第25話 マレナ妃の告発

 アメリーはエリーズとともに侍女二人を従えて、妃たちの部屋の並ぶ後宮の二階へと急いだ。その途中から悲鳴にも似た声が聞こえてくる。


「アメリーは!? アメリーはどこにいるのよ!? 隠れていないで、出てきなさいよ!」


 甲高い声はマレナのものに違いない。


 アメリーたちが二階の廊下にたどり着いた時には、白い寝巻姿のマレナがアメリーの部屋の前をさまようように行ったり来たりしていた。頭を抱えて、気が触れたように繰り返しアメリーを呼んでいる。


「マレナ様、どうか落ち着いてください!」

「とにかく、今はお部屋へ。アメリー様が見つかり次第、お連れいたしますから!」


 マレナの周りには、彼女の侍女やロジーヌを始めとする女官たちが集まり、無理やりにでも彼女を部屋に連れ戻そうとしていた。


「あ、あの、マレナ様、わたしをお呼びとか……」


 アメリーが恐る恐る声をかけると、マレナはキッと血走った目を向けて、つかつかと歩み寄ってきた。


「わたくしに呪いをかけているのは、あなたでしょう!? わたくしを呪い殺そうとしていることは知っているのよ!」


 アメリーの胸倉を掴もうとするマレナを、侍女たちがかろうじて制している。アメリーは事の次第について行けず、ただただ唖然とするばかりだ。


「わたしがマレナ様を呪い殺す……?」


「アメリー様、申し訳ございません。マレナ様はこのところ情緒不安定な状態が続いておりまして……」


 申し訳なさそうに頭を下げる侍女たちの手を振り払って、マレナはなおもアメリーに詰め寄ろうと暴れる。


「わたくしは正気だわ! わたくしが死んだら、次はあなた方の番。アメリーはここにいる妃を全員殺して、王妃になるつもりなのよ!」


 廊下には何事かと様子を見に来た他の妃たちもそろっていた。「またマレナ妃が騒ぎを起こしているわ」と、最初は冷ややかな眼差しを向けていた彼女たちだったが、マレナのひと言で顔色を変えた。


『もしかしたら自分も殺されるのではないか』と、アメリーを見る目に恐怖と不安がちらつき始める。自分にまで火の粉が飛んでくると思えば、他人事ではいられない。


 その中でも、エリーズだけが毅然とした態度で間に入った。


「マレナ様、何か証拠でもあって、アメリーにそのようなことをおっしゃるのですか!?  それが単なる言いがかりでしたら、失礼極まりないことをされているのは、マレナ様の方でございますよ!」


「証拠? あなたたち、知らないの?」


 エリーズの言葉にひるむかと思ったマレナは、鼻息が聞こえそうな勢いで嘲笑った。


「どういう意味でしょう?」


 強気なエリーズも負けずに睨み返している。


「この女はイーシャ族の末裔なのよ」


「どういうこと?」


 エリーズに怪訝けげんそうな視線を向けられ、アメリーは心臓をわしづかみにされた気がした。


 マレナはガルーディアの王女だけあって、知っているのだ。竪琴の継承者について――。


「わが国では二百年も前に根絶やしにした危険な一族よ。竪琴の音で人心を惑わし、人を呪い殺す。ねえ、アメリー、そうでしょう? 肌身離さず持っている竪琴、それが証拠ではないの?」


 違うと否定したかった。しかし、半分は事実なのだ。


 マレナは嫣然えんぜんと微笑み、エリーズはいぶかしげな顔のままアメリーの返事を待っている。


「そ、それは誤解です! わたしは誓って誰かを呪ったことなどありません!」


 やっとのことでアメリーは抗議したが、マレナは嫌な笑みをますます深くする。


「そのような嘘、誰が信じるかしら? 夜な夜な陛下にその音色を聞かせて、恐れ多くも陛下に呪いをかけていたのではなくて? 呪いという言い方が気に入らないのなら、魅了とでも言うのかしら」


「違います! 陛下はただお休みになりたいだけで――」


「いくら美しいとはいえ、陛下はあなただけは一時間で手放さない。土曜日以外にもお召しになる。陛下はすでにあなたの呪いにかかっているのだわ」


 他の妃たちのアメリーに向ける目つきが、剣呑けんのんとしたものに変わった。


「道理で」、「そういうことだったのね」と、マレナの言い分に納得している。アメリーの言葉は誰も信じようとしない。


(これが嫉妬というものなの……?)


