第3話 ジェラルド王からの呼び出し
このまま結婚できずに、クレマンの顔色を窺いながら、ただバリエ家に世話になり続けるわけにはいかない。アメリーもいつかは働きに出ることを考えていた。
その辺りの事情を知っているエリーズが、侍女として雇ってくれるというのなら、ありがたい話だ。
「わたしでよかったら」と、アメリーは快く承諾した。
その一か月後、木々の葉が色づく秋の始まり、アメリーはエリーズとともに後宮にやってきた。
それまでの間、エリーズには顔を合わせるたび、不満をぶつけられていた。というより、後宮に入ってからも気軽に
『妃といっても、いわば
『正式な妻がいないのに愛人が何人もいて、さらに加えられる女性の気持ちが陛下には分からないのかしら。四人のお妃様たちはよほど人間ができた人たちよね』
『毎晩、妃をとっかえひっかえ呼ぶ国王に
そんなエリーズだったが、初めて王の寝室に呼ばれて戻ってきた時には、完全に態度を一変させていた。
「アメリー、一目ぼれというものは本当にあるのね。わたし、あのように素敵な男性は初めてお会いしたわ!」
頬を紅潮させてまくし立てるエリーズは、すっかり夢見る乙女になっている。
「そう、それはよかったわね……」
時間は午前零時過ぎ。アメリーはすでにベッドに入って
(……まさか、これからベッドの中で何があったのか、
経験のないアメリーにとって興味がないわけではないが、姉妹のように育ったエリーズから聞くのはどうかとも思う。
そんなアメリーの懸念をよそに、エリーズはジェラルド王がいかに美しいか、紳士的だったかという話を延々としてくれた。要は、寝室で話をしていただけで終わったということだ。
しまいには――
「今夜は興奮して眠れそうにないわ。竪琴を弾いてもらえないかしら?」
エリーズの部屋に行って、彼女が寝つくまで竪琴を弾くことになった。もっとも、彼女は小さな頃から【ゆりかごの調べ】を五分も聞けば、ころっと寝てしまうのだが――。
これもアメリーの後宮での仕事なので、致し方ない。つまり、エリーズの話し相手と竪琴を弾くことだ。
正直、バリエ家にいた時とやることは大して変わらないのに、衣食住が確保された上で、給金までもらえる。おまけに、母屋でクレマンとすれ違うたびに不機嫌そうな顔を向けられなくて済む。ありがたいことこの上ない生活だ。
そもそも侍女という仕事は、貴族生まれの女性がやることで、特に下級貴族の令嬢が多い。食事の用意や掃除、洗濯などは、平民出身の女官たちの仕事になる。
アメリーは重労働もなく、快適な後宮生活を楽しんでいたのだが――。
ひと月ほどが過ぎたある日の昼過ぎ、王宮付き女官がエリーズの部屋にやってきた。彼女が妃の部屋を訪れる時は、その夜の都合を聞く時のみ――いわゆる、王の寝室へのお誘いだ。
「もしかして、今夜もお召しなのかしら」
エリーズがうれしそうに顔をほころばせて、アメリーに耳打ちする。
五人の妃が王の寝室に呼ばれるのは、各々週に一回。月曜から第一妃、第二妃……と順番になっている。五人目の妃エリーズは、そういうわけで毎週金曜になる。
今日は土曜。エリーズは前の晩にジェラルド王の寝室を訪れたばかりだ。二晩続きでエリーズが呼ばれたとなれば、いかに彼女が
「エリーズが王妃に選ばれるのも、時間の問題なのではないかしら」
二人でこっそり笑みを交わしていたところ――
「アメリー様、今夜十一時、陛下がお呼びでございます。その際、竪琴をお持ちでしたら、弾いていただきたいとのことです」
「はい? わたしの竪琴?」
ぽかんとするアメリーに、扉口に立っている女官は無言のまま頷いた。
「もしかして、エリーズが何か言ったの?」
小声で話しかけると、エリーズは困惑した様子で首を振った。
「まさか。わたしが侍女の話を陛下のお耳に入れるはずがないでしょう」
「断るわけには……いかないわよね?」
エリーズがむっつりと頷くので、「では、伺うと伝えてください」と、女官に返した。
その夜、アメリーは他の妃たちと同じように二人の近衛騎士に後宮の入口で出迎えられて、王宮に向かうこととなった。
そこで案内されたのは、二階にある王の
(竪琴を聞くだけよね……?)
エリーズの話を聞く限り、ジェラルド王は初対面の女性をいきなりベッドに連れ込むような好き者ではなさそうだ。ただ、普段妃たちと過ごす場所に足を踏み入れるのは、聖域に踏み込むようで、怖いような気恥ずかしいような、何とも複雑な気分になる。
扉が開かれると、窓際のイスに座る金髪の青年の姿が目に留まった。会うのは初めてだが、この青年がジェラルド王に違いない。
「アメリー・バリエでございます」
竪琴を脇に抱え、扉口で淑女の礼をしたところ――思わず『ぎょっ』と声が漏れてしまうかと思った。
(こ、この人を見て、どうして一目ぼれができるの!?)
ジェラルドはというと、
何より、目の下の真っ黒な隈。寝不足なのは明らかだ。そのせいで、せっかくの端正な顔立ちも絵本で見た
(きっとエリーズの『麗しい』の定義は、わたしのものとは違うのだわ……)
気合を入れて口元に笑みを保っていると、ジェラルドに向かいのイスを勧められた。
「早速、一曲弾いてもらおうか」
「何かご所望の曲はおありですか?」
「そなたの得意なものでかまわない」
なんだかそっけないやり取りだと思ったが、よくよく考えてみれば、アメリーは妃ではなく、竪琴を弾きに来た
ともあれ、曲の指定はないようなので、アメリーは膝に乗せた竪琴の調律を確かめてから、【ゆりかごの調べ】を奏で始めた。
時間も時間なので、心をリラックスさせて眠気を誘う曲がいいだろう。
(この人、どう見ても睡眠が必要だもの)
ところが、五分経っても十分経っても、ジェラルドの表情にまったく変化が見られない。それどころか、アメリーの手元を凝視し続けるだけ。まるで獅子に睨まれるネズミになった気分で、身体から指先まで強張ってしまう。おかげで、せっかくの【ゆりかごの調べ】も不快な音が時折混じってしまった。
そして、そろそろ一時間が経とうとした時、やめていいというようにジェラルドの右手が上がった。
「来週は別の曲を頼む」
気に入った様子もないのに、どうしてまた竪琴を聞こうとするのか。
理由を問いたいところだが、それを許さない威圧感があった。さすが相手は国王といったところか。
「かしこまりました」と、アメリーはそそくさと礼をして、王の寝室を飛び出していた。
「それで、昨夜はどうだったの? 何をしたの? 陛下とはどのような話をしたの?」
翌朝、エリーズの部屋に行くと、ものすごい剣幕で詰め寄られた。正直、思い返しても、語って聞かせるようなことは何もない。妃の一人であるエリーズに後ろめたく思うことも起こっていない。
「本当に竪琴を弾いてきただけよ」
「でも、来週もお部屋に来るように言われたのでしょう?」
「また竪琴を弾きに行くだけよ」
事あるごとにそんな押し問答を繰り返して一日を過ごし、そしてその翌日、事態は一転した。
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