第10話 マレナ妃の苦情(後編)
マレナはラウラと同じ出身、ガルーディア王国から嫁いできた王女だ。全身ふっくらと肉付きがよく、金にも見える亜麻色の髪はふんわりと豊かで、小麦色の肌はラウラのものとよく似ている。
今までこんな風にアメリーの部屋を訪ねてきたことは一度もなかったが、廊下ですれ違うたびに不思議な親しみを感じていた。
――が、扉口に立つマレナは細い目を吊り上げていて、怒っているのは明らかだ。
「ご、ごきげんよう、マレナ様」
アメリーは慌ててベッドから飛び降り、淑女の礼をする。
同じ妃という立場であっても、マレナは隣国の王女。貴族の娘であるアメリーの方が、敬意を払わなくてはならない。
「前々から申し上げようと思っていましたけれど、その竪琴を弾くのをやめていただけないかしら? 耳障りにもほどがあるわ」
「申し訳ございません! 以後、気をつけます!」
アメリーがとっさに頭を下げると、マレナはそれ以上何も言えなくなったのか、ふんっと大きく鼻を鳴らす音が聞こえた。
「……あの、マレナ様、参考までにどう耳障りなのか、お聞きしたいのですけれど」
アメリーは完全に身を起こす前に、ちらりとマレナの様子を窺いながら聞いてみた。
彼女の小麦色の頬にさっと血の気が差すのが見える。
「耳障りは耳障りでしょう! 他にどう言えと!?」
マレナはそう言い放つと、勢いよく
「さて、これはどういうことかしら?」
アメリーは閉まった扉を眺めながら首をひねった。
(前々からって、いつのこと?)
後宮を含め、王宮の壁はどこも厚く、音が漏れにくい。春が始まったばかりのこの時期は、まだまだ寒く、アメリーも掃除の時以外に窓を開けることはない。
そもそもここ半年近く、毎週土曜の真夜中にそれこそ耳障りな【交霊の調べ】を奏でていたのに、苦情は一度もなかったのだ。
それほど大きな音を出しているわけでもないので、聞こえたとしてもかすかな音くらい。耳障りなほどに聞こえていたとは思えなかった。
(確かにこのところ作曲していたから、聞き苦しい音も混じっていたかもしれないけれど――)
マレナは先週から我慢してきて、ついに
いくら練習中の自作の曲とはいえ、【交霊の調べ】よりひどいとなると、アメリーは少し悲しくなる。
(――それとも、【交霊の調べ】とともに、『誰かの声』が聞こえてしまったのかしら?)
ジェラルドは母親の声だったので、何が聞こえたか気になってしまったようだが、たいていうるさく聞こえるのは悪霊たちの呪う声。恨み言はそれこそ耳障りになるだろう。
アメリーが「うーん」と考え込んでいると、再びノックの音が聞こえてきた。今度こそ黒のワンピースに白いエプロンをつけた女官、サラだった。
アメリーとは同い年で、一年前から働き出したばかりの新人。とはいえ、仕事はテキパキと完璧にこなすし、動きにも無駄がない。かなり優秀な人材だ。
もともと女官というのは、たいてい母から娘へと継がれる仕事だったのだが、ジェラルドが即位後、その雇用方法を変えた。三年前に女官養成学校が設立され、卒業生が王宮の女官として雇われるようになったのだ。
女性でも安定した給金を得られる官職に就けるということで、今や平民女性の憧れの学校になっている。ただ、希望者は全国から集められるので、知性や教養、適性など、難しい試験に受からなければならない。
サラはその学校の一期生。さすが厳しい倍率をかいくぐって入学しただけのことはある。『知り合いの紹介』などで働いている女官とは違うと、本人も自負している。
それなのにどうしてかサラは、一番お金がなく、下げ渡しもないアメリーを率先してお世話してくれる。
以前、理由を聞いたところ――
「アメリー様が一番陛下の寵をいただけそうですから」――とのことだった。
どうやらサラは、仕事に関しては有能でも、男女のことには疎いらしい。
「申し訳ないけれど、その期待を裏切る未来しか見えないわ」
アメリーは正直に言っておいた。
窓際のテーブルに白いクロスを広げ、昼食を用意しているサラを見ながら、アメリーは声をかけた。
「一つ聞いてもいいかしら?」
「何でございましょう?」
サラは手を止めてアメリーを振り返る。凛とした表情を向けられ、アメリーの方がたじろいでしまった。
「あ、ええと、そのようにかしこまった質問ではないのだけれど……。わたしの竪琴の音、もしかして廊下まで響いて、うるさいのか聞きたかったの」
サラは「まあ」と、驚いたように手を口に当てて、かすかに目を細めた。その表情は笑いを
「いいえ。弾いていらっしゃるのは分かりますけれど、うるさいというほどではございません。アメリー様が気にされることではございませんよ」
「そう?」
(そういうことなら、マレナ様はやはり悪霊の恨み言でも聞いてしまったのかしら)
昼はマレナがいつ部屋の前を通りがかるのか分からないので、【交霊の調べ】は控えることにする。夜中の眠っている時間なら、今後も苦情を言われる事態にはならないだろう。
アメリーはそう納得して、用意してもらった昼食の席についた。
「あともう一つ、聞きたいことがあるのだけれど――」
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