2章 烏龍特区外様大戦トトカルチョ

第11話 暗黒街の祭典。予選。

 夜明けの光芒が差す烏龍の街並みに、今日も今日とて騒がしい怪鳥のいななきが降る。既に起きていたサヤカ・リーはここ数日暇を持て余していた体に喝を入れ、壁の薄いシャワールームを後にした。死人症を発症してからこっち、後遺症の失神に悩まされ、まともに配達の仕事を請け負うことも出来ないでいたのだ。すっかり体がなまってしまった。

 少し早めの長期休暇。あれから鶏の店に鏡を取りに行くこともできていない。濡れた肌を柔らかなタオルで拭き、洗いざらしの髪を乱暴にまとめながら、サヤカはすっかり空っぽになってしまった冷蔵庫を開け、酒しか入っていない庫内を意味もなく眺めた。朝食の保証は仕事をしている間だけのサービスだ。生の葉野菜や果物しか入れていない腹がきゅうきゅうと情けない音を立てる。同時に冷蔵庫からピーピーと電子音のお叱りを受け、サヤカは開けっ放しだった扉をバタム、と閉じた。

「そろそろ外に出たいなー……」

 ベッドに腰を下ろして髪を拭いていると、端末がアスカからの着信を知らせてブルブルとけたたましく震えた。ワンコールで応答、電波が悪いためスピーカーに切り替える。

「おはよ。朝っぱらからどうしたの」

「どうしたの、じゃないわよお嬢さん。御前試合見に行くでしょ。一緒に行きましょうよ」

「……え、もう? 時間経つの早すぎ」

「これだから配達屋は〜! ちょっと休むとすぐ時間の感覚がバカになるんだから!」

 無事正規医院から退院を許されてから、大事をとって仕事を休んでいたサヤカは、スズメバチと遭遇してから何日経ったのかさえ正確に把握できていなかった。危険な郊外へのビラ配りは他の同僚に振り分けられたと知らせがあり、すっかり頭の中から消してしまっていた。

「て、ことは1週間ちょっと経っちゃってるのか。体がなまる筈だわ」

「ねえ、あんたに乗せてって貰おうと思ったんだけど、運転大丈夫そう? 駄目なら言ってよね、タクシー使うから」

「平気平気! 死人症の後遺症でちょっとフラッとするかもしれないけど。念の為遺書書いて貰えれば全然平気」

「オッケー。現地集合にしましょ」

 絶対乗らない。固い決意を滲ませて言い切るアスカに冗談だと笑いかけ、薬草茶だけ取りに行く。ついでに塩でも舐めようかと思ったが、胃がびっくりするといけないのでやめておいた。どうせ会場には回りきれないほどの出店が出る。この時期、本当に小包などの定形外郵便物が減るので、配達員たちは暇を持て余すのだ。サヤカは療養期間内ということもあり、ほぼ非番である。ゆっくり回って、試合の眺めながら遅めの朝食を取るもよし。酒と肴で腹を膨らませるのも自由。

「あっち行ったら何か食べない? ここんとこ、野菜と果物しか食べてなくて」

「来る途中で事故るんじゃないわよ」

 まるで母親のような物言いを最後に、アスカからの電話は切れた。昔から変わらず短気な女だ。

「さて、髪乾かして化粧もしないと。せっかくの休みなんだから」

 非番時に制服の着用は認められていないので、サヤカは衣装箪笥の肥やしになっていた半袖の旗袍チーパオ__昔、気まぐれにアスカと揃いで買った緑色の古風な服を着ていくことにした。今の時代、コスプレなんぞという言葉はとっくに死語になっている。友人は馬子にも衣装と笑うだろうが、こんな日位しか着る機会もない。虫干しがてら鮮やかな衣装を纏うのも悪くない気がした。


「あ、あんた……っ」

「るさいな。アスカも着てるじゃん」

 烏龍特区中央。クリュウ・ファミリーの息がかかった会社ばかりが並ぶ瀟洒な街の片隅で、合流したアスカは苦しそうに笑いながら、グリーンのチャイナドレスを纏う友人を指さして震えた。かくいう彼女も肩や背中、太腿が剝き出しの真っ赤な旗袍チーパオを纏い、バッチリと化粧をして、髪には簪まで刺している。小さな蓮の花を模した金の髪飾りから、雨のように細い装飾がぶつかり合うシャラシャラという音が聞こえてきた。

「馬子にも衣装とはこのことね」

「意外性のない女だなまったく……」

 もったりした黒髪をむりやりシニョンにまとめたサヤカは、後頭部の皮膚が引っ張られる痛みに目を細め、踵の低い靴を鳴らして綺羅綺羅しい友人の横に並ぶ。踵の高さ故か、今日のアスカは頭1つ分サヤカより背が高かった。腹立たしいことだ。

「行こ。もう随分人が集まってるよ」

「つくづく、烏龍には娯楽が少なすぎるよね」

肩を竦める極彩色の女に、サヤカは曖昧に微笑んだ。不健全な嗜好品なら手足の指では足りないほど溢れているのだが、一般人であるアスカには言う必要もないことだ。

 二人は観衆が列をなす会場入口の最後尾に並び、日が高くなっていく街の熱気に燻されながら自分の番を待つ。黒服に身分証を差し出し、通行証になる銀の腕章を受け取って中へ。前を行く大柄な男のサンダルを踏まないよう、つま先立って門をくぐれば、そこはほとんど異世界だった。

「うわ……いつ見てもやばいね」

「あれ、古代ローマだかなんだかの神殿を模した柱とかでしょ。全部石で出来てる。キモいわ〜」

 雑多な烏龍特区に不似合いの荘厳なコロシアム。扇状に設置された太い支柱がすり鉢状に広がる会場は、観戦席が外に広がるほど高くなるよう設計されており、最上段は烏龍にあるどの建物より高い。何かのはずみで外側へ落ちれば、余裕で今世とサヨナラできる高さだ。

 客席を放射状に区切って伸びる通路には、軽食や良く冷えた飲み物の箱を抱えた売り子がうろつき、子どもの小遣いにも満たない特別価格でとにかく商品を捌けさせている。そこ行く売り子から巨大な鶏の唐揚げとビールを買い、アスカと分け合って食べながら、2人はできるだけ観戦しやすい席を探して彷徨う。油気のあるものを持っているからか、ひしめく人々は少女たちをさりげなく避けて歩いた。

「ここで良いんじゃない?」

「だね。足疲れた、会場広すぎ……!」

 どこを陣取ってもあまり景色は変わらない。諦めた2人が適当な席に腰をおろした瞬間、開催を叫ぶ鐘の音が広いコロシアムに強く響いた。

 これから始まるのは数多の挑戦者たちをふるいにかけるための予選だ。勝ち残れないものはそもそも烏龍特区で生きていく資格がない。ドーピング、飛び道具、何でもありの殺人闘技場。それまで静かだった客席から異様な熱の籠もった歓声が上がった。

『大変ッ、長らくお待たせ致しましたァ! 只今より、烏龍で一番アツい御前試合バトルコンテスト、スタートですッッ!』

 リングアナがマイクに向かって高らかに叫ぶ。コロシアムの最下層、挑戦者たちが輩出される鉄格子の扉が、ガラガラと重たい音を立てて引き開けられた。






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烏龍は眠らない 零光 @Zerolite

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