聖女と竜がくれたもの~The Saint and the Dragon's Gift Saga~

@Tsu-tone

第1話 前奏曲~Prelude~

 月はおろか星一つない晦冥の空に、それよりさらに漆黒の巨大な影が浮かんでいる。その漆黒の影には赤と青の二つの輝きと、その下には横に闇を裂くような真っ赤な亀裂が見える。この二つの輝きは瞳だろうか? 怒り、憎しみ、恨み、嫉み、悲しみ、苦しみ、失望、人が抱く負の感情を凝縮したようなその黒い影の瞳からは殺意に満ちた破壊衝動を感じとれる。それは見ているだけで気を失いそうな程に恐ろしいものであったが、不思議と私には怒りよりも悲しみの感情が溢れ出しているように感じた。

 え? 一瞬青い方の瞳と目が合った。そして私を見て一瞬微笑んだような気がした。気のせいだろうか?

 黒い影の目線が下がる。睨みつける目線の先には巨大な城塞があった。その城塞はどんなおとぎ話の中に出てくる挿絵の城よりも美しく、なぜかとても冷たい印象を受けた。

 その城塞を睨みつける漆黒の影は瞳の下の亀裂を上下に大きく開き、全てを飲み込む勢いで息を吸い込む。周りのすべてを飲み込んでしまうのではないかと思うほどの吸気の刹那、亀裂をいったん閉じ、再び勢いよく開いた亀裂からとてつもない火炎を吐き出した。黒い紫色を帯びた火炎というよりは光線に近いそのエネルギーの塊は、城塞の中で最も美しく、高い中央の塔らしき建物を何の抵抗もなく一瞬でこの世から消し去り、その先の大地を抉り、辺りを真っ赤な炎に包んだ。その炎に照らし出されて漆黒の影はその姿を露わにした。禍々しい巨大な竜だ。

 その竜は再び城塞を睨み大地が震えるほどの咆哮を上げた。その恐ろしい声から逃れるように、坑道に足を踏み入れてからちょうど二十回目の眠りから目を覚ました。

 実際は何日経ったか分からないが、これまでで最悪の目覚めだ。この暗闇の中では心身の疲労が地上とは桁違いで、とりわけ精神の消耗が凄まじい。起きては前進し、数時間もすれば疲労で眠りに落ちてしまう。長く暗闇の中にいすぎて頭がおかしくなってきたのだろうか? それとも、あの物語の影響だろうか? あまりにもリアルな現実味の無いその夢が、実際に起こった真実だった気がしてしまうほどに。 

 もう数百年もの間使われていないと言われるこの坑道に足を踏み入れたことを私はすぐに後悔した。しかし、自分の将来を見失っている私にとっては、この坑道を通り抜けるという行為は必要なことだった。とはいえ、この光が一切届かない坑道の中で光源を失った私は方角も進んだ道のりも当の昔に見失っている。私が頼れるものはずっと離さず繋ぎ続けているこの暖かい手のぬくもりだけだった。

 

 数日前、この坑道に足を踏み入れる前に立ち寄った近くの町で、代々続く酒場を営んでいるという男性にいくつかの話を聞くことができた。

 この坑道は昔、莫大な富をもたらしてくれる資源豊かな鉱山で、入り口には世界で最も栄えた町の中にあったそうだが、ある時から急に有毒ガスが立ち込めるようになり、その町を諦めて今の場所に町を移したということ。

 坑道が封鎖された後、街道が整備されて水の国にはもっと楽に行けるようになったことで、その後この鉱山は整備されることなく放置されたこと。

 この坑道に立ち込めていた有毒ガスが無くなったのはごく最近のことで、長く放置された鉱山は内部がどうなっているか分からず基本的に立入禁止であること。それでも立ち入る場合は自己責任で入らなければいけないこと。

 当時は道を熟知している鉱夫が迷わず進んでも、水の国まで通り抜けるのに三日は要していたこと。

 そして、この坑道の中には毒の中でも生きられる化け物が住んでいるという言い伝えがあること。


 それら話を聞いたときは驚き、多少怯んだが、それでもこの坑道に入ることを私は望んだ。通り抜けることはできずとも内部を見てみたかった。少しでも彼らの旅を感じたかった。なにより、この旅を楽しみながらここまで進んできた私には自信があった。今にして思えば自惚れていたのだ。ここまでのスムーズな旅はさながら何度も夢見た観光名所を巡る旅行のような快適な旅であり、この坑道もここまで旅してきた私であれば問題なく通過できるだろうと……それでももしもの事を考えて念には念をと十日分の食料と水を買い込み、勇んで足を踏み入れた。しかし、足を踏み入れた数時間後には光源を失い、視覚を奪われ道を見失った。

 食事は手探りで鞄を漁りながら感覚だけでしている。何を食べているのかもよく分からない。食事は見た目も大事とはよく言ったもので暗闇の中では味も匂いも全く分からない。そのせいか口で溶ける砂や泥を咀嚼しているような感覚に陥る。食べられるものを食しているのかさえわからなくなり吐き気を催した。光を失った私は前進しているのか後退しているのかもよくわからないまま壁伝いに恐る恐る歩みを進めた。閉じ込められたわけではない、いずれ必ず外に出られると自分に強く、強く。何度も、何度も言い聞かせて。

