第31話

 繰り返し僕を呼び止めるジャンヌとウルスラの声は、頭蓋の外側を滑るように通り抜け、意味を持たない音として処理される。


 しかし結果的に、僕は二人の言葉に従った。

 足を止め、姉の似姿──記憶の中より成長した姉のようなモノに正対する。


 「──いや、有り得ない。僕は姉さんの死体を確認した。心停止、呼吸停止、対光反射消失、全て、何度も確認した。姉さんは確実に、絶対的に死んだ」


 姉は衰弱死だった。

 傍目には元気……とは行かないまでも、すぐに死ぬようには見えなかったが、内臓系はその機能を致命的に低下させていて、心臓を動かす筋肉が、ふと止まって死んだ。


 死を確定させ、死因まで特定したのだ。

 姉は間違いなく、蘇生措置などでは引き戻せないほど絶対的に死んだ。死んでいた。


 復活など、してくれなかった。


 「……」


 彼女は何も言わない。

 ただ僕をじっと見つめて、言葉の続きを待っている。


 そのことに、少しだけ不自然さは感じた。

 外見的には何ら人間と変わらない“魔女”だが、“魔女”同士は同族を判別できる。


 ならば彼女が注意を払うべきは僕なんかではなく、背後の二人──理性と戦意を以て状況を観察しているジャンヌとウルスラだと分かるはずだ。


 「“病死”の魔女。僕に幻覚を見せているのか?」


 魔術で姿を変えている、とは思わなかった。

 逸話に語られる“魔術”は、確かに、他人に化けたり若返ったりする怪しげで不思議なものだ。


 だが実在の魔女が実際の魔術は、単純にして明快な殺人の能力。

 “焚刑”ならば炎、“磔刑”は槍のような杭。“病死”は、きっと病気を操るのだろう。


 幻覚症状を呈する病気には幾つか心当たりがある。

 人間の脳は病気によって、ありもしないものを見ると知っている。


 そしてそれが魔術によるものなら、都合のいいものを見せることだって出来るだろう。


 僕が一番敵意を持たないであろう人の姿を。

 それは、部分的には正しい。僕は確かに、姉になら殺されてもいい──というか、姉が本気で僕を殺そうとしたのなら、何ら抵抗できないだろうと思っている。


 チェスやカード系のマインドゲームで彼女に勝ち切ったことがない。勝ったこと自体はあるが、綺麗に勝ち過ぎだったと後から思う程度には不自然な勝ち方だったので、彼女の誘導した通りにのだろう。

 敢えて不自然さを残し、気付いた僕が再戦をねだるのを楽しんでいたのかもしれない。


 だが──姉は僕の、一番大切な人だ。僕の拠り所であり、僕の全てだった。

 その姿を騙るというのなら、“魔女”だろうと……殺す。


 「──、は」


 知らず、笑みが零れる。自嘲だろうか。


 さっきから少し、調子がおかしい。

 感情の制御が上手くできない。


 これまで何十人も殺してきたというのに、誰かに殺意を抱いたのは今日が初めてだ。それも、別な二人に連続で。

 

