第16節


「おれも興味あるな」


 その声は家の外からした。玄関のほうだ。

 オベリクが帰ってきたとき、彼は扉の内鍵を閉めていた。思わず目線を走らせてそのことを確認する。けれどその前に、扉のそばの窓が動くのを見た。

 ガラスのはまっていない、木板の跳ねあげ窓だ。大きくはないけれど、ねじこめば人ひとり通れはする。


 ぼくは息を飲み、木板があがっていくのを見た。

 雨音が強まって、四角く切り取られた影の薄い噴水広場が覗く。ただ、いっぱいまでひらき切ってもなお、入ろうとする人の頭はおろか、木板を持ちあげる腕すら見当たらなかった。


 もしものんきに首をかしげず、すぐさま外を覗きこんでいたらなにか見えたのだろうか。たとえば、見覚えのある特注の大剣が、木板の支えに使われている姿とか。


 大きな音を立てて玄関扉が。浮いたそれを押しのけて、金の髪を乱した大男が飛びこんでくる。

 彼は戸板を転がし切らず、走りながら持ちあげていた。その戸板の上に、漆黒の鉄の針が深く突き立つ。


「っ!? オベ――」


 ぼくは反射的に制止しようとしたんだと思う。けれどその前に、ファゾさんは受け止めた寸鉄を戸板ごと持ち主めがけて投げ返していた。

 オベリクは動かない。

 戸板は彼にぶつかる前に静止した。


 彼に、だけでなく、戸板はどこにもぶつからずに止まっていた。床にすら、いつまでたっても触らない。オベリクの鼻先で、戸板は夢の中の出来事みたいに浮きつづけている。

 その戸板を、固いこぶしが叩き割る。

 浮かんだ板を突き破って、ファゾさんのこぶしがオベリクに届く。


 ぼくにはそうなったようにしか見えなかった。けれど、吹っ飛ばされたはずのオベリクは、居間と廊下の境に悠々と立っていた。殴られた様子はなく、口もとには笑みさえ浮かべている。

 ファゾさんもファゾさんで、静かな目でオベリクをにらんでいた。


「魔法使いか」

「ハイ、そこまで」

「……!?」


 オベリクがなにかを取り出す。彼と初めて会った日以来見ていなかった、指先ほどの小さな銀のベル。中に音を出す振り子がないことまで知っているぼくの鼓動は、たちまち早鐘を打ちだした。


「さて、これは『連理の鐘』。魔法をかけて揺らすと、対になる別の鐘が鳴るんだ。あいにくと、その対をどこかに置き忘れてしまってね。この家の中なんだけど……そうだ、鳴らせばわかるかも」


 ファゾさんを見ると、彼も事態を把握できたらしかった。対の鐘はこの居間にない。ぼくの部屋にもない。「下衆げすめ」と冷たくも沸々ふつふつとしたつぶやき声を聞く。


「おっと、急かさないでくれよ? 貴重な品だから、できればちゃんと探したいんだ。もし一歩でも近づいてこられたら、焦りで安易な手を選んでしまってもしょうがないけど」

「……近づかなければいいんだな?」


 ファゾさんの動きは速かった。

 彼も懐からなにか取り出すと、ぼくらが反応する前に投げた。

 避けるような暇もなかったはずだ。けれどオベリクは口角をあげたように見えた。彼に投擲とうてき物は当たらない。少なくとも彼に見えている範囲では、戸板だろうと大岩だろうと彼に届く寸前で静止する。


 ファゾさんの投げたものは、白い布を丸めたものだった。

 それはオベリクの目の前で見えない壁にぶつかったようにパッとはじけた。ただし、中から噴き出た銀の粉は、なににも阻まれずオベリクの頭に降りかかる。

 途端、遮光眼鏡ごしでもわかるほどオベリクが目を見ひらいた。


「なっ!?」


 聞いたことのない驚き声をあげ、オベリクは袖で顔をかばう。けれどどう見ても遅い。銀の粉は彼が手にしたままの鐘にもかかる。


「『ジフ』は初めてか?」ファゾさんが問う。「死んだジフの残骸から集め、消えないように封じていたものだ。死んでいないジフと同じように、魔法を無力化する」

「くッ……!」


 オベリクは腕を振った。不意を打ったはずの寸鉄は、けれど肉眼でとらえられるほど遅く飛ぶ。ファゾさんは素手で払い落とすと、ほとんど一足飛びでオベリクに肉迫した。


「しまっ――」


 悲鳴もあげ切らせずファゾさんのこぶしがオベリクをとらえる。オベリクはとっさに交差させた両腕で胴をかばったけれど、それこそ魔法か冗談みたいに長身が浮きあがって廊下まで飛んだ。


「逃がさん」


 ファゾさんが居間を出ていくと同時にガラスの割れる音がする。廊下の途中にある窓のほう。どうやらオベリクが自分で突き破って出ていったらしい。


 ぼくはひとり残されて、呆然と立ち止まっていた。やがてはっとして最初に見たのは、ずっとすぐ背後に座っていたニーベルだ。

 彼女はまだ、窓の外を見ていた。

 彼女の騎士が戻る以前となにも変わらず。湿気しけりで余計に縮れた白い髪を、傷だらけの頬と白い首すじに貼りつかせながら。まるで永遠にそのままでいそうな横顔に、ぼくはじっと目を奪われていた。

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