 しかし、人間の精神が壊れるのはそう難しいことではなかった。何とか入り口に戻ろうと必死で来た道を戻ったが一向に入り口が見える気配はない。恐怖に押しつぶされることに抵抗するように大声で叫んで助けも呼んでみた。声には自信がある。なぜなら私は吟遊詩人だからだ。坑道全体に声が届くように大声で叫んでみた。


「おーーーーーーい!」その声は雷鳴のように轟き、坑道の壁を乱反射しながら前方と後方に向かって遠ざかっていった。そして、暫くすると静寂と同時に言い知れぬ闇の恐怖が襲ってきた。パニックを起こしそうになり、その闇の恐怖から逃れる為、途切れないように大声を出し続けるしかなかった。


「ねぇーーーーーー!」

「誰かーーーーーー!」

「助けてーーーーーー!」

「ねぇーーーーーー!」


 誰にも声が届かないことは心の中では分かっている。だが音が途切れてしまう恐怖が私に声を出させ続けた。いつの間にか背負っていたリュックを抱きしめるように抱えて子どものように泣き叫んでいた。そして一頻り泣いた後、気が付くと詩を歌っていた。我が家に代々引き継がれてきた伝承の詩を。


 私の旅の目的は世界中の人たちにこの唄を歌い聞かせることだ。親に言われるがままにおとぎ話にしか思えない伝説を後世に伝え続ける。これが私の宿命であり使命なのだ。でもこの行為にどれほどの意味があるのかは正直なところ私にはよくわからなかった。物心ついたころから何度も、何度も聞き続けたこの伝承の詩に登場する場所を巡ることで、この詩と自分の使命の意味を知りたいと思った。 

 自分の宿命は大切で意味のあるものであると信じるだけの証拠を見つけたくて詩に出てくる場所を巡る事にした。しかし、ここまでの旅路では楽しかったものの何一つ真実につながるものは見つけられずにこの坑道に入るに至ったのだ。その結果がこの有様だ。志半ばで命が絶える悔しさに心を燃やすように声が続く限り歌い続けた。何度も何度も歌い続けた私はいつの間にか眠っていた。――


 次に意識が戻った時、私は直ぐに暗闇の中で誰かに手を握られている感覚に気が付いた。誰もいないはずの暗闇の中で手を握られているという異常な状況に、私は何故か一切の恐怖を覚えなかった。それどころか心から安堵していた。その手が余りにも優しく、なぜか懐かしい温かさで私の手を握ってくれていたからだろう。それまでの形容しがたい死に覆いつくされたような不安や恐怖から解放されるように再び泣き叫んだ。もしかしたら、さっきの恐怖に抗っていた時よりも大きな声だったかもしれない。その暖かい手は私が泣き止むまでずっと私の手を握り続けてくれていた。


 気持ちが落ち着いてきてようやくその手の相手と会話を始めた。


「ごめんなさい。ありがとう。こんな暗闇の中で誰かに合えるなんて思わなかった」

 

そう声に出した瞬間に気が付いた。こんな暗闇の中で人間が明かりも灯さずにいるわけがない! と。だが、それに気づいた後も不思議と心に不安を抱くことはなかった。


「……」

 

話すことを躊躇しているのか、それとも言葉が通じないのか。少しの沈黙の後、その手の相手は声を聴かせてくれた。


「大丈夫? 怖かったね。でも安心して。この階層はもう安全だから。ところでどうしてこんなところにいるの?」


 なんと、その手の相手は若い女の声だった。どうしてこんなところにいるのはこちらも聞きたいところだ。


「えっと。旅の途中でね。私のご先祖様がこの鉱山の中で魔物と戦ったっていう伝承の詩があって。それで、その場所が実際はどんなところか見たくて入ったんだけど……明かりがなくなっちゃってどこをどう進んでいるのかもよくわからくなって――」


「そう。やっぱりあの詩は。……それなら私が案内してあげる」


「え? いいの?」


「もちろん。というか、そうしないとここから出られないでしょ?」


 それもそうかと右の頬を人差し指でポリポリと掻いた。


「よ、よろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げた。とはいえこの暗闇では相手には見えていないだろう。


「ふふ。それじゃあ、行きましょう」


 そう言うと、その少女は颯爽と立ち上がった。


「うわ、ちょっ、ちょっと待って! 前が見えないからゆっくり!」


「あ、ごめんね」

 

なんでこの人こんな勢いで動けるの? というかこの女性はどうやってここまで来たの?


「ね、ねぇ。アナタこんな暗闇の中でどうやって私を見つけたの? それになんで道がわかるの? もしかして見えてるの?」


「え? あー……うん。私はこの中でずっと暮らしているから……」


 淡々とそう話す女性はもう片方の手も握ってゆっくりと進み始めた。この体勢は……この人もしかして後ろ向きで歩いてる?


