第4話 六番目の妃
エリーズの昼食が終わり、アメリーも自分の食事のために部屋を出ようとした時のことだった。
後宮女官長のロジーヌ・オダンが訪ねてきた。
その姿を見た途端、アメリーの全身に緊張が走って、知らず知らずのうちに背筋をピンと伸ばしていた。
(この人、苦手なのよ……!!)
正確に歳は分からないが、目元と口元のシワから五十前後だと思われる。白髪のうっすら入った髪をきっちり
アメリーが後宮に来てすぐの頃、初めて「ロジーヌ様」と声をかけたところ――
「わたしは平民なので、ロジーヌとお呼び捨てください」と、無表情に冷たく言われた。
つい『様』を付けて呼びたくなる貫禄があったのだ。
以降、無難に『女官長』と呼ぶことにしている。
そのロジーヌが女官を介さず直々に訪ねてくるということは、何か重要な報告があるはずだ。
「エリーズ様もすでにご存じかもしれませんが、この度、アメリー様が陛下の六番目のお妃様として迎えられることが決まりました」
「はい!?」と、エリーズとともに裏返った声を上げていた。
「ちょっと待ちなさい。アメリーが六番目の妃ですって? わたし、そのような話は聞いていないわ!」
「そうでございましたか?」
ロジーヌが
「アメリー、わたしを騙したの!?」
エリーズに激しい目で睨まれて、アメリーはすくみ上がった。
「騙していないわ! 本当にただ竪琴を弾いただけで――」
エリーズとの言い争いを止めるかのように、ロジーヌがコホンと咳払いをした。
「アメリー様、あなた様のような未婚の女性が、男性と二人きりで寝室で過ごす意味がお分かりでしょうか」
「それは呼ばれたのがたまたま寝室だっただけのことで――」
アメリーの言い訳などどうでもいいと言わんばかりに、ロジーヌは続けた。
「そこで何があったにせよ、陛下のお手が付いたことになります。特にアメリー様は現在エリーズ様の侍女とはいえ、第十五代国王陛下のお孫様です。血筋からいっても、王妃候補として後宮に迎えられるのは当然のことになります」
「……陛下もそれをご承知なさったのですか?」
ロジーヌはきりりとした顔を崩すことなく、ひと言「これは王命です」と告げた。
(こんな理不尽な話はある!? たかが一時間、陛下と二人きりになっただけで、妃にされてしまうなんて……!!)
「で、でも、エリーズとは叔母と姪の関係で、寵を争うのはどうかと思いますけれど……」
「過去にはご姉妹で後宮に入られたお妃様方もいらっしゃいます」
「それでも――」
どうにかしてこの話を撤回してもらわなければと、言いつのってみたが、それを止めたのはエリーズだった。
「アメリー、黙りなさい。すでに陛下が決められたことならば、従うしかないわ」
『エリーズはそれでいいの?』と問いかけようとした途端、その顔に怖いくらいの笑みが浮かんでいることに気づいて、アメリーは口をつぐんだ。
(これはものすごく怒っている……!!)
