第8節


 丸々として非肉感的な体躯。眼を模様として彫り込んだようなふたつの円。少し尖って見える部位だけが、獣の鼻先を思わせる。

 翼はないけれど、複雑なひだのような前肢がある。丸めた飴を軽くあぶって溶かしたみたいだ。あるいはあれは、ヒレだろうか。


 霧まとう精霊――『ジフ』。

 黎明れいめいの獣とも呼ばれる彼らは、人類より早くこの世にいたと言われている。

 慈愛に満ちた知性と高潔な精神を持つ彼らは、人類と手を取り合い、長い歴史を共に歩んできた。この世のあらゆるものから魔法を取り出せる魔法使いたちが、言葉を持たない彼らと意思を通わせることができた。

 元来彼らは、彼ら自体がかたちと意志を持つ魔法だという。人の魔法とは、彼らの力を真似たもの。


 だから、彼らに魔法は効かない。

 すべての魔法は、彼らが触れると等しく消える。

 唯一魔法の宿らない鉄の剣だけが、彼らを確かに滅しうるもの。


 オベリクはふところから寸鉄らしきものを取り出した。

 取り出しざま、いくつか同時に空へと放つ。先頭を切って急降下していた小型数体に一本ずつ命中し、風穴のあいたジフたちは泡がはじけるように消滅する。


 もろい生き物だ。けれど、彼らが仲間の死にひるむことはない。

 まだ消え切ってもいない仲間のざんを押しのけ、次の一群が降りてくる。ぼくたちをめがけ、その誰より、歌姫をめがけて。


「姫の演奏人形マリオニタは固い。けど、ジフが相手じゃ意味がないのは、わかるよね?」


 オベリクが次の寸鉄を構えつつ前に出る。投げて数体を散らすけど二体がすり抜ける。

 走りだしたように見えたオベリクは、その瞬間高く

 人間ではありえない高さの跳躍。けれど、彼は魔法使いだ。


 ジフに触れれば魔法は消える。なら、魔法をジフにぶつけなければいい。

 靴にだけ魔法をかけたらしきオベリクは、くうを蹴って軌道を変えながら二体のあいだを通り抜けた。両手に取り出していた短剣が、精霊たちをやすやす切り裂く。

 そのあざやかで現実離れした手ぎわにもぼくは見とれていたと思う。不意に背後で歌が乱れ、胸が落ちくぼむような心地がして振り向いた。


 演奏人形の一体に、回りこんできたらしい小型のジフが取りついている。鋼のように見えた人形の体は、ジフが触れている部分から火にくべた飴細工のように溶けだしている。

 その人形には腕がなく、代わりに頭部の真ん中に目のような機構がひとつだけついていた。どうやら目ではなく増音装置スピーカーらしく、離れた場所にいる同じかたちの人形たちは、ニーベルと同じ歌をニーベルの声で発している。


 あれがおそらく、オベリクが注文していった副唱人形コーラスニタ

 〝音源〟を憎むジフたちは、当然人形の楽隊も破壊したがる。楽隊を水増しすれば、ニーベルを包む大型拡声人形メガロヘイルニタに攻撃は集中しづらくなる。


 そうは言っても、魔法でできたオトリたちだ。しらみつぶしもジフ一体でこと足りる。

 そしてニーベルには、おそらく魔法以外に身を守るすべがない。

 オベリクの迎撃を抜けてくるジフを、ほうってはおけない。


「ニーベルッ!」


 腰のつかを握り、さやから抜き放つ構えで精霊に向かって大きく踏みこむ。

 その瞬間、奇妙な感覚がした。


 奇妙だけれど、よく知った感覚。未だに戸惑うばかりで対処できないからこその奇妙。

 肩にジンとしたしびれが這う。肘から先を急に重たいぬめりに包まれる感触が襲う。握りこんですき間がないはずの指と柄のあいだにもぐりこみ、自分がなにをつかんでいるのかもわからなくなる。その心地悪さに喉もとも汗ばむ。


