第15話 伝えたい言葉(後編)

 耳にやさしい澄んだ声が聞こえてきたのは、アメリーが思っていたより早かった。


〈アメリー様、イザベルでございます〉


(これなら、大丈夫ね)


 悪霊化した魂ほど恨みのある人間に対する執着が強く、呼びかけに抗う。アメリーは竪琴を激しくかき鳴らし、無理やりにでも引き寄せなければならない。話をしても、まともに聞いてもらえないこともある。激しく、激しく、指の痛みを忘れるほどに【交霊の調べ】を奏でる。


 それに比べれば、イザベルは率先してアメリーの呼びかけに応じたと言ってもいい。悪霊化はしていない証拠だ。


「おいでいただいて、ありがとうございます」


〈アメリー様、わたしはこんな風に言葉を交わせる日を待っておりました。けれど、あまり時間がございません〉


 言葉通り、イザベルからは切迫した心情がうかがえる。


「それはどういう意味ですか?」


〈ジェラルドが死んでしまいます。息子から長く離れるわけにはいかないのです〉


 アメリーの心臓がばくんと跳ねたような気がした。ジェラルドが悪霊たちに取り巻かれていることは知っていたが、そこまで死の瀬戸際せとぎわにいるとは思ってもみなかった。


 生あるものはいつか死ぬ。ジェラルドも例外ではない。そうして、アメリーは父を、母を見送ってきた。それが自然の摂理だ。


 しかしその『死』は、この世をすでに去った死者によってもたらされるものであってはならない。竪琴の継承者として、見過ごしてはならないことだ。


「分かりました。あなたの判断で、いつでも陛下のもとにお帰りいただいて結構です。その時にわたしが引き止めることはいたしません。今後呼ぶことがあっても、あなたの判断に任せます」


〈アメリー様、本当にありがとうございます〉


 泣きそうに震える声を聞いて、アメリーも目に涙が浮かびそうになった。それを振り払って、しっかと墓標を見つめた。


「では、時間の許す限り、お話しいたしましょう。あなたがこれまで陛下をお守りしてきたのですか?」


〈その通りでございます〉


「他に陛下を守る者は?」


〈存じません。わたしの見てきた限りでは、ジェラルドを恨みこそすれ、守ろうとする者はいなかったと思います〉


「そうですか……」


〈ですから、わたしが頼れるのはアメリー様だけなのです。なんとしてでもジェラルドに会っていただきたかったのですが、夢の中でもわたしの声を届けるのが難しくて――〉


【交霊の調べ】がなくても、死者たちに強い想いがあれば、生者の心が弛緩しかんしている時――夢を見ている時に言葉を交わすことはできる。ただ、目が覚めた時に忘れてしまうことも多い。


 加えてジェラルドの場合は、【交霊の調べ】を奏でる時と同じく、悪霊たちの声の方が大きすぎて、夢の中でも彼女の声は届きづらいはずだ。


〈それでも繰り返し八年前の記憶を思い出させることで、ジェラルドに気づいてもらえました。アメリー様が後宮に入られた時は、本当にうれしくて。これでやっとジェラルドも救われるかと……〉


 イザベルの涙ぐむ姿が思い浮かぶような声だったが、アメリーは愕然がくぜんとし過ぎて、危うく竪琴を弾く手を止めそうになっていた。


(……ちょっと待って。わたしが陛下と会うことになったのは、イザベル様がそう仕向けたからだったの!?)


