第12話 リュクス大聖堂へ(前編)
アメリーが後宮に来て、初めての外出――といっても、行き先はリュクス大聖堂なので、高台にある王宮から坂を下るだけ。馬車で十分もかからない。それでも王宮の門の外に出ただけで、とても開放感がある。
王宮の敷地は広い。大きな噴水を中心とする広場を囲むように、二階建ての王宮。そこに王の寝室や
妃たちは王宮の中以外は自由に動き回れるので、閉塞感というものはない。それでも絶対に敷地内にいなければならないというのは、やはり閉じ込められているような気分になるものだ。
こうして外出もすることはできるのだが――
正直、二度とご免だというくらいには、手続きが面倒なものだった。
***
アメリーがジェラルドの母親の魂を呼んで話をするためには、まず名前を知らなければならなかった。
先日、竪琴の音の件と合わせて、サラに聞いてみたところ――
「そういえば、陛下のお母様なのに、お名前を存じ上げないというのは、わたしも今気づきました」
サラが驚いていたことから察するに、今は誰も口にしない名前なのだろう。そうでなくても今、後宮に勤める女官たちは、ジェラルドが即位した頃に総入れ替えになったらしい。つまり、長く働いている人で、せいぜい五年でしかない。
「それまで働いていた女官の大半は、処刑されたのですけれど」と、サラはついでのように教えてくれた。
そんなわけで、働いて日の浅い女官しかいないかと思ったが、一人だけ前国王の時代から
ロジーヌ・オダン女官長だ。
この人なら確実にジェラルドの母親の名前を知っているはずだが、できれば顔を合わせるのは遠慮しておきたい。異母兄のクレマンも知っていそうだが、わざわざ手紙で問い合わせるよりは、ロジーヌの方が手っ取り早い気もする。
アメリーは迷いながらも、週明けの午前中、後宮の一階にある女官長室を訪れた。
「アメリー様、あなた様はすでに侍女ではございません。ご用でしたら、わたしの方から伺います」
デスクについていたロジーヌは、開口一番ニコリともしない顔で言った。
(だから、この人は苦手なのよ!)
「ちょ、ちょうどお散歩をしたいところだったので、ついでに寄っただけなのですよ」
アメリーの言い訳にロジーヌは疑り深い目を向けてきたが、小さくため息をついてからソファを勧めてきた。
「それで、何のご用事でしょう」
ロジーヌはデスクを離れ、アメリーの向かいのソファに腰を下ろしてから聞いてきた。
「女官長なら知っているかと思いまして。陛下のお母様のお名前なのですけれど」
ロジーヌの眉がキュッと上がって、厳しい顔が余計に恐ろしいものになった。
(や、やっぱり口にしてはいけない暗黙の了解みたいなものがあるの!?)
びくびくしているアメリーの前で、ロジーヌはすっと元の表情に戻った。
「なぜ、お知りになりたいのです?」
「なぜと言われましても……」
「好奇心ですか?」
「好奇心から聞いたら、いけないことなのでしょうか?」
ロジーヌは一瞬何かを言いかけて、それから小さくかぶりを振った。
「いいえ。大変失礼いたしました。好奇心で聞いたのは、わたしの方です」
「え、いえ、そんな……」
「どのような理由であれ、お妃様の質問にはお答えしなければなりませんでした。イザベル・ソワイエ様でございます」
「イザベル様……。女官たちも知らないお名前のようですけれど、口にしてはいけない決まり事でもあるのでしょうか?」
「いいえ、そのようなことはございません。ただ、イザベル様のことを話せる者が、もういないだけのことです。
「女官長だけが、今でもこうして働き続けている理由はあるのですか?」
ロジーヌは答えるのにためらった様子を見せる。『妃』という立場で無理やり聞き出そうとしているようで、アメリーは申し訳なくなった。
「……あの、無理にとは言いませんけれど」
「いいえ。あなた様がイザベル様についてお知りになりたがるのは、陛下からお話があったからでしょう。この通り、最初のお妃様たちがおいでになって五年になりますが、誰一人として興味を持つ方はいらっしゃらなかったのですから」
「その通りです」と、アメリーは頷いた。
女官も知らない、ジェラルドも話をしないとなると、話題にすら上らない人になっても当然のような気がした。逆に、誰にも話をさせないように、女官たちをすべて入れ替えたようにも思える。アメリーもジェラルドの母親が妾妃だったことくらいしか知らなかった。
「わたしはイザベル様をお世話していた数少ない女官の一人だったのです。こうしてわたしだけ生かされているのは……陛下の恩情なのかもしれません」
それから、ロジーヌはイザベルのことについて話してくれた。
彼女が
相手はイザベルを後見していたヴィクトル・フォルジェ公爵だった。しかし、二人にそんな関係がなかったことは、ロジーヌだけでなく、イザベルの侍女たちも知っていた。
ところが、その侍女たちは他の妃たちに脅迫されたのか、公の場で二人に関係があったと次々に証言したのだ。
ロジーヌは密通事件が発覚したその日、王宮を離れていた。二人に関係がなかったと証言したところで、その日のことは知らないとしか言いようがない。無実を証明することができず、そのまま処刑の日を迎えることになった。
ジェラルドが即位した後に粛清された貴族や女官たちは、大半がこの件に関わっていた人たちだったという。脅されて偽証したという侍女たちも同罪と、ジェラルドは容赦なく断罪した。
「わたしの一生の後悔です。あの日、王宮から出てしまったのは……。わたしさえしっかりしていれば、イザベル様が罪に問われることもなかったのに」
ロジーヌが目に涙を浮かべるのを見て、アメリーはハンカチを差し出した。
ロジーヌは何度も買収されようとした。脅迫もされた。それでも頑として譲らず、イザベルを守り続けた。結果、この密通事件を
(だって、息子が死んだなんて聞かされたら、誰だってすぐに飛んで行ってしまうでしょう?)
それが嘘でも本当でも、確かめずにはいられない。ロジーヌにとって嘘ならばよかったのだが、残念ながらその話は本当だった。馬車に
*後編に続きます≫≫≫
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