解毒

 気づけば感動の学級の時間とやらは終わっていたようで、教室にはまたガヤガヤが転がっていた。

 群れてお菓子を分け合ったり写真を撮ったりするクラスメイト達。若いな。遠目に見ているとなんだか自分だけ歳をとったような感覚に陥る。


 もうこのクラスの誰とも仲良くなれないって決めつけていたけれど、私はちっともみんなと仲良くなろうとしていなかった。自分から話しかけたりすればよかった。私をかわいそうだと思っていたのは私自身だった。

 友達っていうのは常に一緒にいることで自分が一人じゃないことを確かめるための安定剤なんかじゃない。友達に必要とされたいとかそんなことどうだっていい。ただ同じ時間を笑い合うっていう、それだけでよかった。それをきちんとわかっていれば、この人たちとも友達になれていたかもしれない。

 リマ達とだってそうだ。私はずっと話しかけてもらえるのを待っていたけれど、話したいなら勝手にひがんでいないで自分から動くべきだったんだ。

 とか思いながらカバンを肩にかけて一人教室を出る。




 学校近くの花屋さんでガーベラを買い、店を出た。もうここに来ることもないだろう。


 いつもと同じように手には買ったばかりのガーベラ。

 いつもと違うのは隣に依那いなちゃんがいないってことだけ。



 家までの道のりには様々な人が行き交っている。

 仲の良さそうな高校生たちが楽しそうに笑い合いながら私を抜かしていった。

 小学生くらいの子が母親と手を繋いで歩いている。



 無意識に制服の内側からスマホを取り出す。もちろん開くのはあのスクショ。


『もしかしたら大変なこととかたくさんあるのかもしれないけど、ずっと応援しています。あなたならきっと乗り切れるよ』


 なぜだか今までこの部分はあまり見ていなかった。でも今は、あのDMの中でこの部分が一番嬉しいような気がする。ここに依那ちゃんの優しさが、本心が、全部詰まっているんだって今なら思える。

 思わず頬が緩む。依那ちゃんもどこかでえくぼを零してくれていたらいいな。




 スマホをしまってあたりを見渡す。


 ごおー、という音が上から響いて見上げてみると、たくさんの格子に囲まれた建物で外壁塗装の人たちがうごめいていた。空まで届きそうな高く澄んだ足場に乗った業者の人が、大胆に壁の色を塗り替えている。



 視線をぐぅっと下げて手元のガーベラを見つめる。まとわりついた漏斗ろうと形の保護用ビニールをぐしゃりと外す。

 つややかな花びらの表面は春の光を浴びて白く輝いている。無垢だ。


 ぶちり。

 衝動的だった。

 私はまっさらな花びらをむしっていた。


 ガーベラを構成する一員という肩書きを失った花びらは、はらはらと地面に落ちていった。


 ぶち、ぶちり。

 次々殺していく。

 ひらひら落ちていく。



「さこな! ふぅ〜追いついた」


 隣に息を切らしたリマがいた。


「あ、リマ」

「一緒に帰ろ!」

「うん、いいよ」

リマは嬉しそうにふっと笑った。


「こうやって一緒に帰るの久々だね」

「そーだね」


 リマが恐ろしいくらいにっこりしているのがわかる。

 リマといるとなんだか悪い意味で胸がざわざわするけれど、もうどうでもいい。好きにしろ、と思いながら私はガーベラをちぎり続ける。


「クラス替えかぁ。また同じクラスになれたらいいね」

「そーだね」

そう言うリマの声は気持ち悪いくらいにうわずっている。また私と同じクラスになると確信しているような言い方だ。

 私はリマとは違うクラスになる気がする。いつまでも何かにこだわっているリマとも、あのイガイガを思い起こさせるメグミやキョウとも、今のクラスの他の人たちとも違うクラスになって、新しい環境の中で新しい私に生まれ変わりたい。もう後ろは振り向かない。今度こそうまくやれるはずだ。



「ね、ボカランド本当に行かないの? クラス替えでばらばらになっちゃう前にやっぱり四人で行きたくない?」

リマは探るような目で私を覗きこむ。


 この子は救われないな、と思う。

 リマはメグミとキョウと私と四人でいた頃が一番楽しかったんだと思う。だからきっと、あの頃に戻りたくて仕方がなくてこんなことし続けているんだろうな。そうやって囚われているリマは偶像にすがっていた頃の私とよく似ている。


