TRUTH
「は? 何言って……」
すぐに隣を見たけれど、さっきまでいたはずの
嘘、嘘、こんなの嘘だ。
集中して。目を閉じて耳を澄ませば、すぐにあの凛とした声が響くはずだ。そうしたら輪郭がはっきりしてきて、色も鮮やかに見えるはず。最近は手を伸ばせば触った感触もつかめるようになったんだから。
ほら、あの明るい色の髪が目の前でちかちか揺れて……。
「さこな……」
リマが視界を邪魔した。底辺レベルの同情と侮蔑と激情が入り混じったような雨の日の瞳で私を捉えている。
その悪魔的な視線から逃げられなくて、もうこれ以上事実から逃れることはできないんだって気づく。
朝も、休み時間も、移動教室も、お昼も、帰りも、ずっとずっと依那ちゃんと一緒だと思ってたのに。
ずっと、ひとりじゃないって信じてたのに。
本当はずっと独りだった。依那ちゃんなんているわけないってわかってた。
そう思ったら突然音がぶわっと耳に流れ込んできた。
このクラスで過ごす最後の日ということで、全員が教卓の前に集まってわいわい騒いでいる。
カラフルなチョークで黒板を彩るクラスメイト達、持ち寄ったお菓子を教卓に並べるクラスメイト達、普段は特に仲が良いわけでもないクラスメイト達と楽しげに談笑するクラスメイト達。
メグミもキョウもクラスの輪に交じって豪快な笑い声をあげている。
自分の席に座っているのは私ひとりだけだった。
窓の一角だけカーテンが閉められているせいで、私の席だけ影になっている。
私の席だけ、文明の行き交う大陸から目を背けて広い海に沈みかけた孤島みたい。
でも、大陸はもうぱんぱんだ、私の入る隙間なんかない。
担任の先生がガラガラと教室に入ってきて、寄せ書きであふれた黒板や教卓に鎮座したお菓子タワーを見て目を丸くした。それから周りにいたクラスメイト達みんなと幸せそうに笑い合った。
窓から差し込んだ春の日差しが、見守るようにみんなを照らす。
担任は少し名残惜しそうに、クラスの皆に席につくよう指示する。
喧騒はばらばらと散ってそれぞれの場所に収まる。
隣の席の子が哀れみとも貶しともとれる表情で私をちらっと見てから座る。
担任がすうっと息を吸って、最後の学級だのなんだのと語り始める。
私はいつものように空間から自分だけを切り離していく。視界が歪む。声が、教室が、ぼんやり霞んでいく。
孤島はついに沈みきった。私は為されるがまま、追憶の海に身を委ねる。
♡♡♡♥︎♥︎♥︎
私が最初に出会ったのは、依那ちゃんがガーベラの話をしている動画だった。
『やっほー。依那ちゃんねるへようこそ! 今日はね〜、お花について話そうかなって思います!』
画面いっぱいにピンク色の花が映る。
『見てこれ! 知り合いに偶然もらっちゃったんだ。かわいいよね〜! ガーベラっていう花なんだって。僕の髪と同じ桃色だし、親近感湧くっていうかさ〜。お花がある生活ってなんかいいなぁって思ったんだよね!』
その瞬間、私は依那ちゃんに釘付けになった。
純粋で優しい人柄が滲み出たその声を聞いていると、今までため込んでいた真っ黒な結晶が溶けていくような気がしたから。
その日から、私の中で依那ちゃんはガーベラのイメージになった。
依那ちゃんはすごく有名ってわけじゃなかったけどたくさん動画を出していた。
ときどき歌ってみたを出したりしていたけれど、ほとんどの動画は雑談や視聴者の質問に答える企画だった。そのせいか、本当に依那ちゃんという人がここにいて一緒に会話しているような感覚を味わえた。画面という壁を感じさせない配信がすごく心地よかった。
『おっはよー! 昨日徹夜しちゃったから眠い〜。みんなは朝に強い方? 僕は昼夜逆転しがちだからな〜……』
『次の質問は〜……「お金と愛、依那ちゃんはどっちが大事だと思いますか」……うーん、お金かな。お金は裏切らないからね〜。ここで「愛だ!」とか言える人は相当余裕があるんだと思うよ?』
『僕ね……たまーに、なんで生まれてきたんだろって思うんだよね。僕じゃなくてもよかったのにって。でも、応援してくれてるみんなのためにここにいるんだって考えたら、なんだか元気出てきちゃう! ……みんな、大好きだよー! えへへっ』
思い切って依那ちゃんにDMでメッセージを送ったことがある。
ペンネームは適当に「さっちゃん」にした。
読んでくれたらいいな、私の気持ちが届いたらいいなって祈ってたから、依那ちゃんから返信が届いたときは腰が抜けるかと思った。
『さっちゃん様
DMありがとう!
応援してるよって言ってくれて僕すっごく嬉しかった!
