第18話 鎮魂の調べ
土曜日の夜――。
王の寝室でいつものようにアメリーが竪琴の準備をしていると、ジェラルドに声をかけられた。
「はい?」
アメリーが顔を上げると、ジェラルドの灰色の瞳がまっすぐに向けられていた。その何でも見透かしそうな視線に、アメリーは相変わらず身震いしてしまう。
「私は決めた。母の声を聞かせてほしい」
先週質問した時とは違って、ジェラルドの目にはもう迷いはなく、力強い光が宿っていた。
「かしこまりました」と、アメリーは表情を引き締めて頷いた。
「それで、これからどうすればいいのだ?」
「では、今夜早速やってみましょう」
アメリーは言いながら、膝に乗せていた竪琴の調律を変える。
「五分耐えればいいのだな?」
ちらりと見やったジェラルドは、緊張しているのか、顔が強張っていつもより怖く見える。
「リラックスしてくださいとは言えませんので、覚悟してください」
ジェラルドがごくりと息を飲む音を合図に、アメリーは【交霊の調べ】を弾き始めた。
彼が顔をしかめたと同時に、アメリーの耳にも高低入り乱れる叫びの混声が襲いかかってくる。その声に負けないようにアメリーも声を張った。
「イザベル様、わたしの声が届きましたら、どうかお返事を」
〈はい、聞こえております〉
ジェラルドに向かう悪霊たちの叫びとは違って、イザベルの声だけはアメリーの耳元に聞こえてくる。
「先日の話はお聞きになられていたでしょう。合図をしたら、五分間【鎮魂の調べ】を弾きます。再びわたしが呼ぶまでは、あなたの
〈分かりました。よろしくお願いいたします〉
「では、始めます」と合図をする前から、ジェラルドが両手で耳をふさいで、うめき声を漏らし始めた。
イザベルが去ったことを確認するまでもなく、彼女の守りがなくなったことが分かる。
――とその時、アメリーは自分の失態に気づいた。
予想に反して、
〈逃げろ!〉
〈消される!〉
〈継承者だ!〉
イザベルとの会話を聞いていたに違いない。彼女が去るのと同時に、遠ざかる声がいくつかあった。名前が分からないのでは、引き留めることはできない。完全に逃げられてしまった。
しかし、それをいつまでも気にしている余裕はない。アメリーは即座に【鎮魂の調べ】を最大音量で奏で始めた。
「現世にさまよう死者たち、もう充分に陛下を苦しめたでしょう。それで満足して、天に昇りなさい」
騒音の合間にパチン、パチンとシャボン玉がはじけるような音がかすかに聞こえてくる。
それは魂が天に昇った音なのだが――
一体、二体……と数えてみたが、五分弾き続けたところで、せいぜい五体がいいところ。騒音が収まるほどのものではなかった。
(これは確かにお母様の言っていた通り、簡単に天に送れるものではないわ……)
ジェラルドも今や耳をふさいだままベッドの上に転がり、身体を小刻みに震わせている。
これ以上は無理だと判断して、アメリーは【交霊の調べ】に戻した。
「イザベル様、お戻りを。【鎮魂の調べ】は終了です」
〈今、戻りました〉という声が聞こえたと同時に、アメリーは竪琴を弾く手を止めた。
二度ほど聞かせた時とは違って、ジェラルドは耳をふさいだまま、すぐには動かない。眉根をぎゅっと寄せて、固く目を閉じている。額には汗を浮かべていた。
「陛下、大丈夫ですか? 五分が経ちました」
耳をふさいでいる手をはずしてやると、ジェラルドは恐々といったように目を開いた。
「終わったのか……?」
ジェラルドが額の汗をぬぐいながら身体を起こそうとするので、アメリーはそれを止めた。
「今夜は終わりです。お話はまた今度。お疲れでしょうから、このまま朝までお休みください。眠れる曲を弾いて差し上げます」
アメリーがベッドカバーを開いてやると、ジェラルドは素直にもそもそと潜り込んで、ぐったりとしたように枕に頭をうずめた。
「頼む」
小さなつぶやきとともにジェラルドが目を閉じるので、アメリーは竪琴の調律を戻し、【ともしびの調べ】をゆったりと奏で始めた。
緊張で凝り固まった身体がほぐれるように、深い深い眠りで心の痛みが癒えるように――。
〈だから、言った通りでしょう〉
ラウラにそう言われるのは、アメリーも分かっていた。それでも自室に戻ってラウラを呼んだのは、今後について相談したかったからだ。
「他に良い方法はないの? こんなことを毎週一回やっていたら、陛下のお身体の方が心配だわ。いつまでかかるのかも、今のところ全然予測がつかないし」
たった五分とはいえ、ジェラルドはイザベルの守りを失った状態で、悪霊たちの叫びに耐えなくてはならない。アメリーの想像以上に、ジェラルドへの負担が大きかった。それだけで体力を消耗して、いまだ残っている悪霊たちに命を奪われかねない。
〈だったらもう、正攻法しかないでしょう〉
「正攻法?」
〈それぞれの墓地で一体一体呼び出して、【鎮魂の調べ】を聞かせるの〉
「確かにそれなら、陛下の負担にはならないと思うけれど――」
〈あなたの場合、外出が難しいから、そのようなことをしていたら、一生かかっても全部天に送れるとは思えないわ〉
「そうよね……」
〈というわけで、陛下がお亡くなりになる前に――〉
という同じ話が繰り返されそうになったので、アメリーは竪琴を弾く手を止めた。
ジェラルドほどではないが、アメリーも疲れているのだ。悪霊たちが叫び続ける中、耳は痛くなるし、最大音量で竪琴を弾くのは、指先にも負担がかかる。
(今夜はもう、お母様の相手をするのは無理よ……)
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