第14話 伝えたい言葉(前編)

(竪琴の継承者であることは、伴侶にしか打ち明けない――なんて決められているけれど、この妃という地位では、隠し続けるのは無理ではないの?)


 アメリーはそんなことを思いながら、勝手知ったるリュクス大聖堂に到着した。


 訪れるのは、実に半年ぶり。後宮に入る前は、それこそ公園のような感覚でしばしばやって来るような場所だった。


 ここの裏にある墓地に来て【交霊の調べ】を奏でると、誰かしら声をかけてくる。他愛のない話をすることもあれば、困ったことや相談事を聞くこともある。魂たちを慰め、癒やし、心残りのせいで悪霊にならないようにするのも、竪琴の継承者の役目なのだ。後宮に行ってから、すっかりなおざりになってしまっていた。


 今回は妃の公式訪問という大げさな理由のせいで、ささっと裏手の墓地にだけ行くことは許されない。アメリーは近衛騎士を二人引き連れて、まずは聖堂の中に入った。


 久し振りに入る荘厳な建物の中は、昼でも薄暗い。色とりどりのステンドグラスを通して入ってくる光と無数の蝋燭ろうそくの炎で、幻想的な空間になっている。


「アメリー様、お久しぶりでございます」


 白いローブを着た背の高い老人が、正面の祭壇前で出迎えてくれた。


 白髪に長い白髭しろひげを生やし、やさしい空気をまとっている。彼がこの大聖堂の神官長。ルクアーレ王国最高神官の位にある。


(そんなに偉い人だと思わなくて、普通に『じじ様』と呼んでいたのだけれど――)


「ご無沙汰しております、神官長」


 今日ばかりはアメリーも敬意を払い、スカートをつまんで片膝を折った。


「妃になられたとか。おめでとうございます」


「ありがとうございます。本日は母の月命日ということで、墓地の方へ行かせていただきます」


 神官長に怪訝けげんな顔で『月命日?』と問い返されそうになって、アメリーはパチパチと片目をつぶってみせた。そして、ちらっちらっと背後の近衛騎士たちに視線を送る。彼らの前で嘘の目的はあばかれたくない。


「そうでございましたね」と、神官長が話を合わせてくれたので、アメリーはこっそり安堵あんどの息をついた。


「では僭越せんえつながら、私が墓地までご案内いたしましょう。護衛の方たちはこちらでお待ちください。なに、ここは聖騎士たちが守っておりますので、ご心配なく」


 神官長の言葉に従って、近衛騎士たちは聖堂の奥にある裏口で待つことになった。


「お手数かけてすみません」


 墓石の並ぶ芝生の小道を神官長と並んで歩きながら、アメリーは軽く頭を下げた。


「やはり理由は聞かせてもらえないのでしょうな?」


 神官長は茶目っ気のある視線を向けてくる。


「申し訳ありません」


「ラウラ殿もそうでしたから、慣れております」


「いつかわたしの娘が来ることがありましたら、よろしくお願いしますね」


「そのご予定が?」


「……今のところはないですけれど」


 アメリーが頬を膨らませると、神官長は朗らかに笑った。


「まだ妃になられて日が浅かったですな。気の早いことを申しました」


(そういう意味ではなかったのだけれど……)


 形だけの妃では、一年先でも十年先でも、そういう日は来ないと言いたかった。


 しかし、ここで『ありえません』などと口にしたら、ラウラを呼び出した時に、また怒鳴り声を聞く羽目になる。余計なことは言わないに越したことはない。


「今日は母のお墓ではなく、イザベル・ソワイエ様と、それからルカ・オダンのお墓に行く予定なのです。ご存じでしたら、場所を教えていただけますか?」


「イザベル様ですか」


 頭一つ高い神官長は、感じ入ったようにアメリーを見下ろしてきた。


「陛下のお母様ですので」


「ええ、存じておりますよ。そしてルカ・オダン、イザベル様が投獄された日に亡くなった少年。当時、母親が女官でしたな」


「平民の方の名前まで、よく覚えていらっしゃいますね」


「印象深い出来事と同じ日に亡くなった方というのは、忘れられないものなのです」


「印象深い日……」


「あの後数年、毎日のように葬儀と埋葬がありました。あの日がすべての始まりのような気がしていたのです」


 神官長はそう言って、昔を思い出すように遠くを見つめた。


「そうですね」


 アメリーも相槌あいづちを打ちながら、その頃のことに思いをはせた。


 ラウラが病気で亡くなったのも同じ年。アメリーが彼女の代わりに、竪琴の継承者としてこの墓地へ通い始めたのがその頃になる。


 当時、週に一度の訪問であっても、大聖堂では必ず葬儀が行われていたことを覚えている。毎日どれだけの人が亡くなって、どれだけのお墓が増えていくのか。そんなことを思っていた。


(すべての始まりの日、か……)


 八年前、アメリーの記憶にはないが、ジェラルドがアメリーをここで見たのも同じ頃だった。


 以降、ジェラルドはイザベルの声を聞いたのではないかと気にし続け、そのせいでアメリーは妃になった。


(こうして再会することも、その日に決められていたのかしら)


「今はとても穏やかになりましたな」


 神官長の声に、アメリーは物思いから戻ってきた。


「はい」と、アメリーは小さく頷く。


 新しい国王、ジェラルドが即位して一年ほど経った頃から、少なくともアメリーが後宮に行くまで、この大聖堂は静かだった。葬儀や埋葬に出会うことは滅多になかった。


 誰も処刑されることのない日々が続いていたのだ。


(いつの間にか、平和な毎日になっていたのね……)


「さて、アメリー様、イザベル様のお墓はこちらになります。ルカ・オダンのものは、二列先のあの辺りです」


 神官長の指差す方向をアメリーも見やった。


「これ以上、お手間をかけなくて済みそうです」


「では、ごゆっくりお過ごしください」


 神官長はそう言って、立ち去って行った。






(さて……)


 神官長の姿が見えなくなってから、アメリーはイザベルの墓石の前で胡坐あぐらをかき、竪琴を膝に乗せた。


 彼女のお墓は質素なものだった。どこにでもある御影石みかげいしに、名前と命日だけが彫ってあるもの。妾妃として後宮にいたことすら分からない。通りがかっても、これが現国王を産んだ女性のお墓とは思わないだろう。


 もともと平民だったからなのか、それとも罪を負って処刑されたからなのか――


(陛下も訪れることは、あまりないでしょうし。立派なものに作り替えるということもないのかしらね……)


 アメリーは十六本の弦に手のひらを乗せ、【交霊の調べ】を静かに奏で始めた。


「イザベル様、イザベル・ソワイエ様。竪琴の継承者、アメリー・バリエの名において、お呼びいたします。どうかこちらにおいでください」




*後編に続きます≫≫≫

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