これからも僕のこと見ていてくれたら嬉しいな。
期待に応えられるように精一杯がんばるね。
さっちゃん様にも、もしかしたら大変なこととかたくさんあるのかもしれないけど、ずっと応援しています。あなたならきっと乗り切れるよ。
僕もさっちゃんのこと大好きだよ!』
そんなこと、そんなこと言われたら好きになっちゃう。
ばくばくに心臓が
好きが液状化していく。
その画面はスクショして、それ以来何度も何度も眺め続けてる。
昔からずっとそうだった。家にいても満たされないし、学校では友達のグループの中でいつもそういう立ち位置だった。私はいてもいなくてもいい子。グループに必要ない存在。メグミ達だって今までの友達と何ら変わりはない、これまでと同じように私が我慢すればいい話。
誰も私のこころを埋めてくれなかった。
誰もこころを私で埋めてくれなかった。
そんな私の孤独を埋めてくれたのは、依那ちゃんだけだったから。
依那ちゃんを見ているときだけは何も考えないでいられた。
空っぽの家が夢で埋めつくされていく。
友達といても楽しくないとかそんなのわがままだよねって流して、依那ちゃんのことだけで頭をいっぱいにして、見たくないものは見なきゃいいんだって気づいた。
なのに。
『おはよー! 今日はね〜、この間みんながおすすめしてくれたショップについて話すよー! 実際に行ってみたんだけど……かわいいものたっくさん置いてあってテンション上がった〜! こういうの見たときって、やっぱりこれが僕らしさなんだなって感じるんだ! ……みんなもこれが 「依那」だって思うよね?』
『やっほー。みんな、久しぶり……。最近ちょっと投稿頻度下がっちゃってる……よね……。もっとこれから頑張るから。心配かけてごめんね……?』
『おはよー。ふぁあ、眠い……。先月なにも投稿できなかった……。ちょっと体調がね。ううん、大したことないから大丈夫。それに、頑張れない僕なんて僕じゃないって思ってる。もう大丈夫だから、今度こそみんなに楽しんでもらえるように頑張るね!』
依那ちゃんはだんだん壊れていって、見ていられないくらいにばらばらになっていった。
そしてあの冬の日。
久々に新規投稿のお知らせが来て、嬉しさ半分心配半分といった気持ちで依那ちゃんの動画一覧ページを訪れた。
新しくアップされた動画は今までと違って画面が真っ黒だった。
私はあの日、固唾を飲んでそれを再生した。
『今日はね、みんなに大事な話があるんだ……』
次に私の頭を駆けめぐったのは、依那ちゃんが活動を無期限で休止するという電撃だった。
『これ言うのものすごく悩んだんだけど、やっぱりみんなには知っておいてほしいなって思ったから……最後まで聞いてくれると嬉しいな……』
『僕……俺ね、昔からよく体が細いとか言われてて、それがずっとコンプレックスだった。背が高い人とか声が低い人に憧れてたなぁ〜……。ほら俺、他の人よりも声が高くて、身長も低かったからさ。けっこう周りからいじられたりしてたんだよね。依那はかわいいんだからそんなこと言わないで〜とか、まぁ依那だからいいか、とか……しょっちゅう言われてた。みんなそうやって俺を見下して、俺をこうじゃなきゃいけないって枠に押し込めようとしてたんだよね。つまり、みんなが求めているのは見た目のイメージに合う俺であって、俺の人柄じゃなかったってこと。……誰も俺そのものを見てくれなかった。誰も俺そのものを必要としてくれなかった。俺のイメージだけが一人歩きして、俺の中身は独りぼっちで取り残されたみたいで辛くてさ』
いつもと違う一人称。
いつもと違う低めの声。
依那ちゃんじゃない全く別の知らない人の人生を語られているような気がして、半ば放心状態でその独白を聞いていた。
私の中で気持ちの整理がつかないうちに、依那ちゃんが出会ってきた人達についてとか配信を始めた経緯とかそんなような話がどんどん流れていく。
『…………配信始めたばっかの頃はさ、視聴者からどんな反応くるかなとか期待もしてた。けど、コメントのほとんどは声がかわいいとか喋り方がかわいいとか、そんなんばっかだった。内容について書いてあるのは……ほとんどなかった。あん時すげーショックだったわ。結局お前らも俺を見下してた奴らと同じかよって絶望した。ま、俺はそんなに期待してねーよ、視聴者には……って思ったよ。……』
見ている途中でなんだかふらふらしてきて、私はそれこそおかしくなりそうだった。
色んな感情がぐちゃぐちゃに暴れ回って、挟まれた私をじゃりじゃり絡めとっていく。
かわいくてみんなの大好きな依那ちゃんというキャラは自殺してしまったんだ。私の真ん中から咲いていた花は枯れてしまったんだ。
もう二度とあの笑顔あの声あの幸せに触れられないんだって思うとジリジリが私に噛みついてどうしようもなく苦しかった。
だって依那ちゃんがいなかったら、私は自分を保っていられない。私が私である意味なんてない。
