第9話 マレナ妃の苦情(前編)

 翌日の日曜日、アメリーは少し寝坊して、遅めの朝食――といっても、お茶と焼き菓子くらいの簡単な物――をいただいた後、叱られる覚悟でラウラを呼んだ。


 昨夜はせっかくジェラルドの方からベッドに誘ってもらったというのに、断固として拒否。さらには『形だけの妃宣言』までしてしまった。


 後継者、後継者と、うるさく言っているラウラが怒らないわけがない。『どうしてあの時、そのままベッドに行かなかったの!?』と、言われるに決まっている。


 だからといって、ラウラを放っておくわけにもいかない。魂というものは、不満や怒りがたまりすぎると、悪霊化しやすくなるのだ。適度に発散してやらなければならない。その辺りが生前の母親とは違う。


『心残り』が原動力となる死者の魂は、特にそのことに執着する。妄執に取りつかれていると言ってもいい。実際、生きている時のラウラは、そこまで後継者を作ることをアメリーに強要はしていなかった。


「いつか愛する人ができたらでいいのよ」と、やさしい笑顔で言っていたものだ。


(そのようなお母様をすでに忘れるくらいに、今は強烈になっているけれど……)


 アメリーの予想通り、呼ばれたラウラはそれこそ竪琴の音が聞こえないほどに、ぎゃあぎゃあ騒いでくれる。中には昼日中から聞くには耐え難い、卑猥ひわいなお小言まで混じっていた。


〈そういう時は自分から押し倒して――〉と、詳しい話が始まったと同時に、ラウラの声を消すように【交霊の調べ】の音量を上げた。


(……というかお母様、一日中わたしのそばに張り付いているのかしら)


 昨夜の一部始終をしっかり見ていたと思われるラウラの発言の数々に、アメリーは急に羞恥心しゅうちしんが込み上げてきた。


(だって、も、もしも、陛下とそういうことをしたら、全部見られているということでしょう!?)


 真面目にそんなところは誰かに見られたくない。その上で、『ああだった、こうすればよかった』などと、コメントまでされた日には、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。


 今までどんなことでもラウラに見られて恥ずかしいなどと、気にしたこともなかったのだが――


 いつか初夜がやってきたら、こういう話が平気でできるようになるまでは、ラウラを呼び出さないようにしよう。そう決めた。


 アメリーが言い返すことなく、「ごめんなさい」、「次回は頑張ります」を繰り返していると、ラウラも徐々に落ち着きを取り戻してきたようだった。それこそ言うこともなくなって、同じ話の繰り返しになっていることに気づけば、本人も言うだけ馬鹿らしくなる。


 その辺り、アメリーはこの母親の扱いもきちんと心得ていた。


〈とにかく、次の土曜日はまず陛下に謝って、あなたの方からベッドに誘うのよ〉


「分かりました」


 アメリーはそう口にしつつ、心の中では『無理です』と答えていた。


「ところで、昨夜はお母様も王の寝室にいたのでしょう? 陛下のお母様の声は聞こえなかった?」


 ラウラが口を閉じたところで、アメリーは聞いてみた。


〈あーんなわずかな時間で、しかも、あーんなに大勢の中から一人の声を聞き分けるのは、さすがに無理でしょう〉


「そうよね……」


 肉体を持たない魂は、いわば空気のようなもの。他の魂からも視えない。魂同士で言葉を交わすこともできない。唯一の例外は、アメリーが【交霊の調べ】を奏でている時。それは生者も死者も変わらない。


〈気になるの?〉


「陛下が気にしていらしたから。それこそ八年前から気にして、わたしを妃にしてまで、竪琴を弾かせ続けてきたわけでしょう?」


〈そうね〉


「陛下のお母様にとっても、もしかしたらそれが『心残り』になっているかもしれないし。わたしが教えて差し上げたら、陛下とお母様、どちらのためにもなるかと思って」


〈ふうん〉


 ラウラの声には、どこかからかうような響きがあった。


「何?」


〈あなたが継承者であることを忘れていないようで、安心したのよ〉


 妃になって半年、アメリーはラウラと話をするばかりで、実のところ、竪琴の継承者としての役割はあまり果たせていない。そうでなくても、ラウラが変な『後継者プレッシャー』をかけてくるせいで、そちらの方が大事な役目だと思わされているような気がする。


「も、もちろん忘れていないから、気になったのよ!」


〈まあ、そういうことなら、お墓に行くのが早いのではないかしら。大聖堂の墓地なら、すぐそこでしょう〉


「……そういえば、お名前は?」


 名前というものは、魂を呼ぶには絶対に必要なものになる。


〈わたしが知るわけないでしょう。王妃様ならまだしも、側室や妾妃となると数も多いもの〉


「そうよね……」


〈陛下に直接お聞きしたら?〉


「そのようなことを聞いたら、わたしが調べていることを知られてしまうわ。もしも天に昇っていたら、永遠に答えを知ることができないでしょう?」


〈そうね〉


「まだ何も分からないうちに、期待を持たせるようなことは知られたくないわ」


〈そういうことなら女官は? 先代陛下の時から勤めている人も、中にはいるのではないかしら〉


「お母様、冴えているわ!」


 アメリーは思わず指を弾こうとしたが、今は【交霊の調べ】を奏でている最中だった。


 そんな時、扉をノックする音が聞こえてきた。


 そろそろお昼。女官が昼食を運んできたのなら、ちょうどいい。彼女が知らなくても、誰が古くから勤めているのか聞くことはできる。


 アメリーは竪琴を弾く手を止めて、「どうぞ」と声をかけた。


「失礼するわ」


 そう言って入ってきたのは、女官ではなかった。二人の侍女を後ろに従えた第三妃マレナだった。




*後編に続きます≫≫≫

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