第5話 繰り返し見る夢

「おはようございます」


 聞き慣れた声にジェラルドが目を開くと、ベッドの傍らには短く刈り込んだ赤毛の青年が立っていた。


 メガネをかけた顔にひょろりとした体躯たいくは、いかにも文官らしい風貌だが、ジェラルドの護衛も兼ねるほどの剣の腕前を持っている。側近のディオン・フォルジェ侯爵だ。


 開かれたカーテンからは、朝の眩しい光が燦々さんさんと差し込んでいる。ジェラルドは「しまった」と、つぶやきながら身を起こした。


「また寝過ぎた」


 ジェラルドが慌ててベッドから滑り下りると、ディオンは朝の茶を準備しながらくすりと笑みを漏らした。


 二つ年上のディオンは糸目のせいか、いつもニコニコしているような顔に見える。ジェラルドの鉄面皮と並べると、話し相手に対してはあめむちになって、何かと便利だったりする。実際の中身はというと、ジェラルドよりサクサク首を飛ばす冷血漢なのだが。


「週に一度くらい寝坊も良いではないですか。今日は日曜、民とて仕事を休む日ですよ」


「どれだけ仕事が積まれているのか分かっていて、それを言うのか? 茶は執務室でいい」


 ジェラルドは言いながら、簡素なシャツとズボンに着替えた。今日は謁見も入っていないので、寝巻と変わらない格好でもかまわない。邪魔なくらいに長い髪は、適当に束ねて左肩の辺りで結んでおく。


「仕事は分かりますが、陛下のお身体の方も心配です」


「別に健康上に問題はない」


「そうおっしゃいますが、いつも目の下に隈を作っていらして。睡眠不足は仕事の効率を下げます」


「今までそれでやってきたのだから、今更な話だ」


「おや、そうですか? アメリー妃が訪れるようになってから、日曜に片付けられるお仕事の量が増えたと思いますが」


 とぼけたように図星を突いてくるディオンを睨みたくなる。


「今までに比べて、顔色も良くなられましたし。週に一度の睡眠でも、充分に効果があるということでしょう」


「無駄話はそこまで。仕事に入る。茶を持ってきてくれ」


 ジェラルドは言いながら隣の執務室に入って、積み上がった書類の一番上の一束を取り上げた。


 ディオンの言う通り、朝まで夢も見ずに眠れたおかげで、頭の中がすっきりとしている。デスクに置かれた茶を一口飲みながら、知らず知らずのうちに口元が緩んでいた。




 ***




 ジェラルドには昔から何度も繰り返し見る夢がある。といっても、空想の産物ではなく、八年前、実際に起こったことの記憶の断片だ。


 草むらに隠れるように墓石が無数に並ぶ広場――リュクス大聖堂の裏にある墓地には、貴賤問わず王都で亡くなった者のほとんどが眠っている。


 ジェラルドはそこで黒い喪服姿の幼い少女を見かけた。


 十歳になるかならないかの彼女は、小さな身体には大きすぎる竪琴を抱え、たった一人で墓の前に座っていた。ヘタクソなのか、適当に弾いているのか、とにかく耳をふさぎたくなるような調子っぱずれの音色を奏でている。


「……お母様、一人にしないで……これからもそばにいてね」


 竪琴の音色に混じって、少女のつぶやきが聞こえてきた。


(母を亡くしたのか……)


 同じ理由でこの墓地に来ていたこともあって、ジェラルドは思わず足を止めていた。


「ジェラルド……いで……なって……」


 不意に耳をかすめた声に、ジェラルドは辺りを見回した。


 聞き間違いようのない母の声だった。


(気のせいか……?)


 竪琴のひどい音がうるさくて、耳を澄ませても内容までははっきりと聞き取れなかった。しかし、「ジェラルド」と呼ぶ声はまた聞こえてくる。


「母上? 近くにいるのですか?」


 ジェラルドが口にした途端、少女の竪琴の音はぴたりと止まり、辺りは静寂に包まれた。


 少女の空色の瞳が驚いたようにジェラルドに向けられ、それから彼女は竪琴を抱えると、逃げるように駆けていってしまった。


(別に驚かせるつもりはなかったのだが……)