「こ、こんな真っ暗な鉱山の中で? どうやって? それにここが安全ってどういう――」


「……」


 そう言うと彼女は黙ってゆっくりとした歩調で両手を引っ張ってくれた。 色々と聞いてしまったものの、よくよく考えれば彼女の正体や暗闇で動ける理由を知ってしまう事の方が怖かった。


「ま、まぁ細かいことはいっか。それより、名前教えてくれない? 私はリサ。旅の吟遊詩人よ」


「私は……アウラ」


 ゆっくりと両手を引きながら、そう答えてくれた。アウラ……? どこかで聞いたような気がするけど思い出せなかった。


「アウラか。良い名前ね。宜しくね」


「……ありがとう。宜しく」


「アウラはこの暗闇の中でどのくらい見えてるの? 私の顔ってわかる?」


「うん。よく見えてるよ。色の判別まではできないけどね」


「すごーい。私は何も見えないよ。というかアウラと会って安心したらお腹が空いてきちゃった。一旦食事にしない?」


 そう言ってアウラの手をぐっと引いてみた。アウラは少し抵抗する。


「い、いいけど。進み始めたばっかりだし、まだ道は少し長いよ?」

 

 呆れたようにそう言うアウラの腕を強引に引いて横に座らせてみた。


「まぁまぁ。食べたらがんばって進むから。ところでさ、私の鞄にある食糧ってどのくらいあるかな? 何も見えないし、何食べたかわかんないし色々教えて欲しいんだけど」


 そう言って背負っていた鞄を下ろし、アウラに中が見える様に差し出す。


「あ、うん。そうだね。確認しておこうか。今のペースで進むとまだまだ掛かるし」


「そうなの? 結構歩いた気がするけど今どのくらいの場所?」


「水の国までの道なら四分の一くらいかな。あなたは同じところをぐるぐる回っていたから」


 それを聞いて唖然とした。


「え? うそ? いつから?」


「明かりを無くした時からずっとだよ」


「あの時から見てたの!?」


「あ。……えーっと、その――」


 私は暗闇での恐怖を思い出し、その姿を見て見ぬふりをしていたであろうアウラに腹を立てて声を荒げた。


「言ってよ! 私凄く怖かったんだよ!」


「ごめんなさい。……だって、明かりを無くして直ぐに声を掛けたり触ったりしたら驚かせるかなって」


「あ。……」


 恐怖に我を失いそうになっているのをただ黙って見ていたという彼女の言葉に勢い任せに怒鳴ってしまったが、言われればその通りだ。明かりを無くして暗闇に焦っている直後に声を掛けられたり触られたりしたら間違いなくパニックを起こしていただろう。


「その。本当にごめんなさい。一応危なくないように気を付けてはいたんだよ。でも出てくるタイミングが無くて、疲れて眠るまで見ている事しか出来なくて……」


 アウラは申し訳なさそうにそう言った。悪いのは自分の意志でこの坑道に入り、自分のミスで光源を無くした私だ。私にアウラを責める資格なんてこれぽっちもないんだ。


「ううん。こっちこそごめんなさい。何も考えなく責めるように言っちゃって。色々と気を使って見守っててくれたんだね。本当にありがとう」


 助けてもらっているのに責めるように怒鳴ってしまった自分に自己嫌悪した。


「でも、どうしてそんなに親切にしてくれるの? 自分でいうのもあれだけど自業自得だし旅の途中の事故で亡くなるなんて珍しくもないことでしょ?」


 アウラのクスっと噴き出した声が聞こえた。


「ほんとに自分で言うことじゃないね。でも、あなたを助けた一番の理由は好奇心。それと……恩返しかな」


「恩返し? 私、アウラにお礼されるようなことした覚えないよ? 寧ろ私がずっとお世話になりっぱなしだし」


 いくら考えても思い当たらない恩を頭の中で探ってみる。


「歌を聞かせてくれた」


「え?」


「えっとね。ずっと昔の話なんだけど、私はある人たちに命を救われたの。ううん。私だけじゃない。私の仲間たち全員がその人たちに救われた。だから、その恩返し」


 この歌は代々我が家に伝わる歌だ。母だろうか? それとも祖母? いや、祖母にしてはアウラの声は若すぎる。どちらにしてもそのおかげで私は助かったという事なんだろう。


「そうなんだ。アウラの仲間もこの中に居るのね? じゃあこの坑道は本当は安全なんだ。ここに入る前に有毒ガスが立ち込めてるとか、化け物が住んでるとか脅かされたから内心ビクビクしてたんだ」


「……そうなんだ」


 その返事を聞いて私はアウラが心なしか落ち込んだように感じた。


「でも、実際はこんなに優しいアウラたちが住んでて、みんなの安全を見守ってくれていたんだね。今度みんなに教えてあげようっと」


「それはダメ!」


 突然、ずっと物腰の柔らかかったアウラが声を荒らげたことに驚いた。


「え? あ、そっか。うん、そうだよね。いっぱい人が入って来るようになったら迷惑だもんね」


 アウラは我に返ったように再びゆっくりとした口調に戻った。


「あ。うん……そうなの。それにここが危険なのは本当だよ。今通ってる通路は空気は澄んでるけど、この下は何層にもなってる地下迷宮で、今でも下に降りるほど有毒ガスが立ち込めてるの。本当はまだ人が入ってきちゃダメな場所なんだよ」