期待していないだなんて、それって私たちにちゃんと向き合ってくれてなくて、ただ手のひらの上で転がして弄んでたってことだ。本気で応援して感情まるごと引っ掻き回された私がばかみたい。私の内側全部全部預けてもいいと思ってた相手にこんなに突然裏切られるなんて。
誰も私を見てくれない。誰ひとり私を必要としてくれない。依那ちゃんだけが私の拠り所だったのに、依那ちゃんまでそんな奴だったなんて信じたくない。
こんなの、依那ちゃんじゃない……。本物の依那ちゃんはこんなこと言わない。
スマホを握りしめてソファでうずくまっていたその時だった。
『どうかしたの……?』
あの高らかな声が耳元でつぶやいた。
目の前に本物の依那ちゃんがいた。正確には、いると思い込んだ。
『大丈夫……?』
「だって、依那ちゃんは、もう……」
妄想と会話するなんて自分を捨てるも同然だった。でもあの時はそんなことはひたすらどうでもよくて、妄想でもなんでもいいからとにかく誰かに見捨てられるなんてこれ以上耐えられないって感情だけがこの渇ききった頭を支配していた。
『もしかしてさっきの動画のこと? 冗談に決まってるじゃん! さっちゃんたらちょろすぎ〜。大丈夫だよ、もう「僕」はいなくならないから。勘違いさせちゃってごめんね……?』
なんだか悪魔と契約しているみたいで、あたまがぼうっとした。
臓器から花が咲いたみたいな、得体の知れない喜びが私を包んだ。
簡単なことだった。
大好きな人にもう二度と会えなくなってしまったら、その人を頭の中で飼ってしまえばいい。
そうしたら悲しいことなんてなくなるよね。もう一人になんてならないよね。
そう、思い込もうとしたけど……。
♡♡♡♥︎♥︎♥︎
本当に「期待してない」とか言っていた
違う。依那ちゃんを受け止めようとしなかったのは私の方だ。
あれ以来、依那ちゃんの動画は一度も見ていない。今すぐに依那ちゃんを感じたい。確かめたい。
走り出したらもう、止まらない。
そっと机の横のカバンに手を伸ばし、奥底に眠っていたワイヤレスイヤホンを取り出す。
机の中にスマホを隠し、久々に依那ちゃんの動画ページを訪れる。……ほとんどの動画は消されていたけれど、あの暗闇だけはまだ残っていた。
耳を掻くような仕草でイヤホンを装着。「このクラス全員で作り上げてきた一年間は……」と熱く語る担任は話に夢中で気づかない。
あの日、私は多分最後まで見ていなかったと思う。
震える手であの黒い動画の後半を再生する。目を閉じる。
『……でも俺、みんなのくれたコメントとかDM見てて気づいたんだ。みんなは俺の見た目だけじゃない、中身もちゃんと見てくれてるって。そう気づけたのに俺はみんなのこと、ちゃんと信用しきれていなかったんだ。怖かったんだよ。今のキャラをやめたら誰も俺のことなんか見てくれなくなるって、絶対また見捨てられるって決めつけてた。とにかく俺は誰かに認めてもらいたくて必死で、このままかわいいキャラでい続けなきゃって自分を縛って縛って縛って……。本当、しんどくてさ』
『配信始めたのも本当は誰かに認めてほしかっただけなんだって俺自身、どっかで気づいてたんだけどね……』
『…………こんな動画出したらみんなが失望するのもわかってた。けど俺は、みんなが俺のこと知りたいって言ってくれて嬉しかったから。体調崩して配信休んでる間にたくさんたくさん考えて……やっとわかったんだよ。今までの俺は自分の本当の気持ちを押し殺して、周りに認められることだけ考えてきた。けど、いつまでもこうやって目の前のことばっかりに囚われて、大切な事実が見えないふりしてちゃいけないんだよ……!』
『…………活動を辞めたら、かっこいい自分になってみたり、色んな僕を試してみたいな。これからはちゃんと自分の新しい道を探すね。もう配信はしないと思うけど……それでも、みんなからもらった思い出は消えないよ。じゃあみんな……今までありがと。またどこかで、会えたらいいな……』
依那ちゃんも私も、ずっと誰かに必要とされたくて必死だった。依那ちゃんの悩みが私と同じだったなんて。驚きと同時にギザギザした何かがさあーっと流れていく。
依那ちゃんの吐き出した鉛を知って、私はようやく自分自身と向き合うことができた。
友達がほしい、私も混ぜてほしい、みんなと仲良くなりたい。でももう無理なんだって、どうせまた居ても居なくてもいい存在だと見下されるんだって決めつけて、自分の殻に閉じこもっていた。そして失った依那ちゃんを再生することで、その事実が見えないふりをし続けてきた。
依那ちゃんと幸せに過ごすふりをすれば、悲しいことなんて全部忘れられるって思い込んでいた。でも本当はどこかで気づいてた。こんなの余計に自分を追い詰めているだけなんだって。
三月の日差しと影の間で、真っ暗な結晶がもういちどゆっくりと溶けていく。
依那ちゃんの話を聞いていたら目が潤んでしまった。
担任の熱弁を聞いて、クラスメイトの目も潤んでいる。
もう大丈夫。依那ちゃんの気持ち、私の気持ち、今度こそちゃんと掴めた。
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