第14節
霧の向こうに、日なたの
眉骨も厚くいかつい顔に似合わず、赤ん坊のような髪質なのを彼は気にしている。姉さんにも笑われたことがあるらしい。やつれた顔で苦しそうにしているよりは、こんなことででも笑ってほしいからと、刈りこまずに伸ばしてもいるのもぼくは知っている。
明かりをさげて山道に現れたファゾさんを見つけて、ずっと夢の中にいたようなぼくも生々しくギクリとした。ファゾさんは明かりだけでなく、実戦用の鉄の鎧を着こみ、彼の体格に合わせた特注の大剣も背負っている。灯火に照りかえって星のように光る緑の両目を見たとき、ぼくは息も凍るような冬の夜に取り残されている気持ちになりかけた。
「ディオン! どうしてこんなところに!?」
防霧用のあて布ごしでさらに押し殺していても、ファゾさんの太い声は耳に響く。彼も動転していて抑え切れていない。思わずぼくはニーベルを隠すように体をずらす。
狙えたわけではないけれど、こういうときにまごつくのはいつものぼくだ。眉をひそめるファゾさんも、そこは知っているおかげで返事を待たない。
「ヘルンは?」
「え、あの……」
「いや、いい。試験場のほうには行ってないな?」
「試験場?」
ファゾさんが先に姉さんのことを気にしたおかげで、ぼくも動悸がどうにか冷めた。今度は狙ったつもりで尋ね返す。霧のせいかファゾさんは、まだぼくのうしろのひとりに気がつかない。
「谷でジフどもが騒いでいる気配があると聞いて、偵察に来たんだ。しかも、歌のようなものを耳にしたというやつまでいる。ディオンは気づかなかったか?」
「え?」
また胸の奥がざわついたけれど、なんとか『思いがけないことを聞かされたせいで取り乱した風』を装う。アルホルの街にジフが現れた様子ではないから、歌声が山を越えて街に届いてしまったということはないはず。気づかれたのは、ほかに誰か谷か山へ入る住人がいたのか。良質な家畜の肉が恋しいことを思えばありえなくはない。
ただ、その自分の浅はかさよりも、ファゾさんの口ぶりにやけに気を取られた。〝歌のようなもの〟って、ニーベルの歌がですか? 無性にそう聞きたがっている自分がいた。
「ここにいて気づかないということはないよな。誤報か……」
ファゾさんはなにも怪しまず、ぼくから目を離して来た道を振り返った。ぼくはその隙にニーベルが布を被っていることを確かめ直す。顔全体を隠すと怪しいけれど、傷痕と独特の髪色がわからなければいい。幸いランタンの光のおかげで影が濃かった。
「念のため様子は見てくるか。あのあたりは放棄家畜が多いし、あるいは、葉擦れの音が旋律になったのかもしれん。だが、ディオン――」
振り向く気配があったのでぼくもさっと元の姿勢に戻る。声の調子もくだけている。ファゾさんはぼくがここにいることについて小言を言うのだろう。姉さんから目を離してまでなにをしているかと聞かれれば、やはり狩りをしていたで通すしかない。けれども、
「おまえにも男の子らしい一面があったことは、おれとしてもうれしく思う。だが、だ。場所選びについてはどうかしているとしか思えんぞ? わざわざ剣をさげてまで」
「へっ?」
妙な声が出た。
場所選びと言われて、一瞬舞台のことが頭をよぎる。けれど、ありえるありえない以前に、ファゾさんのいかにもすぎる神妙な顔を見てサーッと血の気が引いた。
「若いふたりだ、盛りあがって声が抑えられなくなることもあるだろう。確かに街の外なら周りを気にかけることもない。おまえが剣を持てば、万一のジフにおくれを取る心配もないしな。だが、だがだ。限度がある。たとえふたりが危険な刺激を好むとしても、年上としてひとこと――」
「あ、あのっ、ファゾさん!? 彼女とは、あのっ、そういう関係じゃ――」
「女の子だと認めたな」
「あっ……!?」
ファゾさんは優しい。布を被っている誰とも知れない人の顔を無遠慮に覗きこむなんてしない。そのことに今さら気づいて、内心ありがたがりつつもぼくへの無遠慮さとの落差にあたふたしてしまう。
「わかったわかった。だがお似合いだ。こんなところで隠れて会わなくても、からかうやつがいたらおれがぶっ飛ばしてやる。だから今度からは、せめて街の中のどこかにしろ」
「う、えぇ……?」
ファゾさん自身はからかっているつもりはなく、本気で心配しているみたいだった。その真面目一辺倒ぶりにもぼくはついていけない。ただ、それをまた自分で茶化すように見せた笑顔がやけに弱気で、そこでぼくはようやく、予期していた話題に彼が少しも触れないことに気がついた。
「おれもいいかげん、腹をくくらないとな。おまえがもっと家をあけられるように」
「ファゾさん……」
「さあ、霧の中での説教は終わりだ。街に入るまでは、おまえも気を抜かないようにな」
ぼくの肩に軽く手を置いてから、ファゾさんは谷の奥に向けて歩きはじめる。ぼくらの横をすり抜けるとき、少しだけニーベルと目を合わせたようだけれど、霧を不安がる街の人たちに向けるのを同じ笑顔を浮かべただけだった。ニーベルの傷痕を見た反応ではないことに安堵もしながら、彼の「気を抜くな」が、ニーベルを無事に連れ帰ることにも向けたものだということを、ぼくはしばらく噛みしめていた。
「ねぇ、ジーク」
明かりが霧の向こうにかすんで見えなくなってしまうまで見送っていると、不意にニーベルが言った。
「ディオンって、誰?」
ぼくはたじろいだ。けれど、息もできなくなるほどうろたえたりもしなかった。
しばらくは目が泳いだけれど、普通に困った顔をして、自分でもめずらしく思うくらい冷静に、「さあ?」と笑いかけただけだった。
「ただの、人違いですよ」
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