「そ、そうなんだ?」


 そう言えばこの歌と共に伝わっている話にはこの中はとても広い迷路のような構造になっていると聞かされていた。


「それにね。誰でも助けたりはしないよ。リサだから助けたんだよ」


「え? 私だから? でもでも、私アウラにあったの今回が初めてだよね? ここに来たのも初めてだし――」


 思いもしない言葉に戸惑っている私に対して、アウラは優しい口調でこう言った。


「さっき歌ってくれていた詩ね。私は昔聞いたことがあるの。といっても前半の一部分だけだし、あの時は愛の詩だったから内容もちょっと変わってるようにも思ったけど」


 愛の詩? どういう事だろう。この詩はどちらかと言えば悲しい物語の詩だ。代々変わらずに伝えられてきたと聞いている。真実を伝承していく為に。


「この詩を? でもこの詩って私の先祖が作って我が家で代々受け継がれてきた歌だよ?」


 更に興奮して鼻息を荒くしている私に、アウラは静かにこう言った。


「さっき話した私たちを助けてくれた人達がね。その詩を私に歌って聞かせてくれたの。泣いて悲しんでる私を元気づけるために。だから、その懐かしい詩を歌ってくれたリサだから助けようと思ったの。それに――」


 そう言って私の手をぎゅっと握ってくれた。


「――それに、涙や鼻水垂らしながらあんなに大声で叫び続けられたら助けないわけにいかないでしょ?」


 そう意地悪な口調で言った言葉を聞いて、感動して涙を流しかけていた私の涙腺をぎゅっと締めた。


「うわっ!うわぁー! ちょっと、何言ってんの! やめてよ! 忘れてよ!」


 そう慌てふためく私を見て、アウラはケラケラと笑った。「アハハハ」


「最悪……。見られてるってわかってたらあんな風にならなかったもん!」


「ごめんごめん。でも大丈夫! 私しか見てないから」


「もー……」 何が大丈夫なのかわからなかった。初めてアウラの笑い声を聞いて改めてこの子は優しい普通の女の子だと実感した。話の最中に気になることがいくつもあった気がするが、急に意地悪されて聞きたいことが分からなくなってしまった。


「さて、話を戻そうか。えっと、食料はあと、そうだね。ざっと三日分ってところかな」


 鞄の中身を確認しながらアウラはそう言った。


「うそ!? たったの三日分? 十日分も用意してたのに? 転んだ時に落としたのかな?」


 暗闇で表情は全く分からないが、声の感じで呆れた顔をしているのが分かる。


「え? いや、リサったら手探りでもしっかり食べてたじゃない。覚えてないの?」


「え?」そう言われれば何食べてるかわからなくて色々と口にした記憶がある。そして、その行為を見られていたことにまた恥ずかしさが込み上げてきた。


「もうなんか嫌だ……。恥ずかしくて死にそう……」


 肩をポンポンと叩くとアウラは話を続けた。


「兎に角、暗闇の中で私が後ろ向きにリサの両手を引いて歩いてたら、とてもじゃないけどあと三日じゃ水の国には着かないわ。私も前を向いて普通に歩くからリサは私の手を両手で握ってしっかりついて来てね」


 そう言えば道を熟知している鉱夫が迷わず進んでも、水の国まで通り抜けるのに三日は掛かっていたと酒場のおじさんが言っていたことを思い出した。


「そうなんだ。わかった。できるだけ早く歩くからちゃんと手を握っててね」


「もちろん。それから今回は食事なしで。暗闇での歩行はかなり疲弊するから、疲れたらちゃんと言ってね。あと半日ほど歩いたらその時に食事にしよう。今は少しだけ水を飲んで――」


「えー。水だけ? お腹すいたのにー……」 そう言って見えないアウラの顔があるであろう方向に上目遣いで甘えてみた。


「それは気のせいだよ。だって眠る前もちゃんといっぱい食べてたでしょ?」


 辛辣な返事が返ってきた。


「……はい。すいません」


「さ、両手で私の左手を掴んで。道は割ときれいに整備してあるから段差や石は少ないけど、危ない時はちゃんと言うから。私を信じて」


「うん。アウラの事、信じてるから」


 そう言うと、荷物を背負いなおし、両手でぎゅっとアウラの手を掴んで進み始めた。 アウラの事を信じているというのは本当だが、より正確に言うならアウラしか頼るモノがないのだ。でも、どうしてだろう。出会って間もないはずの彼女に不思議な安心感を抱いている。他に何も信じるものがない状況だからだろうか? いや、それとは別の何かが心の奥底で心を静めている感覚がある。さっきまで完全な暗闇で一歩進むのが怖くて足が重くて仕方なかったのに、今は同じ暗闇の中でも全く不安がなく軽快に足が動く。


 ――それから私たちはずっと話をつづけた。と言ってもほとんど話していたのは私だ。旅の理由、これまでの旅でどんなことがあったのか、何を見てきたのかを話した。母親や祖母、曾祖母の話。代々同じように旅をしながら伝承の詩を各地で歌う習わしであるということや、この詩は私の先祖が一緒に旅をした仲間たちとの旅の詩であるという言い伝えであること。でも正直これが本当にあった物語だとは思えず、私は自分の眼で物語で出てくる場所を巡って旅をしてきたということを話した。アウラは色々な場所での話を楽しそうに聞いてくれた。真っ暗闇でも彼女の相槌はとても楽しそうに感じた。