 不思議な感覚がある。

 身体はどんどん熱を帯びていくのに、頭はどんどん冷えていく。血流が加速し、筋肉と脳が大量のエネルギーを喰らう。


 至って冷静に眼前敵の殺し方を考えながら、獣性が肉体を励起する。飛び掛かり、目を抉り、押し倒して頭を砕き、頸動脈を噛み千切れと。

 手足に、背筋に、経験したことも無いような力が満ちるのを感じる。


 意識がどんどん加速していく。

 彼女の手足の動き、視線の向き、重心の揺れまで仔細に見て取れるほどに。


 弓の弦がきりきりと音を立てて引き絞られるような錯覚すらある。

 殺意という射出装置が、この身を鏃にして撃ち放つかのような。


 ──しかし。


 「夢を夢だと気付く方法を、貴方に教えたわね。……よく見て。私は、貴方の脳が作り出した虚像?」


 馴染み深い、しかし忘れかけていた声が耳朶を打つ。

 薬の副作用でいつも眠そうにしていた姉の、素の声。温かくて優しい、僕にだけ向けられる声。


 「……っ」


 違う、と思った。直感的に。

 姉の幻影は、これまで幾度となく夢に見てきた。だからこそ分かる。


 目の前の彼女は本物だ。


 僕の脳は、ここまで精巧な“成長した姉”の姿を想像出来なかったし、夢想も幻視もしなかった。


 それに──姉に教わった通り、手や顔立ちといった、幻覚が再現しにくい部分まではっきりと見える。

 彼女が僕に差し伸べる嫋やかな手指、親愛の込められた微笑み。何もかもが、夢や空想を超えている。


 「姉さん、なの? 本当に……?」

 「それは、貴方が観察と思索、そして感性で判断することよ。貴方が“違う”と言うのなら、私が“そう”だと言っても意味がないもの」


 YESともNOとも明言していない、韜晦のような答え。

 しかし、証明可能性に触れず、ただ僕の判断に委ねるというのは、いつも理路整然としていた姉らしくはない。


 だが──姉は、僕が彼女に捧げる愛情を疑ったことがない。一度も。冗談でも。

 それを考えると、僕が真贋を見分けられるに決まっていると信じ切った眼差しは、なんとも姉らしい。


 「……ぁ」


 声が出ない。

 息も出来ない。


 その代わりのように、涙と嗚咽が止まらない。


 「……おいで、シャルル」


 腕を広げた姉の胸に、よろよろと、殆ど頽れるように身を預ける。

 姉の身体は記憶の中よりも柔らかく、力も強くなっていたが、僕を抱きしめて撫でる時の手つきは同じだった。


 「……姉弟愛か。なんか泣けてきた」

 「魔女の憎悪って、姉弟愛とか家族愛で弱まるようなものじゃないはずだけど」

 「……っ」


 言葉が出ない。出すべき言葉も思いつかない。一番の質問と言われたって、何がそうなのか自分でも分からない。

 寂しかった? また会えて嬉しい? どうして魔女になったのか? 僕を殺すのか──いや、それはない。それが無いことだけは聞かずとも分かる。


 背後で小さく聞こえた二人の囁き、ジャンヌの疑問には、僕はもう答えを持っている。

 何があっても、たとえ人を殺すために生まれ変わった化け物に成り果てても、彼女が僕を害することはない。


 それに、そんなことは、今はどうでもいい。


 「──どうして」


 考えが纏まらないうちに、僕の口を突いたのは疑問──或いは、恨み言だった。


 「どうして、僕を一人にしたの?」


 問いに、僕を抱きしめる腕の力が強くなる。

 それは僕を慰めるためでもあり、痛みを堪えるようでもあった。


 「姉さん。僕は……姉さんにまた会えて嬉しいよ。蘇った死人でも、人間を殺す化け物でも、姉さんは姉さんだ。怖がったりなんてしなかったよ。今じゃなくても、二年前でも」

 「えぇ、分かってる。……それは、私が魔女だったからよ。ごめんなさい、シャルル」


 姉の声に嘘はなく、痛々しいほどの悔恨が込められているのが分かった。

 震える声をそれ以上聞きたくなくて、姉の身体を強く抱きしめる。


 何も言わなくていい。

 どういう意味かと問うまでも無く、彼女は僕の疑問を汲み、答えをくれる。


 「私の中には世界への憎悪があった。それは何よりも大きくて、貴方を一人にすることがどれほど残酷で、貴方にどれだけの苦痛を与えるかを、私に考えさせなかった。言い訳に聞こえるのは承知の上だけど、そういう人間だから魔女になるのよ」

 

 世界の全てを憎み、焼き尽くさんと欲する人間が魔女になる。

 それはジャンヌもウルスラも言っていたことだ。


 しかし──姉の言葉には矛盾がある。


 「……なのに、僕を殺さなかった。父さんも母さんも、使用人たちも、みんな」


 ジャンヌは出遭えば両親でも殺すと言った。ウルスラは魔女とはそういうものだと肯定した。

 しかし──僕も家族も街の人たちも、姉の死と時を同じくした不審な大量死に見舞われてはいない。


 「再誕直後の私は、能力の制御が下手だったのよ。仮死状態から自己蘇生するのも一苦労なくらい。万が一にも貴方を巻き込むわけにはいかなかったから、理性の全部を振り絞って街を離れたの」

 「……それじゃあ」


 僕を巻き込むわけにはいかなかった──“僕たちを”ではなく。

 ならばジャンヌの言う通り、家族愛などでは止まっていない。姉の憎悪を押し留めたのは、そんな生温いものではないのだ。


 「魔女は世界の全てを呪って生まれる──でも、私たちは異物。世界の外に在るもの。でしょう?」

 「……うん」


 知らず、姉を抱きしめる腕に力が籠る。

 以前なら「痛いわ」と窘められた閾値を超えても咎められることはなく、それが、姉が健康な体を手に入れたことを強く実感させて嬉しかった。


 背も伸びている。体つきも女性らしくなっている。体温も脈拍も呼吸も、薬が抜けて正常値だ。骨格と筋肉がしっかりしたものになっているし、力も強くなっている。

 

 けれど──変わっていない。

 僕たちは同じだ。同じ欠陥品で、同じ“異常”のままだ。


 いや、彼女はずっと前にもそう言っていた。

 何があっても──たとえ死んでも、彼女は僕の姉であり、僕は彼女の弟だと。


 ならばこれ以上、この件に関して言うことはない。

 しかしまだ、すぐにでも聞きたいことがあった。


 「……姉さんは見つけられたの? “実現可能性”を」

 「あら、覚えていたのね、シャルル」


 抱擁を解き、少し高い場所にある赤い双眸を見上げて問う。

 返されたのは嬉しそうな光を湛えた視線で、僕まで嬉しくなった。


 「……忘れるわけないよ」


 忘れるわけがない。

 僕たちが一番好きだった遊びだ。


 色々な手段を考えて、色々な可能性を考えて、最高の結末を夢想していた昔のように、掌を合わせ、指を絡め、囁き合う。


 「「──世界が、姉さん貴方だけならいいのに」」


 そうして思考実験を始めるのが、いつもの流れだった。


 命題はいつも同じ一つ。

 魔女という化け物の存在を知った上でなお「不可能」と結論付けた難題。


 「楽園創造計画……」

 「或いは、


 世界を焼く方法について。



──────────────────────────────────────


 第二章『磔刑の魔女(仮)』 End.

 なんかあんまりウルスラにフォーカス出来なかったので、そのうちちゃんとメイン回をやります。


 次章……『断頭の魔女(予定)』


 ◇


 次話はストックが数話出来次第の公開になります

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魔女の楽園 志生野柱 @nyarlathotep0404

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