第17話 生者と死者、それぞれの想い

「おや、お珍しい。昨夜はアメリー妃とご一緒だったのに、眠れなかったのですか?」


 執務室に入ってきたディオンは、ジェラルドの眉間のシワに気づいたらしい。


「いや、死んだように寝た」


「では、そのご機嫌麗しくないお顔の理由は?」


「少し考えることがあってな」


 母の声を聞きたいか。それともすぐにでも悪霊を祓ってもらうか。


 一晩寝て、頭がすっきりしたところで、答えはすぐに出ていた。


 復讐を終えた後、ジェラルドは生きる目的を失った。残っていたのは、国王という地位のみ。この生ある限り、君主として民のために働くだけだ。明日突然に終焉しゅうえんの時が来ても、きっと悔いはない。この五年、そういう生き方をしてきた。


 実際、自分が殺めてきた人間たちに呪われ、殺されるというのなら、それも当然の報いだと受け入れられる。


 しかし、そんなジェラルドであっても、イザベルは必死に守ろうとしてくれていた。その命を無駄にすることはできない。大切にしなければならない。その命をおびやかす悪霊をはらってもらえるというのなら、すぐにでもアメリーにお願いすべきところだ。


 それでも、母と言葉を交わせるのなら、ジェラルドからひと言感謝の意を伝えたいと思った。もはや八年前に彼女が何を言おうとしていたかは関係なかった。


 アメリーの口ぶりから、魂は一度天に昇ってしまうと、二度と言葉を交わすことはできないと思われる。これが最初で最後のチャンスだと思えば、どんな苦痛にでも耐えられる。どれだけ時間がかかろうともかまわない。


(それが母上に返せる唯一のことだから――)


「私には話していただけないのですか?」


 ディオンの声に、ジェラルドははっと我に返った。


「それは――」と、答えようとして言葉を飲み込んだ。


「すべてが無事に終わるまでは、私とアメリーだけの秘密にしておきたい」


 伴侶にしか打ち明けないという話をディオンに教えるのは、少々しゃくな気がしたのだ。


(私もまだ『正式な伴侶』ではないしな)


 そもそもジェラルドも、アメリーについてディオンに説明できるほど詳しくは知らない。


「陛下がそうおっしゃるのなら、無理に問いただすことはいたしませんが――」


 ジェラルドがちらりと顔を上げると、ディオンの意味ありげな視線とぶつかった。


「何だ?」


「いえ、アメリー妃とはずいぶん仲睦まじいご様子なので」


「お前の想像しているような仲ではない」


「おや、そうなのですか? 今朝はアメリー妃が昼まで寝ていたとのことで、後宮がまた騒がしくなっていたそうですよ」


「それのどこに騒ぐ要素がある?」


「また零時過ぎまでお二人で過ごされていたのでしょう? よほど激しい夜をお過ごしになったのではないかと、皆は想像してしまいます」


「私はそれほどすっきりさっぱりした顔に見えるか?」


「いいえ。違いましたので、噂は噂だと分かっただけです」


 ディオンは飄々ひょうひょうとした顔で言ってのけた。


「それにしても――」


 ジェラルドは頭の中でプツンと何かが切れたような気がした。


「毎度毎度、どうしてそういうくだらないことで、後宮は騒ぎになるのだ!?」


「それが分からない辺りに問題があると思いますが」


 ディオンが頬をポリポリとかきながら、そのようなことを言った気がしたが――


 かっかと頭に血が上っている状態では、ジェラルドの耳を素通りするだけだった。




 ***




(なんだか、まだ眠いわ……)


 アメリーは窓際のテーブル席で、ぼうっとしながら夕食のパンをかじっていた。昼食もとらずに寝ていたので、お腹は空いている。ただ、変な時間に寝たせいか、なかなか眠気が覚めない。


 昨夜は一時近くに部屋に戻ってきて、それからラウラの『どうして誘われたのに、拒否するの!?』から始まるお説教。次の日でもよかったのだが、昼間はマレナの耳がどこにあるのか分からない。【交霊の調べ】は弾かないに越したことはなかった。


 そんなわけで、ラウラに言いたいだけ言わせて、さっさと寝ようと思っていたのだが――


 彼女が聞き捨てならないことを言い出したので、話が長くなってしまった。


〈そうやって考えさせている間に、陛下が亡くなってもおかしくないのよ。寝かせている場合ではないでしょうが。先にしぼり取るだけ搾り取って、後継者を作りなさい!〉


「し、搾り取るって……!?」


 あまりにえげつない発言に、アメリーは目をいた。


〈だいたい、八年も陛下にへばりついていた悪霊たちよ。五分やそこら【鎮魂の調べ】を聞いたところで、天に昇ってくれるわけがないでしょう。しかも、あーんなに山ほど。イザベル様と一緒に送るとしても、先にイザベル様が天に昇ってしまったら、それこそ陛下はその場でころっと亡くなってしまうのよ!〉