「ねぇ? アウラはここから出たことはないの?」 ふと疑問に思った私は尋ねてみた。


「うん。生まれてからずっとここから出てないよ」 さも当たり前のようにアウラは言った。


「そうなんだ…… ねぇアウラ。私と一緒に行かない? 水の国に。ううん、世界中を見に。見てみたいんでしょ?」


「……そうだね。見てみたいよ。でも、行けない。私は、私はここから出られないの」


「え? 出られないってどういう意味?」


 先ほどまでとは打って変わり、重苦しい空気が流れた。


「私はね。この洞窟に立ち込める瘴気がない場所では生きていけないの。もちろん大量に吸い込めば私にとっても毒だし、吸い続ければ生命に係ることもあるけど、そんなに濃い瘴気は九階層下まで降りないと出てないし、普段私は七階層までしか降りないから」


「え?ここってそんなに深いの?」


「今いるこの階層の上に六階層、地下はさらに深くて実際はどこまであるのか私も分からないの。瘴気の噴き出し口は地下十三階層にあるからそれより深い階層は無いのかもしれない。とは言っても、この階層から上下の階層へは普通は出入りできないように封鎖されていてこの階層だけは間違えて人間が迷い込んでも安全なようにきれいに整備してあるんだ」


 アウラは気付いていないようだが私は聞き逃さなかった。”人間が”と彼女は言ったのだ。つまり、自分は人間ではないと。当然と言えば当然だし出会った瞬間、この人は人間ではないと感じた。こんな暗闇の中で平然と生活し動き回れる人間なんているわけがない。仮に人間であったのだったとしても、今は別の何かに成ってしまっているということだ。


「……リサ。ごめんなさい。実は私は嘘をついた」


 急にそう告白されて呆気にとられた。真っ暗闇の中で唯一信二らているアウラからの嘘というその言葉は、私の心に再び不安と闇の恐怖心が蘇らせた。


「え? ど、どうしたのいきなり?」 急激に心臓の鼓動が早くなる。


「さっき、リサだから助けたって言ったのは半分嘘なの。そもそもこの坑道は迷い込んでもできるだけ直ぐに元の国に出て行くようにほとんど一本道になっていて私が誘導しない限り水の国には通り抜けできないの。通り抜けできる道は不自然じゃないように封鎖してるから」


「え? は?」 予想していたものとは全く違う方角からの告白に戸惑う。もしかしたら、彼女は私の事をここに閉じ込めるつもりなんじゃないかという不安が脳裏を過っていた。しかし、その心配とは裏腹の優しい口調でアウラは話をつづけた。


「本来なら半日ほど歩けば再び金の国に戻れるはずのこの坑道の中で明かりを無くして泣きだした人は初めてで、どうしようか迷ってる時にリサが歌った詩……あれを聞いて、どうしてもあなたと話してみたくなったの。昔、私を助けてくれたあの人が歌ってくれた詩を歌うアナタを」


 また恥ずかしいことを思い出させられ恐怖やら恥ずかしさやらでグチャクグチャになりかけた心を無理やり鎮めた。冷静にアウラの言葉の意味を考えてみる。昔アウラを助けた人というのはおそらく母だろう。でも、だとすると、少なくとも二十年以上前ということになる。母は私を産んでから一度もあの村を出る事は無かったはずだ。でもアウラは声で判断すると私よりも若く感じる。


「あの時はまだ旅の途中でここまでの旅の詩しかできていないって言っていたけど、最後まで旅を続けて完成させたんだね。そして、今までずっと受け継がれてきたんだ」


 アウラの言葉が理解できなかった。彼女は何を言っているんだろう? 完成させた? この詩は五百年以上前にご先祖様が作った詩だ――その瞬間、唐突に彼女の正体を理解したような気がした。


「あの時の私は幼くて、さっきのリサのように恐怖と悲しみに泣きじゃくっていた。そんな時シグは私をずっと背中に負ぶって赤ちゃんのようにあやしてくれた。その横でルーンは作りかけのその詩を子守歌のようにずっと聞かせてくれていたの。そして、ヒルドは……」


 ――やっぱりそうだ。アウラという名前。物語の中に登場するコボルトの少女の名前だ。つまり、彼女はコボルトでこの場所で五百以上生きているということになる。


「そんな、本当にいるわけ……いえ、仮にいたとしても本人のわけない! 五百年以上前の話でしょ?」


 ずっと我が家に受け継がれてきたこの物語を私は心の中で絵空事だと思っていた。だからその真実が知りたくてこの旅に出た。心の動揺が最高潮に達する中、アウラは話をつづけた。


「ホントはね、もうとっくに出口についてるの。でも、リサの話が楽しくて……あなたから感じる彼らの気配が、その詩がとても懐かしくて……本当にごめんなさい……」 そう申し訳なさそうに謝るアウラに疑問をぶつけてみた。


「アウラはあの伝承に出てくるコボルトのアウラなの? 皆を守るために犠牲になったっていう――」


 少しの沈黙の後アウラは私の問いかけに応え始めた。


「ちょっと違うかな? というかやっぱりアル様は最後まで何も言わなかったのね。アル様らしい……私はね。本当はコボルトじゃないの。コボルトたちに育てられた金の精霊オーラム。それに私は皆を守るために犠牲になったんじゃないの。忘れていた自分の役目を果たしただけ」


