第14話 救出

 目覚めたのは、パキ、というかすかな小枝が折れるような音を聞いたからだ。


(眠っちゃった……)


 私は薄目を開ければ、雨はやんでいた。

 しかしそんなことなどどうでもいいくらいの衝撃に襲われた。

 闇の中、光る目がいくつもあった。

 狼……。

 まだ私たちに気付いていないが、狼たちが洞窟の周辺を歩き回っていた。

 私は


「な、に……? ――!」


 フユル君も狼に気付く。私は咄嗟に彼の口を押さえた。


「……叫ばないで。まだ私たちに気付いてないから。いい?」


 フユル君は小さく頷く。

 私はフユル君の手を引き、ゆっくりと洞窟の奥へ避難する。

 幸運だったのは、そこが行き止まりの洞窟ではなかったこと。

 反対側に抜けられる、もう一つの出入り口があった。

 私たちは小走りになる。その時、私たちの背後から足音が追いかけてくる。

 振り返った先には、光る目。狼が私たちに気付いてしまった。

 フユル君を抱き上げると、洞窟を飛び出して抜かるんだ地面を踏みしめ駆け出す。

 そのあとを狼たちが追いかけてくる。

 バシャバシャと水玉を踏みしめる音が確実に近づいてきた。

 フユル君が震え、強く強くしがみついてくる。

 この子を守れるのは私しかいない!

 フユル君を抱きしめる腕に力を込める。

 その時、不意に踏みしめるべき地面が消えた。


「えっ……」


 暗さのせいで気づけなかったが、斜面になっていた。

 私は咄嗟にフユル君の頭を抱きかかえ、ゴロゴロと斜面を転がった。

 奇しくも雨のせいで地面が抜かるんでいたことが幸いして泥に汚れることはあっても、衝撃はさほどなかった。


「ふ、フユル君、大丈夫?」

「俺より、お姉ちゃんが!」

「わ、私は平気。泥で汚れちゃっただけ」


 私は立ち上がろうとするが、右足に痛みがはしった。


「っ……」

「足、痛いの?」

「ちょっとひねっただけだから。い、行こう」


 しかしうまく歩けず、膝をついてしまう。

 そうしている間に、狼に追いつかれてしまう。狼は斜面からこちらを見下ろし、ワウォォォォォン!と遠吠えを上げた。


「私を置いて逃げてっ!」

「嫌だ。お姉ちゃんを、おいていけないよっ」

「お願い。あなたまで狼に襲われたら!」

「嫌だ、嫌だ!」


 フユル君は渡しにしがみつく。そうしている間に、狼に取り囲まれてしまう。

 狼が身を低くしていつでも飛びかかれる姿勢を取った。


「――ミレイユ!」


 最初、その声を聞いた時、恐怖とパニックによる幻聴だと思った。

 だって、こんなところにいるはずのない人の声だったから。


「……へ、陛下……?」


 振り返ると大きな背中があった。

 陛下は剣を抜き、飛びかかる狼を次々と切り捨てていく。

 目にもとまらぬ速さで、私たちを追いかけてきた狼たちを全て倒した。

 雲が風で流され、淡い月明かりが地上に差し込み、陛下の姿を闇の中で浮かび上がらせる。

 私は安心のあまり、その場で足元から崩れ落ちてしまう。


「お姉ちゃん、大丈夫!?」


 フユル君が心配そうに私の顔を覗き込む。


「う、うん。平気。ただ力が抜けてしまって……」

「この人、知り合いなの?」

「ええ、すごく頼りになる方よ」

「分かる。狼をあんなに簡単に倒せるんだもん」


 フユル君はさっきの光景に感動して、陛下のことを憧れの眼差しで見つめている。


「もう大丈夫だ」


 陛下は軍服を脱ぐと、下着姿の私に羽織らせてくれる。


「でもどうして陛下がこちらに?」

「院長たちが知らせてくれたんだ」

「……ご心配かけて、申し訳ありません」

「謝るな。子どもを探すためだったんだろう」


 陛下は目尻を緩め、優しく声をかけてくれた。その声を聞けたことで、喜びのあまり鳥肌が立つ。

 強く抱きしめられる。


「あっ……汚れてしまいます」

「だからどうした。そんなので俺が躊躇うとでも?」

「あ、いえ……」

「お前にもしものことがあったらと考えていて、ずっと怖かった……間に合って良かった……。無事で、本当に……」


 陛下は小刻みに震えていた。

 私はこらえきれず、陛下に強く縋り付いた。

 今は苦しいほどに抱きしめてくれる力強さが頼もしく、鼓動が早まる。


(陛下のかおり)


