れた服にまでなぶられて凍りつきそうだ。せめて余計なものを洗い流してくれればそこをってのに、ジフはそういうものじゃないから役に立たない。喧嘩ばかり頭が回るやからは迷惑だよな、まったく。


「あぁ……もう、いいか」


 どこかの路地裏だ。どうせ知らない街だ。

 手近な壁に肩を当てて、膝から水たまりに浸かっておく。追いつかれたらそこまでだっただけの話だ。そもそも儲けただけの時間だ。なのにあのガキ……。


「……オレじゃねえんだよなぁ」


 咳きこみそうなのに喉がはずむ。ジフ滓をくらったとき、チラッと見えたアイツの顔。あの性格じゃ自分で気づいてもないかもしれない。てめえにもメシが回ってくると気づいた家畜の顔……。


 雨に描かれた幕を切り裂くみたいに、急に耳障りな音が辺りを満たした。

 磨いた鉄板に千人の人間が爪を立て、一斉に引っかきだしたような音だ。少し遅れて、雄牛の腹にふいごを詰めて無理くり息を吹き出させたみたいな低い音も重なり始める。単調に何度も続く騒音。耳をふさぎたいのに、腕が痛くてあがらないから笑えてくる。


 異音塔だ。夜みたいに暗い雨空で忘れていたが、まだ昼前だった。見あげれば、かすかに黒雲の影のすき間に、縦に長く伸びる塔が見える。

 あの薄気味悪い塔が、このどうしようもない騒音を垂れ流すおかげで、ここのアルホルって街は余所と比べれば霧が薄い。ジフたちは音楽には怒りだすくせに、旋律にならない単調な音からは、嫌がるみたいに離れていく。ジフ滓を洗い流さないはずの雨が霧を遠ざけるのは、連中が雨音を嫌うからだ。


 だったら、雨の日くらい塔を止めればいい。


「オレじゃねえ。オレがいなくても始まるんだよ。フフフフ……」


 甲高い騒音と重い爆音に加えて、雷みたいな破裂音がこれまた単調に鳴り始める。いったいどうやって音を出しているのか。この生きてるふりで満足できる連中の聖域は、どれだけ魔法きぼうのない鉄のかたまりからできているのか。

 まるで想像もつかないが、今は声をあげて笑おう。同類らしくな。

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