第30話 竪琴のない夜(前編)

 竪琴はいつでも弾きに行っていいと、騒ぎの翌日には女官長のロジーヌからアメリーに正式に伝えられた。


 ジェラルドにすべてを明かしてしまったことについて、ラウラと直接話をしたい。彼女がどう思っているのか、聞いてみたい。


 しかし、アメリーが別の場所で竪琴を弾いていれば、それはマレナの耳にも入るだろう。またあの時のように彼女を興奮させて、憎しみのこもった目を向けられたらと思うと、身がすくんでしまう。


(土曜日までの辛抱しんぼうよ。そうしたら、陛下が眠った後、少しくらいお母様と話ができるかもしれないわ)


 竪琴が手元にない今、王宮の墓地に行くこともできず、アメリーは暇を持て余していた。


 あいにく今日は朝から雨がしとしとと降っていて、庭を散歩するという天気でもない。駄目で元々と、サラにゲームの相手をしてもらえないか頼んでみたところ、昼食の後なら付き合ってくれるという。


 わざわざ来てもらうので、サラが来る前には窓際のテーブル席にゲーム用のボードの他、お茶とお菓子も用意しておいた。


「あの、アメリー様、お妃様ともあろう方が、女官相手にこのようなことをしてはいけませんよ」


 部屋にやってきたサラをテーブルにつかせると、困ったような顔で言われた。


「女官長みたいなことを言わないで。これは女官の仕事ではないでしょう? お友達を誘ったのと同じよ」


「いいえ、これも女官の仕事の一つです」


「ゲームをすることが!?」


「お妃様たちの要望にお応えするのが仕事ですから。ゲームだろうと、話し相手だろうと、お付き合いするのが女官です」


 きっぱり言い切られて、アメリーは束の間ほうけてしまった。道理でサラはイスに腰かけても、ぴしりと背筋を伸ばしているわけだ。


「そ、そうなのね……。普通は侍女がすることだと思っていたわ」


「今のお妃様たちには侍女がいらっしゃいますが、妾妃様たちとなると、そのご出自によって必ずしも侍女がいるわけではございません。お妃様たちに快適な生活をしていただくのも、女官の務めになります」


「なるほど……」


「本当にアメリー様はお妃様らしくありませんね。女官長がいつも言っていますけれど」


 サラは口元に手を当てて、ふふふっとこぼれる笑みを押さえた。


「女官長、女官たちに愚痴ぐちをこぼしているのね……」


「あ、別に悪い意味ではございませんよ」


 サラは慌てたように付け足したが、アメリーからすれば、それ以外の意味には取れない。


「いいのよ、気を遣わなくても。自分でも分かっているから」


「いいえ、本当です。アメリー様は身分の上下を問わず、人を人として扱ってくださる方だと。だから、お妃様らしくなくなってしまうのですよ」


「そう思ってもらえるのなら、うれしいけれど。その割にはお小言が多いような……」


「それはまあ……女官長ですから」


 サラが意味ありげに笑うので、アメリーもつられて笑っていた。女官たちも日々、ロジーヌから口うるさく叱責しっせきを受けていることがうかがえた。


 アメリーが唯一持っているゲームは『コルン』だけ。ボードの上で、三角錐の形に削られた木の駒をそれぞれ十個ずつ動かして、相手の駒を取りながら陣取りをするものだ。


 サラはこげ茶に塗られた駒、アメリーは木目の駒を取って、ゲームを始めた。


「ねえ、サラ、話し相手にもなってくれるということで、聞いてもいいかしら?」


 アメリーはボード上の駒を移動しながら、サラに声をかけた。


「もちろん、わたしでお答えできることでしたら」


「サラも昨日の一件を知っているでしょう? あれからマレナ様がどうされているのかと思って」


「今日のところは、医師のお薬で静かに休んでおられるようですよ」


「それはつまり、昨日からずっとということ?」


 聞いてみると、サラは言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


「いいえ、正確には今朝、一度目を覚まされました。ただ、しばらく夜のお召しはないとお知りになった途端に、腹を立てられまして……。陛下もマレナ様の体調をおもんばかってのことだと思いますが、それを容認した侍女たちが責められることになったのです。彼女たちが危ない目に遭いそうだったので、医師を呼んでお薬を処方してもらいました」


