第33話 狙われた竪琴の継承者

 扉がノックされる音に、アメリーははっと目を開いた。カーテンが閉め切られた部屋の中は、真夜中かと思うほど暗い。


(今、何時……?)


 アメリーが身体を起こして返事をしようとすると同時に、扉が少し開かれ、廊下の光が細長く差し込んできた。明るい日差しは昼のもの。夜のランプの光ではなかった。


「アメリー様、お目覚めになられましたか」


「失礼いたします」と入ってきたのは、ロジーヌだった。


「お、おはようございます……!!」


 寝坊したと咎められそうで、アメリーの全身に緊張が走る。慌ててベッドを下りようとすると、ロジーヌに止められた。


「そのままでかまいません。お加減はいかがですか? どこか具合が悪いところなどは?」


 ロジーヌに聞かれて、アメリーはようやく昨夜起こった出来事を思い出した。階段の踊り場で倒れているマレナの姿を見てからの記憶が全くない。


「マレナ様は!? ご無事なの!?」


「ええ、大事には至りませんでした。ただ、足の骨を折られたので、しばらく動くことはできないと思われますが」


「お腹の赤ちゃんの方は……?」


「ご安心ください」と、あやすようにロジーヌの手がやさしく肩に置かれる。


「無事だったの?」


「いいえ、最初からご懐妊の事実がなかっただけのことです。月のものが来て、ようやくはっきりしたのですよ」


「そう……。それは陛下もマレナ様もがっかりされたでしょうね」


「アメリー様が気になさることではございません」


 ロジーヌにしては珍しく、歯切れの悪い言い方だった。


(わたしだったら残念過ぎて、落ち込んでしまいそうだけれど……。違うのかしら?)


「それで、マレナ様は今、どのようなご様子なの?」


「今は薬で眠られていますよ」


 マレナに憑依ひょういしていた悪霊は、いまだ彼女の中にいるのか。それとも、すでに離れているのか。話を聞いた限りでは、どちらとも言えない状況だ。


「アメリー様、目を覚ましたら、昨夜の件について話をお聞きしたいと、陛下がおっしゃっていました。お元気そうですし、今日この後でもよろしいですか?」


「では、すぐに参りますと伝えてください」


「陛下は只今、王国議会に出席されています。早くても、それが終わり次第になるでしょう」


「ということは、陛下は今、お部屋にいらっしゃらないのね?」


「もちろん、そうですが」


 ロジーヌは怪訝けげんそうに眉根を寄せる。


「そういうことなら、竪琴を弾きに行ってくるわ」


「陛下のいらっしゃらない時間に、わざわざ行くのですか?」


「いない方が都合がいいの」


「どなたかとお話しするのを聞かれたくないということですか」


 ロジーヌは察したらしく、納得したような表情に変わった。


「そういうことよ」と、アメリーはニコリと笑ってみせた。






 アメリーが竪琴を弾くために王宮に行くのは初めてとなったが、夜のお召しとは違い、近衛騎士が迎えに来ることはなかった。代わりに王宮の入口まで迎えに来てくれるのは、王宮付きの女官。いつでも王の寝室に行くことが許されているとはいえ、王宮の中を一人で歩く特権まではないということだ。


 こうして案内をする女官にしろ、夜の都合を聞きに来る女官にしろ、王宮に勤める女官は三十過ぎの落ち着いた感じの女性が多い。


(陛下の身近にいる女性になるから、妃たちからあらぬ嫉妬を買わないようにしているのかしら)


 彼女たちの平凡な容姿と合わせて考えると、わざとそういう女性を女官に選んでいるような気がしてきた。


(今までそのようなことは考えたこともなかったけれど……)


 王の寝室の前で形だけのノックをしてから、アメリーは中に通された。


 何度も来ている部屋だが、カーテンが開かれているところは初めて見る。今日はどんよりとした曇り空のせいで、昼前といっても部屋の中は薄暗い。


「アメリー様の竪琴は、チェストの一番下の引き出しに入っております」


「……ええと、勝手に出していいの?」


「もちろんでございます。わたしたちは触れることを許されておりませんので」


「そうだったの」


 女官にも触らせないとは、ジェラルドは竪琴をずいぶん大切に扱ってくれているらしい。


「お部屋をお出になる際は、そちらのベルをお鳴らしください。お迎えに上がります」


 女官はサイドテーブルに置かれたハンドベルを示してから、部屋を出ていった。


 アメリーは一人取り残されて、今更ながら妙な居心地の悪さを感じた。引き出しを勝手に開けてもいいと言われても、なんだか泥棒になった気分だ。


(と、とにかく、今は竪琴よ)


