【5-7】全てを犠牲にしてでも焦がれた願い

「……勝っ……た」

 

 体から力が抜け、俺は目を閉じてその場に倒れ込んだ。しかし、一向に地面にぶつかるあの感覚が襲ってこない。

 

 冷たい地面の代わりに、温かさと優しさが俺を包んでいる。

 

 目を開けると、そこには泣き顔のハルカがいた。

 

 彼女が受け止めてくれたのだろう。俺は彼女の腕の中に抱えられていた。

 

 ようやく終わったんだ……。

 

「レー君、私……私――」

 

 ハルカが何か言いかけたその時、がれきの山が音を立てて崩れ、再び埃が舞った。そして、今一番聞きたくない声が耳に入ってきた。


「まだ……だ。私は、まだ……、倒れるわけにはいかない……」

 

 ジグロスが立ち上がり、ふらふらとした足取りで手を伸ばしてこちらに向かってくる。


「悪いハルカ。もうちょっとだけ待っててくれ」


「……わかったわ」


 ハルカは一瞬だけ不安そうな顔をしたが、俺と目が合うと了承したように目じりを下げ、手を放して後ろへと下がってくれた。


「お前も……俺と同じでしぶといな」


 言いながら、ジグロスの行く手に立って奴を見据える。

 まだ戦う気なのだろうかと警戒したが、どうやら先程までとは様子が違う。それに奴の目に、俺は一切映っていなかった。

 

 ジグロスは懐から何かを取り出し、それを俺たちに見せるように差し出しながら歩いてくる。


「……髪?」

 

 ハルカが呟いたように、奴が持っているのは綺麗に纏められた長い髪の毛だった。

 

 ジグロスは俺の横を通り抜け、ハルカの前に辿り着くと膝をつき、深々と彼女に頭を下げた。


「カルハ嬢。……どうか姉を、私の姉を……生き返らせてください」

 

 頭を下げているため表情は見えないが、ジグロスは涙声になりながらハルカに懇願した。

 

 奴の言っていた目的って……。


「……そういうことだったの」

 

 ハルカは全てを理解したように一呼吸置くと、ジグロスの姉のものだという髪の毛に自分の血を垂らした。

 

  誰も言葉を発さないままその光景を眺め、しばらくしてハルカが口を開く。


「……駄目ね、何も起こらない。貴方のお姉さんは生き返らない」

 

  初めて見る光景でよくわからないが、彼女の言うように髪の毛に変化はない。

  

「そんな……。カルハ嬢、もう一度、もう一度お願いします」

 

  ジグロスは鬼気迫った表情で、必死にハルカに懇願した。

 

  その願いに対し、ハルカは目を瞑って無言で首を横に振る。


「そうだ、まだ能力の精度が良くないんだ! 精度が低いと、蘇生できたとしてもゾンビの記憶や体の欠損が起こる。それに髪の毛じゃ発動条件として弱いのか? やはり魔王の所で完璧なものにしないと。……記憶がない姉では……、それに永遠の命が……」

 

 ジグロスは周りが見えていないのか、自分の世界に入ってブツブツと一人で喋っている。

 

 その独り言から、彼がハルカを魔王の元に連れて行きたがっていた理由が何となくわかった気がする。


「ジグロス、それは違うわ。私の能力『ネクロマンサー』の発動条件には、死者の体の一部と私の血液、そして、その死者が未練に思っている強い恨みが必要なの。私は貴方のお姉さんの髪の毛に血を垂らした。考えられるとするならば――」


「それはおかしい!」

 

 ハルカの説明に納得いかなかったのか、ジグロスが大声を張り上げて遮り否定した。

 そして、ハルカに理由を説明するように俯いて語り始めた。


「姉は戦争から私を逃がすため、わざと魔王軍の注意を引き、囮になって死んだ……。ここで父さんの神職を手伝っていたのに、……神は助けてくれなかった。姉はこれからの人生で、楽しいことを色々経験するはずだった。友達も多かったし、みんなから好かれていて……それなのに……私を逃がしたせいで死んだんだ……」

 

 ジグロスは感情が溢れ出し、途中から涙で上手く喋れなくなっていた。


「私を……、俺を……、姉ちゃんが恨んでいないわけがない……」

 彼は拳を強く握り、わなわなと肩を震わせている。


「……だから一度謝りたかった。俺のせいでごめんって……。姉ちゃんはいつも、弱くて泣いている俺を勇気づけてくれた。……大好きだった。言いたいこともいっぱいあった。これからもずっと一緒にいたかったのに、何も言えず、何もしてあげられず、突然別れがきていなくなった……。俺はもう……、姉ちゃんのいない世界に耐えられないんだ。ゾンビとして蘇生させ、永遠の命で姉ちゃんに生き続けてほしい。もう二度と別れたくない! 失いたくないんだ! そのためなら魔王にだって魂を売る、騎士の誇りも喜んで捨ててやる。なあ、……頼むから……生き返らせてくれよ……。死んだレンマ君は、今そこにいるじゃないか……。なんで姉ちゃんだけ……、そんなのずりぃよ……」