「金の精霊? 自分の役目?」 私はアウラの話す言葉の意味がサッパリ理解できなかった。


「……私はあの時、アル様の話を聞いて自分がコボルトじゃないことを知った。そして、自分の役目を。アル様に力を頂いて、本来の役目を思い出し、大好きなみんなを助けるために一人であの場所に残った。でも幼かった私は旅の道中ずっと優しくしてくれたシグやルーンと離れるのが辛かった。だから、アル様は私に一つだけ特別な許可を与えてくれたの。いつか、この地が浄化され人間が立ち入れるようになったらもう一度会わせると。でも、人間の寿命はせいぜい百年。この地の浄化に五百年掛かっちゃった……アル様は私を説得するために嘘をついたんだと諦めてたけど、あなたが来てくれた。アル様はちゃんと約束を叶えてくれた――」


 それから長い時間溜まりにたまった鬱憤を晴らすかのように当時のことを色々話てくれた。まるで昨日の事であるように彩り豊かな思い出話を。


「――でも、じゃあそれからずっと一人でここに暮らしているの?」


「ううん。一人じゃないよ。アル様は私の力を開放するとともにコボルトたちに課せられていた使命、いいえ、呪いといった方が正しいのかな。その役目から解放してくれた。でも、みんなは私が寂しくないように、浄化されたこの坑道の上に残ってくれた。精霊となった私は彼らと直接話すことはできないんだけど、みんなはまるで私がそこにいるのがわかるかのように話しかけてくれる。そして、彼らは今に至るまで坑道とその上の土地を開拓して得意の金属加工を生業にして人間と交流しながら暮らしてるの。とはいえ、彼らの寿命も人間とほぼ同じくらい。知ってる人はみんな死んでしまった。……それでもね、直接私のことを知ってる人が一人もいなくなった今でもその子どもたちが私に毎日話しかけてくれるの。だから私は一人ぼっちじゃないよ」


 嬉々として話すアウラの声は本当に幸せに満ちているように感じた。彼女もまた、過酷な運命を背負わされた英雄の一人だったのだ。伝承にはない別の視点で語られたもう一つの英雄の物語を英雄の子孫である私は聞くことができたのだ。


「私、この坑道に入って、偶然だけど明かりを失って良かった。アウラに出会えて本当に良かった」


「うん。でも、もしかしたら偶然じゃないかもね」


「え?」


「三人の血が流れてるリサがこの坑道に来たことも、明かりを失ったこともアル様が仕組んだ運命だったのかも――」


 三人? はて? 私にはルーンの血しか流れていないはずだ。


「三人ってどういう意味? 私の先祖は間違いなくルーンよ。だけど、シグルズやヒルドがその後どうなったのかは何も言い伝えにないけど?」


 その問いに一瞬戸惑ったように感じたがアウラはまっすぐに答えた。


「あなたの先祖であるルーンはここにいる時すでにシグの子を身籠っていたわ。私たち精霊には命の輝きが見えるの。あの時はルーン自身もまだ気づいてなかったようだったけど別れる前にはすでにルーンのお腹の中にはシグと同じ魂の輝きがあったもの」


「え? えーーーーーー!? うそ!? だってシグルズは旅の後、行方をくらませたって――」


 もしかしたら、この鉱山に入って一番驚いたかもしれない。


「え? そうなの? ヒルドはこの鉱山で離脱して一人で故郷に帰ったわ。その後シグはルーンと結ばれると思っていたけど……。あ、もしかしたら、シグとは旅を終えた後、村に戻ってヒルドと結ばれたのかな? それで二人にも子どもが生まれてその子孫とルーンの子孫が結婚したんじゃないかしら? リサってリボア村出身なんでしょ? それってシグ達の故郷のはずだし。あ、でも、シグの性格上自分が英雄だって吹聴してそうなもんだし、英雄としての言い伝えが何も残ってないのはちょっと疑問が残るけど――」


 とんでもない衝撃の事実を井戸端会議をしているおばさんの噂話の様にさらっと言い放ち、先祖の記憶に思いを馳せていた私を強引に現実に引き戻したアウラに冷ややかな目を送りながら心の中で『さっきまでの奇跡の感動を返せ!』と叫んだ。


「ともかく、三人の魂とその詩。そしてその竪琴を受け継いだリサがここに訪れた。それって、偶然にしては出来過ぎじゃない? 仕組まれた運命って考えた方がよっぽどしっくりくるわ」


「……そうですね……」 動揺を隠せない私は思わず敬語で答えた。


「あなたの受け継いだ詩は――少なくともこの坑道で起こった内容は間違いなく真実よ。他の旅の内容もきっと。でも、それはあくまでルーンが仲間に聞いて、実際に見て、感じた旅の詩。その中には私の様に知られざる真実もあるはず。今となってはそれを確認する術はないけど、それでも、リサにはその詩とその魂をこの先もずっと途絶えさせないで欲しい。この世界の平和はアル様とエイル様の犠牲の上に成り立っているという真実を。そうすればきっとアル様のエイル様の心は救われる。今の私のように――」


