第11話 軽率な行動とその結果

 昼食を終え、午後も執務室で仕事をしていたジェラルドのもとに、ディオンが書類を抱えて入ってきた。


 すでに山積みになっている書類の上に、さらにドサリと重ねられるのを見て、ジェラルドはうめき声を漏らしそうになる。


「今日はいつも以上にお仕事がはかどっているご様子なので、追加を持ってまいりました」


 ディオンは相変わらず、鬼のような性格をニコニコ顔の裏に隠している。


「お前は私を寝かせたくないのか?」


「とんでもありません。どうせ眠らないのなら、仕事をしていた方が退屈しなくて良いかと思いまして。それとも時間ができたら、何かやりたいことでも?」


「特にはないが……。時間があるのなら視察したい場所はいろいろある」


「それはお仕事の内なので、スケジュールを調整いたします。お出かけになると、その分、書類仕事も増えますが」


「もういい。無駄話はそこまでにしてくれ」


「あ、そうそう一つだけ。後宮の方が騒がしくなっているとだけ、お伝えしておきますね」


「どう騒がしい?」


 ジェラルドは仕事の手を止めることなく問い返した。


 後宮の管理はもちろん女官長なのだが、最高責任者という意味では国王、ジェラルドになる。問題があるのなら、早急に対処しなければならない。


「昨夜はアメリー妃を遅くまで引き留めておられたとか?」


「ああ、話をしていたら遅くなっただけだ」


「――という話を、誰かにされたのでは?」


「今朝、女官に聞かれて答えたな」


 ちらりと視線を上げると、ディオンは呆れ顔を隠すことなく、ジェラルドを見つめていた。


「その顔はどういう意味だ?」


 ディオンはコホンと咳払いをしてから、いつものニコニコ顔に戻った。


「問題はいくつかありますが、さらに一つ増えました。その一、アメリー妃が滞在中、深夜を過ぎるまで竪琴の音が聞こえてこなかったこと」


「話をしていたと言っただろう」


 同じ言葉を繰り返させられて、ジェラルドはかすかに苛立ちを覚えながら書類の文面に目を通し続ける。


「しかし、部屋を覗いたのでなければ、ついに男女の関係になったと思われます」


「それが事実かどうかは別として、私が自分の妃を抱いて、何が問題だというのだ?」


「アメリー妃は陛下が一目ぼれして後宮に迎えた初めての妃です」


「事実とは関係ないが」


「以降、陛下は彼女の竪琴を聞いていただけです」


「それは間違いない」


「まるでこの半年間、陛下が片思いをして、アメリー妃のお心がご自分に向けられるまで、ひたすら待っていたかのように見えます。そして、ついにアメリー妃も陛下のお心を受け入れ、身体を許したと。出自だけで容姿に自信のない妃たちからしたら、アメリー妃はいつまでも形だけの妃であってほしかったことでしょう。ショックを受けるのは当然です」


「憶測だけで、どうしてそこまで騒げる……」


 ジェラルドはあきれたため息しか出なかった。


「問題その二。アメリー妃が午前一時まで陛下の寝室に滞在していたことです」


「一時? そのような時間までいたのか?」


「ご存じないので?」


「知るか。私が寝ついたら帰れと言ったから、その頃になったのだろう」


(わりとすぐに寝ついたような気がしていたのだが……)


 そんなことを思いながら、ジェラルドは内心首を傾げていた。


「問題はそこです。アメリー妃が部屋を出る時、明かりは消えていたと。彼女はご丁寧にも、『陛下がお休みになられたので失礼します』と、近衛騎士に告げてからお帰りになりました」


「それのどこが問題だ?」


 ジェラルドは聞きながら、印章を押した書類を『受理済』の箱に入れて、新たな書類を取り上げた。


「この五年、誰一人として陛下の寝顔を見た妃はおられません。アメリー妃がどれだけ嫉妬を買うか、想像してみてください」


「それは……私が軽率だったという話か?」


 ジェラルドが恐る恐るディオンを見ると、彼は無言で頷いた。


「そして問題その三は、先ほどのお話で追加されました。毎晩零時きっかりに妃たちを部屋から追い出す陛下が、『遅くなるほど話をしていた』のです。他の妃たちがそれを聞いてどう思うでしょう。陛下が初めてアメリー妃とベッドで過ごして、寝物語を楽しみ、なかなか手放さなかったようにしか聞こえません」