 憎しみさえ垣間見える敵意むき出しの妃たちに囲まれ、アメリーはそれ以上何も言えずにうつむいた。


 唯一の味方はエリーズだけ。それもバリエ家の名誉を守りたいだけであって、アメリーを心の底から援護しようとしているわけではない。


 誰もが皆、この機に乗じて、アメリーを後宮から追い出そうとする気迫を感じる。ジェラルドに『特別扱い』されているアメリーが、誰よりも邪魔だと。


(わたし、これほど居場所がなかったなんて、知らなかったわ……)


 ぎゅっとスカートを握りしめて、込み上げそうになる涙をこらえた。


「これは何の騒ぎだ?」


 不意にここでは聞くはずのない男性の声が背後から聞こえて、アメリーは振り返った。


「まあ、陛下……!!」

「まさか、後宮にいらっしゃるなんて……!!」


 妃たちが一転して、とろけそうな笑顔で歓喜の声を上げる。しかし、彼女たちにうっとり見つめられているジェラルドは、不快もあらわに眉間にシワを寄せていた。アメリーからすると、とても見とれる気にはなれない。それどころか、これから何が起こるのかと、恐ろしさに震えてしまう。


 そんな中、この騒ぎの元凶であるマレナは、アメリーの脇をすり抜け、ジェラルドにすがるように抱きついた。


「陛下、アメリーが呪いをかけて、わたくしを殺そうとしているのです! 陛下も彼女の竪琴を聞いてはなりません。あの音色には呪いがかけられているのです!」


「そうか」


 その言葉を信じたのかは分からなかったが、ジェラルドは口元にやさしい笑みを浮かべて、マレナの腰に手を回した。


「このようなところで立ち話をしていては、女官たちも仕事ができない。部屋でゆっくり話をすることにしよう」


「は、はい」と、マレナの顔が喜びに崩れるのが見えた。


 その去り際、アメリーに向けられたジェラルドの目は、身も凍りそうなほど冷たいものだった。


「アメリー、後で話を聞く。それまで部屋から出るな。竪琴にも触れるな」


「かしこまりました」


 悔しそうな表情を浮かべる妃たちに見送られ、マレナはジェラルドにエスコートされて自室に向かっていった。


(今、わたしはどのような顔をしているのかしら……)


 ジェラルドは普段、他の妃たちにはあんな風にやさしく接するのか。あんな素敵な笑顔をいつも見せているのか。


 彼女たちが恋をするのが、ようやく分かった気がした。


(だって、わたしは竪琴を弾かせるために妃にされただけだもの。陛下を魅力的だなんて思ったことがなくて当たり前だわ)


 そういう自分の立場は分かっていたはずなのに、なぜか胸がきゅっと締め付けられたように痛い。


 アメリーはそんな二人から目をそらすように自分の部屋に入った。


 頭の中がぐちゃぐちゃになっている。こういう時はラウラと話をしたくなる。しかし、この状況で竪琴を弾くのがまずいことは、アメリーにも分かっていた。ジェラルドに言われるまでもなく、竪琴は弾けない。


 この胸の内を吐き出せる相手がいない。誰も話し相手がいない。まるで世界から隔離されたように、ここまで孤独を感じたことはなかった。


(お母様の声が聞けない……)


 今の今まで『淋しい』という感情と無縁だったのは、ラウラの存在があったから。そんなことに初めて気づいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る