 

 ジグロスは顔を涙でぐちゃぐちゃに歪ませ、嗚咽を漏らしながら泣き崩れた。

 

 その姿は、誇り高き聖騎士や魔王軍幹部ではなく、ただの家族思いの優しい青年『ジグロス』だった。


「お姉さんは、貴方を恨んでなんかいないわ」

 ハルカは優しい口調でジグロスに語りかけた。


「そ、そんなはずはないっ! いつもしてもらうばかりで、俺は何も恩を返せてなかった。姉ちゃんは俺のせいで死んだんだぞ。そもそも、なんでそんなことがわかるんだよ――」


「――わかるわ!」

 ジグロスの反論に対し、瞬時に言葉を返すハルカ。


「貴方も知っての通り、私も前の世界で命を懸けて助けてもらった……。私も恨まれているとずっと思っていたわ。でも、教えられたの。命を懸けてでも助けたいと思うほど、その人にとって私は価値があったんだって……。償ってほしいんじゃなくて、死んだその人の分まで幸せになることが、一番の弔いになるんだって……。お姉さんも貴方のことが大好きで、大切に思っていたからこそ助けたのよ。だから、貴方に幸せになってほしいと思っているはずよ。私には……、私たちにはわかるの」

 

 ハルカは言い終わると俺に目線を送ってきた。俺はそれに無言で頷いて返す。


「でも、レンマ君は生き返って……」


「彼は、私との約束を守れなかった自分自身を恨んでいたの。貴方のお姉さんは最後に命懸けで弟を助けることができて、その心に恨みや未練なんてなかったんじゃないかしら」

 

 ハルカの言う通りだ。俺は、約束したのに何もできずに死んだ自分を恨んでいただけだ。

 

 命を懸けて大切な人を助け、彼女の隣に立っている今、俺が自分を恨む理由なんてなくなった。会ったことはないが、ジグロスの姉も助けた弟を恨んだりしないだろう。


「しかし、俺は……」

 

 それでもなお、不安そうにしているジグロスにハルカは笑顔を向けた。


「恨むどころか、貴方のお姉さんは寧ろ誇りに思っているでしょうね。だって、命を懸けて助けた大好きな弟が、みんなから好かれ慕われる『王国の聖騎士ジグロス』だもの」


「…………ああっ……。……姉ちゃん……」


 ジグロスは涙を流して再び泣き崩れた。

 しかし、この涙は先程とは違う意味を持っているのだろう。

 

 ジグロスはしばらく涙を流した後、呼吸を整えて俺たちの前に跪いた。


「私は愚かでした。自分勝手な理由で貴方方を傷つけてしまった。この罪は、断じて許されることでは――」


「――そんなことねえよ」

 今度は俺がジグロスの言葉を遮った。

 

 ジグロスは驚き、勢いよく顔をあげて俺を見た。


「お前がいなけりゃ、俺はこの世界に来れなかった。お前のおかげでハルカに、みんなに会えたんだ。それにルーリアも言ってたろ? 『居場所ができた』って。少なくとも俺とハルカ、それとルーリアの三人はお前に感謝してるよ。俺たちを引き合わせてくれてありがとな、ジグロス」


 ジグロスは跪いたまま胸に手を当て、しみじみと俺の話を聞いていた。


 俺とハルカ、そしてジグロス姉弟の関係は似ていると思う。

 

 もし、俺がハルカを自分のせいで亡くして、目の前に彼女を生き返らせる可能性を持ったネクロマンサーがいたら、ジグロスと同じ行動を取らなかったとは言い切れない。たとえそれが非道なことだとわかっていても、盲目的に行動したかもしれない。

 

 俺たちは置かれている状況が少し違っただけだ。事情を知った今、ジグロスを責める気持ちはなくなった。

 

 ハルカは真剣な表情で、跪くジグロスと同じ高さにしゃがんで彼を見つめた。


「貴方、レー君と戦っている時も本気じゃなかったでしょ。それに、魔王軍でも悪事は働いていない。本当は、心のどこかで誰かに止めてほしいと思っていたんじゃないの?」

 

 そう質問する彼女の声色は優しく、心の底から安心できるものだった。


「それは……」


「貴方はこれから魔王軍なんてやめて、お姉さんに誇れる生き方をするの。今もきっと、お姉さんは貴方を見守ってくれているわ」

 

 その言葉に、ジグロスは決意に満ちた表情でハルカの目を見つめ返した。


「申し訳ありません……。カルハ嬢、みなさん……ありがとうございます……」

 

 ジグロスは深々と頭を下げた。

 

 この瞬間に彼は、もう魔王軍の幹部ではなくなったのだろう。それと同時に、俺たちも魔王軍ではなくなった。

 

 これで一件落着といった感じだが、まだ安心している余裕はない。

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