「戻ろう。みんなが心配している」

「はい」

「あの、おにいさん! お姉ちゃん、足をひねっちゃったみたいだから!」

「安心しろ」


 陛下は私はたやすく抱き上げてくれた。


「坊主、お前は平気か?」

「うん、お姉ちゃんが守ってくれたから!」

「そうか」


 森を出ると、そこには騎士の面々や院長やメイドたちが勢揃いしていて、私たちの生還をお喜んでくれた。

 孤児院でお風呂をお風呂で汚れを落とし、陛下が連れてきてくれたお医者様に診てもらおうと骨には異常はなく、捻挫ということだったので一安心した。

 また子どもたちの病気も診てもらうと、どうやらそれはただの風邪ではなく、セイラノイ病というマダニを介する病気だということが判明した。

 そしてそれの特効薬が、フユル君が採ってきたユーラノス。

 お医者様の見立てだとあともう数日、手立てが遅ければ子どもたちは全員亡くなっていたかもしれないということだった。


「フユル君、疑ってしまってごめんなさいね」


 院長や他の先生たちが頭を下げると、フユル君は少し照れくさそうにして、首を横に振った。


「だ、大丈夫。俺も勝手に行っちゃって、ごめん……なさい」


 出発は明け方ということで、それまで私は孤児院の一室で休ませてもらうことになったんだけど。


「あの、陛下」

「どうした? 何か欲しいものがあるのか?」


 部屋の片隅で椅子に座っている陛下が顔を上げた。


「どうして、部屋に?」

「何かあったら大変だろう。だからそばにいる」


 なにを当たり前のことを聞いているんだとばかりに言われてしまう。


「陛下もお疲れですよね。お休みになってください」


 陛下はわざわざ引き連れた騎士を遠ざけてまでここにいた。


「お前のことだ。何か用事があって歩かなければならない時に、捻挫をしているにも関わらず自分一人でどうにかしようとするだろう」


 う。見抜かれてる……。


「でしたら騎士の方に……」


 陛下の目が鋭くなる。


「他の男がお前に触れるのを許せということか? 告白の断りの返事を受けるまで、そんなことはさせられないし、させない」

「……はい」

「だが、俺がいて気が休まらないというのであれば……外にいよう」


(そんなしゅんとした顔で仰られると、追い出せません!)


「あ気が休まらないなんてことはありません。ただ陛下こそ、お疲れなのに寝ずの番のようなものをさせてしまうのは心苦しいと思っただけですので」

「気にするな。俺が好きでやっている」

「でしたらいいんです」

「眠れないのか?」


 陛下は心配そうに聞いてくる。


「……そうみたいです。もしかしたら、危ない目に遭いすぎて気持ちが昂ぶっているせいかもしれません」


 お医者様にはよく休むように言われているけど、体が疲れているが眠気は来ないという苦しい状況だった。


「そばに行ってもいいか?」

「あ、はい」


 私はやや緊張しつつ頷く。ただでさえ二人きりという状況でドキドキしているのだ。

 近づかれて、心音が聞かれたらどうしようと恥ずかしくなってしまう。


「目をとじろ」

「何をなさるんですか?」

「いいから」


 言われた通り目を閉じる。

 と、右手を優しく握られ、もう片方の手がそっと目の辺りを覆うようにした。

 手の平ごしに伝わる温かに不思議とリラックスしてくる。


「子どもの頃、なかなか寝付けない時に母がよく、こうしてくれたんだ。お前にも効果があるといいんだが」

「お母様が……。陛下のお母様はどんな方でしたか?」

「明るく、賢い人だった。お前に会わせたかった。きっと、喜んでくれただろう。母上は勉強熱心な方だったから、きっと気が合ったはずだ」

「そうなんですね」

「父と母は政略結婚だったが、深く愛し合った。お互いに相手を尊重し、そして誰よりこの国を憂え、過酷な現実から目を反らさない心の強さを持っていた……」


 陛下は昔を懐かしむというよりも、怒りを必死に押さえつけようとするかのように、冷静になろうと言い聞かせるような声音だった。

 昔の王国は今よりずっと小さく、貧しかった。過去の王室に関する本はほとんど残っていないし、お父様に聞いても思い出したくないことなのか、詳しくは教えて下さらなかった。

 陛下にとっても辛く、苦しいものなのかもしれない。


(守られるだけでなく、陛下のために何かしたい……)

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王太子から婚約破棄された令嬢は、国王に溺愛される 魚谷 @URYO

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