冬空の屋外「冬の空」「レモン」「午前3時」(三、1、他)

「冬の空」「レモン」「午前3時」


 冷たい空気をめいいっぱい吸う。吐いた息は真っ白だった。


 露出している肌にじわじわと寒気が浸透していくのを感じて、ネックウォーマーを頬の位置まで上げた。こうでもしないとやってられない。真夜中の山奥は経験したことがないほどに冷えきっていた。


 隣からくすくすと笑っている音がする。

「あれれー? 重装備過ぎない? 寒がりだよねぇ、君は」


 折りたたみ椅子に座っている、もっこもこのジャンパーに身を包み、もっこもこの耳当てをしている彼女は笑った。


「春花さんだって、人の事言えないよ。寒いんでしょ? そんな熊さんみたいになっちゃって」


「私は春生まれだから寒さには強いんですよ」


 謎理論で跳ね返された。でもどうせ虚勢に決まっているので、何か温かいものでも出してあげよう。水を入れたヤカンをセットしたガスコンロを点火した。青い炎が温かく小さく周囲を照らす。


 沸騰するのを待つ間、夜空を眺める彼女を眺める。長い髪の毛はマフラー代わりになるんだよー、と自慢げに言っていた昼間を思い出した。今の彼女の首元には僕がプレゼントしたピンクの生地に小さな薔薇の刺繍が施されたマフラーが巻きついている。


 彼女の瞳には、磨きあげられたように輝く星空が映っていた。直に空を見上げるよりもこっちの方が首を痛めないし、なにより彼女の可愛い表情が見れる。一年に一度の流星群? そんなの知らない。彼女の嬉しそうな表情の方が大切だ。どうせ来年も彼女と見に来るんだし。まぁ来年も彼女の瞳の中の星空を見るんだろうけど。


 あんまりじっと見つめていたから、彼女は僕の視線に気がついてしまった。星空を宿していた瞳は僕を映す。


「ちょっと、見すぎだって。星見ないの?」


「見てますよ。でもあんまり流星群が来ないので、春花さんでも眺めようかなって」


「もー! ほら、お空見て! 屋上で見た青空に匹敵するくらい綺麗じゃない? 冬の空ってなんでこんなに綺麗なんだろう」


「空気が澄んでいるかどうかは空気中の水蒸気や塵の量に関係してるんですよ。冬は夏に比べて気温も低く、対流運動も弱いので空気中の水蒸気が塵が少ないんです。だから冬の空は夏よりも澄んでいるんですよ」


 僕は彼女のこの質問を想定していたので、勉強したまま披露してドヤ顔をキメた。彼女はキラキラとした眼差しで「わぁ、さすがお医者さんだね!」と小さく拍手をしている。医者ってこの天体分野は専門外なんだよなぁ……。知ってるのは知識をつけてきたからだけど、まぁ彼女のこの眼差しが欲しかったので良しとする。


 そうだ、もう一つ付け足すことがあった。


「でも、僕は春花さんと二人きりの屋上で見た青空の圧勝だと思います」


「へっ、あ、そう……だよね」


 照れた。元々赤いほっぺたと耳が更に赤くなった。なんだかこっちまで恥ずかしくなってきた。


 ちょうどその時、湯が沸いたらしく甲高いヤカンの音が夜空に響いた。いそいそと準備をする。


「それなぁに?」


「これですか? クッキーとかチョコとかのお菓子と蜂蜜レモン白湯です」


「お菓子!? やったー! ……あ、でも真夜中だ……。太っちゃう……」


「でもほら時計見て? 今の時間は午前3時。おやつの時間です。それに、蜂蜜レモンは成長ホルモンの分泌を促すのでダイエット効果が期待できるんですよ。プラマイゼロ。いかがですか? 僕の奥さん」


 セールスマン顔負けのトークを魅せる。僕の奥さんは見事に釣られたらしく、温かい蜂蜜レモン白湯が入った温かいコップとクッキー数枚を手に取った。


 彼女と共にほのかに甘く、レモンの香りの白湯を啜る。体中に温かい幸せが染み込んだ。彼女は小さく伸びをする。


「おー! なんだかやる気がでるね。よし、今夜は寝ずに流れ星を待つぞ!」


 意気込んでいるところ申し訳ないが、僕が温かい飲み物を勧めた理由。それは睡眠の質を高めるのにいい働きをしてくるからだ。数十分もしないうちにテントの中に入るに違いない。流星群が見られないならまた来年来ればいいのだ。


「あ!! 見て!! 見た!?!」


 彼女が叫ぶ。砕けたダイヤを散りばめたような空を指さしながら。


「流れ星!! 流れ星だよ!!」


 細い流れ星が幾筋も輝きはじめる。星が降ってくるようだった。いや、それは実際に星が降る夜だった。まるで夢の景色のように、それは噓みたいに綺麗な夜空だった。


「すごい! すごい、すごい!! お願いごとするの忘れちゃった!! お願いごと、できた!?」


 興奮冷めやらぬ様子で、白い息を小刻みに吐き出しながら可愛く大きな声で質問してくる。今日一番瞳を輝かせながら。


 お願いごと、心の中で3回唱えるんだっけ。そんなことできる人なんでいるのだろうか。全員流れ星に見蕩れてしまってそれどころじゃないと思うのだけれど。


「できなかったですね。春花さん、どんなことをお願いしたかったんですか?」 


 僕は訊く。彼女は答える。驚くべき、答えを。


「来年も君と共にあおい空を眺められますように!」


 僕と全く同じ願い事だった。

 


 

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小さな小さな物語達 野々宮 可憐 @ugokitakunaitennP

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