 まただ。どうしてぼくは――


「っ!?」


 風の音を聞いた。激しい旋律の中だったけれど、壊された副唱人形のいる方角だった。

 腕を包む粘性の幻覚が消えて、代わりに首のうしろで鳥肌が立った。奥歯を噛みしめ右に跳ぶ。

 肩のそばを、青白いものが飛び抜けていった。


 すぐに身をひるがえし顔をあげる。そこにあった丸太の先に変形してへばりついた青白いものを見つける。

 振り向くようにその青白いものがねじれていく。バギ、バギと、土に根を張ったままの丸太が、軽い焼き菓子かなにかみたいにその根元から引きちぎられていく。


 彼らは、ジフは、音源だけを狙うわけじゃない。

 一度現れたら、ヒトの姿をしたものを手当たり次第に壊そうとする。

 青白い表面の、目のようなふたつの模様がこちらを向いた。それに視覚があるのかさえ知らないけれど、目が合った気がした瞬間、ぼくは左に走りだす。


 丸太をねじり取りかけていたジフが、その丸太を蹴って再突撃してきた。その背後から追うように新手の小型も二体来る。

 ぼくは入隊試験用に設置された丸太を盾に、ジフの進路を妨害するように走った。三体ともひだ状のヒレしか持たない無刃系ソードレスだ。もろさに矛盾した怪力は、つかんだものにしか発揮されない。そして歌が終わるまで逃げ切れば、ジフたちもやがて怒りが冷めたように霧に戻る。

 ぼくも動く。人形ニータたちのいないほうへジフを誘導し、時間を稼ぐくらいならぼくにもできる。


 森に飛びこむべきか? その判断のために、追う者たちがどれだけついてきているかを確認しようと振り向いて――足が止まった。


「な……!?」


 丸太の高さより上を飛ぼうとしている小型のジフたち。その向こうに見える人形の楽隊。

 中央で筒の巨碗を振りあげる大型拡声人形メガロヘイルニタのすぐ手前、そこで自分の腕を吹き鳴らしていた気鳴人形サクソニータの真上に、大きな青白い影がある。ずんぐりした体躯。四つ足の位置に生える、マントのように広いひだ。盛りあがったてっぺんに眼の模様があり、さらに二本の触覚じみた突起が飛び出している。


 大柄な人間くらいの大きさ。無刃系ソードレスの中型だ。

 水に沈む小石のような速度で降りてきて、その中型は気鳴人形をまたたく間に押しつぶした。人形はまるで色のついた煙かなにかみたいだった。中型はなんの苦もなく、舞台装置の要である拡声人形と、その内側で一心不乱に歌いつづける姫君に肉迫する。


 彼女にも見えているはずだ。

 あの半透明の薄膜ごしに。ほんの一拍で自分の首をもぎ取れる存在が。

 それでも彼女は歌うのをやめない。歌だけが彼女のすべてみたいに。





【 うたえ うたえや うたわずいるのか? 】


【 雨がやむまでどうして待つのか 】


【 そのたましいが歌詞 血しおが音色 いのちが旋律 】


【 骨から骨へと つたうこのうた 】


【 とどけと願うや うたえや うたえ! 】





 丸太の先端に飛び乗る。

 同じ高さで小型のジフたちが飛んでくる。獲物の動きに浮き足立ったか速度があがる。

 ぼくはほかの丸太へ渡るふりをして、丸太同士のすき間にすべりこみ、ジフたちの真下をすり抜けた。


 そのまま来た道を駆けて戻る。地面よりも丸太の側面を蹴りながら。来たときよりずっと速く。

 中型の真うしろを間合いにとらえて、ぼくは再び丸太の上に駆けあがった。


 そのまま飛び出し、空中で鞘に手を当てる。

 まばたきより早くまたあの幻覚。でも、鞘ごとなら。

 そう判断する一瞬の間のあと、中型が振り向こうとしているのに気がついた。


 腰から外した鞘を振り抜くのではなく体の横に構える。その鞘ごと、ジフの長い触角がぼくのわき腹に突き刺さる。

 空中で衝撃も逃がせず、ぼくの体は真横へ流れた。

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