第8話 妃にされた理由(後編)

「アメリー、多くを語らないな」


 ジェラルドが不機嫌そうに眉を寄せていることに気づいて、アメリーはなんとか口元に笑みを浮かべた。


「陛下こそ。なぜそのように昔聞いた『変な曲』をもう一度聞きたがるのか、ご説明いただいていませんけれど」


 ジェラルドの眉間みけんのシワがさらに深くなって、アメリーはぞわりと背筋が寒くなった。


(陛下に対して、失礼なことを聞いてしまったのかしら!?)


 アメリーは素早く視線をめぐらせて、少なくともこの寝室に刃物が置いていないことを確認する。いや、それよりも逃げた方が早いのか。そう思っても、お尻に根が生えたようにイスから立ち上がれない。


 その間、おそらく数瞬。


 ジェラルドは小さく息を吐いて、気づけば眉間のシワは消えていた。


(怒りを抑えてくれたのかしら……?)


「笑わないでくれるか?」


(そもそも、この人の前で笑える人っているの?)


 そんなことを思ったが、ジェラルドがためらいがちに視線を向けてくるので、笑う前に驚いてしまった。まるでイタズラをして怒られる子どもの表情に見えたのだ。


(陛下に対して、『かわいらしい』なんて思ってしまったわ……)


「はい、もちろんでございます」


 アメリーが表情を引き締めて頷くと、ジェラルドはあっという間にいつもの硬い顔に戻っていた。


「あの時――墓地でそなたを見かけた時、亡くなった母の声を聞いた気がしたのだ」


「そうでございましたか」


「驚かないな。頭がおかしいとは思わないのか?」


 ジェラルドに意外そうに聞かれて、アメリーはぎくりとした。


(そ、そうだわ。ここは普通の人なら驚くところだったわ)


「お話の途中なので、続きを促したかっただけなのですけれど……。お母様が何をおっしゃっていたのか、教えていただけないのかと思いまして」


 アメリーは冷や汗をかきながら言いつくろったが、ジェラルドの方はさして気にした様子はなかった。


「それがよく聞き取れなかった。だから、何を私に言おうとしていたのか、それを知りたかった。あの時以来、二度と聞こえなかったから、空耳だったのかもしれない。もしくは、そなたの竪琴が関係あるのかと思って、話をしてみたかったのだ」


「そうでございましたか……」


 アメリーは頷きながら、がくりと頭が落ちそうになるのを必死で支えていた。


(わたし、そのような理由で妃にされたの!?)


 それこそ、昼間の空いた時間にでも呼び出して、さらっと聞けばいいだけの話にしか思えない。それが就寝前の王の寝室に呼ばれたせいで、アメリーは侍女から妃に。エリーズとも仲違いすることになってしまった。


 どうしてくれるの、となじりたいところだったが、公の場で【交霊の調べ】など弾くことにならなくて、よかったのだ。危うく公衆の面前で、この特異な能力を披露しなければならないところだった。


 ジェラルドの方も聞きづらそうにしていただけあって、他の人がいるところで、というわけにはいかなかったのだろう。


(ここはお互い様ということで……)


「私の方は話をした。空耳なのか、竪琴なのか。そなたはこの答えを持っているのか?」


「申し訳ございませんけれど、それはどちらともお答えできません」


「どういうことだ?」


「形だけとはいえ、陛下はわたしの伴侶ですので、ここまで充分なくらいにお話ししました。これ以上はご容赦ください。すべてを話すことができるのは、本当の伴侶だけと決められておりますので」


 アメリーは竪琴を抱えたまま、丁寧に頭を下げた。


(やっぱり陛下に隠し事をするのは、まずいかしら? ご機嫌を損ねたら――)


 ジェラルドの前でこうべを垂れるのは、まるで首を落としてくれと言わんばかりで、恐怖に震えてしまう。


「形だけの伴侶でなくなれば、そなたはすべてを打ち明けてくれるのか?」


 不意にジェラルドの手が伸び、アメリーの手首が引っ張られたかと思うと、その胸の中に抱き寄せられていた。


「へ、陛下……!?」


 そのままベッドに押し倒されそうになって、アメリーは恐慌状態に陥ってしまう。相手が誰かも忘れて、その顔を両手でがっちりと掴んで遠ざけていた。


「伴侶の意味が違います!」


「どう違うのだ?」


 ジェラルドはアメリーの手をうっとうしそうに外して、不満げな顔で見つめてくる。


「一回そのような関係になったから、という短絡的な意味ではなく、女の子を授かったらという意味で――」


 アメリーは言いながら、「あら?」と首を傾げた。


(もしかしてわたし、変なことを言ったかしら? そもそも最初の一回がなければ、何も始まらないわけで……)


 恐る恐るジェラルドの顔を覗き見ると、驚いたように目を丸くしていた。


 一秒、二秒と経って、それからジェラルドはぷっと吹いたかと思うと、肩を揺らして笑い始めた。


(やっぱり変なことを言ったんだわ!)


「すまない」と言いながらも、ジェラルドは笑い続けている。


(この人、笑うのね……。初めて見たわ)


 ジェラルドがいつまでも笑っているので、さすがのアメリーもむっとしてきてしまう。


「そ、そもそも、わたしの個人的な秘密を暴こうとしてそういうことをするのは、やはり納得がいきません! このまま形だけの妃で結構です。陛下を伴侶になど望みません!」


 アメリーが言い切って立ち上がろうとすると、再び腕を掴まれた。そのままベッドに引っ張り込まれるかと警戒したが、ジェラルドは意外にも真剣な眼差しをアメリーに向けていた。


「すまない。怒らないでくれ。思慮の足りないことをしようとしていた」


 あまりにも素直な謝罪に、アメリーも毒気を抜かれてしまう。


「今夜はまだそなたの竪琴を聞いていない。一曲弾いてくれないか?」


「でも、お時間が……」


 暖炉の上に置かれた時計は、すでに零時過ぎを指している。


「そなたの竪琴を聞くと、よく眠れる。私が寝つくまででかまわないから」


 アメリーの返事を待つことなく、ジェラルドはベッドに潜り込んでしまった。


(もしかして、褒められているのかしら?)


 この半年、ジェラルドは毎度嫌そうな顔をして演奏を聞いていたので、俄かには信じられなかった。


「では、お休みになられるまでということで」


 アメリーはベッドの上に投げ出されていた竪琴を取り上げ、イスに座って調律を元に戻すと、自作の曲を鳴らし始めた。


 正直、何百年、何千年と引き継がれてきた素晴らしい伝統曲に比べると、聞かせるのも恥ずかしいつたないものでしかない。それでもよく眠れるように、ゆったりとしたテンポでやさしい音色を重ねてみた。


 ものの数分もしないうちに深い寝息を立てるジェラルドを見て、アメリーは顔をほころばせながら最後まで弾き続けた。


(なんだか子どもみたいに寝てしまうのね)

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