第2話「敗戦処理」


鈴の音のような、2種類の小刻みな電子音が連続した。

東向きの窓からは雑多なネオンの光が煌々と入って来ていて、足元だけなら辛うじて見える程度の、微かな淡い明度がその部屋の照明だった。


中央に設置されたソファーで、何かがもぞもぞと動いた。


「う…………」


 ズキズキ、と痛む頭を押さえながら、女は引き摺るように体を起こす。毛布を被ったまま這うように窓際のデスクまで移動して、姑の小うるさい小言のように鳴り続ける固定電話を掴んだ。

 電話線ごと引っこ抜いてしまいたくなる衝動を押さえながら、スピーカーモードにして着信に出た。


『やあ、夜分遅くに悪いね。寝起きのところだったかな?』


 気の抜けた、少し枯れ気味の男の声が部屋に響いた。電話の向こうからは微かに喧騒が聞こえる。どうやら、向こうは非常事態らしい。


「要件を」


 寝起きというのはドンピシャで、世間話をする気はない────言下に含めた言葉が伝わったのか、電話の主は『それでは』と云ってやや早口気味に続けた。


『“駆除要請”だ────』


 女は跳ね起きて毛布を蹴り飛ばした。長い、銀色の髪が露わになる。翡翠色の瞳をした目を擦りながら、足早に動き始めた。

壁に掛けてあった黒い革ジャンを羽織り、部屋の奥に置かれたコンテナケースを開けると、ガサゴソと中身をまさぐっては床に放り出していく。


「場所は?」

葉隠町ハガクシチョウの旧イネダ食品の工場だ』


 ホルスターを右の太腿に巻く。


「状況は?」

『僕らは既に現場近くの市民球場に指揮所を設営、警視庁百城モモシロ署員100名で現場周辺1キロを封鎖中。そんで本庁から”3T”が投入され、応信途絶したのが10分前────』


 カードケースを左の太腿に巻きつける。巻いた後でケースを開けて中身を確認する。無数の和紙の束が挿入されていて、それらはほんの少しだけ妖しげに光っている。

 問題はない、と確認を終え、女は質問を続けた。


「敵の特徴は?」

『通信が途絶える直前に、隊長さんが“カマイタチ”と言い残してた。爪が長くて足が速い、ってことかな。発砲音も少し聞こえたが、まぁ、効いてる様子じゃなかったね』


 帯刀ベルトを腰に巻く────が、肝心の帯刀部分の器具は腰の左真横でなく、左斜め後ろに装着。そして床に放り出した武器に目を落とした。


「新部隊の手に負える奴ではない、か。────何故”3T”が?」

『悪いね、守秘義務』

「了解────警察も大変ですね」

『だから連絡が遅れた』


 ガチャン、と拳銃のスライドを引いて、右太もものホルスターに差し込む。予備の弾倉も同時に挿入しつつ、両腕に籠手を装着する。


『わかってくれて助かるよ。状況が状況だから、指揮所は経由せず現場に直接突入してくれて構わない。君のことだ、“飛んで”行くんだろ?』


太刀と短刀を帯刀ベルトに差し込んで、ずれ落ちないように固定しつつ「当然です」と答える。銀色の髪を束ねて、ヘアゴムの上にべっ甲で出来た蝶の髪飾りを取り付けた。


「10分で向かいます」

『了解。お願いするよ』


 電話を切ると、「状況状最悪、か」と呟きながらブーツを履いて部屋を出る。錆びた外付けの階段をカンカンと登り、屋上へ出る。

 雲三、空七と云った割合の、晴れの夜空が広がっていた。星はちらちらと瞬いて、その元締めの様に上弦の月は天高く鎮座する。風量は少なく、しかし気温は決して高くない。春先の、典型的な夜だ。


