第2話 アメリー嬢の悪評

 夏が終わりに近づく七か月ほど前のこと――。


 夕食を終えた頃、アメリーが生活している離れを訪れたのは、サラサラの褐色の髪に空色の瞳をしたあどけない顔立ちの少女――姪のエリーズだった。


「アメリー、少し相談したいことがあるのだけれど」


 いつもならノックの返事も待たずにずかずかと上がりこんでくるエリーズにしては、妙に改まった態度だ。


「どうしたの? 何かあったの?」


 エリーズは姪といっても、アメリーとは同い年で、物心ついた頃から一緒に淑女教育を受けていた幼なじみ。小柄で愛くるしい見かけによらず、根は負けん気が強くて、しっかり者。先に生まれたのはアメリーなのだが、エリーズの方が姉のような存在だ。


 そんな彼女の方からアメリーに相談に来るということ自体、かなり珍しい。しかも、こんな時間に。


 広大なバリエ公爵邸の片隅に建つ納屋だったこの離れは、高い木々に囲まれた中にあって、周りには明かりがほとんどない。暗闇の中を歩いてくるのは、ランプを持っていても薄気味が悪いと言われている。夕食の食器を下げに来るメイドを最後に、朝食の時間まで訪問者というものはない。


 よほどのことがあったのだろうとアメリーは察して、エリーズをソファに促した。


「さっき、お父様に言われたの。わたし、陛下の妃に迎えられるのですって」


「それはおめでとう……でいいのよね? クレマン兄様はさぞかし喜んでいることでしょう」


 もうじき十八を迎えるエリーズが誰とも婚約していないのは、現バリエ公爵家当主クレマンがいずれは妃にと機を見ていたからだ。公爵夫人のクロディーヌは王族出身の女性で、エリーズは血筋的にも他の貴族令嬢たちとは一線を画している。ジェラルド王に世継ぎがいない今、エリーズが後宮に迎えられるのも時間の問題だった。


 とはいえ、当のエリーズが乗り気でないことは知っていたので、彼女が皮肉気な口調で報告するのは当然と言えた。


「ええ、お父様はたいそうお喜びよ。でも、五番目よ、五番目。他に四人もお妃様がいるのよ。そのうち三人は隣国の王女様たち。もう一人は聖女だった方。その中で一番身分が低くて、一番若いわたしがイジメの標的にされるに決まっているわ」


「エリーズの性格からすると、やられっぱなしとは思えないけれど……」


「もちろん、やられたらやり返すくらいのことはするわ」


 ふふんと胸をそらすエリーズに、アメリーは苦笑を漏らした。


「それくらいの勢いがあるのなら、後宮に行っても大丈夫ではないの?」


「ただ、そのためには信頼できる協力者が必要だと思うのよ」


「協力者?」


 ここまで鼻息荒く話していたエリーズは一息つくと、申し訳なさそうに上目遣いでアメリーを見つめてきた。


「後宮には侍女を二人まで連れて行っていいのですって。アメリー、わたしと一緒に後宮に行ってもらえないかしら?」


「え、わたしが?」


「公爵家の血を引くあなたに、このようなことをお願いするのは心苦しいのだけれど。このままでは、あなたもここに居づらいでしょう?」


「それは……確かに」と、アメリーも頷かざるを得なかった。




***




 アメリーの父親は、第十六代国王の弟オーギュスト・ルクアーレ。バリエ姓と公爵位をたまわって臣籍しんせきに下り、バリエ公爵家初代当主となった人だ。


 母ラウラは元旅芸人。二人が出会った頃、オーギュストの妻は亡くなっていたが、ラウラを屋敷に迎えるにあたっては、ひと悶着もんちゃくあったらしい。


 ラウラとは親子ほども歳が離れている上、その出自は平民どころか素性の知れない流浪の民。オーギュストの子どもたちは、そんなラウラを公爵家の後妻にすることに猛反対した。最終的にはオーギュストの当主権限で、ラウラをめかけとすることで話は落ち着いたという。


 アメリーの記憶の中にある父は、いつもベッドに横たわっていた。その傍らには、竪琴を奏でるラウラの姿――。


 オーギュストは身体中が痛む不治の病に冒されていたが、いつも穏やかな顔で眠っていたことを覚えている。


 その父はアメリーが七歳の時に他界し、公爵位は長男のクレマンが継いだ。


『アメリーが結婚するまでは、二人の面倒を見ること』


 オーギュストからそのような遺言があったおかげで、アメリーたちが屋敷を追い出されるようなことはなかった。ただ、代わりに離れを与えられ、以降そこで生活をすることになった。


 狭い室内はカーテンで仕切られた居間と寝室しかないが、木の温もりのある居心地のいい空間だ。食事は運ばれてくるし、入浴の時は母屋おもやを使わせてもらえる。アメリーはこれまで通り、エリーズと一緒に教育も受けさせてもらえた。


 母娘二人、特に不自由もなく暮らしていたが、その三年後、十歳の時にラウラも亡くなった。


 アメリーは独り、離れに残されることになったが、生活そのものは特に変わらず五年の時が過ぎ――


 アメリーが成人するのを待っていたかのように、クレマンが縁談話を持ってきた。


 オーギュストの遺言では、クレマンがアメリーの面倒を見るのは結婚するまで。もともとアメリーの存在を快く思っていなかった異母兄が、さっさと厄介払いしようとしても不思議はない。


 クレマンが用意した結婚相手は、商売で成功した男爵だった。五十近い男性で、子どもたちは全員二十歳はたち以上、孫もいる。アメリーを後妻にどうかという話だった。


 このまま肩身が狭い思いをしながらバリエ家で世話になり続けるより、早く結婚してしまった方がいい。


 アメリーは快諾して、結婚の準備を進めていたのだが――


 婚姻の儀の直前に、男爵が心臓発作であっけなく逝去。結婚は当然なくなった。


 それから一年後、クレマンが次の結婚相手として選んだのは、夫人と死別した三十代半ばの子爵だった。その彼も婚約が決まって少しして、馬車の事故で亡くなってしまった。


 さすがに婚約者が立て続けに二人も亡くなるのは、偶然とは思えない。


 もしかして、生者を呪う悪霊が関係しているのではないか――。


 そう思い当たって調査したところ、犯人は亡き父オーギュストと判明した。


 魂は元の肉体の一部である骨の近く――お墓が行動の拠点になっていることが多い。特に魂の行方が分からない時は、そこで【交霊の調べ】を弾きながら名前を呼ぶと、その音色に惹かれてやってきてくれる。


 オーギュストのお墓は、このルクアーレ王国最大にして最高権威を持つリュクス大聖堂――王都の名を冠する大聖堂の墓地にある。そこに行って、彼を呼び出してみると――


〈私の娘を粗末に扱うのは許せない。もっとふさわしい結婚相手がいるはずだ〉


 ――と、かなりご立腹の様子だった。


「わたしはこれ以上クレマン兄様に迷惑をかけたくないのよ。結婚できるのなら、誰でもいいの」


 そう言って説得したのだが、オーギュストの魂は、すでに二人もの人間を呪い殺し、完全な悪霊と化してしまっていた。話をしたところで、その荒ぶる心を鎮めるのは容易いことではない。これ以上被害者を出さないためには、【鎮魂の調べ】を弾いて、半ば強制的に天に昇ってもらうしかなかった。


 これでこの先、婚約者が現れても、命を落とすことはないだろうと安心していたのだが――


『アメリー・バリエ嬢は悪霊にかれている。結婚しようとすると殺される』


 そんな噂がちまたに広まってしまい、二度と縁談の話が来ることはなかった。

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