第1話 アメリー妃とジェラルド王

 音楽の効用――それは聞く人の状態と曲によって様々。


 落ち込んでいる時は、ゆったりと穏やかで明るめの曲。イライラしている時は、それを発散できるようなアップテンポの曲。


 ルクアーレ王国の都、リュクスの中心にある王宮の二階――


 その中ほどに位置する『王の寝室』では、一人の少女がイスに腰かけて竪琴をかき鳴らしていた。波打つ黒髪をゆったりと後ろでまとめ、飾り気のないオリーブ色のワンピースをまとっている。


 この小さな部屋にあるのは、大きすぎるほどの天蓋付きのベッド。あとはワードローブとチェストだけ。それだけで手狭な感じはするが、光沢のある金糸を使ったカーテンやベッドカバーは、国王の寝室にふさわしい豪華さがある。おかげで、少女の姿は少々地味どころか、かなり貧乏くさい。


 第六妃、アメリー・バリエだった。


 そろそろ午前零時――


 就寝間近のこの時間、奏でるのは【星月夜ほしづきよの調べ】。退屈なくらいゆっくりとしたテンポ、中音から低音が中心の、頭にも身体にも刺激の少ない曲。


 にもかかわらず、向かいのベッドに座る男性の眉間にはシワが寄ったまま、険しい顔をしている。


 第十八代国王ジェラルド・ルクアーレ――アメリーの五歳年上の夫だ。一応。


 二十三歳の若き王は、女性がうらやむようなサラサラの長い金髪に、美しく整った顔立ちをしている。ただ、切れ長の目は鋭く、灰色の瞳は冬空のような冷ややかさがある。正直、目を合わせると、そのまま殺されるのではないかと思わせるほど怖い。


 冬も終わりのこの時期、昼は春らしい陽が差し込む日もあるが、夜はまだまだ寒い。この部屋の暖炉の薪は充分。暑すぎず寒すぎず、心地よい温度に保たれている。そんな部屋の中、アメリーは『眠くなれ』と念を込めながら、かれこれ一時間は竪琴を弾き続けているのだが――


 ジェラルドの表情には一向に変化がない。眠そうにあくびくらいしてほしいところだ。


 アメリーは内心ため息をつきながら、曲の終わりとともに竪琴を弾く手を止めた。


 そして、ジェラルドの口から聞こえてくるのは、いつもと同じ言葉――


「他に曲はないのか?」


「お気に召さなかったようで、申し訳ございません。来週は別の曲にいたします」


 アメリーが竪琴を脇に抱えながら淑女の礼をして――スカートをつまんで片膝を折ってから、部屋を去るのもいつものこと。


 アメリーが六番目の妃になって半年、毎週土曜の同じ時間に王の寝室に呼ばれて竪琴を弾かされているのだが、いい加減うんざりしていた。


(あれ、どう見ても音楽が好きという顔ではないでしょう!? 嫌がらせ? イジメて楽しんでいるのではないの!?)


 アメリーはそんな怒りの叫びをごくんごくんと飲み込みながら、二人の近衛騎士の後に続いてしずしずと廊下を歩いていった。




 妃たちの住む後宮は王宮の裏手、東側の渡り廊下を抜けた先にある。金や銀で装飾された王宮内部に比べると、赤やピンクを基調とした室内装飾が目立つ。女性たちが住むために建てられたからか、壁にはつた薔薇ばらなどをモチーフにした上品で繊細なレリーフが多い。


 アメリーの部屋は、その二階の南に面した一室にある。古いながらも磨き込まれたオーク材のキャビネット、ワードローブにドレッサー。窓際のテーブルセットの下には、踏むのがもったいないくらいおりの鮮やかなラグマット。一人で生活するには広すぎるそこには、やはり一人で寝るには広すぎるベッドも置かれている。


 アメリーの今までの生活を思い返せば、豪奢ごうしゃすぎる部屋だ。もっとも、他の妃たちの部屋に比べると、調度品はともかく、飾り物やドレッサーの前に置かれる品々は寂しいほどに少ない。


 アメリーは放り出すようにパンプスを脱ぎ捨てると、ベッドに上って胡坐あぐらをかいた。そのまま手にしていた竪琴の第四・第八・第十二弦を巻き上げて、半音ずつ高めていく。


 イライラした気分のまま荒っぽく弾きたいところだが、それを抑え、基本通りに十六本の弦を丁寧にかき鳴らし始めた。


【交霊の調べ】――


 この狂った調律で奏でる音は、人間には耳障りで、曲というには程遠いもの。しかし、『人間以外のもの』――死者の魂には魅了されてやまない音色だという。


 肉体を失った死者の姿は見えない。現世での心残りが天に昇ることを妨げ、魂はこの世をさまよう。思念ともいえる声だけが、この特別な調律で奏でられる竪琴の音色とともに、人間の耳にも届くようになる。


 それがアメリーが母から受け継いだ『竪琴の継承者』の力だ。


〈ずいぶんご機嫌斜めだこと〉


 弾き始めてじきに、つやのある女性の声が聞こえてきた。


 このところアメリーの鬱憤うっぷん晴らしに、毎週土曜に呼び出されているのだが、彼女は全然気を悪くした様子はない。むしろ、呼び出されることがうれしいようだ。


「また別の曲を弾くように言われたわ。『もうありません』って申し上げたら、陛下は離縁してくださるのかしら?」


 ジェラルドに『別の曲にいたします』と言ったものの、実のところアメリーにはもうレパートリーがない。前に弾いた曲を奏でようものなら、『それはすでに聞いた。別の曲にしろ』と、即座に言われてしまう。ジェラルドの記憶力がいいのは間違いない。


〈離縁してくれるのならおんだけれど、首をねられてしまったら困るわねぇ〉


 アメリーはぐっと言葉に詰まって、竪琴を弾く手が一瞬止まりそうになった。


 五年前に即位したジェラルド王は冷酷・冷淡・冷徹と、三拍子そろった人物と評判なのだ。彼は前国王の妾妃腹しょうひばらの第七王子で、王位継承権はないに等しかった。にもかかわらず、父親である前国王を始め、母違いの兄弟の王子たちをすべて謀殺して、君主の座を奪い取ったと言われている。


 即位した後は国の浄化を目的として、前国王の妃たちから自分に従わない貴族まですべて粛清。今でも意に沿わない人間は、簡単に処刑されてしまうという噂だ。


「やっぱり離縁するくらいなら、処刑になってしまうのかしらね」


 アメリーははあっと陰鬱なため息をついた。


(こんなことなら、後宮になんて来なければよかったのに……)

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竪琴の継承者 ~第六妃は国王陛下の子守唄係~ 糀野アオ@『落ち毒』発売中 @ao_kojiya

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