第7節
元家畜といっても、放されてからいい年月がたっている。
いくらか代がわりも経て野生化した彼らは警戒心も強く、ぼくが近づくそぶりを見せただけで散り散りに逃げていった。ただ一匹、最初に出てきて豆に飛びついた
「…………っ」
息を止め、視線を絶対にはずさないようにしながら、できる限り静かに近づく。少しずつかがみ、リスからは顔だけが近づいてくるように見せ、両腕を広げる。
間合いに入ったところでそっと左右から手ではさみこむと、意外にごわっとした体毛の下のもっちりした胴まで、すんなりつかまえることができた。
暴れないのを確信して、持ちあげると同時に立ちあがる。と同時に、背後から「「おー」」と二重の歓声と手をたたく音が聞こえた。呼吸を整えたかったのに息を飲まされた。
「……拍手、しないでください……」
振り返って精いっぱいにらんだけれど、誰もぼくを見ていないみたいだった。そもそも下がり眉のせいで怒っても怖くないとはよく言われる。
オベリクが抱いていたニーベルをおろす。ニーベルはほどけた毛布を、寝間着のまま出てきてしまった上から羽織り直した。そして数歩ぼくに歩み寄る。
本当に小さい。同期の征禍隊員から女の子みたいだとからかわれるぼくがあごを引いて目を合わせている。歳の差はあるはずだ。ただ気おくれしない彼女のしぐさを見ていると、ぼくのほうが本当に十六だったかと戸惑いそうにもなる。
臆さず伸びてきた小さな手の中に、捕まえたリスをそのまま渡した。細くてやわらかな指先が手の甲をかすめたあと、その余韻はずっと消えなかった。
「かわいい……」
リスを両手で持ったニーベルがしっとりとほほ笑む。引きつれる傷痕に乱されてはいても、頬の白いところは無垢な者らしくあざやかに染まり、このときばかりはひたすらにあどけなかった。隻眼の奥に、ほのかな光を見た気もした。
「ねえ、オベリク……」
声を失っているぼくを見ず、彼女はうしろを振り返る。へそ曲がりの従者にも、今の姫君は歳相応に見えているんだろうか。
「わたし、ここで歌いたいわ」
……。
……。
……?
姫の従者がこうべを垂れる。うやうやしく、
「ご随意に」
「え……?」
ぼくの声に意味はない。
しげみの中から動物たちがうかがっている。きっと大事なことはそれだけで。
ニーベルの肩から毛布が落ちた。
袖も丈も余ったぶかぶかなネグリジェ姿の周りを、青く色のついた風が
風は輝いて薄い膜となる。膜の外をさらに甲殻の
逆巻くように甲殻は育ち、ぼくはそばにいられなくなった。複雑な花弁のように大きく広がり、突き出た突起がねじくれながら伸びていく。ひらいた先端はまるで手のひらのよう。
青い甲殻の巨人の中に、ニーベルはいた。
その完成と同時に青白い閃光があたりを覆う。
次に目をあけたとき、巨人の周りを同じように固い材質でできた人型のものが囲んでいた。
全部で六体。脚と頭部を欠いた巨人と違って、よりヒトに近い形と大きさをしている。顔はなく、脚も一本のそれは、うちで埃をかぶっている
両腕の先が球状になっている一体がいた。
その一体は腰のあたりが奇妙に突き出していた。せり出した腹部の両側面が平たく丸い鏡のようになっている。自動人形が腕先の球でその鏡面を叩いた。鏡は割れもへこみもせずに「ドッ」と威勢のいい音を立てた。
叩く。叩く。また叩く。
ドッ ドッ ドッドッドッ
左右交互に。左右同時に。
可動機構ありの具現化魔法。それも
とんでもなく高度な魔法。魔法使いの減りすぎた今では話にしか聞かない。その前だってこんなに大規模で精巧な魔法をアルホルで見たことはなかった。あれば記憶に焼きついている。今初めて目を奪われている。
けれど、それは音を出す。
最初は単調な音の連続。ほどなくして緩急がつく。全体は次第に速くなる。
軽快な
打音だけだ。けれど、これはもう旋律だ。
ただの自動人形じゃない。
これは
ニーベルの、歌姫の――
またたく間に勢いを増す鋼の
そしてぼくは聴いたんだ。
花弁のような甲殻ひとつひとつを震わせ、増幅された霧の姫の歌声を。
――さあ
――さあ
――さあ
――さあ
――さあ
【 う た え や 】
片腕に弦のあるものは、刃のようなもうひと腕でかき鳴らす。
ねじくれた管の腕は頭部と接続され、余った指が
十指といわず枝分かれした指たちは、胸の鍵盤をおそろしい速さで弾きこなす。
再び荒ぶる
暴力的なまでに激しいリズムと
【 さあ うたえや 】
【 雨にほほ張り 大地ふみしめ 】
【 むせびいななき ちしおの限り 】
【 ここが最期だ さあさあ うたえ! 】
高らかに吹きあげる
その背後で二本の長い腕を振りあげた
【 うたえ うたえや うたえや うたえ 】
【 鼓動止まれど かまわずうたえ 】
【 腕もげ脚もげ どうしたうたえ 】
【 見ているか 見ているな? 】
【 ひそめていないで さあ 前へ! 】
歌っている。
薄膜のドームの内側で、あの小さな体が。
傷痕で引きつる頬を精いっぱい動かし、小さな口でありったけの空気を取りこみ。
気品もまとうほどおだやかないつもの姿からは想像もつかない、豪快で苛烈な歌を。空想すら超える魔法も操りながら。
あのニーベルが。
これが、霧の歌姫の〝舞台〟。
「姫。できればおとり用の
間奏に入ると同時にすぐ隣りで声がした。遮光眼鏡の騎士がいつの間にか回りこんできている。歌姫と楽隊に背を向けた彼は、服の内ポケットに手を入れながら横目にぼくを見る。
「聴き
彼の足が向いているほうを向く。
霧がかる空に、彼らはすでにいた。
ニーベルの魔法の光と似た青白い
霧まとう精霊の群れ――百にも迫りそうなジフたちが、憎き旋律めがけて降りてくる。
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