 どうやらアメリーが知らない間に、ひと騒ぎがあったということだ。


「夜のお召しって、そこまで大事なものなのかしら……」


「アメリー様、何をおっしゃるのです。お妃様方はそれこそ週に一度、その一時間だけを楽しみに過ごされているのですよ。それこそ這ってでも……失礼いたしました、体調も万全に整えるのが普通なのです」


(今、ちょっと口を滑らせたわね)


 アメリーがくすっと笑うと、サラもばつが悪そうではあるものの、笑みを漏らした。


「そういうことなら、マレナ様が唯一の楽しみを奪われて、怒るのも無理はない気がするわ。おかわいそうね」


「アメリー様がそれをおっしゃるのですか?」と、サラは目を丸くする。


「どうして?」


「あのような言いがかりをつけられて、迷惑したのはアメリー様ではないですか。マレナ様に対して、もっと怒ってもいいのですよ」


 そう言われても、アメリーはマレナを責めるような言葉は見つからなかった。


(だって、わたしがイーシャ族の末裔だと知っていたら、マレナ様が怖がるのも無理はないと思うのだもの……)


「呪いというものは形がないだけに、『違う』と言ったところで簡単に信用してもらえるものではないと思うから」


「だからこそ、アメリー様は『違う』と、断固として認めなければいいだけの話です。どうしてマレナ様に遠慮する必要があるのですか?」


「でも――」


「そもそもアメリー様が陛下から一番寵を受けていらっしゃるのに、他のお妃様たちを邪魔に思う理由はございませんでしょう? アメリー様の方から呪いをかけるなど、論理的に考えてもおかしな話です」


「その『一番寵を受けている』という前提が間違っているから」


「アメリー様は本当にかたくななお方ですね」


 サラはふうっと大げさなくらいにため息をついた。


「頑なとかではなくて、事実だからよ」


「陛下がアメリー様だけを特別扱いなさっているのは、はたから見ても分かりますよ」


「ちょっと時間を長く過ごしたとか、寝顔を見ただけで、寵を受けていることになるの?」


「それだけではございません。今回のことでも、陛下はご自分でアメリー様の竪琴をお持ちになられました」


「それが?」


「アメリー様のお好きな時に、陛下のおそばに行ってもいいというお約束ではないですか」


「それは誰もいない寝室に行くだけの話だから、会いに行くのとは違うわよ」


「それでも、アメリー様がいらっしゃるとなれば、休憩や食事の時間に陛下がお顔を見せにいらっしゃることもあるのでは?」


「あの陛下に限って、それはないわ」


 アメリーが断言すると、サラは困ったように眉尻を下げた。






 雨足は夜になるほど強くなって、うなる風と窓や壁に叩きつけられる雨の音で騒々しくなっていた。時折とどろく雷鳴とともに光る稲妻が、カーテン越しでも部屋を一瞬明るくする。


 アメリーはベッドに入ってもなかなか寝つけなかった。ウトウトするたびに、雷の音で目を開いてしまう。


 こんな夜は、竪琴を弾きながらラウラとおしゃべりをしていれば、あっという間に過ぎてしまうというのに――


(いつでもいいって言われても、このような時間に弾きに行くわけにはいかないものね……)


 時間はすでに深夜を回っている。いつも通りであるのなら、今夜召されるナディアも自室に戻っている頃だろう。だからといって、王の寝室を訪ねる時間ではない。


(女性とあれこれした後の寝室に入るのは、さすがにどうかと思うし……)


 アメリーはため息をついて寝返りを打つと、毛布を頭からかぶった。多少なりとも音は遮られるだろう。その温かさにようやく眠りが誘われてくる。


 それからやっと心地のいい眠りにつけたはずだったのだが――


 アメリーは息苦しさにはっと目を開いた。息苦しいどころではない。きりきりと首を絞めつけられて、息ができない。暗闇の中、身体に覆いかぶさるようにのしかかる人間の黒い影だけが見える。


 明らかにその人物は、アメリーの首を絞めて殺そうとしていた。


(誰……!?)




*後編に続きます≫≫≫

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