 ジェラルドが『母の声が聞こえた』という過去の事実を繰り返し夢の中で見ていたら、気になって当然だ。たとえ目が覚めて夢の内容を思い出せなくても、魂に刻み込まれた記憶は簡単には消せない。抜けないとげのようにチクチクと心を刺激するだろう。それはある意味、悪霊たちの呪いと変わらない。


(それだけイザベル様の陛下を救いたいという想いが強かった、ということではあるのだけれど――)


 結果、アメリーが妃にされることまでは、イザベルも意図していなかったに違いない。さすが『心残り』のためだけにこの世に留まる魂だ。自分の目的のためならば、他人の迷惑など顧みない。


 アメリーは文句も付けられず、大きく息をつくだけに留めた。


「イザベル様の望みは分かりました。では、八年前に陛下に伝えたかったことは、もうよろしいのですか? わたしはそもそも、それを聞きに来たのですけれど」


〈それはもう過ぎたことなので……〉


「今更伝える意味のないことなのですか?」


〈ええ。あの子にはわたしのことなど気にせず、幸せになってほしいと。けれど、伝えられないままに、ジェラルドは復讐を始めてしまいました。そして、多くの人を殺めました〉


「イザベル様はそれを望んでいなかったのですね?」


〈すべては、わたしのせいなのです。あの子が背負う宿命ではありませんでした。そのせいで、多くの人に今でも恨まれることになって……命も危うくなっています〉


「あなたのせい?」


〈わたしが愚かだったのです。わたしがこのように命を落としたのは、自分の立場を忘れ、過度な望みを持ってしまった天罰だったのです〉


「それはどういう意味なのでしょう?」


〈わたしはご縁があって先代陛下に望まれ、後宮に入りました。子どもも――ジェラルドも授かりました。それだけで幸運と思うべきだったのです。けれど、ジェラルドは幼い頃から、他の王子殿下たちに比べて利発でした。だから、もしかしたらと望んでしまったのです〉


「次期国王にと?」


 一瞬の沈黙の後、イザベルの「はい」と囁くような声が聞こえた。




 そもそもの始まりは、セリーヌ前王妃の産んだフランソワ王太子が、急病によって亡くなったことだった。彼女に二人目の王子がいなかったため、側室たちは自分の王子を王太子にしようと動き始めた。


 そんな中、ジェラルドは妾妃の産んだ王子で、候補にすら挙がるはずはなかった。


 ところが、ジェラルドはイザベル譲りの美しい容姿だけでなく、賢く、才気にあふれ、他のどの王子たちよりも目立っていた。それに加えて、国王のイザベルに対する過度な寵愛。イザベルがその寵をかさにジェラルドを王太子にと望めば、叶ってもおかしくはなかった。


 実際、ジェラルドの立太子には、後見していたフォルジェ公爵を筆頭に、それに賛同する貴族も多くいて、イザベルもその気になってしまった。


 結果、密通事件の捏造ねつぞう、そしてイザベルの処刑につながった。




「結局、一番排除したかったのは、あなたではなく、ジェラルド陛下の方だったと」


〈ジェラルドは先代陛下のお子です。直接手にかけるより、わたしの不祥事で廃嫡はいちゃくされることを望んだのだと思います〉


「密通事件にしたのは、ジェラルド陛下の出自に疑問を持たせる目的もあったということでしょうか」


〈そうかもしれません〉


 アメリーは込み上げる不快感を抑えながら、竪琴を弾き続けた。


〈アメリー様、わたしは誓ってフォルジェ様とは一度も関係を持ったことはございません。ジェラルドは間違いなく、先代陛下との子です〉


「今生きている人で、それを疑っている人はいないと思います」


〈そうなってしまいました〉


 悲しみに沈むイザベルの声に、アメリーもまた言葉を失った。


 全員死んでしまったのだ。殺されてしまったのだ。


 八年前、イザベルの声がジェラルドに届いていたら、彼は復讐に手を染めることはなかったのだろうか。血のつながった父親や兄弟たちを殺してまで、王位に就こうとはしなかったのだろうか。


 すべては遅かった。アメリーもそれ以上にふさわしい言葉は見つからなかった。


「ではイザベル様、ジェラルド陛下に改めて伝えたいことはありますか?」


 数瞬の沈黙の後、イザベルがかすかに笑う気配があった。


〈おかしいわ。もう遅いと思っていたのに、同じことを望むなんて〉


「それは――?」


〈誰も恨まないでほしい。あの子には幸せになってほしいと〉

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