 私の動揺をさて置き、真面目な口調で話すアウラの言葉は心が締め付けた。そして、この坑道に入ったことを、明かりを失い彷徨ったことを心から感謝した。


「長い間、私のわがままにつき合わせてごめんなさい。リサと話せて、もう一度彼らに出会えて本当にうれしかった」


 アウラが両手を掴んで私に感謝の言葉を送った。暗闇でも彼女が泣いていることがわかった。


「私こそ。本当にありがとう。絶望の中でたくさんのことを教えてくれて。たとえ安全な場所だったとしてもアウラがいなかったら暗闇の恐怖であのまま死んでいたかもしれない」


 私は今まで以上に強く強くアウラの手を握って感謝を伝えた。


「うん。私こそ歌を聞かせてくれてありがとう。その後の彼らの事も知ることができた。どうか彼らの旅を、今の平和があるその理由を多くの人たちに長く語り継いでください。それが彼らに救われた金の精霊アウラの願いです」


「はい。アウラ様」 暗闇の中で精霊アウラに膝を折ってお辞儀をした。


「「ふふふ。」」


  畏まった挨拶に二人で噴き出した。その時、小さな光が目に映った。


「光だ! 出口についたんだー!」


「うん。そして、これでお別れです。……精霊である私が人間の前に姿を現れることはもう無いでしょう。でも、いつかリサの子どもたちがここに訪れることを願ってます。それを楽しみにしています」


「必ず。子どもをいっぱい産んでその子たちにこの魂と詩、そしてここに訪れることを運命として受け継いでいく。絶対に! 約束するから」


 日数にして数日の話だったんだろう。でも、私はアウラと魂で強く強く結ばれた気がした。それこそ五百年分の時間を共有したのだから。


「じゃあ私はここまで。ここを出て丘を登ればすぐに世界樹が見えるよ」


「……うん。本当にありがとう。アウラの事絶対に忘れないから」


「うん。私も絶対に忘れないよ」


 握り続けていた手を最後に一度強く握りしめ、ゆっくりと手を離した。その瞬間アウラの気配はなくなった。


「ア……」


 名前を呼ぼうと思ったが、止めた。そして、一人で光の方へ歩みだした。洞窟の出口付近まで行くと凄まじい光が目に飛び込んできた。まぶしすぎて目を開けていられない。慣れるまで暫くその場に留まり、ゆっくりと洞窟を後にした。そこには信じなれないほど美しく、暖かい光が世界を照らしていた。私は、この坑道の中で本当に多くのことを学んだ。自分の受け継いだ魂の事を、疑い続けていた伝承が真実であった事を。そして、暗闇の絶望と光の暖かさを。


 出口を出て、目の前にある丘を登り始めた、そして、暫く歩いたあと、もう一度だけ先ほど出てきた坑道の出口を振り返ってみた。そこには、金色に光輝く美しい少女が立っていた。大きく手を振るとその少女も手を振り煙のように姿を消した。一瞬幻だったのかと思ったが、手に残る痛みに近い感触ははっきりと残っていた。再び振り返って丘を登った。そして、山頂に着くと目の前に目の動きだけでは全貌を確認できないほど巨大な大樹の姿が飛び込んできた。大樹の名は世界樹ユグドラシル。天辺は全く見えない。至る所に五色のオーブが浮遊し、この国の豊かさを彩っている。ユグドラシルの根元には広大な草原が広がり美しい湖が見える。あれが、アルが作ったと言われるミーミルの泉だろうか? 大樹の麓には町も見える。あそこまでは今日中にはたどり着けない。再び見回すと丘の下に小さな集落が見えた。その近くの広場では子どもたちが遊んでいる姿が見えた。まずは、あそこに向かおう。目的地を定めたところで大きく息を吸い力いっぱい叫んだ。


「アナタ、光れたのかーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 アウラがついた最大の嘘に全力で突っ込みを入れ、ふぅっと呼吸を整えてから丘を下った。


 集落にたどり着いた私は、真っ先に宿を探し、出された食事をとにかく貪り食った。食事とはこれほど幸福を得られる行為だったのかと全身が喜び震えるのがわかった。苦しくなるほどの食事を取り終わると、長らく坑道で過ごしたみすぼらしい身なりを整える為、銭湯に向かった。お湯に漬かり浮力に身を委ねた瞬間、これまでの人生で最大の快感が全身を包み込んだ。これほど気持ちのいい行為がこの世にあったんだー、と目を瞑ったその瞬間、強烈な睡魔が襲い掛かってきた。このまま意識を失うと本気でヤバい。重い身体を無理やり湯船から引き摺り出し、そそくさと銭湯を後にして宿の部屋まで重い身体を引きずるようにして駆け込んだ。取る物も取り敢えず久々の布団に飛び込み、その柔らかな感触に包まれた刹那、気を失うように眠りに落ちた――


 次に意識が戻ったのは翌日の昼過ぎだった。裕に半日以上眠っていたようだ。部屋を出て一階に降りた時、女将が話しかけてきた。


「ずいぶん遅かったねー。昨日あまりにもおいしそうにご飯食べてたから朝食も張り切って用意してたんだけど全然降りてこなかったから、部屋まで覗きに行ったんだよ。昨日返ってきたときもフラフラしてたしもしかして何かあったんじゃないかと思ってね。そしたらアンタ。フフフ、ベッドから上半身だけ落ちて床に突き刺さったままイビキ掻いて寝てるもんだからおかしくって。頭大丈夫かい?」