 ディオンの言いたいことが分かってきて、ジェラルドはもはや返す言葉も見つからなくなっていた。


「以上、昨夜からの陛下の軽率とも思える行動に端を発して、早速マレナ妃が因縁をつけにアメリー妃の部屋に乗り込みました」


 予想通りの展開に、ジェラルドは手にしていたペンを放り出して額を押さえた。


「またマレナか……!!」


 第四妃マレナは後宮に入ってこの五年、事あるごとに他の妃たちと問題を起こしてきた。



 まずターゲットにされたのは、東の隣国フリート王国の王女、第一妃リーゼル。マレナはリーゼルに薬を盛られたせいで、醜く太ってしまったと訴えてきた。後宮に来た時点ですでに、マレナはふっくらした体型だったが、半年足らずの間にその身体は二倍の太さになっていた。


 実際、フリート王国は薬の開発が進んでいる国で、リーゼルは自国からせる薬だの肌が美しくなる化粧品などを取り寄せている。


「リーゼル妃は怪しげな薬も輸入しているに違いありませんわ!」


 ――というマレナの言葉を鵜呑うのみにしたわけではなかったが、この国では禁止されている麻薬や毒物が紛れていないとも限らない。


 念のため、リーゼルに届いた薬品類はすべて確認したが、そのような作用を促すものは見つからなかった。以降リーゼルに送られる薬をすべて検査することで、マレナも納得して事は収まった。


 次にマレナは、第二妃テレーサに太る呪いをかけられたと大騒ぎをした。


 テレーサは北に隣接するノルベージ王国の王女で、この大陸ではもうすたれた精霊信仰を今でも持っている。一日四回、神殿のある北に向かって祈祷をし、肉というものをいっさい口にしない。創造神を信仰するこの国の人間からすると、少々奇異な宗教に思える。


「お祈りはお祈り、呪いとは違いますわ!」と、テレーサはもちろん抗議した。


 しかし、形のないものだけに証明することはできず、話はうやむやのまま今に至る。


 第四妃ナディアも同じく元聖女ということで、呪いをかけたと言いがかりをつけられた。とはいえ、聖女が特殊な能力を持っていないことは、この国では周知の事実なので、ジェラルドが「違う」と却下するだけで済んだ。


 結果として、マレナは過度なストレスによる過食症と医師から診断され、定期的に治療を受けることになった。


 王女たちが後宮に来た頃は、ジェラルドの粛清の真っ最中。国賓こくひんともいえる王女たちに影響が及ばないように配慮はしたつもりだったが、王宮の殺伐さつばつとした空気は肌で感じるものがあっただろう。


 加えて彼女たちの年齢は十代後半だった。家族のもとを離れ、知らない国で生活するストレスもあったに違いない。その中でも顕著けんちょに表れたのが、マレナだったというだけのことだ。


 ところが、一通りの粛清が終わって王宮が落ち着いてきても、後宮では妃たちのいざこざが絶えない。


 それこそ、寝室に滞在する時間がたった一分長かっただけで、『陛下に引き留められてしまいましたの』と、他の妃たちにわざわざ吹聴して歩く。逆に一分でも短くなろうものなら、『陛下のお気にさわるようなことをしてしまいましたか!?』と、ジェラルドに涙目ですがりついてくる。


 ジェラルドはとにかく妃たちを刺激しないように、細心の注意を払って平等に扱うようにしてきたのだが――



「昨夜はうっかりしていたのだ!」


「そういう問題ですか?」


「そういう問題だろう?」


 ジェラルドが顔を上げると、ディオンは何か物言いたげな顔をしていたが――


「いえ、何でもございません」と、首を振った。


「それでどうなった?」


「アメリー妃は大変謙虚な方のようで、『陛下の寵を受けているのは、わたしよ』などと言い返すようなことはありませんでした。おかげで、大した騒ぎにはならなかったとご報告します」


 ジェラルドはほっと息を吐いて、放り出したペンを取り上げた。


「当然だろう。本当に何もなかったのだから、アメリーが嘘をついてまで事を荒立てる理由がない。だいたい、自分から『形だけの妃』でいいと言ってきたくらいだ。他の妃のことなど意にも介していないということだろう」


「陛下はそれでよろしいのですか?」


『別に』と答えようとした途端、ジェラルドは今頃になって腹の底からふつふつと怒りが込み上げてきた。


「……いや、どう考えてもおかしい。どうして私の方が拒否されなくてはならない? 私の妃になった以上、暗黙の了解というものがあるはずだろう。あれでは、私に手を出すなと言っているようなものではないか」


「陛下、拒否されたのですね……」


 かわいそうにと言わんばかりの目を向けられて、ジェラルドの腹の虫はさらに活発になっていた。


「お仕事、はかどらなそうなので、今日はほどほどで良いですよ」


 ディオンは最後にそんなことを言い残して、部屋を出て行った。

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