「良い夜だ────」


 ふわ、と獅音の身が浮き上がる。まるで、地球という惑星の重力を受け付けなくなったような、そんな浮き方だ。

 眼下に映るネオンの街は、今ようやく起床したように賑やかで、酒香と色香が色濃く漂ってくる。

 この明りを目に焼き付けながら、女は西の空へ────文字通り、飛んで行った。




 鷹島伊予里タカシマイヨリは、今年で四十五歳になる警部補だった。中年と呼ばれる年頃に差し掛かって、未だ所帯を持つ気配のない枯れた男だ。

 女性経験がないかと言えばそうではなく、かつて大学時代に出会って婚約までした女性がいた。少し天然の、清楚な女。齢二〇の鷹島青年は彼女に入れ込み、バイトに打ち込み、稼いだ金で彼女の好きなフレンチレストランへ週に一度デートをする。それだけで鷹島は春を感じられる程度には、実のところ簡単な人間だ。鷹島が好むのは競馬やパチンコ、ゲームと云った派手な遊興ではなく、ささやかな、ほんの少しの小市民的で牧歌的な日々だったのだ。

 だが周囲はそういう風には捉えていなかったようで、よく周囲の者、あるいは親などからも「何を考えているかわからない奴」という烙印を押されて、少し敬遠されていた。それは彼女にとっても例外ではなかったようで、大学を卒業間近に控えた頃、彼女から別れを切り出された。

「何だか、私が好きだった伊予里くんは違う人だったみたい」────鷹島が、他人という存在に決定的な見切りを付けたのは、恐らくこの瞬間だっただろう。



(感謝するよ伊吹イブキ。結婚なんかしてたら、多分この仕事してねぇわ)


 ぷかぷかと、ハイライトを燻らせる。所は、市民球場のグラウンド。三塁側ベンチの階付近に置かれた、野外用灰皿に鷹島はいた。

 薄暮などという時刻はとうに過ぎ、春真っただ中というのに冬場を思わせる。そんな夜の冷気に晒された、タバコを持つ指がにわかにかじかんで煩わしさを覚えさせる。

 ふぅ、と。月を翳らせるように紫煙を吐く。そう云えば、彼女もタバコをやめろと口煩かったなぁなどと思い返しながら、腕時計をちらと見た。


(頃合いだな)


 ずさ、と芝を踏んで、背後のテントへ向かって歩みを進める。そこには青い制服の捜査員たちが走り回って、バスやパトカーなどの警察車両とテントの間を行ったり来たり、あるいは球場外へゲートを潜って出て行ったりと、兎角忙しなく働いている。

 見ての通りの緊急事態。牧歌に浸る要素のない、戦場がそこに在る。

 それをうっすら横目で見ながらテントの方へ歩いていると、テント内から一人の男が出てきた。部下の水谷ミズタニだ。

「鷹島課長、宍戸シシド警視正がお呼びです」

「ん、じゃあ水谷くんは此処で待ってて。例の人が来たら説明だけして行かせちゃって。ホラ、警視正殿うるさいからさ」

「は、了解です」


 任せたよ、と肩をポンと叩く。敬礼を崩さず見送る水谷を横に、鷹島はテント内へ足を踏み入れる。

 中は長テーブルに置かれた通信機材や地図、紙の資料などでごった返していて、少し広いアパートメント程度の面積に十数人もの人間が押し込まれている。低い天井にぶら下がった白熱電球のせいもあってか、暖房もないのに汗ばむほどには室温が高い。

 否、熱気の原因はそれだけではあるまい。


「おい、連絡が取れんとはどういうことだ!隊員全ての回線に掛けたのか!?通信ケーブルの不調はないか確認急げ!一個中隊だぞ!?それだけの部隊が、通信途絶などと!」


 舌鋒鋭く捲し立てる、この場に於いて唯一正装の男が、テントの中央にいた。男の襟章は警視正のもので、なるほどその地位にいるだけはあってか、鷹島より年齢は少し上くらいだろう。少しベルトをはみ出た腹は、得てきた富と同量と見える。