「ではアメリー様、お部屋の準備が整いましたら、お迎えに上がりますので。また後ほど」
ロジーヌは「失礼いたします」と礼をしてから部屋を出て行った。
「アメリー」
エリーズに喉の奥底から絞り出すような声で呼ばれ、アメリーはびくりとすくみ上がった。
「こ、これは不可抗力というもので――」
「本日をもって、あなたは解雇よ! わたしの叔母ではなく、ライバル。二度と気安く声をかけないでちょうだい!」
その後、アメリーは第六妃として広い部屋を与えられ、毎週土曜日にジェラルド王の寝室に通うことになったのだ。
***
〈伴侶ができたのは良かったけれど、このまま陛下との間に何もないと、後継者の問題が気になるわ〉
残念そうな響きが混じる声が聞こえて、アメリーは後ろめたい気持ちにさせられた。
母ラウラの心残り――それは次の竪琴の継承者を見届けること。それはつまり、アメリーが女児を産むことを意味する。
「お母様、ごめんなさい。結婚はここに来る前からあまり期待できないものだったから、もうあきらめるしかないわ」
〈いいえ、あきらめるのはまだ早いわ! 間違っても【鎮魂の調べ】は弾かないでちょうだい。わたしはまだ天に昇りたくないわ!〉
ラウラの声に力がこもるが、アメリーはむすっと口を尖らせた。
「あの陛下相手に、それを期待するのは無駄ではないかしら」
〈少なくともあなたは妃の一人なのよ。妃とは妻よ。妻になったからには、夫婦の営みがあってしかるべきでしょう〉
「それはそうかもしれないけれど……」
〈陛下がその気になるように、押し倒すくらいの勢いで行かないでどうするの?〉
「そ、そのような、はしたない
〈はしたないくらいに誘惑された方が、男性は
「お母様と一緒にしないで……」
旅芸人だったラウラは、オーギュストと出会うまで、多くの男性と関係があった。南の大河を挟んだ対岸にある砂漠の王国、ガルーディアの出身で、この辺りでは珍しい真っ黒な巻き毛。彫りの深い顔立ちに小麦色の肌、魅惑的な胸元と腰つき。異国情緒たっぷりの容姿に、男性たちはこぞって声をかけてきたという。
もちろんラウラは、後継者を作るという大義名分のもと、端から相手をしていたらしいが。亡くなったラウラの母、アメリーの祖母が魂になってもけしかけていたという理由もある。
アメリーが母から受け継いだのは、黒い巻き毛だけ。色白の肌と空色の瞳は父親譲り。顔立ちは整っている方だと思うが、いかんせん『悪霊憑き』の噂で、とにかく男性は寄ってこなかった。公爵令嬢ということで、娼婦のような真似もできない。
だいたい経験もないのに、どうやったら男性がその気になるのか分からない。それ以前に、あのジェラルドの氷のような瞳を前にして、逃げることはあれ、突進していく勇気はない。
(不敬罪だって、そのまま首を落とされそうでしょう!? 怖いわ!)
〈他のお妃様たちとは寝室を共にしているのだから、あなただって、いずれはその時が来ると思うけれど〉
「どうかしら……。共にしていると言っても、どういうものなのか、わたしには想像がつかないわ」
少なくともアメリーがエリーズの侍女でいたひと月の間、彼女がジェラルド王の寝室を訪れたところで、何もなかったことは知っている。
『そろそろ男女の関係になってもいい頃よね?』
そう言っていたエリーズがその後どうなったのか、聞ける関係ではなくなってしまった。
アメリーを含め、妃たちが王の寝室に呼ばれるのは、決まって夜の十一時。零時過ぎには後宮に戻ってくる。滞在時間、たったの一時間。それこそ、ぱぱっと営みを終えるだけの時間にしか思えない。日曜にあたる妃は今のところいないが、誰かが呼ばれることもない。
そんな日替わりの寵愛を与えているせいか、現国王にはお世継ぎどころか王女すら生まれていない状態。最初に第一妃から第四妃が同時に後宮へ入ってから五年も経つのに、である。
良く言えば、平等に寵を分けている。
悪く言えば、特別寵愛している妃はいない。
そもそも第一、第二などと妃の頭に付けて呼ばれるが、単に後宮に入った順番。その序列に意味はない。『妃』と呼ばれつつ、それはただ『王太子を産む権利を持つ身分がある女性』という意味なのだ。普通ならば『側室』と呼ばれる地位なのだが、正真正銘の『王妃』がいない今、その言葉は使われない。
当然のことながら、妃たちは王太子を産んで、たった一人の王妃に昇格することを望んでいる。そんな義務のような寵愛だというのに、王の気を引こうと日々頑張っているらしい。
肌に磨きをかけて、美しく装い、最高級の香水を振りまく。中には
「そもそもあの陛下、わたしにそういうことを望んでいない気がするわ。ついでのようになった妃なのだもの」
この半年、ジェラルドとは何度も会っているが、彼から色目のようなものを一度も感じたことはない。それどころか、毎度毎度『別の曲』を所望してくるだけで、最初に顔を合わせた時からろくな会話もない。竪琴の音すら気に入った様子もない。
正直、何のために『妃』をやっているのか、アメリーも分からなくなる。
〈アメリー、そのようなやる気のないことを言わないでちょうだい。妃になった以上、他の男性の子を産むというわけにはいかないのよ〉
「ええ。だから最初の話に戻って、あきらめてと言っているのだけれど」
〈それは、わたしが許しません!〉
堂々巡りになりそうだったので、アメリーは竪琴を弾く手を止め、ラウラには黙ってもらった。
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