 ジェラルドが留守の間に、ラウラと話をしたいのだ。


 引き出しを開けると、そこには竪琴しか入っていなかった。これを入れるために、わざわざ空にしたのかもしれない。


 いつも使っているイスは窓際に置いてあったので、アメリーはそこに腰かけて、【交霊の調べ】を小さな音で奏で始めた。


「お母様、近くにいるのでしょう?」


〈ああもう、やっと話ができるわ〉


 ラウラの声がすぐに聞こえてきて、アメリーは心底安心している自分に気づいた。


「わたしも話したいことがいっぱいあったけれど、竪琴を弾くわけにはいかなくて……。おまけにこうして取り上げられてしまったし」


〈その前に――〉と、ラウラの声に怒気がはらんだことに気づいて、アメリーはぎょっと首をすくめた。


〈どうして今でも男女の関係になっていないの!? いったい何回チャンスを逃しているのよ!? わたしと話ができないのをいいことに、大事なことを忘れているのではないでしょうね!?〉


 実際に目の前のことを優先して、都合よく『忘れていた』のは事実なので、アメリーには返す言葉もない。


 とりあえず、ラウラの気が済むまで言いたいことを言わせないと、話したいことまでたどり着かない。


 アメリーは言い訳したいところをぐっとこらえて、ラウラの怒声を浴び続けた。


(やっぱり怒りは小出しにしてあげないと、何十倍にもなって一気に爆発するのだわ……)


 アメリーはいつもの手で「ごめんなさい」、「今度は頑張ります」を繰り返し――ラウラの言うことがなくなった時点で、ようやく本題に入ることができた。


「それでお母様、マレナ様に憑依していた悪霊はどうなったの?」


〈さあ、分からないわ。少なくともあなたが寝ている間に、再び襲いかかってくるようなことはなかったけれど。もっとも今のマレナ様のお身体では、たとえ悪霊でも自由に動かすことはかなわないでしょう〉


「目的を果たして、すでに天に昇った可能性は――」


〈まずないでしょうね。あなたを殺すことに失敗したのだから〉


「そうよね……。すでにマレナ様の身体から離れたのか、まだ留まり続けているのか」


〈どちらとも言えない状況だわ〉


「狙われたのは、わたし? それとも竪琴の継承者?」


〈自分自身が恨まれている自覚がないのなら、竪琴の継承者になるでしょう〉


 妃になる前だったら、『殺したいほど恨まれている覚えはない』と即答しただろう。そうでなくても、そんな悪霊が身近にいたら、ラウラと話をしている間にも、その声が聞こえてくる。【交霊の調べ】でなだめるか、【鎮魂の調べ】で天に送っている。


 しかし、他の妃たちにどれだけ邪魔に思われているか知った今、アメリーはどちらとも言えずに唇を噛んだ。


 今や妃たちを守る魂の誰かが悪霊化して、アメリーを殺そうとしてもおかしくない状況になっている。


 ところが、相手は竪琴の継承者。呪いをかけようとしても、近づいた時点でその存在は気づかれ、強制的に天に送られることになる。竪琴が手元にない隙にマレナの身体を使って、物理的に殺すという方法を取ったというのも納得のいく話だ。


 あの悪霊がマレナの身体を粗末に扱おうとしたところを見ると、それ以外の四人の妃に関わりのある死者ということになる。


 ただ、そうなると出てくる矛盾もある。


 妃としてのアメリーを排除しようとするのなら、マレナもまた標的の一人にならなければならない。にもかかわらず、あの悪霊は『この身体はもう使えない』と、まるで『道具』のようにマレナの身体を扱っていた。最初から彼女を殺すつもりがあったようには思えなかった。


「狙われたのがわたしだけとなると、邪魔だったのは竪琴の継承者の方になるわけで……。いずれにせよ、わたしは再び狙われる可能性があるということね」


〈そうね〉と、ラウラも同意見のようだ。


 それは絶対に阻止しなければならない。あの悪霊はマレナの身体が使い物にならないと分かるや否や、彼女を殺そうとした。本来の目的と関係ないはずの人間を巻き込むことに躊躇ちゅうちょしない。幸いマレナは怪我で済んだが、打ち所が悪ければ、命を落とすところだった。


 竪琴の継承者わたしがそばにいて、これ以上、誰かを傷つけさせるわけにはいかないわ。


〈だいたい、あの悪霊は自分の目的より、あなたの命を奪うことを優先したわけでしょう。それだけ焦っているということよ。マレナ様が動けない今、他の誰かの身体を使ってあなたを襲っても驚かないわ〉


 続けられたラウラの言葉に、アメリーははっと息をのんだ。


(あの悪霊は焦っている?)


 死んでもなおこの世にとどまり続ける魂たちは、それだけ『心残り』に対する執着が強い。それを後回しにできる程度の想いなら、すでに天に昇っている。なのに、あの悪霊はアメリーを殺すことを優先した。


「ねえ、お母様。それはつまり、マレナ様に憑依していた誰かは、わたしがはらう予定の悪霊のリストに入っているということ……?」


〈それ以外に考えられないでしょう〉


 ラウラの肯定に、アメリーは目頭が熱くなるのを感じた。


「どうしよう……。全部わたしのせいだったのだわ」

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