「そ、そうかもしれないけれど……」


〈アメリー、お願いだから自分の立場というものを忘れないで。こんな危険を冒している場合ではないのよ〉


 ラウラの声には、じれったさがにじんでいる。


「わたしの立場って?」


〈もしも失敗して、陛下が亡くなるようなことがあったら、もう二度と結婚は望めない、という立場よ〉


「え、妃って、国王と死別したら、再婚できないの?」


 アメリーが半信半疑で問うと、ラウラの「はあっ」というため息のような声が聞こえた。


〈違うわ。あなた、オーギュストのせいで『悪霊憑き』になったことを忘れたの? これで陛下まで亡くなったとなれば、もう誰も結婚しようとは思わないでしょう〉


「あ……」と、アメリーもその意味を理解した。


 婚約者を二人失い、さらに妃になって半年余りで相手が死んだとなると、ラウラの言葉通りの未来しか見えない。


〈あなたにはもう陛下しかいないの。陛下に後継者を作ってもらう以外に道はないのよ〉


 ラウラは簡単に言ってくれるが、どうもそういう状況になると、身体が拒否反応を示してしまう。無自覚に逃げてしまうらしい。


(別に嫌だと思ったことはないのだけれど……どうしてかしら?)


「お母様には申し訳ないけれど、やはり後継者はあきらめていただくしか――」


 そこからいつもの堂々巡どうどうめぐりが始まり、ラウラが落ち着いてアメリーがベッドに入れたのは、東の空がしらみ始める頃だった。






 週が明けて月曜の午後、ノックの音とともにアメリーの部屋に入ってきたのは、ロジーヌだった。今度は怒られないように、朝食の時、サラにロジーヌを呼んでもらうように頼んでおいたのだ。


(ふふふ、わたしもちゃんと成長しているのよ)


「お呼びと伺いましたが」


「どうぞ、かけて」


 アメリーは入口に立ったままのロジーヌに、窓際のテーブル席を勧めた。


「『どうぞ』と言われて、お妃様のお部屋で座る女官などおりません」


 冷たい眼差しとひと言で瞬殺だった。


(やっぱり、この人は苦手だわ!)


 アメリーはロジーヌの顔色をうかがいながら、おとなしく自分だけイスに腰かけた。直立不動のロジーヌに見下ろされるような形になって、かえって話しづらい。


「ええと……おかげさまで、土曜日に大聖堂に行くことができたわ。改めてありがとう」


「わたしは自分の仕事をしたまでですので、どうぞお気になさらぬように」


 相変わらず低い温度の対応に、アメリーは会話を続ける気がくじけてしまいそうになる。


「帰りに息子さんのお墓にも行ったわ」


 ロジーヌにドキリとした表情が見えたので、アメリーもようやく緊張を緩めることができた。


「それで……?」


 ロジーヌはこくんと喉を鳴らした。


 おととい、イザベルと話した後、アメリーは帰る前にルカのお墓にも寄った。そこで【交霊の調べ】を弾きながら彼の名を呼んだが、声は聞こえてこなかった。悪霊すらきつけてやまないくらいに竪琴を激しく奏でても、やはりこたえはなかった。


 それが意味することは――


「すでに天に昇られたようです。心残りはないということになりますね」


「そうでございますか」


 ロジーヌはまるで心残りがあった方がよかったと言わんばかりに、落胆した様子を見せた。


「おそらく息子さんの死に関わった者は、もうこの世にはいないのでしょう」


「陛下が粛清された人たちの中にいたと」


「そう思います。享年十五となると、妻も子どももいない年頃です。恋人などがいなければ、心残りがあるとしても、自分の家族のことくらいでしょう。女官長の家族については知りませんけれど、少なくともあなたは仕事を続けて、過去を悔やみながらも前を向いて進んでいるように見えます。息子さんからしたら、心配することはないのだと思います」


「そう、ですね……」


 ロジーヌは涙をこらえているのか、かすかに顔を歪めて口元を震わせていた。


「女官長、亡くなった人たちに心残りなどない方が良いのです。彼らが自ら天に昇るということは、自分がいなくても遺された人たちが幸せになれると、確信があるからです。心残りはなくても、幸せになってほしいと願っています。そのことをどうかお忘れなく」


「……はい」


 ロジーヌは泣きそうな顔で、初めて笑顔を見せてくれた。

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