 少女が座っていたところまで歩いていくと、墓石にはバリエ公爵家のものと刻まれていた。


 少女の愛らしい顔立ちと、ふわふわと風に踊る黒い巻き毛がいつまでも印象に残った。






(あの時、母上は何を伝えようとしていたのだろう。ただの空耳だったのか)


 忘れた頃にはこの夢を見る。そのたびに、ジェラルドは目の前の仕事よりも夢の内容にとらわれてしまう。


 前国王の妾妃しょうひだった母イザベルは、ジェラルドの目の前で首を落とされた。姦通罪かんつうざいで公開処刑だった。


 相手は彼女の後見をしていたヴィクトル・フォルジェ公爵。二人が裸でベッドにいるところを女官が発見して、密通事件は明らかになった。


 イザベルは平民の出とは思えないほど、高貴な美しさを持つ女性だった。肌は抜けるように白く滑らかで、淡い金色の長い髪は絹糸のようにつややか。宝玉のような緑の瞳をほんのり細めて微笑む顔は、どこまでも甘やかだった。父である国王も、他の妃たちが目に入らないくらいに溺愛していた。


 ただ、そんな美しさが原因で、身分だけは高い他の妃たちの機嫌を損ね、ひどい嫉妬と誹謗中傷の的にされた。そして、彼女たちはイザベルを陥れるため、ついには密通事件をでっち上げたのだ。


 イザベルとヴィクトルは最後まで無実を訴えていた。薬を飲まされて、気づいたら二人でベッドに寝かされていたと。しかし、唯一処刑を止めることができたかもしれない国王も、嫉妬に狂っていたのか、イザベルたちの証言を信じることはなかった。


 ジェラルドは二人の無実を証明するため、ヴィクトルの息子ディオンとともに、あらゆる手を尽くして調べた。


 薬の入手経路、二人の当日の行動、犯人の可能性のある人物など――。


 この件には王妃を始め、側室や妾妃たち、それにヴィクトルと敵対する貴族たちと、あまりにも多くの人間が結託し過ぎていた。


『平民上がりの妾妃が、後宮で大きな顔をするのは気に入らない』と、見て見ぬフリをした貴族も多かった。


 どれだけ二人を排除したかったのか――。


 そんな女性を盲目的に愛した国王には、何のとがもない。国王を惑わせたイザベルこそが悪女だと、非難されるばかりだった。


 結局、事実を覆すだけの証拠を集められず、刑は執行された。


 断頭台から宙に飛んだイザベルの頭、美しかった顔が醜く歪んでいたこと、噴き出した鮮血でどろどろに赤く染まった絹のような金髪――。


 ジェラルドはすべての光景を脳裏に焼き付けながら、ただ怒りと悔しさに身を震わせていることしかできなかった。


(許さない! 絶対に、誰も、許すものか! 母上を死に追いやった全員、その命で償わせてやる……!!)


 その三日後、ジェラルドはこっそり王宮を抜け出し、リュクス大聖堂に行った。


 処刑されたイザベルは、王宮内の王族専用墓地に入ることは許されず、葬儀も埋葬も息子として立ち会うことすらできなかったのだ。


 ジェラルドが黒髪の少女を見かけたのは、イザベルの墓前で最後の別れの言葉とともに、この復讐を誓った帰り際のことだった。






 それから三年の時をかけて、ジェラルドは復讐を果たした。ただただ謀略と殺戮を繰り返す日々だった。


 しかし、ようやくすべてが終わって、国王の座に就いても、心が晴れることはなかった。


 イザベルが『よく頑張った』と言ってくれることもなく、脳裏に刻まれた彼女の死に顔が笑顔に変わることもない。


(もう罰すべき人間は残っていないはずなのに、なぜ――?)


 ジェラルドは毎晩のように悪夢に苛まれ、眠れない夜を送ることになった。


「死ね」

「生きる資格はない」

「早く殺されてしまえ」


 直接的にしろ間接的にしろ、ジェラルドが殺した人間たちが、夜な夜な繰り返し恨み言を吐いていく。


 ジェラルドができることといえば、夢中で仕事をこなし、眠りから逃げることだけだった。幸い新国王として、やるべき仕事はいくらでもあった。時間の方が足りないくらいだった。


 それでも時折、身体が疲れすぎて、意識を失うように眠ることもある。そんな時に必ずといっていいほど見る夢が、あの八年前の出来事だった。

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