 早口でケラケラと笑いながら人の恥ずかしいことを話す女将さんを見つめながら、この数日でずいぶん自分の知られざる生態で恥をかいたもんだと、恥ずかしいを通り越して笑いが込み上げてきた。


「疲れていたもので、ご心配をおかけしました」と作り笑いを浮かべ心にもないお礼を口にした。


「ご飯食べるかい? 残してあるよ」


 女将さんはそう言うと返事も聞かずに厨房に入っていった。


「はぁ……」とっくにいなくなった女将さんへの返事とため息が混じった言葉が口からこぼれだしていた。その後、女将さんが温めなおしてくれた食事を頂くと普通の味がした。昨日とは全く違うリアクションの私を見て女将はキョトンとしていた。

 食事を済ますと礼を言い宿を後にして、昨日丘の上から見えた子ども達が遊んでいた広場を目指した。町はずれの草原では子供たちが昨日と同じように遊んでいた。辺りをキョロキョロと見まわしていると木の根の瘤がちょうどいい具合に張り出していた。近くには木がない。おそらくユグドラシルの根だろう。幹からはずいぶん遠い場所だがこんなところまで根を生やしているのだ。その瘤をそっと撫で「失礼します」と声をかけその瘤に腰を下ろし、リュックから自慢の竪琴を取り出した。

 ルーンの竪琴と名付けられたこの楽器はその名の通りルーンが使っていたと言い伝えられている。言い伝えによれば世界樹の種を加工して作ったものらしく真っ二つに割られた種の中の実をくりぬいて空洞になった皮の部分に、丸い穴が空けられた平らな響板が貼ってある。実の左右からは上部に向かって二本の腕が角の様に伸びていて、この両腕は外側に向かって左右対称に弓の様に撓って中央に戻って伸びている。二本の腕の上端を繋いだ横木から木の種の下部に付けられた横木に向かって七本の弦が張られていて、各部には細かい細工が施され職人の腕が光る逸品だ。

 この楽器について伝わっている逸話はどれも胡散臭い。例えば、旅の仲間の竜が世界樹の実を原材料として加工した作った物だとか。それを竜から受け取ったのが目の前に見える世界樹が生まれる前だとされている。じゃあどこの世界樹だよっていうツッコミも込みで代々、面白おかしく伝わってきたらしい。ただ、不思議なことにこのルーンの竪琴はこれまで一度も壊れたことがないと言われるほど丈夫で、しかも、びっくりするほど軽い。私自身も三歳の頃にはこれをおもちゃ代わりに乱暴に扱ってきたがこれまで一度も壊れず、それどころか弦すら切れたことがないのだ。その不思議さも相まって逆にもしかしたら本物の世界樹なんじゃないかという討論がどの代でも行われてきたという。


「でもまさか、アルが作った竪琴だったとはね……」


 炭鉱でアウラから聞いた話の中にこの竪琴の話も出てきた。アウラの正体をアルから打ち明けられた時、片手間でこれを作っていたらしい。アウラ自身もその時は聞かされた話の内容が衝撃的で、竪琴の事は特に気にも留めていなかったらしいが、私の竪琴を見て思い出したようだ。


「なんか結構たくさん伝説級の話を聞かされたけどよくよく考えてみれば聞きそびれた話がいっぱいあるわ」


 アウラの一方的な思い出話に気圧され付け入る隙も無かった。伝承や思い出の感傷に浸りながら相棒のルーンの竪琴を優しく撫で、辺りに目を移す。子ども達はコソコソと耳打ちしながら竪琴を撫でている私を不思議そうな顔で見ている。警戒心は持たれてしまったが注目されているのはちょうどいい。真実を知った今の私ならこれまでより遥かに良い詩を歌えるはずだ。木の根の瘤に片足で胡坐を掻く様に座り、足の間に竪琴を挟むように置き、左手で竪琴の腕を支え右手で弦をかき鳴らした。


~♪ ~♪ ~♪


 子ども達は何事だと目を輝かせて近づいてきてくれた。伝説に触れ、真実を目の当たりにした私はかつてないほど深く思いを馳せて代々受け継がれてきた伝承の詩を歌い始める。


~♪ それは済世の物語 無情な竜が暗い闇を照らす旅

    自惚れた戦士は聖女と共に 穢れた地を浄める旅に出る

    比類なき若き騎士に敗れ 失意の戦士は飛躍を誓う

    死にゆく白き森の奥で 戦士は聖なる木の剣を掲げる


 ふと子どもたちの方に目を移す。みんな揃いもそろって難しい言い回しの詩に意味が分からず頭の上に疑問符を浮かべていた。当然だ。歌っている私でさえ全ての言葉の意味を理解しきれていない。私は趣向を変え、曲調を変えて昔話をすることにした。


~♪ 純白の光は世界の醜さを照らし 漆黒の闇は世界の美しさを曝く

   英雄の名はシグルズ 聖女と竜がくれた希望と感嘆の歌

   これは遠い昔の真実のお話。 英雄たちが世界を救う物語。

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聖女と竜がくれたもの~The Saint and the Dragon's Gift Saga~ @Tsu-tone

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