「警視正殿、お呼びですかな」


 一種の軽蔑を交えるように、瓢箪のように間延びしたつらで、鷹島はその人物に尋ねた。


「鷹島くん、これはいったいどういうことかね!?」


 ぶるん、と少し皮の余った頬を震わせながら宍戸はそう訊き返した。


「どう、というと、投入した対怪異特殊部隊“3T(サーティー)”が、軍隊の言葉でなく文字の通りに“全滅”したことについてですかな」

「当然だ!一個中隊だぞ、それも完全装備の!怪異と戦えるはずの装備を持たせてあるはずだ!所轄の怪異対策課課長として、これはどう分析するのかね!?」


 はぁ、と鷹島は溜息を洩らした。同時に、タバコの煙もテント内に充満していく。捜査員たちは嫌そうな顔をしていたが、それで喫煙をやめれるなら、もう二〇年も前に禁煙に成功しているだろう。


「戦える装備というだけで、勝てる装備じゃなかったのではないですかな。怪異ってのは、いっつもそうです。常識で挑んだら負けですな」

「では予備チームを投入し、隊員の救出を」

「いけませんな。戦力の逐次投入に加え、練度だって、突入部隊に及ばんのでしょう?返り討ちが関の山ですよ、死体袋があと何ダース必要になることやら…………。

そもそも本作戦の指揮権はウチが持ってたはず。そこに本庁、というか3Tの指揮権を持つ貴方が勝手に乗り込んできて、こちとら迷惑してるんですわ」

「なんだと…………!」


 宍戸が鷹島に詰め寄る。

「ではどうするというのかね!?部隊は音信不通、救出の目途も戦力もない。どうしろと!?」


 逆切れも甚だしい態度である。事実、鷹島がこれまで外で喫煙していたのは、他でもないこの警視正のせいだ。指揮系統の如何はあれど、基本的に上位階級者がいる場合はそちらに従うのが警察組織というものだからだ。

 そのことへの不満は、当然ある。特に無能な責任者が上に来た時の肩の狭さは今現在進行形で痛感している。だが、口に出したところでしようがないのも、ここまで生き残ってきた公務員のバランス感覚で理解していた。


「餅は餅屋って言葉がありますな。その餅屋に、餅を突かせれば良いわけです」

「は?も、餅?」

「勝手で悪いんですが、先ほど怪異退治の専門家を呼びました。警視正殿には申し訳ないですが、貴方今からちょっと大人しくしてて貰えますかね」


 途端、テントを潜って入ってきた鷹島の部下たちが、宍戸の周囲に密着した。それだけではない、その場に居た宍戸の部下たちにも密着して、壁を作っている。少しでも動こうものなら、取り押さえる。そんな脅しを、言下に含んでいるようだ。


「な、何をするのかね。まともな公務員のすることじゃないぞ、鷹島くん!」

「自分はまともな役人じゃないのでね。エリートコース一直線の貴方と違って、文字通りのノンキャリなんですわ。なぁに、見てるだけでこの状況、片が付くでしょう。

 言うなれば敗戦処理。ま、早い話が警視正殿の失点帳消しって訳で、危ない橋ついでに一蓮托生になってもらいますよ」

「…………」


 流石に、状況が呑み込めたらしい。今このまま本庁へ戻れば、宍戸は確実にキャリアを失う。どういう状況であれ、部隊ひとつを壊滅させてしまうなどという大事件は、戦前含めた日本警察としては前代未聞だ。

 そうでなくても、事態の収拾方法を宍戸自身何一つ有していない。怪異対策部隊を指揮する立場である以上、怪異というものがどれだけ恐ろしい存在かはよく知っているつもりだ。

 故に訊いた。


「この百城に、”機関”の怪異ハンターのチームはいないはずだ。君の言うその専門家、いつ来るのかね」


 鷹島は「ああ、知らないんだ」と少し驚いたような表情を作って見せた。少し大袈裟にリアクションしたのは、とことんまで邪魔をしてきた宍戸へのささやかな仕返しだ。この者がいなければ、もっと穏便に事態を収拾出来ただろう。だが、ある意味都合のいい状況でもある────それを今しがた思いついて、ニヤけの取れないまま口を開いた。


「いるんですよ、それが。

 この街の切り札、それもとびっきりの、最強の“鬼札ジョーカー”です。我々は彼女を、親しみと尊敬を込めて“銀獅子”と呼んでます」



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怪異鬼譚-銀獅子- 音羽ラヴィ @OTOWA_LAVIE

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