「そーだね。行こっかな。春休み暇だし」


 手元で最後の一枚を引き抜きながら言ってみた。


「ほんと?」


 ひらひら落ちていく。


「うん」


 余計なものを全て捨て去ったガーベラは新たな顔を映し出してくれた。今まで出会ったどの花よりも誇り高く見える。


 ようやく隣のリマを見上げた私はあっと声をあげそうになった。

 吸い込まれそうな瞳に、取り憑かれたような泡が漂っている。

 にっこり笑った笑顔はそう、ガーベラの笑顔だった。


「やったぁ! 約束ね」


 リマの頭の上で、トレードマークのハート形のピンがキラリと揺らめいた。




 ♥♥♥♥♥♥




 三年生になったらまずは隣の席の子に話しかけてみよう。とりあえず愛想良く名乗ってから相手の名前を聞く。初日はこれだけで大丈夫だ。

 新しい日々のことを考えるとなぜだか心が躍る。中学のときも高校に入ってからもだめだったけど、次こそはうまくいく気がする。


 日が長くなってきた。家の窓から差し込んだ色たちが西日となって部屋を照らす。


 私はカバンをひっくり返しながら父の帰りを待つ。

 今日は高校を卒業した後のことをきちんと話そうと思う。私の迷いも決断も、きちんと伝えなきゃ伝わらない。父には父なりの考えがあるかもしれないし、母とも会って話す必要があると思う。



 お店にあった時とは豹変ひょうへんしたガーベラを手に取りキッチンのシンクに向かう。


 私はこれまでと同じように根元の包みを剥がし、茎の先端を水切りし、水を張った花瓶にぽちゃんと生けた。そのままダイニングテーブルの真ん中に持っていく。


 テーブル横のソファで肘をついて眺める。花びらがないとかえってみずみずしく見える。

 うん、いい。今までで一番きれい。


 これは依那ちゃんに手向たむけるためのガーベラ。

 私の中で死んでいった依那ちゃんをとむらうためのガーベラ。


 理想の依那ちゃんの象徴だったガーベラは、依那ちゃんと何度も買いに行ったガーベラは、リマの表情に浮かんで見えたガーベラは、私を惑わす幻影だった。でもそれだけじゃない、私がずっと守り続けてきた「ガーベラ」は、私を新しい希望へ導いてくれる道しるべでもあった。




 スマホを取り出しあのスクショを開く。


 依那ちゃんは今頃どうしているのかな。かっこいい服をそろえて、ピンク色の髪も真っ黒に染めて、俺さァなんて言って、それでも時々配信をしていた頃のことを思い出して懐かしんでいるのかな。



 ぶー。

 スマホが静かに音を立てて、依那ちゃんのスクショの画面に新規メッセージという通知が重なる。

 きっとリマからだ。ボカランドに遊びに行く日程を決めよう、とかそんな話だろう。


 また四人で集まって遊ぶ、か。なんだかむず痒いような違和感が残る。

 けれどこれはけじめなんだろうな。四人で集まる最後の日に、私たちはもう一度生まれ変わる。そうしないと花びらをきちんと落とせない気がするから。



 依那ちゃんは変わってしまった。人の気持ちは、関係性は、流動体だ。かわいくて大好きだった依那ちゃんはもうどこにもいない。それでも依那ちゃんに救われた日々がここから消えることはない。

 リマ達との関係性も変わってしまった。もう前みたいに四人で笑い合うことはできないし、また前みたいに仲良くしたいとも思わない。それでも四人で作り上げた楽しかった思い出が消えることは決してない。


 さっきの囚われたようなリマの表情がこびりついて頭から離れない。

 依那ちゃんをここに飼い慣らすことは、今まで依那ちゃんを大切におもってきた気持ちへの冒瀆ぼうとくだったんだ。ねぇリマ、リマがやっているのはそれと同じことなんだよ。今まであたためてきた過去をそうやって壊しちゃいけないんだ。寂しさに甘えていないできちんと向き合わなくちゃ。


 私は依那ちゃんが配信をしていたあの頃の思い出から離れられなかったし、リマも四人で過ごした時間から抜け出せていない。でも、現実から目を逸らしていつまでも昔の思い出に囚われてちゃいけない。今の私たちにできることは、ときどき過去を取り出しながら未来に手を伸ばすことだけなんだ。


 私たちが四人で無邪気に笑い合っていた頃は過去でしかなくて、もう前みたいな関係に戻ることはできないけれど、それを過去のまま愛でられたらいいねってこと、リマも気づいてくれたらいいな。




 リマからの通知、依那ちゃんからのメッセージ、交互に見つめる。

 


 依那ちゃん、応援してるって言ってくれて嬉しかったよ。

 私は大丈夫だよ。もう一人だなんて思ってないから。私も約束どおり、私に夢をくれた、自分にまっすぐ向き合う姿を見せてくれた、そんなあなたのことをずっと応援しています。


 そう祈りながら、私はスクショの画面をそっと閉じた。

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ガーベラの笑顔 結城 絵奈 @0214Lollipop

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